僕が鈴鹿にいるわけ

2018.11.11 Sunday 07:40
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こんにちは。

僕はアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティのサイエンズアカデミーで学んでいる岡田拓樹です。
みんなからはたっきーと呼ばれています。
今回は僕がなぜ鈴鹿にいるのか、書いてみたいと思います。




17歳の時、ドイツで4カ国の子供たちとキャンプをした。
どこにいても、どんな色でも、皆同じ人間なんだということを初めて実感した。
そうして、周りを見渡してみるとみんな同じ人間なのに、何故かたくさん持てる人と、何も持つことが出来なくて死んでいく人たちがいた。
すごく悲しかった。
僕はすごく大きな疑問を抱いた。
誰かが犠牲にならないとこの世界は成り立たないの?
誰かが言った。「日本は豊かでよかったね。」
え?そんなものなの?
なんで、苦しむ人がいるのにそれを見てそんな言葉が出てくるの?
僕はまた悲しくなった。
でも、何とかしたいと思った。
だから大学ではなんでこんな世界が成り立っているのか知りたくなった。
そして、誰も苦しまないような平和な社会になるために何かをしたい。
振り返ってみると、とにかく、がむしゃらだった。
最初は、国際ボランティアをやってみた。
支援先はフィリピンだった。
とにかく現地の人のために一生懸命やろう。
準備に4カ月かかった。
でも、実際に行ってみると、僕が想像していたものとは全然違う風景がそこには流れていた。
すごくショックだった。
僕自身がその人たちを勝手に、貧しいから可哀想な人たちと見ていたことに気が付いた。
思い上がって頑張ってきた自分にあきれた。
こうやって人を見ていることで、そこに住んでいる人たちの暮らしが破壊されていくように感じた。
そこで初めて、人の豊かさを考えた。
ものがあってもなくても、変わらずにある豊かさがあるんじゃないか。
そこで、タイとブータンへと行ってみた。
そこでは、人の繋がりによって育まれている伝統的な文化や暮らしがあった。ものがなくても、お金がなくても、こんなにも笑顔で暖かく僕たちを受け入れてくれる人たちと触れ合うことですごく心が満たされた。
だけど、一方でグローバル化に伴い、たくさんの企業や観光客が押し寄せるようになったことで、人と人が分断されていく一面も見た。
こうやって、文化が破壊されていくのか。環境が破壊されていくのか。そして人が争うようになるのか。
すべて、グローバル企業や自由化政策を推し進める先進国やWBのせいだと思った。
それからは、どうやったら持続可能な社会が構築できるかに関心が向くようになった。
ビーガンになったり、パームオイル製品の食品を控えたり、オーガニックにこだわってみたり、瞑想をしてみたり、NVCを学んでみたり、プラスチックを使わなくしたり、ゴミの出ない暮しを試したり、物々交換会を開いてみたり、いろいろ試してみた。
だけど、そういうことをしていると、段々と人に厳しくなっていくようになった。
肉を食べてる人が悪い人に見えたりもした。(特に牛肉)
でもなによりも、なにをやっても何も変わる気がしなかった。
だから、休学して一旦立ち止まる時間が欲しかった。
本当に僕がやりたいことはなに?
そんな時、アズワンに出会った。
何かに惹かれガイアエデュケーションに参加していく中で、初めて自分と向き合うことになった。
そして、もっとここでやっていきたいから、留学生になりたいと連絡を入れた。
そこで、初めて読んだ本が「やさしい社会」だった。
誰にでも優しい社会があるんだ!
最初に求めていたものって、誰かにとって居心地がいいとか幸せだとかじゃなくて誰も苦しまないで済む世界だったな。
そして、それを諦めかけていたことにも気が付かなかった。
だから、‘誰にでも‘という言葉を見たときはすごく衝撃的で、うれしくて、同時に虚しくもあった。
でも、それがどんな社会かは全く分からなかった。
誰にでも優しいってどんな社会だろう。
今の社会は全然優しくないように見えて、みんなを苦しませるこんな社会が憎くも感じた。

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大学の休学についてどうしたいか悩んでいた。
大学の職員から電話が来た時、なんでもう一年休学したいと思ったのか、学校側としてだけでなく、僕個人としても聞きたい。また話をしよう。と話してくれた。
僕はその瞬間驚いた。
職員は大学のために働いているから、学生も大学のために利用されると思ってたけど、その職員の人は、学生(僕)のために働いていた。
僕が、職員の人をどう思おうと関係なく、愛情を感じようと感じまいと関係なく、実際には職員の人たちから愛情を受けていた。
怒っていたり、注意したりしていても愛情がないわけではなく、そういうのが曲がって出てきていただけだったんだ。
明学には生徒が1万2千人いる。
そんな人数1人1人に向き合うってすごく無謀な気もするけど、何度もメールや電話でやり取りをしてくれ、気持ちを聴こうとしてくれるということはすごいと思った。
僕の休学のことだけで、たぶん少なくても2時間くらいの作業や対応をしてくれている。
それを1人1人にやったら2万4千時間。1000日分になる。
それくらいの労力を一人にかけてやっていたことになる。
それに加えて、入学手続き、履修確認、学内活動のこと、などなどもういろんな事やってくれてるじゃん。
何にも見えてなかった。
僕が勝手に職員の人はこうだと決めつけて、そこに反発してきていただけだったなんてショックだ。
でも、なんて豊かな社会なんだろう。
誰の中にもある人に対する愛情。
それによって初めて成り立つ社会。
そんな中で育ってきていたことに気付いていなかった。
今は、その愛情をまっすぐに表現することを妨げるものがあるから見えにくいだけで実際にはどれだけの愛情を注がれてきたことか。
今、生きているっていうことはそういうことなのかもしれない。

人から愛されることも、人を愛することも自然な姿であって、特別なことではない。
誰かに何かをすることも、何かしてもらうことも特別なことなんて一つもない。
誰かが困っていたら助けたくなる。
人の幸せを願う。
それが良いことでも悪いことでも何でもない。
ごく自然な姿だ。

誰かの犠牲の上で成り立つ社会ではなく、全ての人の自由意思によって成り立つやさしい社会。
まずは僕自身が本当にやさしくなりたい。
その方向に進んでいけるようにもっとここで学んでいきたい。IMG_2720 (3).jpg
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