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足るを知り・味わう、暮らしへ・・・・。

この毎日、心から楽しく暮らしているだろうか?
人の安心や満足は、どんな状態なのだろう?
母乳を飲む赤ちゃんや、母乳を与えるお母さんの満ち足りた心に思いを馳せる。
言葉の前の、感情や気持ち、人の心を知りたい。人の心の声を聴きたい。
8月18日~「人を聴くためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。
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言葉の性質を知らずに起こる、知ったという勘違いは
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言葉を通じて感情や気持ち、考えを伝達する。
言葉は非常に具体化された表現方法という考えに、言葉を聞いて、認識された言葉にその人の考え方や気分、感情などがあると思っていた。
しかし、言葉というのをよく知らずに使っていたことを気づくところからコースが始まった感じだった。
相手の言葉を聞いて、同一の性質だと捉えた私の中にカテゴリーと結びつけて、認識されるプロセス。
そのカテゴリーがどのように分かれているかによって認識されることも変わることが新たに感じられた。
韓国語ではウチワとセンスを同じ言葉「ブチェ」という。
しかし、日本語でウチワとセンスを分類して言うことを知ってから
「ブチェ」を見るときウチワか、センスなのか分類してみる方式が私の中に新たにできた。
各自の中に分類されたカテゴリーに言葉を認識するのが見えてきた。
しかし、知識や経験などによって各自のカテゴリーが異なるにもかかわらず、言葉を聞いて'知った'という勘違いが、 その人の中にどのようなことから言葉が出たのかに関心が行かないようにするんだという気がした。

"エルサドレスを買って"という甥の言葉を聞いて、エルサドレスを買った。
甥の言葉を聞いて何かを満たしてあげた感じがしたけど、今振り返ってみると、甥に関心があるというよりも、甥が言った言葉に関心を置いた。
話を聞いて、物や行為を通じて豊かにする方向に向けがちだが、感覚的に豊かにする行為はその瞬間の快感はあるだろうが、 すぐに再び感覚は消え、再び感覚的に満たそうとするパターンに陥りがちになってしまう。
そうしたら、満たし、満たして受ける行為に執着するようになる状態になっていくかもしれない。
行為以前に本当にその人に関心を向けた状態が本来の人と人が満たされる状態で行ける道かな? よく分からないが、一応ここにポイントを置きたい。(30代女性)

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相手が発する言葉の前のものへの興味・関心は?
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聴くということを調べていく中で、改めて言葉になる前のものがあって言葉が出てきていて、聴く側はまず言葉が聞こえるのだろうけど聴くということは言葉を手掛かりに言葉になる前のものに目を向けることだなというのが浮かんだ。
現状は言葉になる前のものに目が向くのではなく、聞いた言葉に大きく目が向く構造になっているように思えた。
人が満たされるというのも、肉体的な面は食べ物などで満たされるようにも思うけど、心はというと人の関心を受けることによって満たされるように思う。
体で言うところの酸素のような要素かもしれない。
人を聴くためのコースに入る前に社会を知るためのコースや集中研究会を経て、人が安心して満たされるということが人にとってとても重要な要素だなというのを思い、人を聴くという要素が大きいなというのを思った。
本当は人と人は常にお互いの独自の世界同士が聴き合うことによって交流しあってるのが正常で健康な本来の姿のようにも思えた。
それは言い換えると精神面も一つの存在という人の姿が少し自分の中で浮かんだ気がする。(20代男性)

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相手が何が言いたいのか聞けないのは、なぜだろう?
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今回コースの参加した目的は 、相手が何を言いたいのかがキチンと聴けて、尚且つそれに対して的確な返答が出来て、本当の意味での「話し合い」が出来る自分になりたいと思って参加しました。
今回やっとその本当の「話し合いとは?」ということが分かったような気がします。
というか、「なぜ今まで私の聴くが実現しなかっただろう」ということが分かった。という表現が適切かと思います。
それが実現しない「4つの原因」を具体的に丁寧に探っていく中で特に自分に当てはまったことは、「聞くこと」と「やること」の癒着、そして「聞くとすぐに自分の見解を言いたがる」という癖でした。
良かれと思い自分がやっていたことが、実はその人の本当の心を理解していない(聴けてない)が故に、相手の依存を増長し結果的に双方が悲しむ結果を生み出していたことに気づいたときは愕然とした。
またそれを繰り返すうちに私の人間不信が深まっていったことにも気づきました。
その瞬間瞬間に相手の内面(本心)に意識を向けて聴くことができていたら、このようなことも起きなかったろうと深く感じました。(50代男性)

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聴くと心の関係は? 人の満ち足りるとは?
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次の日の午前中、「言葉とモノとの関係は?」を検討していると、ますます娘の言葉ではなく気持ちを聞いてあげたいという気持ちが起きて、スッタフさんに電話したいと言ってみた。
スマホを持って来てくれたので、電話してどういう風に不安なのかをじっくり聞いてみた。
娘はだんだん安心したらしく、
「お母さん、聴いてくれてありがとう」と3回も言っていた!!!
このことを、電話を切ってから、思い返していると、じんわり涙が出てきた。
今「聴く」コースにいることを知ってるわけじゃないのに、「聴いてくれてありがとう」と3回も言ってくれたなー、安心してくれたみたいで、私も安心したなー。
なんで涙が出るんだろう。
言葉に出来ない感情が心にあるなーと思った。
3日目に「なぜ聴くが実現しないのだろう?」というテーマをじっくりやっていくうちに、早く実践したい!という気持ちでいっぱいになった。
そういう訳で、4日目の夜、無事に帰宅して、娘や夫の話を聴いた。
とても おだやかで満ち足りた時間だった。

そして翌日の午前中。自分の店の仕事をして、猫の世話して拭き掃除、片付け、掃除、たまった洗濯もして、銀行と郵便局と動物病院に行こうと用意をしていたら、娘が「行きたくない」とぶすっとし出した。
早速、聴くモード。
するとすぐに機嫌がおさまった。
すごい。
その後、「お母さん、これ見て」「お母さん、耳かきして」などなどをこなすうち、遅い朝ごはんを作ろうとしていたのが、いつのまにか12時になっていた。
リビングは娘のもので散らかりっぱなし。
だんだん、余裕がなくなってきた。
さらに、仔猫の1匹が、吐きはじめ、様子がおかしくなってきた。
病院に電話するも、昼休みで15時まで連絡がとれない。
15時になってすぐ電話し、連れて行くことにした。
郵便局で発送する仕事の荷物があったけど、慌てていて、家に忘れて来てしまった。
家に帰ったのが17時半、すぐに荷物をもってまた山を降り、夜も開いているちょっと離れた郵便局まで行き、戻ってきたら夕食の準備が待っている。
疲れた・・・。
完全に聴く余裕を失ってしまった。
そこから寝るまで、いつも通りに、片付かない部屋にイライラし、片付けない娘にいつもと同じように小言を繰り返すはめになってしまった。
頭では聴けてない、聴けてない、と分かってはいても、私の心が満たされない状態になっていると無理!ということが判明した。
そうかー、そこはコースではやらなかったもんなー。早速実践で、そう簡単にいかないことが分かった(笑)
その後、仕事から帰ってきた夫に、1日の出来事を聴いてもらったら、心が少し回復した。
そうすると、娘の話も聴くモードになれた。
聴く、には、自分の心の状態も大事!!!これ大事!!!(40代女性)
人を聴くためのコース | - |

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