普段、自分の実態がチャンと見えているのだろうか?

身に付いた物差しで、自分が窮屈になっていませんか?
当然のこと・当たり前になっていることを、ゆっくり見てみる時間です。
見ていくと頑固さの元に、辿り着きます。
見るだけで硬い心がゆるくなる。
どんな感じかな? どうなっているのかな?・・・と、だれにでもある知性が働き始め、こころが軽くなっていきます。
12月15日から開催されたサイエンズスクールの「自分を見るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
img724_aki3.JPG◆笑われた・見下された、って? どうなっているのだろう?

コース中、気持ちが重くなったー自分の発言に、みんなに笑われたから、見下されたからーこれは私のせいじゃない、そうされた(笑われた)からだよ

自分がそういう反応になっているのすら気がつかなかったけれど、人の似たような発言を聞いて、そういえば自分もそうだということに気がついた。

 *人は他人に嫌にさせたりされたりすることができるとなってる。

 *気持ちが重くなるのは自分が好きでやっているじゃない、怒ったりへこんだりショ
  ボンになったり反応するのは、自分でやっている実感がなくても、自分でやっているんだな。

自分の意志じゃないものがあると、なっているのように捉える時すら自分の意志(中のもの)。(30代女性)
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◆自分の考えであることを認識した次に、自分の中の何が反応しているのかを見ると!

わかっていても繰り返し起こる反応とかは、自分の中の何に反応しているのか?
忘れていたと思っていた子どもの頃の経験で、意外と残っているものがあることに気づいたりした。

これまで何か感情が動いたときに、相手の言動や相手ついて思ったり考えたりはするが、自分の中は一切見ていなかった。

自分の中の悪い感情は、なるべく人に隠し、自分でも蓋をして触れないようにすることが多かった。

他人が入ってくることはできないが、自分が自分の中を見るのは自由だ。
心の反応は、自分の中を探検するチャンスかもしれない。(50代男性)
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自分を見るためのコース | - |

自由なる心境は、自分を知ることからの始まり!

「自由に生きたい」、これは誰にでもある本能的欲求ではないでしょうか?
教わりながら、または無自覚に身に付いた「こうするもの」「しなければならない」と観念づいた考えが、自らの行動を縛っていないだろうか?

軽く明るいこころ、主体的に、自由に生きられる人と社会の始まりは、「自分を知る」ところから!
12月9日から開催されたサイエンズスクールの「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。

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◆素直に生きる
最近、素直にやりたい、素直に生きたいと思うが、私は無意識に自分の考えに素直にやろうとしているのではないか? という問いが出て来た。
素直とは、実際に素直というか理に沿って素直な状態ではないのかな?
知性が働く、知るには自覚のある状態が不可欠ではないのかなと思いコースに参加しました。(60代女性)

◆事実・実際にしているものと理想との関係は!
自分が思ったことを事実だとした状態で。
私は長い間、事実、人間は地球を壊す存在 だとしていた。
けど、そうしていたのは自分だったなんて、拍子抜け。
でも、同時に軽くもなった。
海にゴミが…。学校教育が…。戦争が…。と問題とされている内容の話を聞くと、自分の中の“これは問題だ。” “おかしいだろ!” と捉えているものがあぶり出されるような感覚になる。
その時は、感情が揺さぶられるし、また前みたいに怒りや恐怖に囚われるのは嫌というのが出てくる。
でもたまに、そんなのおかしい。 なんとかしたい。 と、自分が捉えたことを事実として、善い悪いで裁いて、それに沿った行動をしようとする。
そんな状態の時は、何かをしたとしても、理想の方向には行かない気がする。(20代女性)

◆主体的に生きるとは!
今回、一番印象に残ったのは、人間の考えであることの自覚と観念の事実化が正反対の場所にあるんだな。
ということが、中から湧くようにというか、天から降ってくるようにというか、スーッと自分に入ってきた感覚だったこと。

自分の感覚で捉えたことが事実化の方へ向かって行き、固定された状態になっていくのか、それとも、なぜだろう? どういうことだろう? という感じで実際を知る方へ向かって行くのか。
その分岐点が日常のそこかしこに沢山あって、それを見逃してしまっていることがあるんだろうなぁ。と思う。

今までの習慣や一般の常識から、捉えたことを事実化していき、そこにまた事実化したモノを積み上げていくとあっという間にそれが事実になってしまう。
自分の中で。
そこの分岐点をつぶさに捉えて、本当はどうだろう?と観て調べていきたい。
それから、主体的に生きれているかということかな。と思う。(40代男性)
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自分を知るためのコース | - |

本当はどうしたかったんだろう?  何が言いたかったんだろう?

ゆっくりと自分をそのまま思い出し、振り返る時間が内観です。
自分自身の過去を振り返り、周囲の人から受けたものを見つめ直すことで、自分の心が膨らんでいくのを覚えます。人は、多くのものを受けて成長しているのですが、そのことの実際に気づかずにいるのでしょう。12月2日から内観コースに参加した人たちの感想を紹介します。

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◆至福の時間
「内観は知るものでなくするものです」である言葉がありましたが、まさにその通りです。
母に対する私について調べていたとき、寒い冬に早起きして部屋をあたためていてくれ、さらに私の下着をストーブにかざしてあたためてくれていた母が思いうかび、涙が流れたのですが、その時内観とは至福の時間と感じました。(60代男性)

◆無条件の愛情
今回の内観で鮮明に蘇ってきたことは、まず父母の無条件の愛情でした。
そのことをいかに当たり前とし、父母の心を軽んじ、不足を思い、恩を感じず、我をとうして来た自分だったなと、
より良い自分を見せることや、得た知識を話すこと、また収入を得て自立したり、社会的立場が上がることが、父母が安心してもらえる事だと感じて行動したり、その行動の日々の中では、父母の心情を思うことなく、全く独りよがりの、自分でした。(60代女性)

◆おばあちゃんから受けていたもの
例えば、東村山に住んでいた時、おばあちゃんが毎日ご飯を用意してくれた。
“あらわれ”からすれば、「毎日ご飯を作ってもらう」という行為が見える。
ただ、その時受けているものは何なのか、ということを考えた時、“あらわれ”として目の前に出されるご飯の奥に限りない奥行きを持った背景があるように思われた。

おばあちゃんはもう高齢で体を動かすのも一苦労で、いつも「腰が痛い」「しんどい」「疲れた」とこぼしていた。
そんな中で、僕が食事を必要とする時はいつも自転車にフラフラと乗ったりして買い物に行き、温かいご飯とおかずを用意してくれた。
時には連絡の行き違いでご飯を作っても僕が帰って来なかったり、家にいなくて、せっかく作ったご飯が無駄になることもあった。
でもそんなことがあっても、僕に不満を言ったりもせず、次の日も「辛い辛い」と言いながらご飯を作ってくれたりしてた。

僕がおばあちゃんから受けていたものはその奥にあるとてつもないエネルギーのようなものだったようにも思えてくる。
おばあちゃんの中の何かがおばあちゃんを動かしていて、それが物理的な作用としておばあちゃんの様々な動きとして現れ、最後の結果として僕の目の前に料理として出される。
そこまでの人の行為を成り立たせるもの、原動力となるものとは何だろうか。
僕が人から行為を受ける、と言った時の本質的な部分は、そういう行為に現れる前の心の働きにあるように思われた。(20代男性)
内観コース | - |

鈴鹿ファームで収穫される野菜

鈴鹿ファームで収穫される豊富な野菜と、サイエンズアカデミー生の若者とCEO係り。
鈴鹿ファームで野菜を育てながら、人として心の成長に焦点をあてる暮らしをしています。
この時期、豊富に収穫される野菜は、地元のスーパーで販売したり、おふくろさん弁当のおかずにも調理されています。
サイエンズスクールの食事は、基本、このおふくろさん弁当が用意されています。
繋がりの輪の中に、サイエンズスクールの学びの場はあります。

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現在、サイエンズアカデミー生として学んでいるタッキーこと岡田拓樹さん。社会問題と向き合い活動してきたタッキーが今、なぜ、鈴鹿にいるのか、アカデミーブログに綴っています。今、本当は自分たちはどんな世界に暮らしているのか・・・ちょっと長い文章ですが、是非ご一読を!次のアドレスをクリックして下さい>>>http://www.scienz-school.org/blog/academy/log/eid5.html
サイエンズアカデミー | - |

自分らしく自由に生きたい‥‥誰にでもある願いが叶えられる社会を探る!

「だれもが自由に生きられる社会って?」
「縛られるものが一切ない社会って?」
「誰の中にもある自由欲求を満たしながら暮らせる、正常・健康な社会って?」
サイエンズスクールの「社会を知るためのコース」は、正常・健康な、本来の社会を探る機会です。11月25日から開催されました。参加者の感想を一部ですが紹介します。

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◆一気に、こどもに戻ったような感じ。心が穏やかになり、気が楽になった。

「自分らしく、自由に生きたい」と多くの人が願っているけれど、
現代社会で生きてきた過程で長年染み付いた自分の意識を変えるだけで良いんだ、と理解できて気が楽になった。

罰則、責任、権利、義務という、現代社会にある概念が、ひとりひとりに「~すべき」「~してはいけない」「~しなければならない」「やらせる」という服従意識を植え付けていることを知って、強い衝撃を受けた。

事件が起きるたびに、罰則が強化され、義務、責任が増え、責められる機会が増える。
誰かが権利を主張するたびに、表裏一体である義務が増え、責められる機会が増える。
責められる機会が増えると、それを守らなければならないという責任感、精神的負担が増える。
自分だけでなく、他人にも、罰則、責任、義務を守らせようとする。

責める、叱るという行動が、親から子へ、先生から生徒へ、先輩から後輩へ、上司から部下へと伝わり、それが連鎖することで、世代を追うごとに、恐怖、不安、ストレス、自信喪失、自主性低下、無気力、服従意識が強化されているように思う。

みんなが望んでいるひとりひとりが人間らしく自由に生きる社会は、ひとりひとりが自発的自由意思で行動出来るようになることが出発点になる。(40代男性)


◆実際の世界にはない、所有・権利・義務。その概念を調べることで現状の人の中身を垣間見ることができた気がした

自由を好み、自由を求める人間が、自ら同族の足を引っ張り共に服従の世界に収まろうとしている姿。
意識では権利があれば自由が増えたような感じだが、権利の裏は人を服従させることだと知らないために、広まれば広まるほど自ら服従の機会を増やして行くことになると思う。

服従状態の心から創る社会ではなく。
自由状態の心から本来の社会を創っていけるのかな。

人のための社会とは、要求が満たされる社会とは、と探っていくとやはり自由平等というのがベースでそこから人を聴くというか、一つを聴くというか。
心の状態に関心が行く状態か。
すぐにやることにいくということではなくて、ほんとうにやろうとして聞くという感じかな。

そこに本来の、理想の社会ができていくように思った。
コミュニティー創り、職場創り、家庭もそうだろう、社会に自分にしなければならないことがない。
そうなって本当の発揮がはじまる感じかな。(30代男性)
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◆これからどんな風に生きていきたいのか,どんな社会で生きていきたいのか。そういうことを考え続ける一週間であった。

当然に,自由でありたいと思う。当然に,良質な人間関係の中で生きたいとも思う。また,人は,社会の中で活き,活かされるという感じもした。

そういう願いを阻害しているものの正体は何か。
コースではそういうところから探ってみた。
すると,その正体は,一言でいえば恐怖や不安による行動抑制や自己規制,自分を守るための他者への攻撃等々であるように思える。

少し丁寧に振り返ってみたい。・・・・・(長くなりますが全文です。お読みください)
社会を知るためのコース | - |

自分の内面・気持ちや心をみてみると? 本心は?

教え込まれ・覚えたりで、ここでは「こうしてはいけない」「こうするもの」と自分を縛り・相手を縛って、いませんか?
常識や慣習が蓋になり、気持ちや、こころが、本心が見えなくなっていませんか?
ただ見ていくと、観ることで、気づくことがある、気づきから「知る」世界へ、本心・本来を「知る」知り合うお互いへのスタート・・・見ることからの出発。
サイエンズスクールの「自分を見るためのコース」に11月23日から参加した人の感想の一部です。
紹介をします。(絵はスクール会員の船田武さんのです)

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今回のコースでは自分の内面を観察しようとした。
自分は、その時その時何が起きてるだろうと観察することで、人間として実際どのように生きているかが見えるようになって行くかなと思った。
誰かから声をかけてもらって、どんな反応しているかとか、相手が俺に何かを求めているか行動を見て、どんな反応を自分がしているかをずっと見ようとしてきた。
その時その時、自分の内面で何が起きているかをその時を見るっていう練習してた。
何かを言いたくなると思ったら、それを観察する。
何かの反応が出て来たら、それを観察する。
見て、聞いて、どんなように反応したことなのかを観察しようとする、自分を見るためのコース。(30代男性)

今回は自分の体験の実例を通して、自分の「捉えたこと」そこからくる反応について、何度も繰り返して調べることに集中した。
反応が起きたことの元に、自分の捉えたことがある。
そこを調べていくと、その時の自分の人間観・社会観・世界観がどうなってるか見えてくる。
電車のなかでの実例だったんだけど、「電車の中の人」っていうのに、警戒している自分の状態があった。
知らない間に、急に発動している。
でも、これはいろんなところで、ちょこちょこ起きてる反応だと思う。
見えてくると、やっぱそこだよなあって感じ。
でも日常は起きてる反応を、何とかしようということに、いまだに相当なエネルギーをかけてると思う。
今回のコースで、人の成長・自分の成長は、人間観・世界観を深めていくことが、絶対に欠かせないということが、自分の観察から起きてきた。(40代男性)
自分を見るためのコース | - |
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