幸せな人生、誰もが願う「幸福に生きる」ことを探る!

人と人、繋がりの解明が「幸福に生きる」人生の道筋を、明らかにさせる。
「こころ」へのアプローチや探究が、「こころ」の世界の繋がりや広がりを明らかにし、誰にとっても、明るく・軽く・穏やかで「幸せな人生」を生きるスタートになる。
サイエンズスクールが開催した、9.8~の「人生を知るためのコース」参加感想の一部を紹介します。
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何気ない自分なりの見え方、奥にある本心を気付くとは?
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一つという観方・・・数年前の朝、男の子に〇〇高校はどこですかって聞かれた。
私は知識を総動員して答えた。

行ってしまってから、あっ、今日は高校の受験日の日だって思った。
なんだか、ちゃんと行けたのか、とても心配になった。
普段の見え方は、別々に捉えている様でも、とっさになると何とかしたいって気持ちが動くんだなって思った。

こっちの方が、考えとか入ってない本体なのかもと思う。
もっともっと、本心、本体を知りたい(50代女性)


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怒り・恐怖心、感情の元の、心の状態を見ていくと!
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怒り自体に反応してるのではなく、怒りに対しての恐怖のようものが自分の中にあってそれに反応してるように思えた。
だから〇〇さんが、いざ怒った状態になったのを見ると、だいたい逃げたり避けたりするか、怒らないで欲しいというのを必死に伝える感じもあって身を守る反応の現れのように思う。
怒りに対して恐怖のようなものが特になければ、怒ってて居心地が良くないというのはあっても、身を守る反応のようなものも無いように思えた。

〜できない、言えないというのも、恐怖心から来ているような感じもした。

現状の自分の人の観方が、感情とか気持ちとか欲求とか、現れたものをその人としている自分がいる気がする。
感情や気持ちなどは、自分の中に湧いてる感じもあってか自分そのものと思いやすい気もするけど、自分の外に現れてるものだよな〜と調べていくうちに思えた。

怒りをその人ではなくその人から現れたものという観方だったら、怒りが現れてるけどその人の心の状態はどうだろう?と、もっとその人の心に関心がいくようにも思うし、本心というのがハッキリしていたら怒りの現れがあって色々言ってても、その人自身本当にそうしたい訳じゃないだろうという感じで、怒りに対して嫌になってもその人を嫌になることはないように思う。

現れたもの と その人、の区別がついてなく、現れをその人としているような観方になってるように思えた。(20代男性)


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観念のフィルターをはずし、奥にある本心を生きることが、主体的な生き方へ変わる!
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これまで内面に関心を向けるというのは、その人の意志や考え、感情や気持ちに関心を向ける事のように思っていた。
しかし、それらは「自分」の外に「あらわれたもの」ではないかという見方が新鮮だった。
意志や考え、感情や気持ちは状況によってコロコロ変わる。

人の心というのはその奥(というか下というか)にあるもっと安定したものかもしれない。
その自分の心を見てみると、「上下観」が根強くこびりついているのに気が付いた。

こういった実際に反した観念が染みついていると、それがフィルターのようになって本心が見えない。
今は自分の内面(心)に注意を向けて、こういった事実化してしまった観念に気づいていくしかないと思う。

自分の本体というか「そのもの」から、人生の節目でメッセージが届けられてきたように思う。
きっと心がもっとクリアーなら、そのメッセージはいつも届いているのかもしれない。
鈴鹿に来て、〇〇〇で働かせてもらえることになり安心したが、自分の中の「上下観」が邪魔をして、本心というか主体性が十分発揮されないまま時を過ごしたように思う。

今回の「人生を知るためのコース」参加が、自分の心の中の観念の事実化に気づき、本心で主体的に生きていくスタートにしたいと思う。(60代男性)


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繋がりの中での安心・満足、本来の幸福な人生を探ると!
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自分の人生は,いったい何を目指しているのか。そして,実際の自身の人生は,その「目的」に適っているのか。
こんなことがこのコースではっきりとするのではという期待のもと,コースをスタートさせた。
コースが進んでいく中ではっきりしてきたことは,そもそも,自分自身,「人間の考えであることの自覚」が未だ身についていないという実態であった。
これには少し愕然とした。

意識上の自分と,実際の自分とがはっきりとしていない中で,人生の目的とは,本心とはと探っていっても,意識上のことだけがどんどん浮かび,実際は何かということがはっきりとせず,頭の中が混乱してきた。
加えて,実際はどうか,という視点ではなく,実際は何かと,あたかも答えを探すような思考を進めてきていたこともコースの中ではっきりとしてきた。
- | comments (0) |15:53

固定した考えで、自分や人を縛っていないだろうか?

人間の人間らしさは、知性の働きと心の働きから、現れるのではないだろうか?
人間の頭脳が作り出したフィックション(貨幣 時間 国境など)を共有することで、合理的な便利な暮らしを手に入れた。
が、自分で、作りだしたフィックション(貨幣 時間 国境など)で自分自身を縛ったり、お互いを縛り合う窮屈な暮らしになっていないだうか?
ゼロからの探究によって、縛り合う社会から、自発的で、自由な社会への道が、「自分の考え、自分の感覚であるという自覚」から始まる事が観えてくる。
9月2日~のサイエンズスクールの「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。
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人間の考えを知る → 「自覚と主体性」
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ブラジルや韓国、鈴鹿・八ヶ岳から集まったメンバーで、何を言ってもいい安心の中でかっこつけないでリラックスして出せたような気がします。

長女が濡れたバスタオルを丸めてあちこちに置きっぱなしにするのを見て、「もう!また!」と思うなぁ。
「感覚がちがうのね」では済まない感じ、大きい家、古い家、かわいい赤ちゃんなど、日常ではそのもののことを言っているな。
何かとの比較でそう言っている私の感覚のことだなぁ。
玄関で靴を脱ぐとか、そういう場所そういうものだからそうしてるという感じだと、まるで選ばされたような感じで、させられる感じになりやすいのかもと思った。
もしかして、これは主体性のテーマにつながってるのかな? と、2日目に思った。
忙しそうだから、声をかけれなかったのか、自分がやめておこうと思ったのかでは、だいぶ違うなと思った。
自分がやっている自覚がないと、やらされている感じになり、主体的でなくなるんだなぁ。
機嫌が悪いと判断したり自分のせいと思ったり、自分独自の回路があるなぁと思う。

実際とは何だろう。
「人間の考え」と知らないとルールや規則に振り回されて、何のためにやっていたのかわからなくなり、主体を失うと思った。
人間の考えであることの自覚がないとどうなるか? をやったときに、人に押し付けたり、やらされてる感じになったりするなと思った。
それって私が日常やってる事じゃん!
こうして振り返ってみると、自覚がない事を知らないんだなと思う。(40代女性)


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自分の感覚であることを知っていく、自覚!
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今回、参加してみて、毎日とても楽しかった。
久し振りにブラジルから日本に来て、なんだか、わからないが、何となくモヤモヤしていた。
日本は堅苦しい、とか、来たばかりなのに、ブラジルに帰って猫に会いたくなったりしていた。
でも、やっぱりコースはいいなー。
みんなと一緒に検討する醍醐味というか、脱線したり、笑ったり、好きなこと言い合って、本当はどうか一緒に考えられたのは良かったな。
自分がのびのびする。

今日、人間の感覚であることの自覚がないとどうなるか、というテーマで考えた時、いままで自覚のない状態で、眼くらめっぽうやってきた実態がはっきり見えたのが面白かった。
人の気持ちを勘ぐったり、こうではなかろうかと、想像したり、なんだりかんだり、いろいろややこしかったな・・・。
人間を知ることが、実現への一本道。
知らずして実現は出来ない。
知らないで、やること重視でやって来たんだな…と思う。
人間の考え、って、本当に多岐にわたる。
人間が暮らしやすくなるためにいろいろあるんだろうな、と思うが、人間の考えを事実化して、自覚ないままやってる実態だな。(40代女性)


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人と共に、ゆっくり自分の中を探求し、人間の思考を探る
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3日目ころまで、自分を知るためのコースとは自分を観察するコースと捉えていた気がする。 
探究会の最中も含めて、自分の行動、気持ち、何故そう思ったか、素行のクセや感想を述べていた感じだ。
4日目あたりからこのコースの本質を感じ始めた気がした。
自分を知るためのコースは、人間を知るコースなんだと(自分も人間だからね)人間の思考とはどうなっているかを、まず知って、自分を知るにつなげていく。
これをふんわりとだが感じてからは、コースの全体像が見えた気がした。
この探究、発見は独りでは無理だろう、仲間がいたから出来たことだ。(40代男性)


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自分の考えという自覚が、ありのままの自分、素直な自分へ、そして実際へ・・・。
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コースの二日目の朝にも朝食を食べながら〇〇ちゃんが私の事を可愛いって言ってくれた。
私に話してくれるのがうれしい気持ちとともに、本当はそうは思わないだろうという疑念か警戒する気持ちが見えてきた。
どう見て聞いて反応しているのかというテーマに出してみた。
見つめながら、日常の多くの場面で、私に向けてくれる人たちの関心を疑って警戒している自分が見えてきた。
その人の実際には関心が行かない状態。
素直に聞けない、どこか曲がっている状態、自分の考えということが消えてしまって、自分を守ることに力がたっぷり入った状態だったな。
〇〇ちゃんが実際に言った言葉は私の事を、「かわいいな」という言葉だった。  
その言葉には◯◯ちゃんの思い、心などがあり、言葉を渡す行為として現れたのだ。
言葉の向こう側に◯◯ちゃんがいた。
自分の考えで見ているという自覚があるのか。
自覚から始まるということを改めて感じたコースだった。
本当に素直に、ありのままの自分として生きていきたい。
ありのままの自分と、ありのままの相手と、実際の世の中を基盤にして生きていきたいなと思った。(30代女性)


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実際に近づく道は、自分の感覚を知っていく自覚から
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テーマが出されるたびにいろいろなことが頭に浮かんだけれど、どこまでが頭の中での理解で、どこまでが自分の実感のある血肉になっている感じなのかというのも観察してみたいポイントだった。
やってみて一番思うのは、自分の「知る」はまだまだ実現していないんだなあということ。
植物が緑色ではないらしいというのも本当に不思議で実感がわかない。
説明を聞いて納得してそう見ようとしても見えてこない。
私の眼には植物は緑色に見える。
人間の感覚器官、情報処理能力の限界というか、実際とは全く次元の異なるものであるだけだなと思った。
一体本当はどんな色(色で表現できないのかもしれないが)なんだろう??
さらに「夫婦、親子」などの関係までもが実際の物であるかのように認識していたことに気付いた。
「夫婦、親子」について考えたいとおもっても、それ自体が実在するもののように思い違いしたうえでの考えを話し合っているのなら、ただ各自の見解の言い合いにしかならないなと思った。 
自分の感覚、ひいては人間の感覚であるという自覚のある状態ではどうなるのだろう?
解決策を探すのではなく、実際に近づいていけるのだろうな。
人間の考えは宇宙だという話も出ていたが、その能力を使ってどんどんルールを増やし、どんどん人の気持ちを見えなくして、人を人として見ない社会になっていく。
ルールや観念を作るのはうまいが壊すことは下手だ。
一度作ると実際であるかのように錯覚してしまうからだろう。
自分で自分を縛ってほどかないでいるというのも変なものだけど観察してみるとよくやっていることだった
夫婦とはどういうものかを知るのではなく、それを捉えている自分の仕組みについて知る。「知ったつもり」ではなく「知る」を実現していくことからかなと思う。(40代女性)
- | comments (0) |08:41

足るを知り・味わう、暮らしへ・・・・。

この毎日、心から楽しく暮らしているだろうか?
人の安心や満足は、どんな状態なのだろう?
母乳を飲む赤ちゃんや、母乳を与えるお母さんの満ち足りた心に思いを馳せる。
言葉の前の、感情や気持ち、人の心を知りたい。人の心の声を聴きたい。
8月18日~「人を聴くためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。
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言葉の性質を知らずに起こる、知ったという勘違いは
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言葉を通じて感情や気持ち、考えを伝達する。
言葉は非常に具体化された表現方法という考えに、言葉を聞いて、認識された言葉にその人の考え方や気分、感情などがあると思っていた。
しかし、言葉というのをよく知らずに使っていたことを気づくところからコースが始まった感じだった。
相手の言葉を聞いて、同一の性質だと捉えた私の中にカテゴリーと結びつけて、認識されるプロセス。
そのカテゴリーがどのように分かれているかによって認識されることも変わることが新たに感じられた。
韓国語ではウチワとセンスを同じ言葉「ブチェ」という。
しかし、日本語でウチワとセンスを分類して言うことを知ってから
「ブチェ」を見るときウチワか、センスなのか分類してみる方式が私の中に新たにできた。
各自の中に分類されたカテゴリーに言葉を認識するのが見えてきた。
しかし、知識や経験などによって各自のカテゴリーが異なるにもかかわらず、言葉を聞いて'知った'という勘違いが、 その人の中にどのようなことから言葉が出たのかに関心が行かないようにするんだという気がした。

"エルサドレスを買って"という甥の言葉を聞いて、エルサドレスを買った。
甥の言葉を聞いて何かを満たしてあげた感じがしたけど、今振り返ってみると、甥に関心があるというよりも、甥が言った言葉に関心を置いた。
話を聞いて、物や行為を通じて豊かにする方向に向けがちだが、感覚的に豊かにする行為はその瞬間の快感はあるだろうが、 すぐに再び感覚は消え、再び感覚的に満たそうとするパターンに陥りがちになってしまう。
そうしたら、満たし、満たして受ける行為に執着するようになる状態になっていくかもしれない。
行為以前に本当にその人に関心を向けた状態が本来の人と人が満たされる状態で行ける道かな? よく分からないが、一応ここにポイントを置きたい。(30代女性)

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相手が発する言葉の前のものへの興味・関心は?
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聴くということを調べていく中で、改めて言葉になる前のものがあって言葉が出てきていて、聴く側はまず言葉が聞こえるのだろうけど聴くということは言葉を手掛かりに言葉になる前のものに目を向けることだなというのが浮かんだ。
現状は言葉になる前のものに目が向くのではなく、聞いた言葉に大きく目が向く構造になっているように思えた。
人が満たされるというのも、肉体的な面は食べ物などで満たされるようにも思うけど、心はというと人の関心を受けることによって満たされるように思う。
体で言うところの酸素のような要素かもしれない。
人を聴くためのコースに入る前に社会を知るためのコースや集中研究会を経て、人が安心して満たされるということが人にとってとても重要な要素だなというのを思い、人を聴くという要素が大きいなというのを思った。
本当は人と人は常にお互いの独自の世界同士が聴き合うことによって交流しあってるのが正常で健康な本来の姿のようにも思えた。
それは言い換えると精神面も一つの存在という人の姿が少し自分の中で浮かんだ気がする。(20代男性)

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相手が何が言いたいのか聞けないのは、なぜだろう?
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今回コースの参加した目的は 、相手が何を言いたいのかがキチンと聴けて、尚且つそれに対して的確な返答が出来て、本当の意味での「話し合い」が出来る自分になりたいと思って参加しました。
今回やっとその本当の「話し合いとは?」ということが分かったような気がします。
というか、「なぜ今まで私の聴くが実現しなかっただろう」ということが分かった。という表現が適切かと思います。
それが実現しない「4つの原因」を具体的に丁寧に探っていく中で特に自分に当てはまったことは、「聞くこと」と「やること」の癒着、そして「聞くとすぐに自分の見解を言いたがる」という癖でした。
良かれと思い自分がやっていたことが、実はその人の本当の心を理解していない(聴けてない)が故に、相手の依存を増長し結果的に双方が悲しむ結果を生み出していたことに気づいたときは愕然とした。
またそれを繰り返すうちに私の人間不信が深まっていったことにも気づきました。
その瞬間瞬間に相手の内面(本心)に意識を向けて聴くことができていたら、このようなことも起きなかったろうと深く感じました。(50代男性)

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聴くと心の関係は? 人の満ち足りるとは?
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次の日の午前中、「言葉とモノとの関係は?」を検討していると、ますます娘の言葉ではなく気持ちを聞いてあげたいという気持ちが起きて、スッタフさんに電話したいと言ってみた。
スマホを持って来てくれたので、電話してどういう風に不安なのかをじっくり聞いてみた。
娘はだんだん安心したらしく、
「お母さん、聴いてくれてありがとう」と3回も言っていた!!!
このことを、電話を切ってから、思い返していると、じんわり涙が出てきた。
今「聴く」コースにいることを知ってるわけじゃないのに、「聴いてくれてありがとう」と3回も言ってくれたなー、安心してくれたみたいで、私も安心したなー。
なんで涙が出るんだろう。
言葉に出来ない感情が心にあるなーと思った。
3日目に「なぜ聴くが実現しないのだろう?」というテーマをじっくりやっていくうちに、早く実践したい!という気持ちでいっぱいになった。
そういう訳で、4日目の夜、無事に帰宅して、娘や夫の話を聴いた。
とても おだやかで満ち足りた時間だった。

そして翌日の午前中。自分の店の仕事をして、猫の世話して拭き掃除、片付け、掃除、たまった洗濯もして、銀行と郵便局と動物病院に行こうと用意をしていたら、娘が「行きたくない」とぶすっとし出した。
早速、聴くモード。
するとすぐに機嫌がおさまった。
すごい。
その後、「お母さん、これ見て」「お母さん、耳かきして」などなどをこなすうち、遅い朝ごはんを作ろうとしていたのが、いつのまにか12時になっていた。
リビングは娘のもので散らかりっぱなし。
だんだん、余裕がなくなってきた。
さらに、仔猫の1匹が、吐きはじめ、様子がおかしくなってきた。
病院に電話するも、昼休みで15時まで連絡がとれない。
15時になってすぐ電話し、連れて行くことにした。
郵便局で発送する仕事の荷物があったけど、慌てていて、家に忘れて来てしまった。
家に帰ったのが17時半、すぐに荷物をもってまた山を降り、夜も開いているちょっと離れた郵便局まで行き、戻ってきたら夕食の準備が待っている。
疲れた・・・。
完全に聴く余裕を失ってしまった。
そこから寝るまで、いつも通りに、片付かない部屋にイライラし、片付けない娘にいつもと同じように小言を繰り返すはめになってしまった。
頭では聴けてない、聴けてない、と分かってはいても、私の心が満たされない状態になっていると無理!ということが判明した。
そうかー、そこはコースではやらなかったもんなー。早速実践で、そう簡単にいかないことが分かった(笑)
その後、仕事から帰ってきた夫に、1日の出来事を聴いてもらったら、心が少し回復した。
そうすると、娘の話も聴くモードになれた。
聴く、には、自分の心の状態も大事!!!これ大事!!!(40代女性)
- | comments (0) |07:46

歌にも歌われている、世界は「一つ」、自分の中を探ってみると・・・

「太陽の周りを地球が回っている」という、観察によって、実際の宇宙を捉えようとしてきた歴史が垣間見える。
「明日は晴れるでしょう」天気予報士の言葉にも観察の世界が感じられる、観察の世界に怒りや不安は存在しない、どうなっているのだろうか? どういうことだろうか? 謙虚に実際の世界を探る姿勢を、人間に・自分自身に向けて探っていくと、観えてくるものが・・・・理の世界の中に、存在する人・社会・・・
8月26日~開催された、「一つ」を実現するためのコース参加者の感想の一部を紹介します。
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私の中の、固定や隔てから生じる自分の心の状態は?・・・
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終わってみての感想を一言でいうと、「まずは私から」ということにつきる。
「as one 一つの社会」のテキスト中には「心の状態」という言葉がそこかしこに出て来る。
自分でも最近この言葉に焦点が当たりだして、自分の「心の状態」に関心が向けられるようになってきていた。
そして自分の場合、姑との確執から解放されて心の状態は健康になったと思い込んでいた。
ところがどっこい、不健康な心の状態が出るわ出るわ、、、夫とのことで、また研修所での暮らしのことで固定や隔てから生じる自分の心の状態があらわになって来た。
責めたり、疎外感だったり、警戒心だったり本来の人間にはないはずのものが、ぞくぞくと出て来た。
今まで意識上に上らなかっただけで内在していることが初めて自覚できた。
それまでは、あって当たり前という意識でもあった。
「心の状態」を分かったつもりになっている自分だったなと思う。
人類史から見ると、そういう「心の状態」を作り上げてきた歴史でもあるわけで、言い換えればフィクションを共有してきたのだ。
実際あるものに目が向けられず、ないものばかりを追いかけてきた空しい歴史とも言える。
実際にあるものの豊かさを私は何にも知らない。
知らなさすぎる。
目が曇ってしまって見えない自分だ。
その目の曇りは自分ひとりで取れるわけもなく、「一つの社会」を志向する人たちと手を取りながら明るい豊かな愛にあふれた社会を目指して進んで行きたい。(50代女性)

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本質的なものが実現しないのは当然な状態って?・・・
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自分の不健康な心の状態が次々と明るみになってくる。
それも、大笑いの安心の輪のなかで。
不平不満があれば、それをなんとかしなくっちゃ、問題があればそれの手当をしなくっちゃ。
不平不満を言う人がいないように、疎外されたという人が出ないように、みんなが明るく元気でいられるように、「人を大切にしなくっちゃ」でも、やっていることは不健康な心の状態の現れを肯定して、相手の機嫌が悪くならないように、機嫌良くやってもらえるように、そのことに力を入れている。
本質的なことよりも、表面的な優しさで繕って、不平不満も安心して出せる職場 とか、
休みたい?いいよいいよ とか、そんな風に言われたの?そりゃ相手が悪いわ不平も出るわ とか、そう言っている人の「心の状態は?」といけない、不平不満があることを肯定している、疎外感のように実際にないものを外にあるとしていることを肯定している
本質的なものが実現しないのは当然な状態
そうなってしまう、自分の心の状態に気がついていなかった、観ようとしていなかった、
「良くない」として、蓋をして気付かない振りをしたり隠したりしてた
大きいのは「不安」な心の状態(40代男性)

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不健康な心・健康な心・・・人間の考えとの関係は?・・・
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健康な心の状態とはは何か? 自問 自答、どうやら”人間の考え”が、影響している。
既存の常識としている人間の考えのままでは、うまくいかない・・ のだ。
日頃、”対立感情の火種”になっている。(不安、恐れ、劣等感、焦り)、健康な心は、理にかなっていこうとする”人間の考え”がベースとなり、それが、”人”と”社会”の本来の姿を明らかにし、そして、実現につながると。
自分の考え、常識、観念が、心の状態に影響している。
なぜ、自覚が大事か、何を焦点にしていきたいか?
何が、不健康にさせているのか?
探っていきたい、自覚のイメージが変化した感じである。

話のテーマはこの視点も必要になるのだろう~
それが、自覚の焦点、ハッキリと自分を知ることになるのか?
固定や隔ての無い”心の状態” 
社会は一つ  理とは
○固定しているものは何もない
○単独で存在しているものは何もない
2つの 何もない えっ たったこれだけなのか? といった感じである。
この理を いいかえると ”あらゆるものは一つ” となるらしい、空気は一つ、水は一つ、地球は一つ、宇宙は一つ・・??・???
今回、自分はどれだけ、理解できたのだろ~(50代男性)

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体も心も「健康な状態」へ、大笑いの中で・・・
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鈴鹿に通い始めて4年目。
コースに参加するたびに、新しい視点や世界が観えてきて、自分自身が軽くなっていく感覚が好きだった。
戻ってからもスクールを体験した友人たちと、「自分を調べたり」「検討したり」する場を続けてきた。
それをやっていたら、何となく「サイエンズ」をやれている人になっていける感じがあった。
でも、今回のコースを受けてみて、それが大きな勘違いだったなぁ! と今衝撃を受けている。(笑)

すべてのものにとっての「理」が本来あるということ。
それは人の考えとかではなく、もともとの本来の姿。
その「理」のベースの上に、あらゆるものやこと、現象があるということ。
あらゆるものの「根幹」
人に関していえば、体も心も「健康な状態」~理に適っていれば、人と人は誰に対しても親密で、心もオープンな状態なのだろう。
幸福ととりたてて言わなくても、ただ「ある」だけで、幸福なのだろう。
そのことが、このコースで観えてきて、「ああ、このことに気付かずに、今まできたんだなぁ、この根幹なくして、検討会とか自分を調べると、やってたんだなぁ」と。
自分の中にある「悪感情」に蓋をして、「かりそめ」の幸福を幸福と捉えて
生きてきたなぁということ。
「悪感情」に気づいても、それは個人的なことで、自分で何とかするもの、としてきたこと。
けれども、それも「不健康な社会」の中で、身についてきたもので、個人のモノでもなさそうだということ。
まずは、自分の悪感情に気づいて、「こんなのあったんですよ~!」と軽く出せるようになったらいいな。
今回のコースの中でも大笑いな中で、出し合えたように。
そうすれば、社会はもっと生きやすくなっていくだろうな。
人はもっと伸びやかに、本来の人らしく「健康な心の状態」に、なっていくだろうな。
そんな社会で生きていきたいし、そんな社会をつくっていきたいな。
そんなシンプルな思いから始めたい。(50代女性)

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変化の中・繋がりの中に、「一つ」の実現への道が!
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1つの実現…あらゆるものは、ひとつであり、固定しているもの、単独で存在しているものは何もない…という「理」に適った本来の姿に立ち還る(ゼロ)こと。
アズワン鈴鹿コミュニティは、ただただこれを実践しているのだ!ということが腑に落ち、とても元氣をもらった。
真理、理、ピュアなものに触れると、人は元氣になる。それを体験したコースだった。
そこで、重要になってくるのは、1つを実現するための人的環境であり、それはいかにコアな根幹をなす人が健康な心の状態を維持して、ブレない人たちになりあえるか、ということ。
そこを基点=スタートラインとして、1つというのが成り立つのだそうだ…いろいろな失敗談などを聞いたり、検討したりしてみて、きっとそこが難しい部分なのだと、想像できた。
もともとすべては1つなのだから、(みんなで)(一緒に)などという必要がないのだ、ということが身に染みて理解できた。
あとは、とりあえずSmile MAPやまぐちの3人で根幹な人的環境を整えたいと思った。(40代女性)
- | comments (0) |13:30

地に足ついた、幸福な人生を生きているだろうか?

人は、生まれて自分の人生を生きる! 
どこからどこまでが自分と言えるものなのだろうか! 
ここからが自分・これが自分だと、厳密に区切れるところがあるのだろうか? 
つながりの中での存在、人にやってもらったり・甘えたり、ゆっくり観ていくと、人の中で安心出来る性質が観えてくる。
人は生きて、何する生き物なのか? 
8月12日~の人生を知るためのコースに参加した人の感想の一部を紹介します
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これまでも、自分が何者かを知るために色々な所へ行ったり、色々な方たちにお会いして自分なりに探究してきた。
今それを思うとあたかも自分の中で想像していた理想の図のパズルを完成させるためにそのパーツパーツをあちらこちらで拾い集めては、一喜一憂していただけの自分だったかもしれないとさえ思える。
それは決して無駄だったとは思わないが、随分と遠回りをしたものだと思う。
まずは今回のコースで、自分が何も知らないということを知ることがこのメソッドのスタート地点でもあり、ベースともなるところだと改めて思った。
次に、では実際はどうだろう?と色々と考えてみると、そこには自分の存在を成り立たせるための膨大な情報が織り込まれていることに改めて気づかされた。

そうするともっともっと自分を知りたいという意欲が湧いてきて、自分の内面に目を向けるようになってきて、同時に周りの人にも意識を向けるようになる。
自分の内面にある心を観てみると色んな心があり、場所や時間と共に移ろい変化しているように感じるが、比較的変化の少ない心もあるようで、それが本心というものかも知れないが、それさえも意識上の産物だとも思える。
ただその心というものの中にも反応や判断を超えた「何か」があると感じた。
自分なりにそれが「愛」というももの正体かも知れないと思った。
見返りのない絶対愛とでもいうか、相手に与えることを自分の喜びとして、お互いを生かし合おうとする心・・・・無償の愛。
本来私たち人間には、それが元々備わっていて大人になるにつれて外部からの影響をうけ、知らぬ間にそれを忘れていってしまっているのかも知れない。
しかしその外部の影響も意味のあることで、自分を知るためには自分以外のものを体験しなければ分からないと思えば、それさえも有難く思える。

現時点ですべてが明確なったわけではないが、一つの「道すじ」が見えてきたような気がする。本当に有難いことだと思う。(50代男性)
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夜、娘がどう過ごしているかな、私がいなくて寂しい想いをしていないかな、と不安・心配が起こった。
その日に「安心・安心感」をテーマにしたばかりだったので、早速、「私の今の不安・心配は意識上のものだな」と認識することが出来た。
もしかしたら、娘は私のことを忘れるくらい楽しく過ごしているかもしれない。
頭で不安を作り出して、それに捉われているより、コースに集中したい、と思った。
もちろん、娘が楽しく心地よく過ごしてくれることを願う気持ちは持っている。
私の本心は、それだろうか。それともまだ奥にあるのだろうか。
きっと、娘が心地よく過ごしていると、私は幸せなのだ、と思った。
その幸せを求める心が私の本心?

Aちゃんの話を聞いて、「(相手が求めているのは行為じゃないと分かっても)どうしたらいいのかなーって思う」と言ったら、「どうしたらいい?を考えるんじゃなくて、やっぱり相手を知るとか自分を知るとか、それをやっていくことかなー」と話してくれた。
その言葉が、ずどーーん、と自分に響いて、「なるほどー!!!」という感じだった。
人間は何をする生き物か?
「知る」生き物。
本心をよく知って実現に向かう。
意識上のものと実際のものの区別がちゃんとついていれば、実際に沿ったものを知るようになっていく。(40代女性)
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コースで時間を過ごすうちに、自分に根深く入り込んでいる観念が見えて来た。
「何か人に与えなければ愛情をもらうことはできない」
「仕事で成果を出したり、役に立たなければ、人から受け入れてもらうことはできない」
頭ではそんな考えを「ばからしい」と思いつつ、無意識のうちにそれを当たり前のように原則として行動していたように思う。
頭では全然別の所を目指して進んでいるつもりでも、心の奥底に染み付いている強迫観念に気付ききっていなかった。

自分で自分を満たすことはできない。
「自分で何とかしなければいけない」という発想を強く持ちすぎて、人から満たされる余地がなくなっていた。
心が満たされることで初めて人は健康に成長していく。
心の充足によって、自然と人に愛情が湧いてきた理、知性が働き始めたりする。
心が満たされるところから人の健康な成長は始まるのだと思う。
自分の場合、自分が満たされないまま、知性の成長や人を満たそうとすることを追い求めてきた気がする。
それはかなり無理のあることで、自分が疲れ果てるような状態にもなっていた。
そもそも、自分が満たされるとはどういうことか、そこから始めたい。

人に満たされるとか、「甘える」とはどういうことだろう。
現状の自分としては「甘える」ということに抵抗感を感じたりする。
「甘えてはいけない。自分で何とかしなければいけない。」という観念が強い。
それでも、きっと本当は満たされたくて、人に甘えたいのだと思う。
意識上では今まで特に苦労もなくうまいこと生きてきたつもりが、だいぶ無理をしていたのかもしれない。
本当は自分を追いつめていて、しんどかったのかもしれない。

そんな現状から少しずつ、人に素直に求めたり、甘えたりすることを始めてみたいと思う。(20代男性)
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何をどう捉えて感じたのか、それは客観的に観て実際に何をしているのか、どういう本音や反応が起こったのか、それは実際にどのような状態なのか・・・で、本心は何をしたいのだろうと徐々にじっくりゆっくり調べることが大切かなと今回思った。
そして、人と人とで探究しながら一緒に調べ合う探究会というのはそのような状態でそのようにしていくことに適っているということをとても認識した。

探究会で一緒に調べよう探ろうとすることに関心が出てくるのは人と人とのつながりの中での本来の人間の活力から生じてくるのかな。
若いころから「自分の適性を見出して自分を生かしたい」と強く願っていた。
能力や資格等身につけても結局うまくいかなかった・・・自覚のない状態で自分の考えやこだわりで自力で頑張ったからかな。

でもそういえば人間社会に対する関心や疑問は気持ちを我慢しながらも子供のころから子供なりにあったよな、そして気づかないけど心や知性を動かす源は強く動いていたんだろうな・・・
その根源からの生きる活力に気づく喜び・・・本当の人と人との間柄から、人間を知り人間らしく生きる営みから、人として生きていきたいし共に活かし合いたい・・・
そのような本心からの社会づくりをしていきたい・・・ゆっくりとじっくりと知る状態からやっていきたいと思う。
その中に本当の適性を見出して生きるというのがあるのかな。
人への感謝が大切だと人間の観念で言われてきたけど・・・人が人らしく生きるを知るという状態が本当のいままで出会ってきた方々への感謝なのかなと今は思う。(50代男性)
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