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本心を捉えながら生きていく、満ち・足るを知る人生を探る!

今の社会にある共通の認識「できるのが良い」や「しなければならない」という考え。
そういう考えに縛られての人生か、もっと奥にある願いや本心を生きる人生か。
心を感じ合ったり、気持ちを通わせ合ったり、本来の人間に備わった知性の働きを味わいながらの人生を探ります。
一つの世界に共に生きる人と人、本来の姿へ興味が深まります。
4月11日~の人生を知るためのコースに参加した人の感想を一部ですが紹介します。
20190501_114057-300.jpg自分の人生を生きるには、本心・願いに気づくところから
自分の人生を生きる、本当に生きるために必要なことを学んだように思う。
今まで、表面的な自分、意識上のじぶんにずいぶんとふり回されて来たものだ。
そこで止まっていては、なんのための人生か分からない。
きちんと本心は何か?
自分の願っていることは何かという部分をしっかりと見ていかなければ、本当に勿体ないと気づかされた。
「ねばならない」「大人なら当然こうあるべきだ」「プロなら当然このくらいのことはできるものだ」等々次から次へと自分に課しているものが現れた。
はい、ご苦労さん。
本当にべたべたと本心を隠して持っていて、本心がなかなか見えて来ない。
今まで何をして来たんだろうと思った。
これでは本当に生きているとは言い難い。
あー勿体ない勿体ない。

本心は何だろう。
現われてくるものの下に隠れてしまっている本心、願いに気づく事の大事さを学んだコースだった。(男性40代)
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一つの世界の中、人に求め・人に応え、満足の健康人生を!
日頃は自分で生きている、自分の意志で動いているという意識だけど、調べてみると実際は、人間の意志とは全く関係なく生命力が肉体を生かしている。
自分がやっていることは、ほとんどない。
自分が認識しているのはごくわずかで、本当に膨大な人や物などの背景があって、そのなかに今の自分が生きていること、生きていられることを、知らない。
知らないでいることも知らないな。

できるのがよいとか、できないのはだめ、できる人にならないと、できる人、できない人 とか人を比較したりと、人を見ているものがあった。
またできない自分を私が認められなかった。

人間も地球上に存在するもののごく一部で、他との切れ目や境目もあるようでないような、生命は一つ 人類は一つ 一つの自分
一つだから人に求める 人に応えたくなるかな

一つの私の人生は、共に正常健康で安心満足して生きていこうとする人生
それまでに生きてきた環境により、不健康な意識を身に着けて本来もともとある健康正常に生きていこうとするものが、見えなくなっている。
もともとあるものはシンプルだな。(女性70代)



知性と健康な心の成長が進む、人生へ
人間にとっての本当に幸福な人生とは どうなっているのか
人間にとっての幸福とは、結論として、「隣人、身近な人とのよい人間関係である」。
というハーバード大学の研究結果の話題がでた。良い人間関係とはどういう事か?

本当の人間を知り、現れだけでなく、その人の内面によりそえるかどうか?
~ねばならない など人間の考えが前提にあり、頭では、ごちゃごちゃ考えるが、自分の本心に向き合うように、自分ごとに向き合うように接していくということなのだろうか?

相手の欲求が満たされて相手が喜んでいる、それを見て自分が満たされる。
簡単にいってしまえば、人間とはそういった生き物なのだろう。
まだまだ、人間とはどういう生きものか? 知らない事はいっぱいあると思う。
日常で、不健康になることも多いと思う。
自分が捉えた事が実際になり がっかりしがちになるが、本当はどうしたいのか?
本当は何を願っているのか? 
知性と健康な心 成長させていきたい(男性50代)
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社会の進みは、人の知性を働かせて協調する段階にきている!
そもそも人ってどんな生き物なのか、考えたりしたのも初めてかな?
地球上に住む生物の中の一種で
人が完全に一人だけで生きるなんてよく考えてみたらできるわけもないのに

お互い影響をうけあい変化していくもの
地球上、いや宇宙に存在しているすべてに共通の摂理なのに
どうして「人」だけ、「自分」だけは別物だと思うんだろう
誰にも迷惑かけずに自立していかなければ誰もたすけてはくれないんだからという発想は根強くインプットされてしまっている

でも
本心は?心底は?
問われてよく自分に聞いてみると
「もっと安心して周りに甘えて、甘えられてみんながリラックスして本領発揮している社会に生きていたい」というのが心底の願い
そしてどうやらそちらのほうが自然の摂理にかなっているようだ


頭のなかの出来事が大きくなって意識が固まってしまったところから
現れた現象を何とかしよう、どうにかしようとしてできていった今の社会は不自然なことだらけ

この生きにくい世の中で
何とか自分を合わせよう、なんとか子供たちが生き残れるようにと
プログラムされた教育や社会組織はどれも行き詰っている現状で


もうそろそろ「もと」を見て知り
人の知性を働かせて協調する段階にきているよということなんだな

「社会を変える」と聞くとなんだか果てしないことのように感じるけれど
よくよく見れば「社会」は「人」の集まりだ

人と人はお互いに離れて存在することはあり得ない(お花畑のような妄想の話ではなく!)まずは自分が自分の本心を知りそこを丁寧に満たし(満たしてもらい)まわりの身近な人の本心を知ろうとしてその願いを満たしていくことから
あまり難しく考えないでやっていきたい

日常は複雑で簡単にいきそうもないと思いがちだけどどれも同じ「もと」の話だと思うととても心がかるくなった(女性40代)
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人によって心は満たされ、相手の心を満たすことは、私の心がさらに満たされる
不満は不満を抱いているその人のせい。とすることがあるが、単に満たされてないのだろう。
自分で満たすことはできない。 
人の中で人に満たされるのだと思う。
もともと一つの世界で生きている人間、単独に存在しているものなど無いのだと思う。
自分で生きているという意識も、実際は全部周りから受けたもので生きていると言ってもいいかな。

人生の目的と聞いて、あるものを見るか、無いものを探すか。
その差は大きい。

人間の考え、自分の考えで人の成長や人生を決めるものではないのだろう。
すでに実際に成り立っているものがあり、それを見ていくところから。
単独で別個に存在しているものはない。
みな関連の中で生きている。

意識だけが別に捉えたり、ねばならないものがあると見えにくくなる。
人間の考えでねばならないとし、強迫することで人間の心を歪め、考えを固定化し、そこから世界の捉え方見え方を歪める。
良いとする強迫固定された考えで自分を縛り、無自覚のまま悪いとする未来を想像し気分が苦しくなる。
それが不安の正体か?もともと安心、それが基本。

人は何によって満たされるか。
幸せな社会には人が満たされるという必須要素があると思う。
それは人の無限象「心」が満たされるということ。
心と知性の関係、相手の心を満たそうとするだけで自分が満たされる法則のようだ。

喜びで満たされてさらに知性は深く広く成長する。
人間性包容力の成長、面白い。
その延長線上で人間として本領発揮、最も合い合う色々。
やることや事柄、意識上のことや現象の事ではなくて、人に応えられる人に成りたいと切に思う。(男性30代)
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