自由な人生への出発は、自分を見て、そのまま捉えるところから・・・

心の解放は、見て、気づいて、自分の実際を「知る」ことで、自然に起こります。
「こうするものです」と言われて育ち、しなければならないものが、いっぱいできた育ちをしていませんか?
「しなければならない」もので、自分を無意識に縛っていませんか?

参加者でともに探り、一人一人自分を見ることは、自由なる道を歩みだす元を「知る」機会です。

10月19日から開催された「自分を見るためのコース」参加者の、感想の一部を紹介します。
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◆自分を見る練習で、反応の元がハッキリ見えると・・・
そのまま見る。
ただそれができたらいいだけなのかも。
自分を見るというと反応や考えが自分の中であると知識的理解をしてそこから反応を見るのかとイメージがあったと思う。

え…見るというのは人間の考え・自分の考えということをはっきり知らないとできないなと思っていた。
反応に反応しているからさらにそこにアプローチするの?
難しいまるで無限ループでできないもののように感じていた。
どうせ見ようとしても自分では自分を見れないで人に出して気づきがあってやっと自分が見れるんじゃんひとりで見るの無理じゃん。
自覚ないと見れないじゃん。
そうでもなかったみたい。

ただそのまま見る。
とても簡単で人間が正常健康な方に向かう方法。
良い・悪いという考えがあっても見ることはできる。
固い人間の考えが頑固な状態にしていても見れる。

見る練習をすることによってどんどん自分の中で起きている反応だなとはっきり捉えらるようになる。(男性20代)


◆見ていくと、考えで固定し、自分を縛る反応にに気づく
「自分を見る」ことは、自分を大切にすること。
そう感じています。
10年ほど前に「私はこう思う」ということがよく分かっていなかったんだな、と気づいたことを思い出した。
世間や社会で正しいとされていることを、「私はこう思う」ということはしてきたけれど。

そこにあてはまらないもの(考えや反応)はよくないものだ、という思い込みがあったので、自分がどのように見て聞いて、反応しているかということを意識することがなく、分からずにいたのだなと感じている。

今回のコースを受け、新たな気づきを得ながら、判断せずに観察することの感覚がつかめてきたように思う。(男性40代)20181127_111415-500.jpg
自分を見るためのコース | comments (0) |09:54

普段、自分の実態がチャンと見えているのだろうか?

身に付いた物差しで、自分が窮屈になっていませんか?
当然のこと・当たり前になっていることを、ゆっくり見てみる時間です。
見ていくと頑固さの元に、辿り着きます。
見るだけで硬い心がゆるくなる。
どんな感じかな? どうなっているのかな?・・・と、だれにでもある知性が働き始め、こころが軽くなっていきます。
12月15日から開催されたサイエンズスクールの「自分を見るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
img724_aki3.JPG◆笑われた・見下された、って? どうなっているのだろう?

コース中、気持ちが重くなったー自分の発言に、みんなに笑われたから、見下されたからーこれは私のせいじゃない、そうされた(笑われた)からだよ

自分がそういう反応になっているのすら気がつかなかったけれど、人の似たような発言を聞いて、そういえば自分もそうだということに気がついた。

 *人は他人に嫌にさせたりされたりすることができるとなってる。

 *気持ちが重くなるのは自分が好きでやっているじゃない、怒ったりへこんだりショ
  ボンになったり反応するのは、自分でやっている実感がなくても、自分でやっているんだな。

自分の意志じゃないものがあると、なっているのように捉える時すら自分の意志(中のもの)。(30代女性)
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◆自分の考えであることを認識した次に、自分の中の何が反応しているのかを見ると!

わかっていても繰り返し起こる反応とかは、自分の中の何に反応しているのか?
忘れていたと思っていた子どもの頃の経験で、意外と残っているものがあることに気づいたりした。

これまで何か感情が動いたときに、相手の言動や相手ついて思ったり考えたりはするが、自分の中は一切見ていなかった。

自分の中の悪い感情は、なるべく人に隠し、自分でも蓋をして触れないようにすることが多かった。

他人が入ってくることはできないが、自分が自分の中を見るのは自由だ。
心の反応は、自分の中を探検するチャンスかもしれない。(50代男性)
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自分を見るためのコース | comments (0) |07:12

自分の内面・気持ちや心をみてみると? 本心は?

教え込まれ・覚えたりで、ここでは「こうしてはいけない」「こうするもの」と自分を縛り・相手を縛って、いませんか?
常識や慣習が蓋になり、気持ちや、こころが、本心が見えなくなっていませんか?
ただ見ていくと、観ることで、気づくことがある、気づきから「知る」世界へ、本心・本来を「知る」知り合うお互いへのスタート・・・見ることからの出発。
サイエンズスクールの「自分を見るためのコース」に11月23日から参加した人の感想の一部です。
紹介をします。(絵はスクール会員の船田武さんのです)

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今回のコースでは自分の内面を観察しようとした。
自分は、その時その時何が起きてるだろうと観察することで、人間として実際どのように生きているかが見えるようになって行くかなと思った。
誰かから声をかけてもらって、どんな反応しているかとか、相手が俺に何かを求めているか行動を見て、どんな反応を自分がしているかをずっと見ようとしてきた。
その時その時、自分の内面で何が起きているかをその時を見るっていう練習してた。
何かを言いたくなると思ったら、それを観察する。
何かの反応が出て来たら、それを観察する。
見て、聞いて、どんなように反応したことなのかを観察しようとする、自分を見るためのコース。(30代男性)

今回は自分の体験の実例を通して、自分の「捉えたこと」そこからくる反応について、何度も繰り返して調べることに集中した。
反応が起きたことの元に、自分の捉えたことがある。
そこを調べていくと、その時の自分の人間観・社会観・世界観がどうなってるか見えてくる。
電車のなかでの実例だったんだけど、「電車の中の人」っていうのに、警戒している自分の状態があった。
知らない間に、急に発動している。
でも、これはいろんなところで、ちょこちょこ起きてる反応だと思う。
見えてくると、やっぱそこだよなあって感じ。
でも日常は起きてる反応を、何とかしようということに、いまだに相当なエネルギーをかけてると思う。
今回のコースで、人の成長・自分の成長は、人間観・世界観を深めていくことが、絶対に欠かせないということが、自分の観察から起きてきた。(40代男性)
自分を見るためのコース | comments (0) |13:25

素直に見て、聴ける、知的な人へ~自分を見るためのコース

自分自身に対してや、日常の物事の観方や捉え方は、それぞれの価値観・人間観・社会観などを物差しして判断しているのだと思います。

その物差し自体は、自分に身に着いてしまって、日常では自覚することもなく、当然のようになっていることが多いと思います。

その物差し自体を観察して、客観的に調べられるようになることで、キメつけや頑固さから開放され、素直に自分自身や物事を見ることが出来るようになるでしょう。

10月「自分を見るためのコース」に参加した人のレポートの一部を紹介します。



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普段の暮らしから離れて、自分の中に目を向け、つぶさに観察する日々を送った。

「見る」とは、どんなことをやっているのか、どう捉えているのかを「知る」機会になったと思う。

常に自分にベクトルを向けていると、ゆっくりコマ送りに観察する「眼」が養われて行ったように思う。

目はどんなふうに対象を捉えているのかを、図で表されたのを見ている時点では、頭での理解。

いろいろなエクササイズの中で、壁掛け時計を検討会室に持ってきて、逆さまに置かれたのを見たとき、自分の中で、「時計」にする瞬間があるなと気がついた。

それは、とてつもなく瞬時に起こるので、捉えるという実感はなかなか掴めない感じだけど、自分が「それ」を「時計」に「した」から、「あ、逆さまだ」とか「止まっている」とかの反応が出てくる。そのものは、「時計」でも何でもなく、クオーツとかプラスティックとか呼んでる物質が組み合わさってなんらかの動きをしている。

それを、「見て」→「時計にして」→「逆さまだ」という順序に自分の中で起こっている。

自分の例で、面白かったのは、夜中に目が覚めて考え事をしていた時、ぼやーっと部屋の中のものが黒く見えている。暗闇に目が慣れてくると、昨日までの記憶から「これはタオルかけ」だとか「これは電気」だとかに「する」瞬間があり、そのように見ている。

お風呂に入るときに、脱衣かごに布がかかっているのを見て、「足ふきマット」とする瞬間があり、「昨日敷いてあった場所に敷こう」と動いている。

「見る」の中には、○○に「する」瞬間が組み込まれている。

自分の中の知識や経験や記憶のデータからそれは一瞬にして起こっている。

○○にしているのは自分だから、当然そのものではないわけで、自分で○○にしたものを見ている状態。

この一枚が加わり、その瞬間を実感すると「自分が捉えているんだ」と強く思い込まなくても、自然にスーッといく感じ。

コースが終わり、久しぶりに見る街並みには、目を刺激するようなものがたくさんある。

今までの習慣ですぐに反応のほうに引っ張られる感じだけど、「○○にする」瞬間を実感するには、常に自分の中を見ている「眼」を鍛えていく必要があるのかな。(60代女性)



ボードの文字を見てそれがボードに書いてある、意味がボード側にあるなとなっているのか、それとも見て像を捉え認識した、が自分側にあるとなっているのか。

自分がそう見た、読んだ、読み解いたとなっているのか。

意識と行動の関係は、自分がそうしようと思って行動していたりするが、その行動自体だけを見るとそうしようと思ったことと別のように感じた。

料理しようと思って料理した。とか、自分が料理していると思いがちだが、実際には手足を動かしているだけ。それしか出来ないとも言えるだろう。

あの人が面白いことを言って笑ったのではなく、自分が聞いて、面白いと感じて、自分の中で笑いが起きている。

五感で捉えるもの全てがそうなのだなと思った。

○○さんに言われたとなっているのは相手の事がわかっている感じがする。

「思われる」とか「言われる」とか「○○された」とか果たしてそんな事が出来るのだろうか?

自分が主体となっているとそういう表現すら出てこない感じがある。



ナニカを見て、聞いて自分の中にあるものとそのものの要素が組み合わさって、自分で認識しているのだろうか・認識?自分が判断しているのだなと思う。

捉える→推測ではなく、よくよく見ていき、「なぜそうしたのか」と問えば自分の中で何が起きていたのか一つ一つある気がする。

そこが大事なポイントのようにも今の自分は思う。

なるようになっている世界では自然とそのものや本質的なものに関心がいく感じがする。この「自分を見る」のベースがハッキリとしていると自然とそうなるのではないかな。

意識しなくても、そうなっている状態。

コースに通ったら出来るわけでも知識を詰め込んだから出来るわけでもなんでもない気がする。

言うてみればただ人間の元々もっている仕組み通りに生きていくだけなんじゃないか?と思うと、今は複雑に絡み合いすぎてよくわからんちん状態となっている。

その元々の状態に気づいていく、知っていく。それに尽きるのではないかな。

なにかを得たい、分かりたい、知りたいとなるのは人間の本性な気もする。

それは自分の中に新しい知識を入れるのではなく、自分の中にある元々の状態に気づいていくのが自分を知るや自分を見るということなのだろうか?(30代女性)
自分を見るためのコース | comments (0) |13:21

自分を観察してみよう。~ 自分を見るためのコース

自分自身に対してや、日常の物事の観方や捉え方は、それぞれの価値観・人間観・社会観などを物差しとして判断しているのだと思います。

その物差し自体は、自分に身に着いてしまって、日常では自覚することもなく、当然のようになっていることが多いと思います。

その物差し自体を観察して、客観的に調べられるようになることで、キメつけや頑固さから放たれ、素直に自分自身や物事を見ることが出来るようになるでしょう。

7月「自分を見るためのコース」に参加した人の感想レポートの一部を紹介します。



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「自分が何を見たのか?」  道

「そこから何を捉えたのか?」  家へ帰る道

「反応は?」  安心

普段、見たものと反応がごちゃごちゃに混ざっていたり、自分が特定の捉え方をしていることを忘れたりしている。そしてそのまま、それが事実だと思い込んだりする。それを繰り返しているとだんだん視野が狭くなっていったり、自分を追い込んでいったりするのかな。

あとは、「見る」ことを妨げる一つの要因として善悪という話もあった。

自分の捉え方や反応に良い悪いを考え始めると見えにくくなる感じがある。

こんな捉え方をするのは良くない、とか、こんな反応をしては良くない、みたいな。

捉え方や反応そのものに良いも悪いもない。

怒るのが悪いとか、そういう話ではない。

反応や捉え方はいろいろしていて、それをどうこうしようという前に、まずはそのものを見てみる。

そこから始めることで、自分の捉え方の癖を自覚できたりするんじゃないかな。(20代男性)



○○さんを見て、イラッとする反応が出た。

その時点では、○○さんの言動に反応したようだった。

けれども、自分の中で起きたことを見てみると、自分の捉え方があるのが見えてきた。

自分が、○○さんをどう捉えているのか、ひいては、人というものをどう捉えているか、にも通じると思った。

「こうしよう」となったら、相手はそうするものとか、そうして当然とする捉え方。

逆に言えば、自分はそうしなくてはならない、そうしないのはよくないとする捉え方。

まずは、こういう捉え方をしている自分だということ、このことをじっくり見ることができた。

こういう自分の捉え方という自覚があるということ、ここから始まると思う。

これから、自分に起きてくる反応を見てみるのが楽しみだ。(60代男性)



赤信号は止まるもの、交通ルールだから、しかし、やはり、自分の中では、赤信号は止まらなければならない。

と思っている自分がいる。

だから、赤信号を見ると、ちょっと、不愉快な気持ちになる。

そう反応している自分に対しても、何か認めたくない自分がいる。

事実を受け止めるんだとか、ささいなことに動揺しないとか、そういう考え方が自分の素直な反応を見ないように、制御している自分がいる感じもある(分析だから、そうとらえるのも自分の考えの方)。

この微かな動揺は、人に対して起こっている。

人の行為を分析してみたくなるのは、自分の反応の仕方を納得・理解したいからか・・納めたいと思うからか。

みんなが自由奔放にしていたら、何か自分の気持ちが収まらない感じがある。

「ただ、見る。」

「ありのままを見る。」

「どう反応しているか見る。」

「どのように捉えているか、見る。」

まずは、素直に自分の中に起こっていることを見てみたいなーという感じ。(50代男性)
自分を見るためのコース | comments (0) |11:19

自分をそのまま見ると

「自分」を観察してみましょう。

私は、何を見た?そして、どう思った? 

私は、今、何を思って、なにをやろうとしている?

その都度の自分の状態(言動 感情 気持ちなど)をそのまま見てみると、自分のホントの気持ち、自分の願っていることが、見えてくるかもしれません。

6月「自分を見るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。



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「自分を知ること」を実現していくために「自分を見る」ということをやっていく、と聞いて、始まる前から楽しみでした。

「自分を見る」という事を一つ一つ丁寧に進めていくこのコース。

自分の考えている事がどのようなプロセスで正しい、とされていくのか?

自分が、実際にどこで引っ掛かったり、嫌な思いが湧いたのか、などがほんの少し明らかになったように感じます。

「掃除することになっている」「探究会は9時スタートと聞いている」

など、聞いたら当たり前になんの疑いもなくやっている事について、

自分の意志は?自分の気持ちはどうなっているのか。

なぜルールのように感じている事については、そのままに行動しようとするのか。

その中身はどうなっているのか。

行動する度に、自分の中を見ようとするようになってきました。

「自分は何をやっているのか?」「何をやろうとしているのか?」「実際には何をやっているのか?」

無意識にやっていることってたくさんあります。

むしろ無意識にやってることの方が多いくらい。(30代男性)



「見る」とはどういうことなのか。

過去や現在の自分の中で起きていることに意識を当てる。

何かを見て、聞いて、自分なりに捉えて、反応が出る。

反応が現象として現れ、意識で感じることができる。

その反応を手掛かりに自分がどのように捉えているか、何を見て、聞いているのかを探っていく。

言い聞かせようとしたり、考えを展開しようとするのではなく、今の自分の中に起きていることを見ていく。今のところはどうすればそれができるかがわからない。

そこに今興味が湧いている。(30代男性)
自分を見るためのコース | comments (0) |17:03

自分のことであるという自覚

「自分が聞いたこと」は、「相手が言ったこと」でしょうか?

「自分は、○○と聞いた。」ということでしょうが、「あなたは、○○と、言ったじゃないか」と、相手を指摘するような経験がありませんか?

「自分が聞いたこと」を、事実だと思い込み、違う意見は、否定したくなります。今の争いごとの多くは、ここから来ていると思います。自分の感覚で聞いたこと、自分の感覚で見たことであるから、個々の捉え方の違いであるとの自覚があれば、それぞれに違いがあって当然だと思いませんか?

7月「自分を見るためのコース」参加者の感想をどうぞ!



「自分を見るとは」というテーマで、ずっと調べながら、私は随分自分に関心がなかったことに気づきました。

「自分が聞いた、見た」としていることの中身は、自分に「見えた」「聞こえた」だったのか!

知っているつもりになっていましたが、見えた、聞こえたことを、見た、聞いたどころか、ゆるぎない事実のようにとらえている自分がいました。

「聞いた」と「聞こえた」の探究で、「自分が聞きたいように聞いてる」といったことが、心に響いてきました。そうだなあ、聞きたいように聞いてるんだ、じゃあ、わたしはどのように聞きたいのか?そこに、関心を向けると、本当の自分の心がもっと見えてくるのではって、今はそう思っています。(50代女性)



見て、聞いて、反応するまでの一瞬の間に、頭の中では、今までの経験や常識、記憶、情報、価値観などにものすごいスピードで照らし合わせて反応している事が分かり驚いた。

これは帰って来てからの事だが、知るためのコースを受けた後は、「実際はどうか」と言う観点で日常の出来事を見て来たが、見るためのコースを受けた後は、私は何に照らし合わせて(捉えて)反応したのか?と言う観点から自分を見ている事に気付いた。

昨日、いつもだったら混乱したり怒ったりする出来事を、相手がどういう気持ちで言ったのかを理解した(聞いた)ら、ただ「あなたはそう捉えたのね」と思っただけで、感情が乱れる事がなく驚いた。

私の中で何が起こったのだろうか?

相手が話している内容が、私の事を言っているのではなく、相手が捉えた事を話していると認識したからだろうか?

なぜか楽チンな自分がいた。

自分を見て行くと、今まで無自覚だった自分の気持ちに気付いたり、私って~だと思ってこうしているんだ、と気付くとちょっと楽しいと思っている自分もいる。

何を捉えて反応したのか分からない事の方が多いけど、実際自分の反応が違ってきている事を感じているので、「何かが」変わったのだろう。

まだまだ探究を続けて行きたい。(40代女性)
自分を見るためのコース | comments (0) |18:14

「見る」とは、

今回は、「自分を見るためのコース」に参加した方の感想を紹介します。

「自分を見るためのコース」は、「自分を知るためのコース」を受講した人が対象の、3泊4日の集中コースです。

そのものを知るためには、<見る><そのまま見る>ということが、ポイントになります。

自分についても、物事や人に対する自分の観方・捉え方を客観的に見られるようになることで、知らないうちに、自分の中でキメているものに気づき、そのものへの関心、知性が働き始めることでしょう。



   *  *  *



「自分を見る」と「自分のことを思う、考える」

これが全く別の行為?であることに、とても新鮮な感覚を感じつつ始まった、久しぶりのベーシックコース「自分を見るためのコース」だった。

それぞれの人が出すたびに、その都度「それは考えて言ってんの?それとも、見て、言ってんの?」というスタッフからの問いかけもあって、自分の中で「自分を見る」が成されているかを押さえつつ、それを言葉にして、出したりしながらシンプルにやっていけたように思った。

反応を後から見てみると、捉え方にすでに事実化が潜んでいて、結果、反応もそれに伴った反応になっている。これはこれで調べる材料にはなっていくとは思うけど、後手後手感?が否めない。

日々、常に「見る時、聞く時」自分は何をしてるのか、自分の中に何が起こっているのかをしかと見た時、〝自覚”が自然と生まれてくるのではないかなと思った。(40代女性)



今の私はどのように物事を捉えて、世界を見ているのだろうか。毎日、見て、聞いて、起こる反応に糸口がある。実際の世界と私の中での認識の世界との区別、そして自分の中の世界で起こっていることについて客観的に見ていくこと。

まずはここから始まる。その次に、このすべてのことを通して、「結局、何をしようとしているのか」という人生の目的、すなわち、人間らしく生きるための方向性について、より明らかに見出したい。今の私って、この2つの作業、「どこが出発点なのかを見つけて、その前に立つこと」と、そこから一歩一歩前へ進むため、「足を踏み出す明確な方向を知ること」をやろうとしているところだと思う。

霞んでいた視界が一層、鮮明になってきた感じがする。希望的だ。(30代女性)



今までの普段の自分は何かに反応したあとの頭でいろいろ考えていることに振り回されてることが多いんじゃなかったのかなと思う。そこで自分で自分を納得させたり、押さえ込んだりして終わらせようとしたり、嫌なことはまた起きないように気をつけるようにしたり対処的に処理してた気がする。

そういういろんな考えが出てきた一番元の反応を見つめていくことで、今までとは違うことになっていくんじゃないかと思った。(20代男性)
自分を見るためのコース | comments (0) |13:18

自分の状態は、どうなっているのだろう?

私たちは、自分なりに、五感で捉えたことに反応して、暮らしています。捉えたことは、その時々のものだけでなく、過去に捉えたもの(知識や体験など)も大きく関係しているでしょう。

自分が、自分なりに捉えているわけですが、自分が捉えたことを事実、実際であるかのように思い込み、そこからいろんな感情が生じて、怒りや争いになっていることが多いと思います。



5月の「自分を見るためのコース」に参加した人のレポートの一部を紹介します。



自分を見てみると、自分が見たり聞いたりしたことが実際のことのようになって暮らしているのがはっきりした。

ときどき修正しようとしているけれど、ほんとうにここのところをはっきり自覚することが、人と人のあいだの壁をなくし、親しい間柄になるための大事な要素と思えた。

ここのところがお互いにはっきりしたら、何を言われてもその人が捉えたことを言っているのであり、自分が捉えたことを言っているということで、同じと思われることを見ていても反応は異うわけだから、どうしてそう思うのかもっと聴いてみたくなる様に思う。

対立や争いのない社会はこの基本的な、子供にもすぐに理解できることを、実際に顕していくことかなぁ~と思う。(50代 女性)



自分が普段、何を見て反応しているか?

目に飛び込んだ物、手で触れた物・口で味わった物など一瞬にして、自分で、実際として、捉えてしまう。

事柄に追われて立ち止まって考える余裕がないと思っていたが、「事柄に追われる」は自分の中に実際あるのだろうか?自分の中で何かに反応して、そう思っているだけの気がする。

自分の外にある物に対して事実化している以上、自分の中にある経験・記憶・知識などに合わないと、不安になったり、相手を責めたりする、元になるような気がする。

「自分の中の反応だ」という自覚が必要ではないかなぁと思った。(50代 男性)



どんなにはっきりこうだとしてみたところで、自分独自の捉え方で反応しているだけ。<洗ってないお風呂>と、捉えた私の歴史が見える。(ちょっと大げさかな?)こんなこと考えていたら自分がいとおしいっていうか、かわいいなと思えた。自分独自と思えたら、なんか自分に興味が湧くっていうか。周りの人にもその人の一言に人生があるのかなと。

自分も人に対して重くなるのは、自分の中で起こっている自覚がない状態(実際になっている)からきているのかも?

探究会をとおして、明るく霧が晴れていくように心も軽くなってくる。自分の反応の事例を出し合って、笑いとばして、検べていくって楽しいな!こんなこと日常でやりたいなぁ。 (60代 女性)
自分を見るためのコース | comments (0) |14:04