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思い出しじっくり観る、私を縛っていた記憶が、変わっていく!

強烈な体験! 
こころに残った忘れられない記憶、記憶は過去の事です。 
「こうしてはいけない」「こうしなさい」と自分を縛っている記憶も過去の体験のほんの一部。
内観で、多くの体験を思い出し、ゆっくり自分に落とし込み、
記憶の奥にしまってあった豊かな体験も思い出し、じっくり「観る!」と―
不自由な自分を作っていた記憶に、縛りからの解放が訪れます。
自由な自分を取り戻すのです。
記憶の正常化、健康なこころへの道がスタートします。
5月5日から開催された、サイエンズスクールの「内観コース」参加の感想を一部紹介します。
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◆温かい心の体験を思い出し、味わい、満たされる過程!
6泊7日間の内観を通じて、まこと幸せな人生だと思った。
豊かな人生だな,本当にありがたいと思った。
今まで受けた喜びを通じて満たされ,人生が幸せに認識される過程。
人の成長という側面から受けてきたことを知って満たされる過程。
豊かさ 実にいいと感じた。

おばあちゃんを通して観る
内観の最後におばあさんについて見ながら,本当にあたたかいと思った。
おばあさんの家の前でオシロイバナを取った記憶、ご飯を食べる時に魚の骨を取ってご飯の上に乗せてくれたこと。
退屈ならば一緒に花札遊びをしたこと、お正月だったら一緒にギョーザを、秋、冬になると味噌や醤油を作った記憶。

体力的に孫たちを見るのが大変だったはずなのに,怒ったことがなく面倒を見てくれました。
私は亡くなる前に会えなかったね。
療養院に行った時でもありがとうという挨拶でもしたらよかったのに. 本当にその一言は伝えられなかったなと思ったら涙が出た。

あったかい思い出をたどりながら息子に暖かい記憶をたくさん残したいと思った。 もっと温和で暖かい父親になりたくなった。

母親を通して観る
小学校時代,自分だけ字が読めずに学校へ行ったと思った。
母親は,"忙しくて私の教育にあまり関心がなかった"と認識されていた。
じっくり見てみると,ピアノ,美術学校,学習塾,ユン先生,英語などいろんなことをしたね。

休みの時は,母が直接算数を教えてくれたし,母が勤務する中学校の科学室に行って,顕微鏡で細胞組織や生物を解剖したことを見せてくれた。
なんで、あの時に書き取りの成績が悪いのを母のせいにしようとしたのか?

小学生のときは母親が他の地域に転勤になり,通勤しなければならなかった。
朝夕1時間30分ずつかかる距離だったが、今思ってみたら私たち朝食・夕食をどう食べさていせたのか?
"母が朝,運転するのに眠すぎる"という話を父親としていた姿が思い出される。

父親を通して観る

父親の、聞いて話すやり方が、情が足りないと、自分に無関心そうに把握していた。
母親のように怒ったり大きく反応しないことを否定的に見ていた。
その認識が中学校から続いて、父はそういう人だと強固になったようだ。

注意深く観察してみると,父のやり方で私に愛情を注いでくれていたように見えた。

大学1年生の時、牛乳のバイトをしながら配達に車が必要と思いお父さんの車を借りたが、よく思い出すと,私が早朝運転するのが心配だと思ったのか,私と一緒に早朝から牛乳を受け取りに行き運転してくれて一緒に配達した。

お父さんは元気ないように思っていたが、あんなにも横にいたなと思う。(男性30代)2019-05-23 11.21.45_2.jpg
◆恐怖の体験もそのまま観ていくことで、奥にある本心が観えてきます! .

最近の自分は、人の目が気になるとかあんまり思わないし、結構安心して暮らしているかなと思ってきたけど、内観してみると、日常の仕事や人の世話をしている中に意識上には出てこないが無意識の中にやってあげるのが良い、やらなければいけないという強い自分の観念や感情があることに気付きました。

その奥に何かやらないと自分の価値がない、怒られるなどと強い恐怖があるのだなぁと思いました。

今回、事例の中で調べてみて、こうだからしかたがなかった、こうするしかなかったと、、、だからとしているものを、一つずつはがしていくと底には自分の本心がありました。
それはとてもシンプルで、その都度に、こうしたい(欲求)とこうして欲しい(要求)だけのようでした。
本心は自分の考えが微塵も入りようのないもの。

その都度、素直に湧いてくる気持ちの中にあるようでした。
人と人の関係の実際はいつもこんなシンプルな状態なのかなと思いました。

今の自分の中にあるやらないとなにか起こるかもしれないと漠然とした恐怖は亡霊のようなもので、過去の自分の記憶に支配されているように思いました。
実在しないもの、自分が創り出したものと、どのテーマでも内観するたびに思えました。
素直なこころ、軽く・明るい、本心が観え始める
以前の自分の思い方の傾向として、こうしてあげれなかった、こうしたほうが良かったなど自分が至らなかったと後悔することが多々ありました。
そういう時のことを、振り返ってみて、そういう中でも自分の本心はいつもあり、いろんな自分の考えをかぶせて本位にはやれなかったけど、その中で懸命に生きてきたようです。
自分の後悔はやれなかったという行動のことを思っていたけど、悔やむことではなく、本心のまま生きなさいと心からの呼びかけだったのかなとも思えました。

今は覚えていないけど子供の頃、あんなにも怖かったんだ、不安だったんだというものも、出して観ていき、実際と架空なもの(自分の創り出したもの)と分けていく中で、心の中に水が滲みわたるようで軽く明るい心境になっていきました。
知性で客観的に調べていくと、そうだったという実感を伴った体験も、本心(実際)に焦点があたり、感情も整理され心の状態も変わってくるように思えました。
これからも、自分の知る旅は続きそうです。(女性60代)
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以下のページから「内観コース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/naikan.html
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