内を観る、そのままの自分を見ていくと、本音・本心が観えてくる

怖い体験の記憶や、クセ付けされた自分を守る思考(恐怖心)もじっと見ていくことで、実際の自分が見えてきます。
心の開放が起こります!
記憶の奥にある、愛情をいっぱい受けて育った実際の自分が浮き出てきます。
人の中で、人に育てられている、喜びの中に生きている実際の自分の発見!
人との対立がなくなり、明るい暮らしが始まります。
人間の本来に興味がわく自分自身にも出会えます。
サイエンズスクールで開催されている「内観コース」は、そのままの自分を受け入れられる自分を体験します。
2月3日から開催された参加者の感想を紹介します。

DSCF2744.jpg◆思いや考えのもっと奥、底にある気持ちやこころの発見!

「その時のそのままをただ観る」とういうのが、やっと垣間見えた様な感じで、ここからやっと始まるという気がしてきた時に終わった感じだった。
内観して、本当に沢山の人が登場してきた。

実際は、それだけの人に関わって、把握出来てない人も沢山いる中で生きていたのかな。
色々な場面を振り返ってる中で、スタッフさんが、「もっと 具体的に、ただ見る」と言ってくれたので、よし、もっとよく見てみようと思ってやってみた。

娘〇〇の卒業式の洋服を買いに行く場面で、「これはどう?試着してみたら」
「ママはこれがいいんでしょう」 「そんな事ないよ、〇〇の気持ちが大事だよ」
という会話だけど、もっともっとよくよく見てみると、私の中に急いでる感じがあって、もう既に決めてる感じもあった。
そんな心の状態があるのが見えてきた。

娘〇〇は後で、あれはイヤだったって言ってて、あのリサイクルショップの洋服がイヤだったのかと思って聞いてたけど、〇〇の気持ちに全く関心を示してない私の態度がイヤだったのかもしれないなと思った。
「あれはイヤだった」
という表現した中身はなんだったのかな?

本当にいつも事柄を進める事を優先してきたな。(50代女性)
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◆愛情いっぱい・・・明るい世界が見えてきた!

長いトンネルの終りが見える感じだ。
暗いトンネルの中に明るい光の外の世界が見えた, 
何かそんな感じがした。

赤ちゃんだった私の手を母が噛んで泣いていた自分がいる。
あまりにも明るく笑っていた母。
お爺さんの自転車に乗って家に帰って玄関に降りたら 、あまりにも明るく笑っていた母。
お母さんが働く職場に行ったら私を見て 、あまりにも明るく笑って入り口に歩いてくる母がいた。
そんな母がいて、 ご飯を食べてもテレビを見ても、シャワーを浴びても布団に入る時も楽しく感じていた。

明るく笑う母の状態。
親の状態とはそういうものなのか。
人といて安心。
人と一緒にいて楽しい。
何かを一緒にやってではなく、安心と楽しさのベースの関係。

そんな人になりたいと夢が出てきた。
親のような心の人。
共にいる人たちが安心してのびのび暮らせるような、そういうベースになる人。
今回の内観で
"人と人の間に何があるのだろうか"という観点が生まれてきた。
人と人の間にある実際に焦点を当てて、大切にしていきたい。(30代女性)
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内観コース | - |

阻害しているものを知って、自ら快適に生きていく!

快適に生きる・・・人の中でこそやれることだと思いますが・・・日常の暮らしを本当に快適に暮らしている人はどれだけいるでしょうか?
誰にとっても、望む生活が営まれることが本来の姿だと思います。

やりなさい(攻める)、やめなさい(守る)が無く、いつでもどこでも話し合いがあり理解し合うお互いで、一人ひとりの希望が反映される暮らしを・・・!

「快適に生きる」は、「自分自身の実際」を理解することから始まります。
サイエンズスクールで開催されている「自分を知るためのコース」は、そんな自分自身の中にダイブしていきます。1月20日から開催された参加者の感想を紹介します。



◆「自分の中身がどうなっているだろうか?」
自分の中で終始この問いから始まったように思っている。

相手や事柄に反応しているのではなく、自分がそれをどう見て、どう聞いて、捉えたのか?
何を思い、なにを考えたのか。
常に“自分”が視点だと思う。
自分だけでは今の自分が当たり前になりすぎて自分の状態に気づきにくかったりする。

反応しやすい人の近くにいるというのは実はとても有難いことだった。
「人間の考え」というのがどこからなのか、まだハッキリしていない感じだ。
「“人間の考え”を知っていく」というのも大きいと思う。

自分が今どうたったのか?という視点で話す場面が増えてきていたと思う。
自分の中でグルグル(負の連鎖)の中に飲み込まれても、そういう角度から話すと抜け出せていたように思う。

「自分の中でどうなっていたのか?どうしたいのか?」
そんな自覚し合うお互いから、これからの暮らしも始めてみたいと思っている。(30代女性)
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◆みんなの中で探究してみると、あれ?・・? わらけてくるわ!

自分の中で当たり前になっている事は、そうしている事にもなかなか気付けそうにないし、同じ思考回路で1人でグルグルする感じ。

探究会だったら自分が思ったことを言葉にして出す中で新しくまた何か思いが出てきたり、誰かが言った一言で、「あれ?今のどういうこと?」とまた違う頭を使いだす感じがある。
そうやって少しずつ自分の状態に気付いていくのかな。

日常生活の中でわりと大きな反応が出たなあという例を調べた時に、瞬間的に出たものは「は?」という言葉やイラっとする気持ちなのだけど、そういう反応が出るまでに自分の中で色々起きているんだなあと思った。

自分でも笑えるほど被害妄想的なのでここには書かないけど、その時は本気でそう思っているし、自分の中でそれが起こっていることには気付かないんだよね。
相手の気持ちも分かっているので(分かったつもり)、相手には全く関心が向かないし(20代女性)
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自分を知るためのコース | - |

すべての人が求める、幸福な人生を探る!

人は、両親から生まれ、親や周囲の人から愛情を受けながら「幸福」に育っていきます。一生を「幸福」に生きるには、周りの人との間に不安が起こらない環境がいるでしょう。
自分が幸福に生きていくには、人と共に安心の中で生き、満たされ・満たし合うお互いで、人としての正常な知性を働かせ合うことが欠かせません。
サイエンズスクールで開催されている「人生を知るためのコース」は、自分自身を、人生の本来を、じっくり観察し探究していきます。1月13日から開催された参加者の感想を紹介します。

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◆不安を持った観念的な人生から、不安のない実際に即した人生へ!
不安というものがどういうもので、付き合い方がわかれば、かなりいろいろなことが楽になるのではないだろうかという話もしていた。
不安だと思っていたことも、どういうことなのか明確になると、たいしたことでなくなる。
正体や実態が分からないから不安になる。
つまり事実実際が常にわかっていれば不安にならない?
自分だけでも事実実際がわかっていたら、周りの人がどんな状態であっても大丈夫?

今回、自分と実際とのキョリが近ければ近いほどラクだと強く思った。
できごとだけでなく、心についても。
事実実際について。
不安について
しばらく考えていきたい。(40代女性)
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◆人によって満たされ、人を満たしたい「分かち合いたい」欲求!
人は人によってしか満たせない、満たされないものがあるなあ、と思う。
他のものでは代替えできないもの。
この部分が心と深く関わっているのだと思う。
これを他のもので一生懸命満たそうとしていた気がする。
きれいな景色を眺めていても満ちてくるものはあるけれど、人との中で満ちてくるものはそれとは少しちがう。
人の中で生きるしかないんだな、というある種のあきらめと覚悟のハザマ(笑)。

一つのもの。
みんなひとつのつらなりだって、考えればわかるけど、体得してはいない。
それを当たり前として意識にも上らないくらい、浸み込んだらどんな世界が広がるのだろうか。

最終日の早朝、池のほとりを散歩しながら昇ってくる朝日を見ていた。
きれいだなー、と思いながら不意にこれを誰かと「分かち合いたい」という気持ちが湧いてきて驚いた。
考えるとこんな風に思ったのは初めてかもしれない。(40代男性)
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人生を知るためのコース | - |

健康な頭の働きへ ⇐ 「自分の頭の中の認識である」という自覚から

腹が立ったり、ムカっとしたり、イライラすることはありませんか?
自分がそうしたいわけでもないのに、止められずに自分の感情に振り回されてしまうことはないでしょうか?
仲良くしたい家族の中でも、つい怒ってしまったり… どうして、そうなってしまうのでしょう?
これらは、「自覚」のないことで作られている、自分自身の認識のなせる技なのです。
自分の中に無意識のうちに作られて来た常識を調べ、知り、囚われから解放されること――。そんな自分自身を「知る」ことが「自覚」への第一歩です。
サイエンズスクールで開催されている「自分を知るためのコース」は、そんな自分に踏み出していきます。12月28日から開催された参加者の感想を紹介します。

gull-1090835__340-500.jpg◆「自覚」が、観念上のやり取りから、事実や実際のやり取りへの出発に!

夕食にチキンカツを食べた時に「柔らかい!」とちょっと嬉し驚くような場面があった。
それも何に反応してるかというと、チキンカツにではなく、自分の中のチキンカツというイメージとのギャップに反応してるようだった。
チキンカツのイメージも、〇〇〇〇でよく食べるやつがイメージとして自分の中に形成されてるようだった。
改めて一場面一場面見ていく中で、自分が反応しているのは自分の中のものだなというを思えた。

自分の考えであることの自覚ということを、様々な角度から調べていってみて、言い換えると考えを考えとして扱ってる状態かなというのを思った。
何も難しいことでもなく、考えを考えとしているというシンプルなことだなと思えた。
人間は観念動物とも言えるかな。
事実をやりとりしてる訳ではなく、自分の観念上のことをお互いやり取りしてるというのが実際の姿のように思う。(20代男性)
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◆常に移り行く実際の世界、認識の実際を「知る」とは?

事実は瞬時に移り変わっていく・・・
過去の事実はもうどこにも存在していなくて、事実を確かめることは出来ない。
あるのは感覚器官を通した自分の認識であり、事実ではない。

あの日の事実実際を記憶の中で再現し、あの怒ったAさんの顔や仕草に焦点をあててみた。
事の成り行きを冷静にとらえてみると相手に、関心が湧き、Aさんの気持ちに寄り添う気持ちになってきた。
心が軽やかになって、溶けるってこの感覚だ!

自分が自分なりに捉えているとの認識がなく、
不要な負荷をかけ、心を重くしていた。
自分の中のことであるという自覚(60代女性)
自分を知るためのコース | - |

日常会話が快適でスムーズになる元「人を聴く」わたしへ!

ふだん言葉を使って意思疎通を、何気なく図っていますが、その実際をじっくり調べたり研究することは少ないのではないでしょうか。
言葉を交わす、その実際や実態を科学的に調べてみると、人間の本来的な性質が観えてきます。
その人そのものを理解すること、そのことを「人を聴く」とここでは表現していますが、人を聴くことで、心から通じ合える、人を尊重し合う豊かな話し合いが実現されていきます。
12月28日の年末から年始に開催された「人を聴くためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。
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◆安心から始まる、こころから通じ合えるお互いへの道
先ず自分が人を聴くというものに対してイメージでやろうとしていた。
こういう受け答えしたらいいかなダメかなと力が入るときがある。
多分相手に対して気に入られようとするみたいなことでそういう会話を成り立たせようとする頭が働く癖がある。

だからイメージ通りに答えて相手が良い反応をすると、うまくいったとか思う。
本当に人を聴くというのはそういった、考えでやろうとするものではない感じがする。
要素として本当に安心というベースに立たないと聴く状態というのにはなりにくそう。(20代男性)


◆「自分の頭の中」と気づくことで、相手の言葉のまえのものへ
「聞いたらやらなきゃ」等がないと、「聴く」は誰でもできる易しいことかもしれないと思いました「。
話せば話すほど寂しくなったり悪感情が出るのと、話せば話すほどますます相手を聴きたくなるとの違い。

言葉を聞いて、それがあってるかどうかに引っ張られてしまう。
自分の中の意味を相手のことだと勘違いしてしまう。

でも、自分が安心して伸び伸びしていたら「聴く」が実現しやすい。(30代女性)
20181212_163447.jpg◆言葉の性質を知り、主体的な心の世界へ向かう
"言葉"とは,個々人の頭の中に存在する概念。 ⇒  言語/話を聞くということは相手の話を聞くのではなく,自分の考えを聞くことである。 自分の考えであることの自覚。 ⇒ 言語とは,その人,相手に対する理解を始める入り口だな。 ⇒ 話を交わすということは言語を話すではなく,言語を媒介に相手が何を求めているか,その行為の本体に狭めていくことではないか。

何のために聴いているのか。 相手を理解して分かって行くために聴こうとするのか。
自分の納得のために聴こうとしているのか。

実際の世界は,話すその人にはその話を発する以前に気持ちや心など何かがあってそれを言語で発する。

相手の世界をありのままに理解しようとする互い, 主体的なお互いでこそ, ともに生きていくということが始まるのではないだろうか。

満たされた状態の、普通の, 人間らしく生きられるのベースはお互い、聴ける状態, 聴き合いの実現から始まるかな。 (30代女性)


◆人を聴くことから、安心・満足・その人らしく・その人の味!
人を聴くが実現するということは、その人を良いも悪いもなく受け入れることで、丸ごと受け入れられると安心し・心は満たされる。

心が満たされるとそこからが人生が始まり、のびのびとその人らしさが発揮され
花が開くのではないだろうか。(70代女性)


以下のページから人を聴くためのコースの案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/kiku.html
人を聴くためのコース | - |

普段、自分の実態がチャンと見えているのだろうか?

身に付いた物差しで、自分が窮屈になっていませんか?
当然のこと・当たり前になっていることを、ゆっくり見てみる時間です。
見ていくと頑固さの元に、辿り着きます。
見るだけで硬い心がゆるくなる。
どんな感じかな? どうなっているのかな?・・・と、だれにでもある知性が働き始め、こころが軽くなっていきます。
12月15日から開催されたサイエンズスクールの「自分を見るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
img724_aki3.JPG◆笑われた・見下された、って? どうなっているのだろう?

コース中、気持ちが重くなったー自分の発言に、みんなに笑われたから、見下されたからーこれは私のせいじゃない、そうされた(笑われた)からだよ

自分がそういう反応になっているのすら気がつかなかったけれど、人の似たような発言を聞いて、そういえば自分もそうだということに気がついた。

 *人は他人に嫌にさせたりされたりすることができるとなってる。

 *気持ちが重くなるのは自分が好きでやっているじゃない、怒ったりへこんだりショ
  ボンになったり反応するのは、自分でやっている実感がなくても、自分でやっているんだな。

自分の意志じゃないものがあると、なっているのように捉える時すら自分の意志(中のもの)。(30代女性)
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◆自分の考えであることを認識した次に、自分の中の何が反応しているのかを見ると!

わかっていても繰り返し起こる反応とかは、自分の中の何に反応しているのか?
忘れていたと思っていた子どもの頃の経験で、意外と残っているものがあることに気づいたりした。

これまで何か感情が動いたときに、相手の言動や相手ついて思ったり考えたりはするが、自分の中は一切見ていなかった。

自分の中の悪い感情は、なるべく人に隠し、自分でも蓋をして触れないようにすることが多かった。

他人が入ってくることはできないが、自分が自分の中を見るのは自由だ。
心の反応は、自分の中を探検するチャンスかもしれない。(50代男性)
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自分を見るためのコース | - |

自由なる心境は、自分を知ることからの始まり!

「自由に生きたい」、これは誰にでもある本能的欲求ではないでしょうか?
教わりながら、または無自覚に身に付いた「こうするもの」「しなければならない」と観念づいた考えが、自らの行動を縛っていないだろうか?

軽く明るいこころ、主体的に、自由に生きられる人と社会の始まりは、「自分を知る」ところから!
12月9日から開催されたサイエンズスクールの「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。

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◆素直に生きる
最近、素直にやりたい、素直に生きたいと思うが、私は無意識に自分の考えに素直にやろうとしているのではないか? という問いが出て来た。
素直とは、実際に素直というか理に沿って素直な状態ではないのかな?
知性が働く、知るには自覚のある状態が不可欠ではないのかなと思いコースに参加しました。(60代女性)

◆事実・実際にしているものと理想との関係は!
自分が思ったことを事実だとした状態で。
私は長い間、事実、人間は地球を壊す存在 だとしていた。
けど、そうしていたのは自分だったなんて、拍子抜け。
でも、同時に軽くもなった。
海にゴミが…。学校教育が…。戦争が…。と問題とされている内容の話を聞くと、自分の中の“これは問題だ。” “おかしいだろ!” と捉えているものがあぶり出されるような感覚になる。
その時は、感情が揺さぶられるし、また前みたいに怒りや恐怖に囚われるのは嫌というのが出てくる。
でもたまに、そんなのおかしい。 なんとかしたい。 と、自分が捉えたことを事実として、善い悪いで裁いて、それに沿った行動をしようとする。
そんな状態の時は、何かをしたとしても、理想の方向には行かない気がする。(20代女性)

◆主体的に生きるとは!
今回、一番印象に残ったのは、人間の考えであることの自覚と観念の事実化が正反対の場所にあるんだな。
ということが、中から湧くようにというか、天から降ってくるようにというか、スーッと自分に入ってきた感覚だったこと。

自分の感覚で捉えたことが事実化の方へ向かって行き、固定された状態になっていくのか、それとも、なぜだろう? どういうことだろう? という感じで実際を知る方へ向かって行くのか。
その分岐点が日常のそこかしこに沢山あって、それを見逃してしまっていることがあるんだろうなぁ。と思う。

今までの習慣や一般の常識から、捉えたことを事実化していき、そこにまた事実化したモノを積み上げていくとあっという間にそれが事実になってしまう。
自分の中で。
そこの分岐点をつぶさに捉えて、本当はどうだろう?と観て調べていきたい。
それから、主体的に生きれているかということかな。と思う。(40代男性)
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自分を知るためのコース | - |

本当はどうしたかったんだろう?  何が言いたかったんだろう?

ゆっくりと自分をそのまま思い出し、振り返る時間が内観です。
自分自身の過去を振り返り、周囲の人から受けたものを見つめ直すことで、自分の心が膨らんでいくのを覚えます。人は、多くのものを受けて成長しているのですが、そのことの実際に気づかずにいるのでしょう。12月2日から内観コースに参加した人たちの感想を紹介します。

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◆至福の時間
「内観は知るものでなくするものです」である言葉がありましたが、まさにその通りです。
母に対する私について調べていたとき、寒い冬に早起きして部屋をあたためていてくれ、さらに私の下着をストーブにかざしてあたためてくれていた母が思いうかび、涙が流れたのですが、その時内観とは至福の時間と感じました。(60代男性)

◆無条件の愛情
今回の内観で鮮明に蘇ってきたことは、まず父母の無条件の愛情でした。
そのことをいかに当たり前とし、父母の心を軽んじ、不足を思い、恩を感じず、我をとうして来た自分だったなと、
より良い自分を見せることや、得た知識を話すこと、また収入を得て自立したり、社会的立場が上がることが、父母が安心してもらえる事だと感じて行動したり、その行動の日々の中では、父母の心情を思うことなく、全く独りよがりの、自分でした。(60代女性)

◆おばあちゃんから受けていたもの
例えば、東村山に住んでいた時、おばあちゃんが毎日ご飯を用意してくれた。
“あらわれ”からすれば、「毎日ご飯を作ってもらう」という行為が見える。
ただ、その時受けているものは何なのか、ということを考えた時、“あらわれ”として目の前に出されるご飯の奥に限りない奥行きを持った背景があるように思われた。

おばあちゃんはもう高齢で体を動かすのも一苦労で、いつも「腰が痛い」「しんどい」「疲れた」とこぼしていた。
そんな中で、僕が食事を必要とする時はいつも自転車にフラフラと乗ったりして買い物に行き、温かいご飯とおかずを用意してくれた。
時には連絡の行き違いでご飯を作っても僕が帰って来なかったり、家にいなくて、せっかく作ったご飯が無駄になることもあった。
でもそんなことがあっても、僕に不満を言ったりもせず、次の日も「辛い辛い」と言いながらご飯を作ってくれたりしてた。

僕がおばあちゃんから受けていたものはその奥にあるとてつもないエネルギーのようなものだったようにも思えてくる。
おばあちゃんの中の何かがおばあちゃんを動かしていて、それが物理的な作用としておばあちゃんの様々な動きとして現れ、最後の結果として僕の目の前に料理として出される。
そこまでの人の行為を成り立たせるもの、原動力となるものとは何だろうか。
僕が人から行為を受ける、と言った時の本質的な部分は、そういう行為に現れる前の心の働きにあるように思われた。(20代男性)
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鈴鹿ファームで収穫される野菜

鈴鹿ファームで収穫される豊富な野菜と、サイエンズアカデミー生の若者とCEO係り。
鈴鹿ファームで野菜を育てながら、人として心の成長に焦点をあてる暮らしをしています。
この時期、豊富に収穫される野菜は、地元のスーパーで販売したり、おふくろさん弁当のおかずにも調理されています。
サイエンズスクールの食事は、基本、このおふくろさん弁当が用意されています。
繋がりの輪の中に、サイエンズスクールの学びの場はあります。

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現在、サイエンズアカデミー生として学んでいるタッキーこと岡田拓樹さん。社会問題と向き合い活動してきたタッキーが今、なぜ、鈴鹿にいるのか、アカデミーブログに綴っています。今、本当は自分たちはどんな世界に暮らしているのか・・・ちょっと長い文章ですが、是非ご一読を!次のアドレスをクリックして下さい>>>http://www.scienz-school.org/blog/academy/log/eid5.html
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自分らしく自由に生きたい‥‥誰にでもある願いが叶えられる社会を探る!

「だれもが自由に生きられる社会って?」
「縛られるものが一切ない社会って?」
「誰の中にもある自由欲求を満たしながら暮らせる、正常・健康な社会って?」
サイエンズスクールの「社会を知るためのコース」は、正常・健康な、本来の社会を探る機会です。11月25日から開催されました。参加者の感想を一部ですが紹介します。

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◆一気に、こどもに戻ったような感じ。心が穏やかになり、気が楽になった。

「自分らしく、自由に生きたい」と多くの人が願っているけれど、
現代社会で生きてきた過程で長年染み付いた自分の意識を変えるだけで良いんだ、と理解できて気が楽になった。

罰則、責任、権利、義務という、現代社会にある概念が、ひとりひとりに「~すべき」「~してはいけない」「~しなければならない」「やらせる」という服従意識を植え付けていることを知って、強い衝撃を受けた。

事件が起きるたびに、罰則が強化され、義務、責任が増え、責められる機会が増える。
誰かが権利を主張するたびに、表裏一体である義務が増え、責められる機会が増える。
責められる機会が増えると、それを守らなければならないという責任感、精神的負担が増える。
自分だけでなく、他人にも、罰則、責任、義務を守らせようとする。

責める、叱るという行動が、親から子へ、先生から生徒へ、先輩から後輩へ、上司から部下へと伝わり、それが連鎖することで、世代を追うごとに、恐怖、不安、ストレス、自信喪失、自主性低下、無気力、服従意識が強化されているように思う。

みんなが望んでいるひとりひとりが人間らしく自由に生きる社会は、ひとりひとりが自発的自由意思で行動出来るようになることが出発点になる。(40代男性)


◆実際の世界にはない、所有・権利・義務。その概念を調べることで現状の人の中身を垣間見ることができた気がした

自由を好み、自由を求める人間が、自ら同族の足を引っ張り共に服従の世界に収まろうとしている姿。
意識では権利があれば自由が増えたような感じだが、権利の裏は人を服従させることだと知らないために、広まれば広まるほど自ら服従の機会を増やして行くことになると思う。

服従状態の心から創る社会ではなく。
自由状態の心から本来の社会を創っていけるのかな。

人のための社会とは、要求が満たされる社会とは、と探っていくとやはり自由平等というのがベースでそこから人を聴くというか、一つを聴くというか。
心の状態に関心が行く状態か。
すぐにやることにいくということではなくて、ほんとうにやろうとして聞くという感じかな。

そこに本来の、理想の社会ができていくように思った。
コミュニティー創り、職場創り、家庭もそうだろう、社会に自分にしなければならないことがない。
そうなって本当の発揮がはじまる感じかな。(30代男性)
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◆これからどんな風に生きていきたいのか,どんな社会で生きていきたいのか。そういうことを考え続ける一週間であった。

当然に,自由でありたいと思う。当然に,良質な人間関係の中で生きたいとも思う。また,人は,社会の中で活き,活かされるという感じもした。

そういう願いを阻害しているものの正体は何か。
コースではそういうところから探ってみた。
すると,その正体は,一言でいえば恐怖や不安による行動抑制や自己規制,自分を守るための他者への攻撃等々であるように思える。

少し丁寧に振り返ってみたい。・・・・・(長くなりますが全文です。お読みください)
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