心の奥の本心、明るく・軽い・自由な自分自身の姿を!

今の社会に適応し、今の社会用の自分になっている一人ひとりですが、ゆっくり、じっくり記憶を思い出してみると、その奥にある自分の希望や本心が見えてきます。
人と溶け合って仲良く暮らしたい、私の中の本来の姿が捉えられてきます。
人と人との関係・軽く自由な姿が、観えてきます。

8月4日からのサイエンズスクール内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。
park-3112055__340.jpg◆自分自身がそのまま見えてくると、周りの姿が見えてくる!

これまでで、自分の気持ちをごまかしたことを振り返ってみました。
人と接する場面で何か思いが出てきても、それは自分の中にしまっておくことがよくありました。
あまり受け入れてもらえる気がしていないんだな、と思いました。

自分の思いを安心して出すことができていない、そういう場をみつけられていない、警戒心がある自分なのかなと思いました。

『思っていることを大事にしたい』という願いがあるのだけれど、それが実現できていない自分なのかなと思いました。

これまでの自分の人生は、してもらうことが沢山あったと思います。(男性40代)
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◆嫌な印象が強く、見えなくなっていた奥がゆっくり見え出すと・・・!

今回は以前観るのが苦痛だったところを思い出しても特に重苦しい気持ちにはならず、むしろ当時の自分をかわいらしく見るような感覚になり興味深かった。
前回ほとんど思い出せなかった中学校時代は、学校の教室や廊下、校庭の映像がより広く思い出せた。
全然思い出すことのなかった当時の友人の顔もはっきりと思い出し、みんな素直で可愛らしい中学生だなぁと笑みが浮かんだ。

普段生活しているとどんどん記憶は薄れていくが、内観はやればやるほど思い出せる。
人の記憶というものが実は忘れているようで結構覚えていて、印象によって書き換えられるものだということを体感したように思う。

両親に本当に大事に育ててもらっていた。
身近になればなるほど一人の人として観ることができなくなり、当たり前になっていくのは自分にとって、本当にもったいないことだと思った。(女性40代)
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内観コース | comments (0) |15:42

思い出しじっくり観る、私を縛っていた記憶が、変わっていく!

強烈な体験! 
こころに残った忘れられない記憶、記憶は過去の事です。 
「こうしてはいけない」「こうしなさい」と自分を縛っている記憶も過去の体験のほんの一部。
内観で、多くの体験を思い出し、ゆっくり自分に落とし込み、
記憶の奥にしまってあった豊かな体験も思い出し、じっくり「観る!」と―
不自由な自分を作っていた記憶に、縛りからの解放が訪れます。
自由な自分を取り戻すのです。
記憶の正常化、健康なこころへの道がスタートします。
5月5日から開催された、サイエンズスクールの「内観コース」参加の感想を一部紹介します。
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◆温かい心の体験を思い出し、味わい、満たされる過程!
6泊7日間の内観を通じて、まこと幸せな人生だと思った。
豊かな人生だな,本当にありがたいと思った。
今まで受けた喜びを通じて満たされ,人生が幸せに認識される過程。
人の成長という側面から受けてきたことを知って満たされる過程。
豊かさ 実にいいと感じた。

おばあちゃんを通して観る
内観の最後におばあさんについて見ながら,本当にあたたかいと思った。
おばあさんの家の前でオシロイバナを取った記憶、ご飯を食べる時に魚の骨を取ってご飯の上に乗せてくれたこと。
退屈ならば一緒に花札遊びをしたこと、お正月だったら一緒にギョーザを、秋、冬になると味噌や醤油を作った記憶。

体力的に孫たちを見るのが大変だったはずなのに,怒ったことがなく面倒を見てくれました。
私は亡くなる前に会えなかったね。
療養院に行った時でもありがとうという挨拶でもしたらよかったのに. 本当にその一言は伝えられなかったなと思ったら涙が出た。

あったかい思い出をたどりながら息子に暖かい記憶をたくさん残したいと思った。 もっと温和で暖かい父親になりたくなった。

母親を通して観る
小学校時代,自分だけ字が読めずに学校へ行ったと思った。
母親は,"忙しくて私の教育にあまり関心がなかった"と認識されていた。
じっくり見てみると,ピアノ,美術学校,学習塾,ユン先生,英語などいろんなことをしたね。

休みの時は,母が直接算数を教えてくれたし,母が勤務する中学校の科学室に行って,顕微鏡で細胞組織や生物を解剖したことを見せてくれた。
なんで、あの時に書き取りの成績が悪いのを母のせいにしようとしたのか?

小学生のときは母親が他の地域に転勤になり,通勤しなければならなかった。
朝夕1時間30分ずつかかる距離だったが、今思ってみたら私たち朝食・夕食をどう食べさていせたのか?
"母が朝,運転するのに眠すぎる"という話を父親としていた姿が思い出される。

父親を通して観る

父親の、聞いて話すやり方が、情が足りないと、自分に無関心そうに把握していた。
母親のように怒ったり大きく反応しないことを否定的に見ていた。
その認識が中学校から続いて、父はそういう人だと強固になったようだ。

注意深く観察してみると,父のやり方で私に愛情を注いでくれていたように見えた。

大学1年生の時、牛乳のバイトをしながら配達に車が必要と思いお父さんの車を借りたが、よく思い出すと,私が早朝運転するのが心配だと思ったのか,私と一緒に早朝から牛乳を受け取りに行き運転してくれて一緒に配達した。

お父さんは元気ないように思っていたが、あんなにも横にいたなと思う。(男性30代)2019-05-23 11.21.45_2.jpg
内観コース | comments (0) |06:49

自分を客観的に見えると、多くの愛情に気づき始める

「内観」とは、「内を観る」こと。  
幼少時から現在までの自分と向き合い、記憶を辿りながらその時その時、どうだったかを具体的に調べていきます。
自分が自分を客観的に見えるようになると、どこででも、誰とでも、幸福に生きていける力がついていきます。
穏やかで幸福な人生のスタートです。
サイエンズスクール開催の内観コース。
3月31日~に参加した人の感想を紹介します。

20190416_105527-300.jpg◆嬉しすぎる自分・気にしている自分、自分自身が明らかに!

父母からはいつも、どんな時でも、色々してもらっている事がすごく多くて言葉が出ないほど感謝の気持ちが強くなってた。
してあげた事が何も思いつかなくて泣いてた。

皆に対する自分を調べた時はもう (´;ω;`)ブワッ ってめっちゃ泣いてたなー。
昔の友達とか、もう全然思い出す事も無かった人々が記憶からまた出てきて、すごく嬉しくなった。
そしてそんな色んな人を知られた機会を作り上げてくれた父母家族の事がまた嬉しくなった。
アーもう数えきれない、考えきれないほどの事があって嬉しいわ、って感じだった。

「嘘やごまかし」の事を調べてみてたら、自分はあまりそんなのやってないし気にしてないって思っていつも気楽に過ごしてたと思ってたけど、無意識に自分をごまかしてる事がものすごく多かったように見えた。

意識して自分にごまかしをしていた時も色々あったけど、「こんなの軽いごまかしだからいいでしょ」っていつも思ってたので、気付かない内に本心ではやりたくないのにやってた事がいっぱい集まってるのが見えた。

内観に参加して人にどう見られるかとか、認められる事をめっちゃ気にしてる自分がいるって明らかに見えるようになったと思う。(20代男性)


◆客観的にそのまま見る → 気づきの体験を!

特に自分が固定した印象や強い感情を持っている記憶に関しては、捉え方を変えようとするわけでもなく、ただ具体的な記憶を調べることに集中することで、自然と自分が持っている捉え方に気づく経験があった。

記憶の中の自分に対する固定した捉え方に気づいていくことで、自分の中で起きている反応が変わっていくということも起きてくるように思う。

日常の生活でも「こういうことか」という解釈や結論を出すよりも、ただ冷静に客観的に見るほうに重点をおいてやってみたいと今は感じている。(20代、男性)
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内観コース | comments (0) |10:37

内を観る、そのままの自分を見ていくと、本音・本心が観えてくる

怖い体験の記憶や、クセ付けされた自分を守る思考(恐怖心)もじっと見ていくことで、実際の自分が見えてきます。
心の開放が起こります!
記憶の奥にある、愛情をいっぱい受けて育った実際の自分が浮き出てきます。
人の中で、人に育てられている、喜びの中に生きている実際の自分の発見!
人との対立がなくなり、明るい暮らしが始まります。
人間の本来に興味がわく自分自身にも出会えます。
サイエンズスクールで開催されている「内観コース」は、そのままの自分を受け入れられる自分を体験します。
2月3日から開催された参加者の感想を紹介します。

DSCF2744.jpg◆思いや考えのもっと奥、底にある気持ちやこころの発見!

「その時のそのままをただ観る」とういうのが、やっと垣間見えた様な感じで、ここからやっと始まるという気がしてきた時に終わった感じだった。
内観して、本当に沢山の人が登場してきた。

実際は、それだけの人に関わって、把握出来てない人も沢山いる中で生きていたのかな。
色々な場面を振り返ってる中で、スタッフさんが、「もっと 具体的に、ただ見る」と言ってくれたので、よし、もっとよく見てみようと思ってやってみた。

娘〇〇の卒業式の洋服を買いに行く場面で、「これはどう?試着してみたら」
「ママはこれがいいんでしょう」 「そんな事ないよ、〇〇の気持ちが大事だよ」
という会話だけど、もっともっとよくよく見てみると、私の中に急いでる感じがあって、もう既に決めてる感じもあった。
そんな心の状態があるのが見えてきた。

娘〇〇は後で、あれはイヤだったって言ってて、あのリサイクルショップの洋服がイヤだったのかと思って聞いてたけど、〇〇の気持ちに全く関心を示してない私の態度がイヤだったのかもしれないなと思った。
「あれはイヤだった」
という表現した中身はなんだったのかな?

本当にいつも事柄を進める事を優先してきたな。(50代女性)
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◆愛情いっぱい・・・明るい世界が見えてきた!

長いトンネルの終りが見える感じだ。
暗いトンネルの中に明るい光の外の世界が見えた, 
何かそんな感じがした。

赤ちゃんだった私の手を母が噛んで泣いていた自分がいる。
あまりにも明るく笑っていた母。
お爺さんの自転車に乗って家に帰って玄関に降りたら 、あまりにも明るく笑っていた母。
お母さんが働く職場に行ったら私を見て 、あまりにも明るく笑って入り口に歩いてくる母がいた。
そんな母がいて、 ご飯を食べてもテレビを見ても、シャワーを浴びても布団に入る時も楽しく感じていた。

明るく笑う母の状態。
親の状態とはそういうものなのか。
人といて安心。
人と一緒にいて楽しい。
何かを一緒にやってではなく、安心と楽しさのベースの関係。

そんな人になりたいと夢が出てきた。
親のような心の人。
共にいる人たちが安心してのびのび暮らせるような、そういうベースになる人。
今回の内観で
"人と人の間に何があるのだろうか"という観点が生まれてきた。
人と人の間にある実際に焦点を当てて、大切にしていきたい。(30代女性)
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内観コース | comments (0) |07:49

本当はどうしたかったんだろう?  何が言いたかったんだろう?

ゆっくりと自分をそのまま思い出し、振り返る時間が内観です。
自分自身の過去を振り返り、周囲の人から受けたものを見つめ直すことで、自分の心が膨らんでいくのを覚えます。人は、多くのものを受けて成長しているのですが、そのことの実際に気づかずにいるのでしょう。12月2日から内観コースに参加した人たちの感想を紹介します。

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◆至福の時間
「内観は知るものでなくするものです」である言葉がありましたが、まさにその通りです。
母に対する私について調べていたとき、寒い冬に早起きして部屋をあたためていてくれ、さらに私の下着をストーブにかざしてあたためてくれていた母が思いうかび、涙が流れたのですが、その時内観とは至福の時間と感じました。(60代男性)

◆無条件の愛情
今回の内観で鮮明に蘇ってきたことは、まず父母の無条件の愛情でした。
そのことをいかに当たり前とし、父母の心を軽んじ、不足を思い、恩を感じず、我をとうして来た自分だったなと、
より良い自分を見せることや、得た知識を話すこと、また収入を得て自立したり、社会的立場が上がることが、父母が安心してもらえる事だと感じて行動したり、その行動の日々の中では、父母の心情を思うことなく、全く独りよがりの、自分でした。(60代女性)

◆おばあちゃんから受けていたもの
例えば、東村山に住んでいた時、おばあちゃんが毎日ご飯を用意してくれた。
“あらわれ”からすれば、「毎日ご飯を作ってもらう」という行為が見える。
ただ、その時受けているものは何なのか、ということを考えた時、“あらわれ”として目の前に出されるご飯の奥に限りない奥行きを持った背景があるように思われた。

おばあちゃんはもう高齢で体を動かすのも一苦労で、いつも「腰が痛い」「しんどい」「疲れた」とこぼしていた。
そんな中で、僕が食事を必要とする時はいつも自転車にフラフラと乗ったりして買い物に行き、温かいご飯とおかずを用意してくれた。
時には連絡の行き違いでご飯を作っても僕が帰って来なかったり、家にいなくて、せっかく作ったご飯が無駄になることもあった。
でもそんなことがあっても、僕に不満を言ったりもせず、次の日も「辛い辛い」と言いながらご飯を作ってくれたりしてた。

僕がおばあちゃんから受けていたものはその奥にあるとてつもないエネルギーのようなものだったようにも思えてくる。
おばあちゃんの中の何かがおばあちゃんを動かしていて、それが物理的な作用としておばあちゃんの様々な動きとして現れ、最後の結果として僕の目の前に料理として出される。
そこまでの人の行為を成り立たせるもの、原動力となるものとは何だろうか。
僕が人から行為を受ける、と言った時の本質的な部分は、そういう行為に現れる前の心の働きにあるように思われた。(20代男性)
内観コース | comments (0) |14:36

じっくり、ゆっくり、顧みる時間をもってみませんか・・・。

知らぬうちに自分を縛って、人も縛っていませんか?
あり方で心に蓋をして、本心が見えなくなっていませんか?
自分をジックリ観てみる機会を、自分にプレゼント・・・。
解放から、自由な心の状態、本心で生きる世界・・・自由への道。
10月のサイエンズスクールの内観コースに参加した人の感想を紹介します

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♡ あるがままを観る、気付きから本心へ「知る」とは!

母から受けて来たものは大きいと思っていたけど、改めて内観すると母の置かれていた状況とかに思いがいき、頭がさがる。僕は身勝手な奴だと。
今年母が死んだとき早く行って少しでも安心させてあげれなかったと自責の念。
母だけじゃなく父や兄、周りの人から受ける温かいものを感じる。

普段頭やる事一杯で中味、実際の方には意識言ってない。
責めたり恨んだり嫉んだり、そういった気持ちを打ち消すような努力してごまかし、認めていない自分に気付く。
そうゆう自分だと言うことを知っていまからか、その解消は。

仕事と自分の関係を内観した。
パット出てきたのは、生きがい。
その場を通して合う人とのつながり。
話したり、田畑や道具を貸してもらたり、喜びあったり、怒られたり、慰められたり。
タダでモノを貸してもらえる人が何人もいる僕は幸せものだ、改めて気付く。(56才男性)
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下をクリックすると他の人の感想も読めます。
内観コース | comments (0) |22:56

自分の今までを思い出していくと、豊かなものが見えてくる!

思い出してみる、ただ、じっと見る、ありのままをそのまま思い出してみると、奥の奥に見えなくなっていたものが、見えはじめる。
豊かな世界への入り口が開き始める。 
豊かなこころの世界に生きていることに気付き始める。
10月3日~開催した「内観コース」参加者の感想の一部を紹介します。
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あたり前になっているものを、ゆっくり観ていくと、元にある心に気付いていく
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最初にお母さんに対しての自分のことを内観した時、してもらったことを探してみてもあまり出てこなかった。
お母さんが私にしてくれていた事は、当たり前、お母さんだからして当然だ、と捉えていた事に気付いた。お母さんの行為が生活の中に溶け込んで、見えない感じ。
お母さんがしてくれてた事と同じ事を他の人がしてくれた時のことは、してもらったことで調べるとポンって出てくるけど、お母さんの時は出てこなかったな。

二周目の内観
お母さんが私にしてくれていた事が、
私が生きていくことを支えてくれていて、私が快適に生活できるようにもしてくれていて、安心して生活ができる空間をつくってくれていたんだなと、とてもありがたい気持ちになった。
もう一つ、気付いて良かったと思う事がある。
誰かがしてくれてる事をその人がするのが当たり前の事だと捉えると、その人がその行為をしてないと、してくれてないという風に思う事、見える事。
この内容は周りから何回か聞いていて、そうだよなと思っていたのに、自分がそういう風になっているのに気が付いてなかった。全く。
それで、満たされない感覚も出てきたりしてた。

今回のコースは、料理たちが揃った状態のお膳が宝箱のように見えた。
食材にも、育ててくれた自然にも、食品を育てる事から最後お膳を持って来てくれる事まで、どれだけの人とものが関わってくれたのかと思ったら、とてもキラキラして見えた。ありがたいなぁ。(20代女性)


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思い出しながら観ていくと、だれの中にもある、やさしい心に出会える
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生まれた時から、大学生の途中で家を出るまで、食事を何度食べさせてもらってきただろう。
内観を通して、母は、私のために最善と思われることをやり続けてくれたな、と思う。
(母とはそういうもの?なのかもしれないが)、そこまでやらなくてもいいのに、おいしいものを作ってくれたり、デパートで服を買ってくれたり、成人式には高価な着物を用意してくれた。

父は私が幼いころから怖いお父さんだった。
大きくて、声が大きくて、よくこづいてくる。
しかし父もまた、娘に最善を尽くしてくれた。

祖母は私をめちゃくちゃにかわいがってくれた。
どこにでも私を連れていき、中学の制服はわざわざ遠くから仕立て屋さんを呼び、仕立ててもらった。
神戸や、大阪のおいしいお店に連れて行ってくれたり、自分が出かけた時はスーパーなどでは売っていないブルーベリーのキャンディなどを買ってきてくれた。
おばあさんと一緒に寝るのが好きだった。
いつもおばあさんの暖かい布団に潜り込んで、ぐっすり眠った。
長男が生まれた時も、おむつを何枚も縫ってくれて、毛糸のズボンや、チョッキを編んでくれた。

息子の内観は楽しかった。
かわいい姿を思い出せるから。
親にはしてもらったことばかりだなあ、と思うが、息子にもしてもらったことばかりだなあと思う。
生まれてきて生きてくれることが、もう、してもらったことで、それ以上にやってもらったら、やってもらったことがありすぎる。余剰だ。(40代女性)


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じっくり記憶を探ると、ネガティブな記憶の奥に、深い愛情が浮上する
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母とのことを振り返る中、一度目は、寂しかった気持ちが最初出てきたのですが、つぶさに思い出してみると思っていたよりも母と過ごしていた時間が長かったことに気が付いて、嬉しい気持ちになりました。母はずっと大切な存在だったんだな、と感じ涙が出ました。

育ての親である祖母への感謝の気持ち、そして自分がいかに自己中心的でわがままだったか、を感じ、祖母の深い深い愛情を再確認しました。

自分がやった、と思っていることであっても、自分自身は本当にたくさんの人の「してもらった行為」の上で、ちょっとやってるだけのことであって、
お世話になっていることだらけ。

妻からもしてもらったことだらけ。
それなのに恨み言が出てくる。
本当にもうこんなネガティブな感情に自分のエネルギーを消費してしまうのは嫌だ。
本当に幸せで穏やかな日々を送りたい。
いつも本心、実際のもの、そのものに焦点のあたる生活を送りたい。(30代男性)


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思い出していくと温もりに出会い、記憶からエネルギーを貰う
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実際に内観を始めてみて、ただただ「①してもらったこと、世話になったこと ②してあげたこと ③心配をかけたこと、いやな思いをさせたこと」この三点を思い出せる限り記憶をたどってみて確認していくと、まずはじめに気付いたのは、してもらったことの多さとその内容の温かさ、ぬくもりです。
母が手作りのお菓子を作ってくれた、という記憶の中にも、その時母が泡立て器でカチャカチャかき混ぜている姿や、オーブンの中からよい香りが部屋中に広がってきたこと、ケーキの切れ端を集めて味見していいよ、と言ってくれた時の母の顔、そしてもちろん出来上がった時とそれを食べるときのなんとも満たされた私の姿とその間にあった母との空気。
記憶ってこんなに豊かに残っているのだ、と胸が一杯になりました。

集中内観の環境は、最初こそ戸惑いましたが、外部からの刺激をできるだけ断ち、そして体を動かすことさえも必要最低限にすることが、こんなにも記憶へのアクセスを容易にし、またその整理ができ、新たな視点をもって自分の人生と向き合えるのだと、驚くばかりです。

過去の記憶による勝手な思い込みや縛りを超えて、私は大切な人たちと、またこれから出会う人たちとどうやって生きていこうか。
記憶は信じられないと思っていたけれど、過去の記憶によって力を与えてもらい、元気に歩んでいけそうな気がします。(40代女性)
内観コース | comments (0) |08:45

自分の中を、そのまま観ていくと、自分を成り立たしているものが観えてくる

自分を顧みる、ゆっくりと、落ち着いて、認識のもっと奥、自分自身を見ていくと、もともとあるものが観え始める・・・自分の成り立ちにゆっくり気づき始めていく。
サイエンズスクール、8月2日~内観コース参加の人の感想文、一部を紹介します。
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終わった今、とても貴重な時で、始まる前に感じていた長さは全く感じていず終わることが残念にさえ思っている。
こんなに丁寧に自分に関わったのは、生まれて初めてもかもしれないくらい、自分に丁寧に関われた。
座っている間に自分の身体の部位を何度も丁寧に触ったのも初めての感触な気がした。
自分と丁寧に関わる以上に大事なことがあるのか、日々一体どんな事を大切にして、大事なことをおろそかにしているのか、とても大きな気づきだった。

母親との最初の調査は、やはり“怒り”の源、母のおかげでどんな目にあったのか、それが亡くなって8年たった今もどんなに自分を縛っているのかそんな気持ちだった。
でも、思ったよりは感情的にならずに進められたことに驚きだった。
そして、自分が認知できていなかったお世話になったことが、たくさん出てきた。
私は10月生まれなので、ちょうど今のような季節を大きなお腹でそれも一人で過ごしていて、それを乗り切ってくれたおかげで私はこの世に生まれでることが出来た。
そしてお乳を飲ませ、おしめを替え、服を着させ、お風呂にいれ、泣いたらなだめてくれて寝かせてもらって、そして長女だったのでそれらを全て揃えてもらって私は育つことができた。

そして、自分の人生を「嘘とごまかし」をテーマに内観。
3日目に入ったせいか、集中力が高まっているのか次々幼稚園時代からの人を思い出す。
出来事と人が走馬灯のように浮かび上がる。
そして出るは出るは、自分をごまかしてきたこと。
言えなかったこと。 やらなかったこと。
寂しいくせに、その場に100%関わっていないと自分から距離を置いてしまい寂しく居続けてきた。
自分からは入れてと言えない、本当に困っていても困っていると言えない、いいカッコをしてしまうがその結果に喜びはなく不満を収めてしまってきた。
本当は私どうしたかったのか、その自分の選択は自分の幸せから遠のいていたのではないか、そしてそのことは今も続けているのではないか。
でもすべての時代を振り返り、おもい出せたのはとても幸せなことだった。(50代女性)

今回の内観で一番に得たものは,自分が我欲の強い人間であることをはっきりと自覚できたことである。
我欲は,自らの普段の自己中心的な言動ともつながっている。
また,虚栄心や,自己顕示欲ともつながっているように感じる。
自分のそのような立ち振る舞いは,時として周りの人々の気持ちを悪くさせたり,傷つけたりする。
場合によっては,その人との関係を決定的に悪くすることもある。
それはまた,自分の幸せ感や喜びを阻害するものでもある。
これまでも,自分は我欲が強いと自覚できるチャンスは多々あったと思うが,それを覆い隠し,自己弁護でごまかしてきた。
またこれも我欲のなせる業であるかと思う。
内観を通じて,これまでの人生は,我欲が少なく,穏やかで,自分に無償の愛を傾けてくれる人たちに囲まれてきていたということも自覚できた。
母,父,弟,祖母,親しい友人たち,いずれも,である。
今頃の気づきでは遅いのではとも思うが,これまで無自覚で過ごしてきた日々を挽回すべく,まずは身近な人々に対して,自分がいただいた愛のお返しをして,さらには,その周りにいる人々や自然環境に対しても,我欲に溺れることなく,愛が傾けられるような人になりたいと思う。(50代男性)

高校時代でしてもらったことを内観、して、高校の恩師を思い出していた。
してもらったことを思うことは、不幸を幸福に変える魔法だった! 
私は、十分に配慮された教育を受けた少女であり、国語の先生の示してくれた思いやりで、私の定時制高校の生活は、苦から愛情いっぱいの高校生活だったことを、内観で思い出した!
決して不幸な少女ではなかった! “してもらったことの回想”は生きる力でさえある!

最後に・・コミュニケーションスタイルの変化!?
今回の内観を通じて、コミュニケーションは心と心の双方向と今更ながら気付く!
この内観の当初、“言いたいことを言っていた私自身”を見て、 一方通行だ! これでは心と心が通い合わない!と気づいた。(70代女性)

今回の内観コースに参加した目的は、自分を深く観察して自分が何を考えてきて何をしたいのかを知ることでした。中でも一番知りたかったのは、父母に対して自分が本当はどう思っているのかでした。
内観を進めるうち4日目あたりに「自分に対する嘘、ごまかし」を調べている最中に、自分があまりにも多くの方々にお世話になっていることに今更ながらに気付きました。
そのあと、感謝の渦に巻かれてしまい、自分が思っていた不満や葛藤はそのお世話になったことに比べると宇宙の中の紙屑くらいに思えて気にならなくなりました。
この内観コースに参加させて頂く目的の一つに父母に対する自分の感情を観るということがありましたが、何よりもこの肉体を産んで頂いたことへの感謝、そして育てて頂いたことに比べると、色々な負の感情は考えることですら無かったことだと思いました。

最終日は、本当に安らかで穏やかな気持ちで迎えることが出来ました。
今後は自宅に戻っても時々日常内観を心掛け、今回の気づきを忘れないようにしてきたいと思います。
また今まで多くの「して返せなかった分」を今後の森づくりやコミュニティづくりに投入して、未来に役立てたいと思います。(50代男性)
内観コース | comments (0) |16:55

自分を守る生き方から、自分そのまま・楽な生き方へ

自分の思いや行動をゆっくり・じっくりそのまま、思い出し振り返ってみていくと、素直な自分の気持ちに出会える。

力の入らない、楽な自分に出会う。 自分の気持ちが見えてくる、本当に自分の思い・気持ちは? 落ち着いたこころへの道を・・・どうぞ。

サイエンズスクールの、7月1日~の内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。

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「自分が好き勝手やるせいで母親が怒っている」と思って、自分の感情を抑えたり、自分の感情を出すのは良くない、と思ったりした。

その経験が自分の中で大きくなって、「自分の感情を出すと人が困ったり不快感を感じるのではないか」という不安をその後も引きずっていたように思う。

実際は、母親は慣れない環境、三人の男の子の子育て、父や親戚との関係でストレスを受けたりしていて、子供に怒りたかったわけではなかったのだと思う。

僕が元気に遊んだり、笑っている母親の姿もたくさん思い出せる。

母親はいつも僕が笑って楽しくしているのを嬉しそうに眺めてくれていたし、僕が元気に感情豊かに育つのを願っていた。

僕が自分の中で「感情を出してはいけない」と思い込んでいただけだった。

幼稚園でも、小学校でも、中学校でも、高校でも、いつも母親は僕のことを見てくれていた。

そんな母親を相手に僕は一人で「自分の素の感情を出すと嫌がられるのではないか、怒られるのではないか」と自分を隠そうとしたり、「別に普通だよ、何もないよ」と突き放したりしていた。

実際に母親から受けている愛情には眼もくれず、母親を恐れたりしていた。

それも自分でその状況を作っているということにも気づかず、「理解してくれない親」「子供を責める親」と相手のせいにしていた。

今回、母親はどんな状態で何を願っていたのかということも調べたが、母親へ向き合う以前に、いかに自分が自分の狭い観念の中で母親を見ていたのか、自分の思い込みがいかに強いのかが見えてきた。

僕が本当に求めている愛情は目の前にすぐ手の届くところにあったというのに、僕は自分で作り出した物語の中で母親を恐れて、突き放していた。

自分の外にある世界、環境、人を変えたり、自分自身を変えればいつか愛情のある場所へ辿り着けるのではないかと必死になっていたが、そもそも目の前にある愛情に気づかない自分の状態だった。

母の内観を通して、幸せや愛情を求めるにしても、何かを変えようとしたり、やろうとするものではなく、ただ知ること、実際にあるものに素直に目を見開けばいいだけなのだと思った。

現状の自分から出てくるいろいろな不安や反応はあるにしても、そこで自分を抑えたり、守ったりせず、そんな自分も出しながら、進んでいければと思う。

そんな思いで、あらためて日常に戻っていきたい。(20才代男性)



最初はひたすらに記憶を掘り起こすような感じでした。

内観の三つの見方「お世話になったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」に沿うというよりは、ただ思いつく限りのことを意識上に引っ張り上げる作業をしていました。その中で自分が如何に自分にとって都合のいいモノの見方をしているかを気付かされることになりました。

思い出しながら恥ずかしさとも申し訳なさともつかぬ感情に涙がこぼれることもありました。

二回目の母のことを調べていく中で、一回目の時と見方が違っていることに気付きました。

一回目の時は自分中心の視点で記憶を手繰っていましたが、二回目の時は「その時の母はどんな気持ちだったのだろう」と母の視点で想像するようになっていました。

二回目の父のことを調べ終え、ある友人のことを調べ、最後にこの一週間の自分のことを調べました。

その中で内観の二つ目の視点「して返したこと」もまた相手の視点に立たなければわからないのでは、と思いました。

自分がして返したと思っていてもただの自己満足に陥っているかもしれない、と思ったからです。

そして今回の内観は終了となりました。研修所を出たらとりあえず、家族に電話をかけようと思っています。(45才代男性)





7年ぶりぐらいの内観だったと思う。

昨年、身辺に大きな変化があって自分の気持ちを整理したくて臨んだ。

一つは姑の事。

昨年の10月に87歳の生涯を閉じた。

私が嫁いでから約29年間生活を共にした。嫁いでからの姑との暮らしをつぶさに観察してみると、お世話になったことがたくさんあった。

たくさんあったのにそのことが見えないめくらな自分であった。

改めて姑の墓前に感謝の気持ちを捧げたいと思った。

二つ目は父の事。

昨年、救急搬送され一命をとりとめた。

持病の糖尿病からくる心筋梗塞で認知症も発覚した。

家族の生活が一変した。動転する母を支えながら、介護支援が受けられるよう世話をした。

私自身も父の変化に戸惑いながらも、これを機に内観してみようと思った。

私が生まれてから今まで家族のために一心不乱に働いてきた人生だったと思う。

一生懸命なあまり、私たち3人を管理するような教育だったけれど、それもこれも愛情のなせる事だったと思う。

大きな愛で育ててもらったことに感謝で一杯です。

これからは残された時間を自分のためだけに使ってほしい。それが娘からの恩返しです。そのために娘として全力でサポートします。(50才代女性)





嘘・ごまかしでは自分の思考の傾向・癖が見えて面白かった。

中学のころ日本にいたが学校最後の日に友達が何か話したいということを別の人から自分が下校途中で聞いた。その時「また学校戻って話しするの?めんどくさい」と言って流してそのまま無視して帰った。

めんどくさいは言い訳で本当はその時言ってきた人に対してそう重い価値を置いていないよと見せたい自分がいて、自分が必死に何か人との関係を求めるのはかっこ悪いと思う考えがあり、言ってきた人もそうだろうと思い込み「めんどくさい」と発した。

本当の気持ちを振り返ると話ししたかった。

何か言いたかったのかな。後悔している

自分が受けたもので調べたとき改めて一つ一つ自分が受けているということは本当に世界と繋がっている実感が湧いた。行為にしろ物にしろ。

悟ってしまうのではと思ったぐらいに。

その瞬間繋がっている実感なくなった。

実際を事実を知るということで内観は改めて重要だなと思った。

事実・実際どれほど受けているかを知れば知るほど恐らく自分の意識に上ってくる人に対しての恐怖心・悪感情が小さくなる。

「自分」という意識も薄れる。

自分のおよび一つの本心に焦点が当たってくるというメカニズムに実感が湧いた。(20才代男性)
内観コース | comments (0) |07:00

自分を知るための内観コース

自分の人生に向き合う。

幼少時から現在に至るまでの自分とじっくり向き合ってみませんか?

その中で自分を客観的に観察する力も養われていきます。

客観的に自分を観る能力が出来てこそ、本当の自分を知ることも出来るようになっていくでしょう。

昨年12月の内観コースに参加した人の感想を紹介します。



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内観コースを終えて、今思うのは、自分の身の周りにある、豊かさに気づくことが、幸せにつながるように感じたことです。

内観では、自分の中の記憶をたどりながら、その時あったことをみつめるのですが、記憶を星で例えたら、私の場合大きくよく光る星ばかりで、それらはたいてい被害者としての自分の記憶で、「もっとこうして欲しかった」「もっとこうしたかった」という、子供の頃の私の声が聞こえてきました。

もう少し目をこらし、ようやく見えてくるのは、小さな星の集まりで、この中にようやく「してもらったこと」を見ることができました。その数は、実は大きな星よりも圧倒的に多く、すき間もないほどにあることにも気づきました。

人は満たされなかった欲求には、関心がいかなくなり、いつしか忘れてしまう。

けれども、満たされなかった欲求は、いつまでも手放すことなくその欲求もさらに大きくなり、記憶に残り続けるのかもしれません。

母からは、母を反面教師として「女性は自立すべきだ」という考えを。

決して私をほめることがない厳しかった父からは「自分は無価値な人間である」という考えを。

これらはいずれも私がこのように捉えたのですが、大きな力をもち、人生の中で何かを決断する時、選択する時、行動する時、人と接する時、すべてに影響を与え、私を苦しめてきました。

でも、人生とは不思議なもので、この影響を与えた本人である母の病気、父の病気を通じてと、わたし自身が会社という肩書きを捨てて、なんでもないひとりの人間になって、人生の底辺にいたということも重なり、家族と時にはケンカしたり、話し合い、助け合いとしている中で、その考えが全く私の勘違いだと気づかされるに至りました。

この経験は私には本当に意味が深く、この内観で振り返りながら、複雑にからまった糸が、きれいにまた一本の糸にもどったような、スッキリとした気分と透明な気持ちがしています。(これも家族の力により、解くことができました)(40代女性)



お母さんがいるから私がいるんだな。

お父さんがいるから私がいるんだな。

おばあさんがいて、私がいるんだな。

彼らがいるから、今の私がいるんだな。

お母さんに、父に、おばあさんに、彼らに

受けてきたすべてのことが今の私にある事なんだ。

私が持った考えも、

私が自分だとしてきたことが全部では分からないが、受けてきた考えだね。

実際に繋がっている存在。(30代女性)
内観コース | comments (0) |11:43