「本来の人生」って、心通い合う「一つ」の現われ

今まで生きてきた自分の人生の「実際」を振り返りながら・・・
探究会の輪の中で、何でも出し合い、「人生って何?」と探ってゆくと
怒りや争いのある「現状の社会」の中で作られきた各自の人生観に変化が起こり、怒りや争いの一切ない「次の社会」用の、やわらかくてふわっとした人と人の営み、人と心通わせながら生きる「本来の人生」が見えてきます。
2月20日~の「人生を知るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
IMG_20220308_102008.jpgそもそも人生を知るとは? 人生とは? 生きるとは? から始まる。
考えたことがあるようで、ほとんどない。
人とはどういうものか。

いま、自分から見た「人」は、形はそれぞれで個性があるけど、1面だけ硬くて平らな面があるかんじ。
自分を抑えるように、周りと同じように平らに整えた面を表に向けて、無機質にやることをこなしている。
「自分をどう表わしているか/見せようとしているか」とも言えるかな。
そうすることは、今の社会では楽かもしれないけど、本来の人としてはものすごくエネルギーを使うことだと思う。
本来の自分のやわらかくてあたたかい、ふわふわ(心)を大切にしながら生きたいな、人に対してもそうでありたいなと思った。

ふわふわ(心)をありのままさらけ出せるには安心が重要になりそう。
隔てのない間柄・隔てのない社会には、私もあなたも、敵も味方も、自然も人工も、良いも悪いもない、人が人でありながらすくすくのびのび生きて行ける世界が広がっていそう。

「私」とか「私の人生」とか言うけれど、そもそも「私」を作っている要素は計り知れない。
たくさんの人から受けてきたものがあり、自然や人や歴史や宇宙の中で作用しあって形成されてきている。
「私」は私であって、私ひとりではない。
「私の人生」は始まりも終わりもなく、私ひとりのものでもない。

私の人生は何をしようとしている人生か。
受けてきたものがあって、中には抑えたり隠したりしてきたものもあって、それらを知りながら、認めながら、自分のふわふわを大切にしてみたくてここにいるんじゃないかな。
人と人との間で、人として、自分のことも人のことも隔てなく大切に愛でながら、満たしあえる社会を創り、残そうとしているんじゃないか。
事柄ではなく。
考えたり予測したりする自分の脳が愛おしく思えたり。
そばに誰かいてほしい気持ちが出てきたり。
それをみんなにシェアすることができたのはこのコースの中で見えた変化の一つかな。

そして、こういう探究、同年代の仲間とやりたいなというのも出てきた。
なんだか人懐っこくなりそう
なるというよりは、もともとの自分に気づく感じかな。(女性20代)

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人生を知るためのコース | - |

本心を捉えながら生きていく、満ち・足るを知る人生を探る!

今の社会にある共通の認識「できるのが良い」や「しなければならない」という考え。
そういう考えに縛られての人生か、もっと奥にある願いや本心を生きる人生か。
心を感じ合ったり、気持ちを通わせ合ったり、本来の人間に備わった知性の働きを味わいながらの人生を探ります。
一つの世界に共に生きる人と人、本来の姿へ興味が深まります。
4月11日~の人生を知るためのコースに参加した人の感想を一部ですが紹介します。
20190501_114057-300.jpg自分の人生を生きるには、本心・願いに気づくところから
自分の人生を生きる、本当に生きるために必要なことを学んだように思う。
今まで、表面的な自分、意識上のじぶんにずいぶんとふり回されて来たものだ。
そこで止まっていては、なんのための人生か分からない。
きちんと本心は何か?
自分の願っていることは何かという部分をしっかりと見ていかなければ、本当に勿体ないと気づかされた。
「ねばならない」「大人なら当然こうあるべきだ」「プロなら当然このくらいのことはできるものだ」等々次から次へと自分に課しているものが現れた。
はい、ご苦労さん。
本当にべたべたと本心を隠して持っていて、本心がなかなか見えて来ない。
今まで何をして来たんだろうと思った。
これでは本当に生きているとは言い難い。
あー勿体ない勿体ない。

本心は何だろう。
現われてくるものの下に隠れてしまっている本心、願いに気づく事の大事さを学んだコースだった。(男性40代)
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一つの世界の中、人に求め・人に応え、満足の健康人生を!
日頃は自分で生きている、自分の意志で動いているという意識だけど、調べてみると実際は、人間の意志とは全く関係なく生命力が肉体を生かしている。
自分がやっていることは、ほとんどない。
自分が認識しているのはごくわずかで、本当に膨大な人や物などの背景があって、そのなかに今の自分が生きていること、生きていられることを、知らない。
知らないでいることも知らないな。

できるのがよいとか、できないのはだめ、できる人にならないと、できる人、できない人 とか人を比較したりと、人を見ているものがあった。
またできない自分を私が認められなかった。

人間も地球上に存在するもののごく一部で、他との切れ目や境目もあるようでないような、生命は一つ 人類は一つ 一つの自分
一つだから人に求める 人に応えたくなるかな

一つの私の人生は、共に正常健康で安心満足して生きていこうとする人生
それまでに生きてきた環境により、不健康な意識を身に着けて本来もともとある健康正常に生きていこうとするものが、見えなくなっている。
もともとあるものはシンプルだな。(女性70代)



知性と健康な心の成長が進む、人生へ
人間にとっての本当に幸福な人生とは どうなっているのか
人間にとっての幸福とは、結論として、「隣人、身近な人とのよい人間関係である」。
というハーバード大学の研究結果の話題がでた。良い人間関係とはどういう事か?

本当の人間を知り、現れだけでなく、その人の内面によりそえるかどうか?
~ねばならない など人間の考えが前提にあり、頭では、ごちゃごちゃ考えるが、自分の本心に向き合うように、自分ごとに向き合うように接していくということなのだろうか?

相手の欲求が満たされて相手が喜んでいる、それを見て自分が満たされる。
簡単にいってしまえば、人間とはそういった生き物なのだろう。
まだまだ、人間とはどういう生きものか? 知らない事はいっぱいあると思う。
日常で、不健康になることも多いと思う。
自分が捉えた事が実際になり がっかりしがちになるが、本当はどうしたいのか?
本当は何を願っているのか? 
知性と健康な心 成長させていきたい(男性50代)
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人生を知るためのコース | - |

本当に幸福な人生とは・・・人生観を探ってみると!

両親の喜びのもとに生まれ、愛情を注がれて、家族や社会に見守られた暮らしの中で、人として育っていく・・・人生。
安心し、満足しながら成長する、そんな人生を歩んでいるだろうか?
自分の持ち味を発揮しながら、自分らしく生きる。
幸福な人生=本来の人生を探り、気づき合う探究の機会です。
11月15日からの人生を知るためのコースに参加した人の感想、一部ですが公開します。
453726c278ce4884740ee1778652a5cd_1.jpg心の奥にある「ありのままの自分」を呼び覚ます
トマトはトマトの実をつける。胡瓜にはならない。 
トマト(植物)は環境や条件が整えば必要な養分を吸収し最大限の成長を遂げるために伸びてのばして実を付け種を残す。
人も人らしく人間として、環境と条件が整えば人間としての可能性を最大限伸ばしていけるんだね。

「地球はひとつ」「生命はひとつ」
地球の生命体すべてが単独で生きることは出来ない。
地球のゆりかごの中で自然のエネルギーを受けて生が始まりやがて終り、次の生につながっていく。
命の連鎖の中でひとつの大きい生命体として活動して、固定されず絶えず動いている。
地球も宇宙の中で単独ではないと。

知る、知りたいは知性の現れか。
その状態が心を刺激して本来の欲求を引き出す。
心の奥にある「ありのままの自分」を呼び覚ますイメージが見えてきた。

人の成長は、人に関わってもらって自然と成長するもの。 
ひとりでは成長出来ない。
本来の人間は人と人との間で成長し、社会をつくり知性の集団を形成してきたんだろうな。
人は単独では生きていけないことを知っている。(女性60代)
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自分一人でやっていることは一切ない
人生って何だろうなとかどうなっているかなと問いが続くような感覚。
まずは正常健康な心の状態を知るというところなんだろうなと思う。
人間として人間らしく成長する。というのも知らないとなれない。

自分がどんな世界でどんなふうに暮らしているか。
知らないことだらけ。
なんだか答えや結論を出すというよりどうなんだろうとなる状態のほうへ、人とともにやっていくことなんかな。

一つという見方が面白い。
生命は一つ。
別々のところから見てバランスが保たれていてすごいなと思ったけど、一つという見方から見てはごく自然なことなんだなと思った。
自分一人でやっていることは一切ない。
生まれるのも生きるのも。(男性20代)
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知性と心のはたらきによって、安心・満足の幸福な人生を歩む!

人生とはなにか?
日常は、自分や人の言動に目が向きやすいですが、その元にある心に目を向けてみると、自分も他人もない、人間らしさ、人の本質が観えてきます。
安心満足の中、知性が活発に動き出します。
知性によって、生きている目的や人としての生きがいを「知る」ことができ、自分らしく明るい人生を歩んでいきます。

サイエンズスクールの「人生を知るためのコース」は、人生の目的を知り、本当の自分を知り、未知なる自分への好奇心に生きる、自分に最も適した他に真似のできない生き方を探究する機会です。
5月17日~開催されたコースに参加した人の感想文の一部を紹介します。

以下のページから「人生を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jinseiwoshiru.html
img2176_file.jpg◆生きている実際を観察して、人を「知り」喜びに生きる
人間の中心で絶えず動いている、求め応える作用。
人の心の働き、そのものは安心状態といえる。
安心状態をベースに満足が始まる。
安心満足のベースに実際に行き交う数多くの行為、受ける喜び、与える喜び、知る喜び、生きる普通の幸せの状態。

受けて、受けて、受けて、年が経つほど受ける喜びが、心が豊かな人生、死の瞬間、その人の人生がすべての人の人生に溶け込む本当の人生、実際の人生はそうなんだ。

自然な状態が何なのか分かるのが始まりではないか?
人を知れば人を愛するようになる 自分の本心が分かれば、心が熱くなる。
健康に、快適に、いつも人の中で動く健康に生きようとする働き。

生きるということが何なのか、人は何をして生きているのか、人がどのように生きているのかを知る喜び。
もっと聞いてみて知っていきたい心。
さあ~日常に戻って、自分の現在の状態を素直に軽く知っていく過程自体を楽しみから~(女性30代)
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◆肉体にも心にも「健康正常」に生きようとする働きが、いくつになってもあるなぁ
人を人たらしめる作用が誰の中にもあって(全人類に)健康正常でありたい。
人に求めたい。それに応えたい。次代の子らが幸せであってほしい。
満足。安心。 そのことを知った。
実際はどうなっているのかなあ、と調べて行くのは、とても愉しい作業だったなあ。 
老年になっても知っていくことは愉しい。
全ての始まりは知る。 ことからかなあ。

知ろうとするエネルギーはとても大きいと思う。
知れば知るほど知りたいし、知った分だけ満足する。
本来のそうした作用がなければ、知る。 が続いていかないだろう。
実際はどうなのだろう。と調べていくのは愉しかった。
いくつになっても、知れて嬉しいと思うのかもしれないな。

自己を生かす。 ということはどういうことなのだろう。
その時その時に、健康になっていこうとする私が、人の求めに応えたり、人に求めたり。
本心をそのまま出していこうとすることで、社会を創っていく。
そんな感じかなあ。(女性70代)
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人生を知るためのコース | - |

地球の上に、一つの世界を生きる・人としての人生を探る!

繋がりなく、個別で存在しているものは、ひとつも・どこにもない。
変化の中で、人としての成長を歩んでいく。
家庭をもち社会をつくり、子供を育てながら、幸福な人生を生きたいと暮らしている。
人と社会の本質を探っていくと、人としての無理のない自然な姿が鮮明になっていき、事実・実際の理に適った健康な社会を作る方向へと進んでいく。
サイエンズメソッドを使っての探求機会。
3月22日から開催された「人生を知るためのコース」参加者の感想を紹介します。
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以下のページから「人生を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jinseiwoshiru.html
img1392_NCM_2676-1.jpg◆親や社会から注がれ続ける愛情、満たされながら健康に育つ
受けてきた、
愛されてきた、
生かされている、今の私がいる。

じんわりと広がっていく実際の世界、そこに見えてくる一つのもの。
個々別々の観方で見えづらくなっていて、知らないだけかぁ。
もともと安心。もともと豊か。

私が願っているから私の願い? そう思った時からそうなのか?
ずっと前から受け継がれ、みんなの中にも私の中にも流れているもの。
願いは一つ。もともと一つ。

私の人生は、何をやろうとしている人生かな?
正常な方向へ、健康な人の姿を創造しながら成り合っていく、そんな感じがする。

まずは、日常の自分がどうなっているか、観察。
事実、実際は?
その連続・・・かな。

追記
あるものがあるだけ見える(そう感じられる)、そんな心の状態ってこの上なく豊かなかんじだな。(女性30代)
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◆身を守る思考が、実際の豊かな世界を知っていくことで、心と心の繋がりを求めだす
現状は分離ベース。
安心しようとして守る。 責める。 将来のイメージも不安を無くそうと今をどうする、こうするとする、お金や、約束、に執着する。
スローガンや行動を変えても自己の欲求や、身近なひとへの執着に固まって対立する。
そうゆう状態がどうなっているのか知らない状態。

実際を重視する
その観点で生命、人を知ろうとすると、人も社会もあるもので満たされ、受けて受けて生きている。
元々安心の世界で生きているのかな。

実際にあるものと、そこに至るまでにある行為を、知ろうとする。
計り知れない行為の表われを受けて、受け続けて、自然の理に適って生かされている実際。
自分が、過去から現在、実際の世界の恩恵を知れば知るほど繋がりの実際を感じる。
心と心の繋がりって、、どうなっているのかな、、(女性60代)
images.jpg◆すべてのものと繋がっている「一つ」の世界の探究
自分の責任。 自分のせいだ。 自分で何とかしなければならない。
人をいやな気持ちにさせてはいけない。
表面の現われでしかないものだな。
人やこの世界とつながっているのはそこじゃないな。

体は一つ。
水は一つ。
生命は一つ。
地球は一つ。
面白いな。
あるもの全部と繋がっていてずーっと循環しているんだな。
誰や何が、私の中にいる・あるんだろう?
どんな歴史を抱えているんだろう?
一つの中の現われとしてすごく小さな存在だな、私って。
けど小さくても大きいな。
一つの、たくさんの現われの一つ。
この世に一度しかない現われ。

自分を観てもらって、ひたすら受けて自分らしくのびのびと成長して行きたい。
知らない間に自分も与え、愛が、すらすらと流れて循環する自然の状態に戻りたい。
心同士で繋がりたい。
世界と溶け合いたい。(女性20代)
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一人残らず、幸せな人生を生きる ⇔ 本質的な人生を探る!

幸福な人生とは?
誰もが望む幸せ・・・。
こころ満たされ、満たしてあげたい欲求、誰の中にもある、こころの自然な姿。
こころの底を探って、本心を生きられる人に成り合う探求。
10月27日から開催された「人生を知るためのコース」参加者の、感想の一部を紹介します。
-300.jpg       第二研修所の庭の紅葉
◆隔てをつくって身を守る人生から、心の底から満たし合う人と人の人生へ!
人の中で人らしく生きる。
中から湧き上がってくる、してあげたい、してもらいたい。
満たし合いの中で個性を活かしながらのびのび生きたいな。

現われたもの(現象)を見て、その人、そのものを見ていないことを知った。
人の行為(言動)は、ほんの一部の現れ。それを人の心としていた。
思いや考え、意思、感情、欲求、気持ちを心だと思っていた。
意識上の自分が自分だと思っていた。
良いこと悪いこと、善悪がくっついて日々を過ごしていたかな。
無意識だった。
自分を責めたり、人を責めたり。

自分の心、本心を観て、それが観えてくると。
相手にも本心があることに関心が向く。
それぞれに本心があることを知ると、人の現れで反応するのはなんだか変な感じもしてくる。
自分の心に焦点があたると、相手に関心が向くのが面白いな。

不安感の中身を観ていくと「ねばならない」や「人にどう思われる」そういう本来の自分でないところから反応しているように思った。
まだ起きてもいないことで不安になるのは何だか無駄な感じもする。
もっと心から人にお任せしたい。
どうにでも好きなように思ってもらっていいよ~という風になれたら面白いな
隔ては、人と人の間にあるわけでも壁があるわけでもなく、自分の中にあるのを知った。(女性40代)
20191203_070617-300.jpg◆繋がりの中にある人と人、本心の中にある繋がり ⇒ 喜びの人生へ!
「人生とは?」。
自分の人生を見ることが主体と思っていた。
観れば観るほどに、「自分が一人で生きている」と思い込んでいることを知る。
そして実際に目が向くほど、人を介したものがあふれ、人に、自然に生かされている現実を知る。
「自分の人生」というような、自分だけで完結するような、生易しいものではない。
初日から思い知る。

どれだけの人々が、僕の人生に、直接的に、間接的に、関わってきたのだろう。
手元にあるストール一つとっても、莫大な人と、ものと、自然環境が背景にある。
それが自分に触れてきた、見てきた、知ってきた、また知らないものでさえ、誰かを介し繋がっていた。
そもそも「自分のもの」と言えるのか?

感情を、本心としていたり、見えてる行為や考えに振り回されていることが観えたり。
不安感はあくまで、不安「感」だ。
失敗など、なってもいない想像に意識を奪われ、本心や本来の人間性という部分にまで目が届いていない。
意識上の世界を、実際の世界のように感じて生きている。
そしてそれに気づかず、同じサイクルで人に悪感情を沸かせたり、うまくいかなくなったり、誰かのせいにしたり。
まだ全然観きれてないけど、そういう構造も垣間見えた。

もしも誰しもが、本心で、また本来の人間性に沿って生きていけたら、どんなに幸せで、どんなに楽だろう。
その世界はどれだけ、豊かで、悦びに満ち溢れてくのだろう。

単独で生きているものはない。
頭では、皆知っている。
でもなぜかここちよく委ねきれない。
本心で生きたい。
皆願っている。(男性30代)

以下のページから「人生を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jinseiwoshiru.html
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本来の人生をハッキリ知って、幸福な暮らしを生きる!

人生の本質を探る、現状の自分自身をジックリ見る、観察していくと、今まで気づかなかった自分の実際の姿や気持ちやこころが観えてきます。
みんなの中で本音を聞き合いながらの探究が、自分の本心に気づかせてくれるのでしょう。
本心で生きる・暮らせる社会、幸福な人生のスタートです。
2月10日~の「人生を知るためのコース」に参加された方の感想を紹介します。

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◆実際の世界には無い「~すべき」、「知る」ことで主体的に生きる人生へ

自分も相手もその人らしく健康で・満たされて欲しい・生かし合いたい・・・言葉にするとこんなものが浮かんでくる。
“それをわたしは本当に心の底からそう思っているのか?
本心はどうなのだろうか?”
この問いかけが大切な気がした。

そして常に自分自身が何もしなくてよいという状態であること。
自分自身が無理なく心からやりたくなった分だけやる。
この主体性も大事だと思った。
主体的に生きるということは多くの人のお世話になること、人を生かすことかもしれないなと思った。(実際にはそうなのだろうけど)

~すべき、~してはいけない/当たり前(あって当然)/必要…良いこと・悪いこと
これが大きく影響して実際の自分、実際の世界から遠ざかっていくように思った。
そして自分がどうしたいのかさえも見えなくなる。

今の社会から受けているものは既にたくさんすぎるくらいある。
目に見えているものすべて誰かからの贈り物。
目に見えないものも、そうこの命も酸素も、言葉も…、それを知れば知るほど豊かな心となっていくように思った。
人ならではないだろうか。(30代女性)
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◆「幸福な人生」は、「安心と満足」・「求める・応える」、本心を生きること!

人生というのをよく知らないで人生やってるというのも面白いなと思った。
主体的状態というのは何をやろうとしている人生かというのがハッキリしてる状態というようにも思えた。
それと印象に残ったのは、暮らし全てで満たされていくのが人生じゃないかということ。

応えたいという欲求は、実際にある人の求めるを知ることで発露していくのかな。
またそのためには安心と、聴いて理解してもらうことによる満足が、ベースにあるように思う。

結婚というのも、最も求め応え合う関係性のように思えた。
してもらう喜び、応える喜びの折重なりが家庭の営みかな。
父親、母親という役割で見て、1人の人として見えないとなかなか中のものが見えにくくなるだろうなと思えた。
これから子供も産まれてまた色々変わったりするとは思うけど、お互いの本心をもっと知って実現していきたいと思う。(20代男性)
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人生を知るためのコース | - |

すべての人が求める、幸福な人生を探る!

人は、両親から生まれ、親や周囲の人から愛情を受けながら「幸福」に育っていきます。一生を「幸福」に生きるには、周りの人との間に不安が起こらない環境がいるでしょう。
自分が幸福に生きていくには、人と共に安心の中で生き、満たされ・満たし合うお互いで、人としての正常な知性を働かせ合うことが欠かせません。
サイエンズスクールで開催されている「人生を知るためのコース」は、自分自身を、人生の本来を、じっくり観察し探究していきます。1月13日から開催された参加者の感想を紹介します。

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◆不安を持った観念的な人生から、不安のない実際に即した人生へ!
不安というものがどういうもので、付き合い方がわかれば、かなりいろいろなことが楽になるのではないだろうかという話もしていた。
不安だと思っていたことも、どういうことなのか明確になると、たいしたことでなくなる。
正体や実態が分からないから不安になる。
つまり事実実際が常にわかっていれば不安にならない?
自分だけでも事実実際がわかっていたら、周りの人がどんな状態であっても大丈夫?

今回、自分と実際とのキョリが近ければ近いほどラクだと強く思った。
できごとだけでなく、心についても。
事実実際について。
不安について
しばらく考えていきたい。(40代女性)
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◆人によって満たされ、人を満たしたい「分かち合いたい」欲求!
人は人によってしか満たせない、満たされないものがあるなあ、と思う。
他のものでは代替えできないもの。
この部分が心と深く関わっているのだと思う。
これを他のもので一生懸命満たそうとしていた気がする。
きれいな景色を眺めていても満ちてくるものはあるけれど、人との中で満ちてくるものはそれとは少しちがう。
人の中で生きるしかないんだな、というある種のあきらめと覚悟のハザマ(笑)。

一つのもの。
みんなひとつのつらなりだって、考えればわかるけど、体得してはいない。
それを当たり前として意識にも上らないくらい、浸み込んだらどんな世界が広がるのだろうか。

最終日の早朝、池のほとりを散歩しながら昇ってくる朝日を見ていた。
きれいだなー、と思いながら不意にこれを誰かと「分かち合いたい」という気持ちが湧いてきて驚いた。
考えるとこんな風に思ったのは初めてかもしれない。(40代男性)
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人生を知るためのコース | - |

幸せな人生、誰もが願う「幸福に生きる」ことを探る!

人と人、繋がりの解明が「幸福に生きる」人生の道筋を、明らかにさせる。
「こころ」へのアプローチや探究が、「こころ」の世界の繋がりや広がりを明らかにし、誰にとっても、明るく・軽く・穏やかで「幸せな人生」を生きるスタートになる。
サイエンズスクールが開催した、9.8~の「人生を知るためのコース」参加感想の一部を紹介します。
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何気ない自分なりの見え方、奥にある本心を気付くとは?
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一つという観方・・・数年前の朝、男の子に〇〇高校はどこですかって聞かれた。
私は知識を総動員して答えた。

行ってしまってから、あっ、今日は高校の受験日の日だって思った。
なんだか、ちゃんと行けたのか、とても心配になった。
普段の見え方は、別々に捉えている様でも、とっさになると何とかしたいって気持ちが動くんだなって思った。

こっちの方が、考えとか入ってない本体なのかもと思う。
もっともっと、本心、本体を知りたい(50代女性)


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怒り・恐怖心、感情の元の、心の状態を見ていくと!
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怒り自体に反応してるのではなく、怒りに対しての恐怖のようものが自分の中にあってそれに反応してるように思えた。
だから〇〇さんが、いざ怒った状態になったのを見ると、だいたい逃げたり避けたりするか、怒らないで欲しいというのを必死に伝える感じもあって身を守る反応の現れのように思う。
怒りに対して恐怖のようなものが特になければ、怒ってて居心地が良くないというのはあっても、身を守る反応のようなものも無いように思えた。

〜できない、言えないというのも、恐怖心から来ているような感じもした。

現状の自分の人の観方が、感情とか気持ちとか欲求とか、現れたものをその人としている自分がいる気がする。
感情や気持ちなどは、自分の中に湧いてる感じもあってか自分そのものと思いやすい気もするけど、自分の外に現れてるものだよな〜と調べていくうちに思えた。

怒りをその人ではなくその人から現れたものという観方だったら、怒りが現れてるけどその人の心の状態はどうだろう?と、もっとその人の心に関心がいくようにも思うし、本心というのがハッキリしていたら怒りの現れがあって色々言ってても、その人自身本当にそうしたい訳じゃないだろうという感じで、怒りに対して嫌になってもその人を嫌になることはないように思う。

現れたもの と その人、の区別がついてなく、現れをその人としているような観方になってるように思えた。(20代男性)


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観念のフィルターをはずし、奥にある本心を生きることが、主体的な生き方へ変わる!
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これまで内面に関心を向けるというのは、その人の意志や考え、感情や気持ちに関心を向ける事のように思っていた。
しかし、それらは「自分」の外に「あらわれたもの」ではないかという見方が新鮮だった。
意志や考え、感情や気持ちは状況によってコロコロ変わる。

人の心というのはその奥(というか下というか)にあるもっと安定したものかもしれない。
その自分の心を見てみると、「上下観」が根強くこびりついているのに気が付いた。

こういった実際に反した観念が染みついていると、それがフィルターのようになって本心が見えない。
今は自分の内面(心)に注意を向けて、こういった事実化してしまった観念に気づいていくしかないと思う。

自分の本体というか「そのもの」から、人生の節目でメッセージが届けられてきたように思う。
きっと心がもっとクリアーなら、そのメッセージはいつも届いているのかもしれない。
鈴鹿に来て、〇〇〇で働かせてもらえることになり安心したが、自分の中の「上下観」が邪魔をして、本心というか主体性が十分発揮されないまま時を過ごしたように思う。

今回の「人生を知るためのコース」参加が、自分の心の中の観念の事実化に気づき、本心で主体的に生きていくスタートにしたいと思う。(60代男性)


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繋がりの中での安心・満足、本来の幸福な人生を探ると!
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自分の人生は,いったい何を目指しているのか。そして,実際の自身の人生は,その「目的」に適っているのか。
こんなことがこのコースではっきりとするのではという期待のもと,コースをスタートさせた。
コースが進んでいく中ではっきりしてきたことは,そもそも,自分自身,「人間の考えであることの自覚」が未だ身についていないという実態であった。
これには少し愕然とした。

意識上の自分と,実際の自分とがはっきりとしていない中で,人生の目的とは,本心とはと探っていっても,意識上のことだけがどんどん浮かび,実際は何かということがはっきりとせず,頭の中が混乱してきた。
加えて,実際はどうか,という視点ではなく,実際は何かと,あたかも答えを探すような思考を進めてきていたこともコースの中ではっきりとしてきた。
人生を知るためのコース | - |

地に足ついた、幸福な人生を生きているだろうか?

人は、生まれて自分の人生を生きる! 
どこからどこまでが自分と言えるものなのだろうか! 
ここからが自分・これが自分だと、厳密に区切れるところがあるのだろうか? 
つながりの中での存在、人にやってもらったり・甘えたり、ゆっくり観ていくと、人の中で安心出来る性質が観えてくる。
人は生きて、何する生き物なのか? 
8月12日~の人生を知るためのコースに参加した人の感想の一部を紹介します
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これまでも、自分が何者かを知るために色々な所へ行ったり、色々な方たちにお会いして自分なりに探究してきた。
今それを思うとあたかも自分の中で想像していた理想の図のパズルを完成させるためにそのパーツパーツをあちらこちらで拾い集めては、一喜一憂していただけの自分だったかもしれないとさえ思える。
それは決して無駄だったとは思わないが、随分と遠回りをしたものだと思う。
まずは今回のコースで、自分が何も知らないということを知ることがこのメソッドのスタート地点でもあり、ベースともなるところだと改めて思った。
次に、では実際はどうだろう?と色々と考えてみると、そこには自分の存在を成り立たせるための膨大な情報が織り込まれていることに改めて気づかされた。

そうするともっともっと自分を知りたいという意欲が湧いてきて、自分の内面に目を向けるようになってきて、同時に周りの人にも意識を向けるようになる。
自分の内面にある心を観てみると色んな心があり、場所や時間と共に移ろい変化しているように感じるが、比較的変化の少ない心もあるようで、それが本心というものかも知れないが、それさえも意識上の産物だとも思える。
ただその心というものの中にも反応や判断を超えた「何か」があると感じた。
自分なりにそれが「愛」というももの正体かも知れないと思った。
見返りのない絶対愛とでもいうか、相手に与えることを自分の喜びとして、お互いを生かし合おうとする心・・・・無償の愛。
本来私たち人間には、それが元々備わっていて大人になるにつれて外部からの影響をうけ、知らぬ間にそれを忘れていってしまっているのかも知れない。
しかしその外部の影響も意味のあることで、自分を知るためには自分以外のものを体験しなければ分からないと思えば、それさえも有難く思える。

現時点ですべてが明確なったわけではないが、一つの「道すじ」が見えてきたような気がする。本当に有難いことだと思う。(50代男性)
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夜、娘がどう過ごしているかな、私がいなくて寂しい想いをしていないかな、と不安・心配が起こった。
その日に「安心・安心感」をテーマにしたばかりだったので、早速、「私の今の不安・心配は意識上のものだな」と認識することが出来た。
もしかしたら、娘は私のことを忘れるくらい楽しく過ごしているかもしれない。
頭で不安を作り出して、それに捉われているより、コースに集中したい、と思った。
もちろん、娘が楽しく心地よく過ごしてくれることを願う気持ちは持っている。
私の本心は、それだろうか。それともまだ奥にあるのだろうか。
きっと、娘が心地よく過ごしていると、私は幸せなのだ、と思った。
その幸せを求める心が私の本心?

Aちゃんの話を聞いて、「(相手が求めているのは行為じゃないと分かっても)どうしたらいいのかなーって思う」と言ったら、「どうしたらいい?を考えるんじゃなくて、やっぱり相手を知るとか自分を知るとか、それをやっていくことかなー」と話してくれた。
その言葉が、ずどーーん、と自分に響いて、「なるほどー!!!」という感じだった。
人間は何をする生き物か?
「知る」生き物。
本心をよく知って実現に向かう。
意識上のものと実際のものの区別がちゃんとついていれば、実際に沿ったものを知るようになっていく。(40代女性)
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コースで時間を過ごすうちに、自分に根深く入り込んでいる観念が見えて来た。
「何か人に与えなければ愛情をもらうことはできない」
「仕事で成果を出したり、役に立たなければ、人から受け入れてもらうことはできない」
頭ではそんな考えを「ばからしい」と思いつつ、無意識のうちにそれを当たり前のように原則として行動していたように思う。
頭では全然別の所を目指して進んでいるつもりでも、心の奥底に染み付いている強迫観念に気付ききっていなかった。

自分で自分を満たすことはできない。
「自分で何とかしなければいけない」という発想を強く持ちすぎて、人から満たされる余地がなくなっていた。
心が満たされることで初めて人は健康に成長していく。
心の充足によって、自然と人に愛情が湧いてきた理、知性が働き始めたりする。
心が満たされるところから人の健康な成長は始まるのだと思う。
自分の場合、自分が満たされないまま、知性の成長や人を満たそうとすることを追い求めてきた気がする。
それはかなり無理のあることで、自分が疲れ果てるような状態にもなっていた。
そもそも、自分が満たされるとはどういうことか、そこから始めたい。

人に満たされるとか、「甘える」とはどういうことだろう。
現状の自分としては「甘える」ということに抵抗感を感じたりする。
「甘えてはいけない。自分で何とかしなければいけない。」という観念が強い。
それでも、きっと本当は満たされたくて、人に甘えたいのだと思う。
意識上では今まで特に苦労もなくうまいこと生きてきたつもりが、だいぶ無理をしていたのかもしれない。
本当は自分を追いつめていて、しんどかったのかもしれない。

そんな現状から少しずつ、人に素直に求めたり、甘えたりすることを始めてみたいと思う。(20代男性)
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何をどう捉えて感じたのか、それは客観的に観て実際に何をしているのか、どういう本音や反応が起こったのか、それは実際にどのような状態なのか・・・で、本心は何をしたいのだろうと徐々にじっくりゆっくり調べることが大切かなと今回思った。
そして、人と人とで探究しながら一緒に調べ合う探究会というのはそのような状態でそのようにしていくことに適っているということをとても認識した。

探究会で一緒に調べよう探ろうとすることに関心が出てくるのは人と人とのつながりの中での本来の人間の活力から生じてくるのかな。
若いころから「自分の適性を見出して自分を生かしたい」と強く願っていた。
能力や資格等身につけても結局うまくいかなかった・・・自覚のない状態で自分の考えやこだわりで自力で頑張ったからかな。

でもそういえば人間社会に対する関心や疑問は気持ちを我慢しながらも子供のころから子供なりにあったよな、そして気づかないけど心や知性を動かす源は強く動いていたんだろうな・・・
その根源からの生きる活力に気づく喜び・・・本当の人と人との間柄から、人間を知り人間らしく生きる営みから、人として生きていきたいし共に活かし合いたい・・・
そのような本心からの社会づくりをしていきたい・・・ゆっくりとじっくりと知る状態からやっていきたいと思う。
その中に本当の適性を見出して生きるというのがあるのかな。
人への感謝が大切だと人間の観念で言われてきたけど・・・人が人らしく生きるを知るという状態が本当のいままで出会ってきた方々への感謝なのかなと今は思う。(50代男性)
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