知性と心のはたらきによって、安心・満足の幸福な人生を歩む!

人生とはなにか?
日常は、自分や人の言動に目が向きやすいですが、その元にある心に目を向けてみると、自分も他人もない、人間らしさ、人の本質が観えてきます。
安心満足の中、知性が活発に動き出します。
知性によって、生きている目的や人としての生きがいを「知る」ことができ、自分らしく明るい人生を歩んでいきます。

サイエンズスクールの「人生を知るためのコース」は、人生の目的を知り、本当の自分を知り、未知なる自分への好奇心に生きる、自分に最も適した他に真似のできない生き方を探究する機会です。
5月17日~開催されたコースに参加した人の感想文の一部を紹介します。

以下のページから「人生を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jinseiwoshiru.html
img2176_file.jpg◆生きている実際を観察して、人を「知り」喜びに生きる
人間の中心で絶えず動いている、求め応える作用。
人の心の働き、そのものは安心状態といえる。
安心状態をベースに満足が始まる。
安心満足のベースに実際に行き交う数多くの行為、受ける喜び、与える喜び、知る喜び、生きる普通の幸せの状態。

受けて、受けて、受けて、年が経つほど受ける喜びが、心が豊かな人生、死の瞬間、その人の人生がすべての人の人生に溶け込む本当の人生、実際の人生はそうなんだ。

自然な状態が何なのか分かるのが始まりではないか?
人を知れば人を愛するようになる 自分の本心が分かれば、心が熱くなる。
健康に、快適に、いつも人の中で動く健康に生きようとする働き。

生きるということが何なのか、人は何をして生きているのか、人がどのように生きているのかを知る喜び。
もっと聞いてみて知っていきたい心。
さあ~日常に戻って、自分の現在の状態を素直に軽く知っていく過程自体を楽しみから~(女性30代)
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◆肉体にも心にも「健康正常」に生きようとする働きが、いくつになってもあるなぁ
人を人たらしめる作用が誰の中にもあって(全人類に)健康正常でありたい。
人に求めたい。それに応えたい。次代の子らが幸せであってほしい。
満足。安心。 そのことを知った。
実際はどうなっているのかなあ、と調べて行くのは、とても愉しい作業だったなあ。 
老年になっても知っていくことは愉しい。
全ての始まりは知る。 ことからかなあ。

知ろうとするエネルギーはとても大きいと思う。
知れば知るほど知りたいし、知った分だけ満足する。
本来のそうした作用がなければ、知る。 が続いていかないだろう。
実際はどうなのだろう。と調べていくのは愉しかった。
いくつになっても、知れて嬉しいと思うのかもしれないな。

自己を生かす。 ということはどういうことなのだろう。
その時その時に、健康になっていこうとする私が、人の求めに応えたり、人に求めたり。
本心をそのまま出していこうとすることで、社会を創っていく。
そんな感じかなあ。(女性70代)
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人生を知るためのコース | comments (0) |17:13

地球の上に、一つの世界を生きる・人としての人生を探る!

繋がりなく、個別で存在しているものは、ひとつも・どこにもない。
変化の中で、人としての成長を歩んでいく。
家庭をもち社会をつくり、子供を育てながら、幸福な人生を生きたいと暮らしている。
人と社会の本質を探っていくと、人としての無理のない自然な姿が鮮明になっていき、事実・実際の理に適った健康な社会を作る方向へと進んでいく。
サイエンズメソッドを使っての探求機会。
3月22日から開催された「人生を知るためのコース」参加者の感想を紹介します。
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以下のページから「人生を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jinseiwoshiru.html
img1392_NCM_2676-1.jpg◆親や社会から注がれ続ける愛情、満たされながら健康に育つ
受けてきた、
愛されてきた、
生かされている、今の私がいる。

じんわりと広がっていく実際の世界、そこに見えてくる一つのもの。
個々別々の観方で見えづらくなっていて、知らないだけかぁ。
もともと安心。もともと豊か。

私が願っているから私の願い? そう思った時からそうなのか?
ずっと前から受け継がれ、みんなの中にも私の中にも流れているもの。
願いは一つ。もともと一つ。

私の人生は、何をやろうとしている人生かな?
正常な方向へ、健康な人の姿を創造しながら成り合っていく、そんな感じがする。

まずは、日常の自分がどうなっているか、観察。
事実、実際は?
その連続・・・かな。

追記
あるものがあるだけ見える(そう感じられる)、そんな心の状態ってこの上なく豊かなかんじだな。(女性30代)
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◆身を守る思考が、実際の豊かな世界を知っていくことで、心と心の繋がりを求めだす
現状は分離ベース。
安心しようとして守る。 責める。 将来のイメージも不安を無くそうと今をどうする、こうするとする、お金や、約束、に執着する。
スローガンや行動を変えても自己の欲求や、身近なひとへの執着に固まって対立する。
そうゆう状態がどうなっているのか知らない状態。

実際を重視する
その観点で生命、人を知ろうとすると、人も社会もあるもので満たされ、受けて受けて生きている。
元々安心の世界で生きているのかな。

実際にあるものと、そこに至るまでにある行為を、知ろうとする。
計り知れない行為の表われを受けて、受け続けて、自然の理に適って生かされている実際。
自分が、過去から現在、実際の世界の恩恵を知れば知るほど繋がりの実際を感じる。
心と心の繋がりって、、どうなっているのかな、、(女性60代)
images.jpg◆すべてのものと繋がっている「一つ」の世界の探究
自分の責任。 自分のせいだ。 自分で何とかしなければならない。
人をいやな気持ちにさせてはいけない。
表面の現われでしかないものだな。
人やこの世界とつながっているのはそこじゃないな。

体は一つ。
水は一つ。
生命は一つ。
地球は一つ。
面白いな。
あるもの全部と繋がっていてずーっと循環しているんだな。
誰や何が、私の中にいる・あるんだろう?
どんな歴史を抱えているんだろう?
一つの中の現われとしてすごく小さな存在だな、私って。
けど小さくても大きいな。
一つの、たくさんの現われの一つ。
この世に一度しかない現われ。

自分を観てもらって、ひたすら受けて自分らしくのびのびと成長して行きたい。
知らない間に自分も与え、愛が、すらすらと流れて循環する自然の状態に戻りたい。
心同士で繋がりたい。
世界と溶け合いたい。(女性20代)
人生を知るためのコース | comments (0) |13:43

一人残らず、幸せな人生を生きる ⇔ 本質的な人生を探る!

幸福な人生とは?
誰もが望む幸せ・・・。
こころ満たされ、満たしてあげたい欲求、誰の中にもある、こころの自然な姿。
こころの底を探って、本心を生きられる人に成り合う探求。
10月27日から開催された「人生を知るためのコース」参加者の、感想の一部を紹介します。
-300.jpg       第二研修所の庭の紅葉
◆隔てをつくって身を守る人生から、心の底から満たし合う人と人の人生へ!
人の中で人らしく生きる。
中から湧き上がってくる、してあげたい、してもらいたい。
満たし合いの中で個性を活かしながらのびのび生きたいな。

現われたもの(現象)を見て、その人、そのものを見ていないことを知った。
人の行為(言動)は、ほんの一部の現れ。それを人の心としていた。
思いや考え、意思、感情、欲求、気持ちを心だと思っていた。
意識上の自分が自分だと思っていた。
良いこと悪いこと、善悪がくっついて日々を過ごしていたかな。
無意識だった。
自分を責めたり、人を責めたり。

自分の心、本心を観て、それが観えてくると。
相手にも本心があることに関心が向く。
それぞれに本心があることを知ると、人の現れで反応するのはなんだか変な感じもしてくる。
自分の心に焦点があたると、相手に関心が向くのが面白いな。

不安感の中身を観ていくと「ねばならない」や「人にどう思われる」そういう本来の自分でないところから反応しているように思った。
まだ起きてもいないことで不安になるのは何だか無駄な感じもする。
もっと心から人にお任せしたい。
どうにでも好きなように思ってもらっていいよ~という風になれたら面白いな
隔ては、人と人の間にあるわけでも壁があるわけでもなく、自分の中にあるのを知った。(女性40代)
20191203_070617-300.jpg◆繋がりの中にある人と人、本心の中にある繋がり ⇒ 喜びの人生へ!
「人生とは?」。
自分の人生を見ることが主体と思っていた。
観れば観るほどに、「自分が一人で生きている」と思い込んでいることを知る。
そして実際に目が向くほど、人を介したものがあふれ、人に、自然に生かされている現実を知る。
「自分の人生」というような、自分だけで完結するような、生易しいものではない。
初日から思い知る。

どれだけの人々が、僕の人生に、直接的に、間接的に、関わってきたのだろう。
手元にあるストール一つとっても、莫大な人と、ものと、自然環境が背景にある。
それが自分に触れてきた、見てきた、知ってきた、また知らないものでさえ、誰かを介し繋がっていた。
そもそも「自分のもの」と言えるのか?

感情を、本心としていたり、見えてる行為や考えに振り回されていることが観えたり。
不安感はあくまで、不安「感」だ。
失敗など、なってもいない想像に意識を奪われ、本心や本来の人間性という部分にまで目が届いていない。
意識上の世界を、実際の世界のように感じて生きている。
そしてそれに気づかず、同じサイクルで人に悪感情を沸かせたり、うまくいかなくなったり、誰かのせいにしたり。
まだ全然観きれてないけど、そういう構造も垣間見えた。

もしも誰しもが、本心で、また本来の人間性に沿って生きていけたら、どんなに幸せで、どんなに楽だろう。
その世界はどれだけ、豊かで、悦びに満ち溢れてくのだろう。

単独で生きているものはない。
頭では、皆知っている。
でもなぜかここちよく委ねきれない。
本心で生きたい。
皆願っている。(男性30代)

以下のページから「人生を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jinseiwoshiru.html
人生を知るためのコース | comments (0) |17:50

本来の人生をハッキリ知って、幸福な暮らしを生きる!

人生の本質を探る、現状の自分自身をジックリ見る、観察していくと、今まで気づかなかった自分の実際の姿や気持ちやこころが観えてきます。
みんなの中で本音を聞き合いながらの探究が、自分の本心に気づかせてくれるのでしょう。
本心で生きる・暮らせる社会、幸福な人生のスタートです。
2月10日~の「人生を知るためのコース」に参加された方の感想を紹介します。

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◆実際の世界には無い「~すべき」、「知る」ことで主体的に生きる人生へ

自分も相手もその人らしく健康で・満たされて欲しい・生かし合いたい・・・言葉にするとこんなものが浮かんでくる。
“それをわたしは本当に心の底からそう思っているのか?
本心はどうなのだろうか?”
この問いかけが大切な気がした。

そして常に自分自身が何もしなくてよいという状態であること。
自分自身が無理なく心からやりたくなった分だけやる。
この主体性も大事だと思った。
主体的に生きるということは多くの人のお世話になること、人を生かすことかもしれないなと思った。(実際にはそうなのだろうけど)

~すべき、~してはいけない/当たり前(あって当然)/必要…良いこと・悪いこと
これが大きく影響して実際の自分、実際の世界から遠ざかっていくように思った。
そして自分がどうしたいのかさえも見えなくなる。

今の社会から受けているものは既にたくさんすぎるくらいある。
目に見えているものすべて誰かからの贈り物。
目に見えないものも、そうこの命も酸素も、言葉も…、それを知れば知るほど豊かな心となっていくように思った。
人ならではないだろうか。(30代女性)
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◆「幸福な人生」は、「安心と満足」・「求める・応える」、本心を生きること!

人生というのをよく知らないで人生やってるというのも面白いなと思った。
主体的状態というのは何をやろうとしている人生かというのがハッキリしてる状態というようにも思えた。
それと印象に残ったのは、暮らし全てで満たされていくのが人生じゃないかということ。

応えたいという欲求は、実際にある人の求めるを知ることで発露していくのかな。
またそのためには安心と、聴いて理解してもらうことによる満足が、ベースにあるように思う。

結婚というのも、最も求め応え合う関係性のように思えた。
してもらう喜び、応える喜びの折重なりが家庭の営みかな。
父親、母親という役割で見て、1人の人として見えないとなかなか中のものが見えにくくなるだろうなと思えた。
これから子供も産まれてまた色々変わったりするとは思うけど、お互いの本心をもっと知って実現していきたいと思う。(20代男性)
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人生を知るためのコース | comments (0) |08:39

すべての人が求める、幸福な人生を探る!

人は、両親から生まれ、親や周囲の人から愛情を受けながら「幸福」に育っていきます。一生を「幸福」に生きるには、周りの人との間に不安が起こらない環境がいるでしょう。
自分が幸福に生きていくには、人と共に安心の中で生き、満たされ・満たし合うお互いで、人としての正常な知性を働かせ合うことが欠かせません。
サイエンズスクールで開催されている「人生を知るためのコース」は、自分自身を、人生の本来を、じっくり観察し探究していきます。1月13日から開催された参加者の感想を紹介します。

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◆不安を持った観念的な人生から、不安のない実際に即した人生へ!
不安というものがどういうもので、付き合い方がわかれば、かなりいろいろなことが楽になるのではないだろうかという話もしていた。
不安だと思っていたことも、どういうことなのか明確になると、たいしたことでなくなる。
正体や実態が分からないから不安になる。
つまり事実実際が常にわかっていれば不安にならない?
自分だけでも事実実際がわかっていたら、周りの人がどんな状態であっても大丈夫?

今回、自分と実際とのキョリが近ければ近いほどラクだと強く思った。
できごとだけでなく、心についても。
事実実際について。
不安について
しばらく考えていきたい。(40代女性)
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◆人によって満たされ、人を満たしたい「分かち合いたい」欲求!
人は人によってしか満たせない、満たされないものがあるなあ、と思う。
他のものでは代替えできないもの。
この部分が心と深く関わっているのだと思う。
これを他のもので一生懸命満たそうとしていた気がする。
きれいな景色を眺めていても満ちてくるものはあるけれど、人との中で満ちてくるものはそれとは少しちがう。
人の中で生きるしかないんだな、というある種のあきらめと覚悟のハザマ(笑)。

一つのもの。
みんなひとつのつらなりだって、考えればわかるけど、体得してはいない。
それを当たり前として意識にも上らないくらい、浸み込んだらどんな世界が広がるのだろうか。

最終日の早朝、池のほとりを散歩しながら昇ってくる朝日を見ていた。
きれいだなー、と思いながら不意にこれを誰かと「分かち合いたい」という気持ちが湧いてきて驚いた。
考えるとこんな風に思ったのは初めてかもしれない。(40代男性)
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人生を知るためのコース | comments (0) |11:07

幸せな人生、誰もが願う「幸福に生きる」ことを探る!

人と人、繋がりの解明が「幸福に生きる」人生の道筋を、明らかにさせる。
「こころ」へのアプローチや探究が、「こころ」の世界の繋がりや広がりを明らかにし、誰にとっても、明るく・軽く・穏やかで「幸せな人生」を生きるスタートになる。
サイエンズスクールが開催した、9.8~の「人生を知るためのコース」参加感想の一部を紹介します。
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何気ない自分なりの見え方、奥にある本心を気付くとは?
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一つという観方・・・数年前の朝、男の子に〇〇高校はどこですかって聞かれた。
私は知識を総動員して答えた。

行ってしまってから、あっ、今日は高校の受験日の日だって思った。
なんだか、ちゃんと行けたのか、とても心配になった。
普段の見え方は、別々に捉えている様でも、とっさになると何とかしたいって気持ちが動くんだなって思った。

こっちの方が、考えとか入ってない本体なのかもと思う。
もっともっと、本心、本体を知りたい(50代女性)


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怒り・恐怖心、感情の元の、心の状態を見ていくと!
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怒り自体に反応してるのではなく、怒りに対しての恐怖のようものが自分の中にあってそれに反応してるように思えた。
だから〇〇さんが、いざ怒った状態になったのを見ると、だいたい逃げたり避けたりするか、怒らないで欲しいというのを必死に伝える感じもあって身を守る反応の現れのように思う。
怒りに対して恐怖のようなものが特になければ、怒ってて居心地が良くないというのはあっても、身を守る反応のようなものも無いように思えた。

〜できない、言えないというのも、恐怖心から来ているような感じもした。

現状の自分の人の観方が、感情とか気持ちとか欲求とか、現れたものをその人としている自分がいる気がする。
感情や気持ちなどは、自分の中に湧いてる感じもあってか自分そのものと思いやすい気もするけど、自分の外に現れてるものだよな〜と調べていくうちに思えた。

怒りをその人ではなくその人から現れたものという観方だったら、怒りが現れてるけどその人の心の状態はどうだろう?と、もっとその人の心に関心がいくようにも思うし、本心というのがハッキリしていたら怒りの現れがあって色々言ってても、その人自身本当にそうしたい訳じゃないだろうという感じで、怒りに対して嫌になってもその人を嫌になることはないように思う。

現れたもの と その人、の区別がついてなく、現れをその人としているような観方になってるように思えた。(20代男性)


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観念のフィルターをはずし、奥にある本心を生きることが、主体的な生き方へ変わる!
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これまで内面に関心を向けるというのは、その人の意志や考え、感情や気持ちに関心を向ける事のように思っていた。
しかし、それらは「自分」の外に「あらわれたもの」ではないかという見方が新鮮だった。
意志や考え、感情や気持ちは状況によってコロコロ変わる。

人の心というのはその奥(というか下というか)にあるもっと安定したものかもしれない。
その自分の心を見てみると、「上下観」が根強くこびりついているのに気が付いた。

こういった実際に反した観念が染みついていると、それがフィルターのようになって本心が見えない。
今は自分の内面(心)に注意を向けて、こういった事実化してしまった観念に気づいていくしかないと思う。

自分の本体というか「そのもの」から、人生の節目でメッセージが届けられてきたように思う。
きっと心がもっとクリアーなら、そのメッセージはいつも届いているのかもしれない。
鈴鹿に来て、〇〇〇で働かせてもらえることになり安心したが、自分の中の「上下観」が邪魔をして、本心というか主体性が十分発揮されないまま時を過ごしたように思う。

今回の「人生を知るためのコース」参加が、自分の心の中の観念の事実化に気づき、本心で主体的に生きていくスタートにしたいと思う。(60代男性)


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繋がりの中での安心・満足、本来の幸福な人生を探ると!
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自分の人生は,いったい何を目指しているのか。そして,実際の自身の人生は,その「目的」に適っているのか。
こんなことがこのコースではっきりとするのではという期待のもと,コースをスタートさせた。
コースが進んでいく中ではっきりしてきたことは,そもそも,自分自身,「人間の考えであることの自覚」が未だ身についていないという実態であった。
これには少し愕然とした。

意識上の自分と,実際の自分とがはっきりとしていない中で,人生の目的とは,本心とはと探っていっても,意識上のことだけがどんどん浮かび,実際は何かということがはっきりとせず,頭の中が混乱してきた。
加えて,実際はどうか,という視点ではなく,実際は何かと,あたかも答えを探すような思考を進めてきていたこともコースの中ではっきりとしてきた。
人生を知るためのコース | comments (0) |15:53

地に足ついた、幸福な人生を生きているだろうか?

人は、生まれて自分の人生を生きる! 
どこからどこまでが自分と言えるものなのだろうか! 
ここからが自分・これが自分だと、厳密に区切れるところがあるのだろうか? 
つながりの中での存在、人にやってもらったり・甘えたり、ゆっくり観ていくと、人の中で安心出来る性質が観えてくる。
人は生きて、何する生き物なのか? 
8月12日~の人生を知るためのコースに参加した人の感想の一部を紹介します
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これまでも、自分が何者かを知るために色々な所へ行ったり、色々な方たちにお会いして自分なりに探究してきた。
今それを思うとあたかも自分の中で想像していた理想の図のパズルを完成させるためにそのパーツパーツをあちらこちらで拾い集めては、一喜一憂していただけの自分だったかもしれないとさえ思える。
それは決して無駄だったとは思わないが、随分と遠回りをしたものだと思う。
まずは今回のコースで、自分が何も知らないということを知ることがこのメソッドのスタート地点でもあり、ベースともなるところだと改めて思った。
次に、では実際はどうだろう?と色々と考えてみると、そこには自分の存在を成り立たせるための膨大な情報が織り込まれていることに改めて気づかされた。

そうするともっともっと自分を知りたいという意欲が湧いてきて、自分の内面に目を向けるようになってきて、同時に周りの人にも意識を向けるようになる。
自分の内面にある心を観てみると色んな心があり、場所や時間と共に移ろい変化しているように感じるが、比較的変化の少ない心もあるようで、それが本心というものかも知れないが、それさえも意識上の産物だとも思える。
ただその心というものの中にも反応や判断を超えた「何か」があると感じた。
自分なりにそれが「愛」というももの正体かも知れないと思った。
見返りのない絶対愛とでもいうか、相手に与えることを自分の喜びとして、お互いを生かし合おうとする心・・・・無償の愛。
本来私たち人間には、それが元々備わっていて大人になるにつれて外部からの影響をうけ、知らぬ間にそれを忘れていってしまっているのかも知れない。
しかしその外部の影響も意味のあることで、自分を知るためには自分以外のものを体験しなければ分からないと思えば、それさえも有難く思える。

現時点ですべてが明確なったわけではないが、一つの「道すじ」が見えてきたような気がする。本当に有難いことだと思う。(50代男性)
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夜、娘がどう過ごしているかな、私がいなくて寂しい想いをしていないかな、と不安・心配が起こった。
その日に「安心・安心感」をテーマにしたばかりだったので、早速、「私の今の不安・心配は意識上のものだな」と認識することが出来た。
もしかしたら、娘は私のことを忘れるくらい楽しく過ごしているかもしれない。
頭で不安を作り出して、それに捉われているより、コースに集中したい、と思った。
もちろん、娘が楽しく心地よく過ごしてくれることを願う気持ちは持っている。
私の本心は、それだろうか。それともまだ奥にあるのだろうか。
きっと、娘が心地よく過ごしていると、私は幸せなのだ、と思った。
その幸せを求める心が私の本心?

Aちゃんの話を聞いて、「(相手が求めているのは行為じゃないと分かっても)どうしたらいいのかなーって思う」と言ったら、「どうしたらいい?を考えるんじゃなくて、やっぱり相手を知るとか自分を知るとか、それをやっていくことかなー」と話してくれた。
その言葉が、ずどーーん、と自分に響いて、「なるほどー!!!」という感じだった。
人間は何をする生き物か?
「知る」生き物。
本心をよく知って実現に向かう。
意識上のものと実際のものの区別がちゃんとついていれば、実際に沿ったものを知るようになっていく。(40代女性)
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コースで時間を過ごすうちに、自分に根深く入り込んでいる観念が見えて来た。
「何か人に与えなければ愛情をもらうことはできない」
「仕事で成果を出したり、役に立たなければ、人から受け入れてもらうことはできない」
頭ではそんな考えを「ばからしい」と思いつつ、無意識のうちにそれを当たり前のように原則として行動していたように思う。
頭では全然別の所を目指して進んでいるつもりでも、心の奥底に染み付いている強迫観念に気付ききっていなかった。

自分で自分を満たすことはできない。
「自分で何とかしなければいけない」という発想を強く持ちすぎて、人から満たされる余地がなくなっていた。
心が満たされることで初めて人は健康に成長していく。
心の充足によって、自然と人に愛情が湧いてきた理、知性が働き始めたりする。
心が満たされるところから人の健康な成長は始まるのだと思う。
自分の場合、自分が満たされないまま、知性の成長や人を満たそうとすることを追い求めてきた気がする。
それはかなり無理のあることで、自分が疲れ果てるような状態にもなっていた。
そもそも、自分が満たされるとはどういうことか、そこから始めたい。

人に満たされるとか、「甘える」とはどういうことだろう。
現状の自分としては「甘える」ということに抵抗感を感じたりする。
「甘えてはいけない。自分で何とかしなければいけない。」という観念が強い。
それでも、きっと本当は満たされたくて、人に甘えたいのだと思う。
意識上では今まで特に苦労もなくうまいこと生きてきたつもりが、だいぶ無理をしていたのかもしれない。
本当は自分を追いつめていて、しんどかったのかもしれない。

そんな現状から少しずつ、人に素直に求めたり、甘えたりすることを始めてみたいと思う。(20代男性)
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何をどう捉えて感じたのか、それは客観的に観て実際に何をしているのか、どういう本音や反応が起こったのか、それは実際にどのような状態なのか・・・で、本心は何をしたいのだろうと徐々にじっくりゆっくり調べることが大切かなと今回思った。
そして、人と人とで探究しながら一緒に調べ合う探究会というのはそのような状態でそのようにしていくことに適っているということをとても認識した。

探究会で一緒に調べよう探ろうとすることに関心が出てくるのは人と人とのつながりの中での本来の人間の活力から生じてくるのかな。
若いころから「自分の適性を見出して自分を生かしたい」と強く願っていた。
能力や資格等身につけても結局うまくいかなかった・・・自覚のない状態で自分の考えやこだわりで自力で頑張ったからかな。

でもそういえば人間社会に対する関心や疑問は気持ちを我慢しながらも子供のころから子供なりにあったよな、そして気づかないけど心や知性を動かす源は強く動いていたんだろうな・・・
その根源からの生きる活力に気づく喜び・・・本当の人と人との間柄から、人間を知り人間らしく生きる営みから、人として生きていきたいし共に活かし合いたい・・・
そのような本心からの社会づくりをしていきたい・・・ゆっくりとじっくりと知る状態からやっていきたいと思う。
その中に本当の適性を見出して生きるというのがあるのかな。
人への感謝が大切だと人間の観念で言われてきたけど・・・人が人らしく生きるを知るという状態が本当のいままで出会ってきた方々への感謝なのかなと今は思う。(50代男性)
人生を知るためのコース | comments (0) |14:04

私は、何によって生きているのだろうか?

「人生を知るためのコース」では、「人が生きている」とは、どういうことだろう?、と、思いや感覚的なものでなく、具体的に「人が生きている」ことの実際について調べていきます。自分たちの頭を使って調べてみると、「自分そのもの」「人そのもの」が見えやすくなり、自分の周囲の多くの人たちについて、「その人そのもの」を理解しようとする気持ちが自然と湧いてくるようです。

5月「人生を知るためのコース」に参加した人の感想レポートを紹介します。

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先ずは「本来の人間」や「本来の社会」というものを、私はそもそも「知らない」ということ。

そして、これまでの知識や経験の積み重ねの中で「知っている」「分かっている」気になって、それをもとに考えをこねくり回しているに過ぎないという自覚をもつことから始めることなのだなということが見えてきた。

「知る」ことを通して観えてくる人間、社会がどのようなものになっていくか、自分自身もそのあらわれの一部となって楽しんでいけたらと思う。

現状においても、人間のつくり出した考えや概念によってゆがめられているとはいえ「この人生の途中の今、なぜにここにいるのか?」というテーマを探究する中で観えた「今、この場所にこの人たちと、このような状況になっている、あらゆる要因、働きの不思議さと間違いのなさ」は、全く否定しようもなく、ただただ「本心」に沿った人の営みの過程にある、今のあらわれなのだというところに立てた。

ついつい意識上のあらわれに囚われ、自分自身や人と人の間に隔たりや縛りを作ってしまう、今の人間社会のありようだが、自覚をもった個人が本心からの願いに沿って自分を知り、人を知り、そんな人と人との間でその人らしさを発揮し始めたら、自ずと本来の人間の営みがあらわれ出るだろう。

その実際に思い至るとき、「私だけの独自の人生」という視点ではなく、あらゆるものの営み、ここまでのいのちの営み、ヒトの人生が、いろんな形で響き合い、織り成して今があるのだなぁと思う。

これから開かれていく人生に希望が見えた。(40代男性)







誰もが求める、快適も、満足も、幸せも、人と人との間にあるもの、と言うか、一人では得られないもの。私の快適が、あなたを快適にし、あなたの満足で私は満々足になる。

一人の幸せより、70億人の幸せの方がいいよね。

「一つのもの」という観方も、人間の考えではあるけれど、本来、本質に則しているように観える。

空気は一つ、水は一つ・・・そうだな~と思う。地球は一つも、そう観える。

でも、人類は一つは抵抗感があるなあと誰かが漏らす・・・

人間は、鼻の穴からお尻の穴まで“空洞”だよねと言う話になった。

へえ~、だったら、その空洞の周りに肉やら骨やらが付いて人間が居るわけで、全人類が空気で繋がって一つと観えてくる、絵に描いてみた、面白い。

みんな小さな頃から、個々別々、隔てがあると無意識に刷り込まれてきた。

そして、その観方から政治・経済・教育・社会制度・家庭生活すべてが組み立てられている。一回リセットして、“一つのもの”という観方ですべて組み立て直してみよう。

コース中、5人の人間で探究した。

本心、満足、安心、内面、人の豊かさとは、なぜ心を重視するのか、・・・

快適で、豊かな時間だった。

いつも人間の内面・心を観ていく。

その人・そのものを観よう、知ろうとしていく。

人間の考えだって自覚あるかな~

事実・実際はどうなってるかな~

本来・本質・本当は?

その探究の中に、“人間交際”“一つの社会”が現れてくるような・・・

こうやって、話し合いながら、心満たし合って見晴らしがよくなっていくのも、人間にしかやれないこと。

人間を知り、人間らしく生きる営み、人知革命の真っ最中。(50代男性)
人生を知るためのコース | comments (0) |09:30

今を、自分を、生きているだろうか?

結果に一喜一憂する、周囲の評価を気にする、他の人の言動が気にさわる、等々は自分の生き方をしていないからではないでしょうか?

趣味・興味・関心・得手不得手・感情・欲求・願望・知識・経験・発想・思考、等々、自分のものだと思っていても、自分の生き方をしていない自分から出ているものかもしれません。

人の一生を観察し、人生とは何か、人生の目的や生きがいを知るための機会を持ってみませんか?

2月人生を知るためのコースに参加した人の感想を紹介します。

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「なんで生きているのかわかんない、生きる意味は?」って考えていた。

考えていたというよりは、思っていただけで、なんのために生きているのか全然わかんなくて苦しかった。

でも、もう、そんな風に辛くなることはないだろうなと思う。

何をしたいかが見えてきた気がする。

問題や苦しみが起こる根本的な原因は、目的を知らなかったからなんだろうな。

行為や感情や欲求や気持ちは、全て手段であり目的ではないんだ。

食べることも、仕事をすることも、勉強することも、目的を達成するための手段なのだから、やってもやらなくてもいいんだ。

常に、手段と目的を取り違えないように、自分の本心は何か、目的は何か、見失わないようにしたい。

もしも、人の本心が一つなら…

他人が幸せで、私が幸せじゃない、なんてことがありえるのだろうか。

私が幸せで、他人が不幸せな状態ってあり得るのだろうか、、、いや、そんなことは、無い気がする。

自分と、他人の関係を断ち切ることは、どうしたってできない。

出来たとしたら、幸せな感じがしない。

自分の考えの中にも、いろんな人たちの考えが混ざり合っていて、自分と他人で別々なんかじゃない、つながっている。

意識だって目に見えないけれど、一つと捉えることができるんだから。そもそも、生命は一つだと捉えられるのだから。

人の行為や言動ではなく、その人の実際はどうなんだろう、を見たい。

ひとかけらの遠慮もなく、もう親しすぎて親しすぎてこれ以上親しくなれないよ~、みたいな関係を築きたい。(というか「築く」みたいなレベルじゃなくて、全世界のすべての人に、そんな親しみを感じられるような自分でいたい。)

そんな親しい関係だと、あなたの幸せが私の幸せであり、私の幸せがあなたの幸せになる。そうやってどんどんどんどん周りを巻き込んでいきたい。

こんな人たちがいっぱいになれば、幸せな社会は実現していけると思う。

「したい」「してあげたい」欲求から、世界がどんどん発展していけると思う。(20代女性)



現われた世界をすべてだと思っていた。

自分が捉えていたものを、実際だ、としている自分がいる。

人の言動や、肩書とかで、人を捉えている自分がいる。

その人の内面に関心が行かない。

そういうものだと思っているから。

実際の自分は多分何もなくて受けたものしかなくて、物質的にも精神的にもそれらがある事に気付く・知るだけで心の状態は変化するのかなと思う。

むしろそれだけで幸せか…

満たされるには「知る」って要素が大きいなー

「知る」ってどんなだろう、知ったらどんな世界だろう。

ただ率直に素直に考えを自分の考えとして知るのがもっとも大きなカギとなるのかな…

(20代男性)



「人っていうのは何なのか」について、しらべて見て、とても興味深いものだった。

普段自分の側から見ると、自分と環境があって、という感じがするが、「自分がどうやって生きているか」を観れば、自分の体のすべては周りから来ているし、内面のものも外からの影響で形成されていってる。

生きるにあたっての身の回りの物も、人の手や自然の産物で、飲み物ひとつとっても、それが作り出されるには、作る工場も、その工場を作るための多くの物があってそれらで工場を作った人があって、その工場でその飲み物を作った人があって、届ける人とその手段があって、なんせすごい人の連携の中で自分がコーヒーを飲んでいる。

自分が何かを受けていて、それが当たり前のことになって特に受けていないとなっているが、そこにあるということは、背景は、実際はどうなっているか?(50代男性)



健康に生きようとするエネルギー、方向性。

そういう方向性は、どのような時も変わらずあるようだ。

「死にたい」と言う人にも、生きようとするエネルギーは、死ぬまではあるだろう。

心底は?

幸せに生きたい、みんなと幸せに生きたい。

一人では生きられない。

人として生まれたときから備わっている本心。

うちにあるもので、のびのびと、人間らしく、知性も心も成長していく。

そういう人生をみんなと送りたい。(70代女性)
人生を知るためのコース | comments (0) |15:55

人生・生き方の探究

「自分らしく生きたい」とか、「幸せに生きるために…」などと、よく耳にしますが、そもそも、人が生きるとは、どういうことでしょうか?

人の一生を観察して、人生の目的や生きがい、本来の人の一生を探ってみましょう。

9月「人生を知るためのコース」の感想レポートの一部を紹介します。



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人がどういう生き物かというと肉体面ではなく精神面という要素が大きいように思う。

行為という現われのそのものは心から湧いてくるものに影響されているだろう。

心が満たされている状態で現れてくる現象は自然と明るい、優しい、元気なものが多いように思う。

今の社会だと、行為の方を明るく、優しく、元気にしなさいと考えでやらせようとするが、心にとっては逆効果になることが多いだろう。

心が満たされるというのは、何で満たされるのだろうか。

モノが欲しいという欲求が叶うことから満たされるのもあるように思うが、人から満たされる部分が大きいように思う。

人がいれば満たされるかというとそうでもないが、人の心から湧いてる部分を受けて満たされるように思う。

欲求とは別に人に対しての要求という観点も面白いなと思った。

本心というのは、願いのようなものかもしれない。

なっていこうとするベクトルなようなものかな。

自分が満たされたいし相手も満たしたい、別の表現だと成長していきたい、豊かになっていきたい、活かしたい。

自分だけでなく、相手も、人間だけでなく、他の生命も、生命だけでなく、世界中のモノをそのもらしく豊かな方に向かっていきたい。

そのようなベクトルが働く生き物なのかもしれない。

人の社会が人の豊かさを重視してないって改めて見ると不思議だなと思った。

人が豊かな社会。

そんな社会に向かっていきたいなぁ。(20代男性)





人と人との間で本来の心が育ちあっていけたら、人は人らしく、幸せになろうとする働きが、自然に出てくるものなんだろうな。

そしたら、ただ“今ここ”に存在しているだけで、人は満たされる気がする。

外に何かを求めたり、何かをすることで満たされる喜びもあるけど、もっと心の底から“ただ、命としてある”ことを喜べること。

私の本心、心からの願い、~そんなものを、もっと観ていきたいな。(50代女性)





実際に人が生きているとはどういうことなのか。

人の命は一人で成立しているわけではない。

身体中の水分は常に世界を循環しており、呼吸している空気も一定の構成要素を保ちながら入れ替わっている。

自分の一部だったものが、ある時は海にあり、山にあり、他の生物の血肉であったりする。

体内では無数の細胞や器官が複雑に関わり合い、一つの命の流れを作り出している。人が生きるということは適当なものではなく、方向性を持っており、何かを実現させようとしている。

人が人らしく生きる、その中身には心と知性の働きが必要不可欠に思える。

心や知性があるからこそ、人が人として生きるということが成立するのではないか。

人は心によって世界と触れ、豊かさを感受し、膨らませていく。

また、心の好奇心によって知性で知ろうとする働きも生まれる。

知ろうという働きによって心は様々なものを受け取り、豊かになっていく。

こうして、心が満たされ続けていく。

人は心や知性によって、自らが進む方向を知り、選ぶことが出来る。

人は自分や人の本心や実際へ目を向けることが出来る。

人が成長するとは単独でなされることではなく、他の存在との触れ合いの中で、共に成長していく。

成長を分かち合えば分かち合うほど、人は豊かになっていく。

そして、実際を知って、成長し、周囲と豊かになり合い、世界全体で幸せへと進んでいく。(20代男性)
人生を知るためのコース | comments (0) |12:47