心の声を聴こう 内観コース

内観法とは、「自分を知る」ための方法として開発された自己観察法です。

昭和28年に奈良県で、内観創始者である故吉本伊信氏が内観道場を開設し、その効果の大きさから全国・世界にも拡がり、各方面でも注目されるようになって現在では、医療界・教育界、又企業の人材育成等多くの分野で利用されています。

サイエンズスクールでは、自分で自分を客観的に調べることができるようになるための有効な方法として内観法を取り入れ、「自分を知るための内観コース」として2006年から、毎月、開催しています。

この7月(7/2~8)に内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。

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身近な一人一人と向き合い自分の捉えた過去から実際を見る。

これを何度も何度も。丁寧に、じっくり。

丸一日をかけて時代を区切り細かくみる。

単純でシンプルなことだけどこれをくりかえすことで見えてくる実際にあったことと人。

実際のことと自分の考えや感情が混同しているということに気がついていく。

内観は過去の記憶から自分を知る作業かな。

自分てなんだろう。

実際の成り立ちを知りどんな人からどんな影響を受けてきたんだろうとみてみる。

愛情をうけて、たくさんの人に見守ってもらえたから存在することができているのだろうと思う。(30代女性)



面白かったのが、高校3年生になり、よく接する友人が変わり、その変わった友人の影響を受けてすごく自分の人間性が回復していったように思う。

その後も父も仕事が変わったと思うが、家族全体の仲が回復していったように思う。

内観中のCDの話でもあってそうだなと思ったのは、人間は環境の影響をとても受ける生き物だなというのを自分の人生を観察して感じた。

言い換えればそれ程人間にとって環境という要素が大きいと言えるのではないかと改めて思った。(20代男性)



自分を冷静に見れば見るほど、相手への愛情が湧いて出てくる。心が温かくなる。冷静な目で温かい心を回復するということ・・・おもしろいと思った。

自分は人間をどのように見ているのか。自分を見つめることで、人間観、世界観まで見えるということも。

不思議なことに、自分自身を見れば見るほど、自分と世界、自分と人間の間のつながりが見えてくる。

多くのものがありのままの姿で見えてくる。他人を見る視線で自分も見ていた。(30代女性)



思い出す印象的なシーンは、人生のうちのほんの数パーセントで、その他の膨大な時間の「いつもの」「何気ない日常風景」の中に、たくさんの人々、たくさんの思いがあるのかもしれないなあと思いました。

それは特に「受けたもの」を調べた時に思いました。

私の中にたくさんの顔が情景とともに浮かんできました。名前が出てこない人も多かったですが、こんなに多くの人が、ひっきりなしに私の人生に現れていたんだなあと感慨深かったです。

一人でやっていると思っている時でさえ、いや、そういうときこそ、たくさんの人に支えられているんだなあと思いました。(40代女性)

 

最後に嘘とごまかしというテーマで、自分をよく見た。

嘘だと思った時、人を欺いていると思ったが、実際は、私を欺きながら暮らしていたようだ。自分を見ないで、外に視線を置いて合わせようとする過程で、気がつかない嘘をつく時が多かったようだ。(良い振りをしながら、大丈夫な振りをしながら、上手くやる振りをしながら・・・など)そしてそれらがほとんど即時の反応として出たみたいだ。本当は何がしたいのか、自分にも分からないまま、何かをずっとやってきた時間が多くなかっただろうか?と、通り過ぎた時間がちょっと惜しく感じられた。(30代女性)



そう言えば、お母さん・お父さんは、私がどこで何をやっていた時でも、ずっとずっとそこにいてくれたなあ。一度もいなかったことのない、当たり前のようなこと。水のような、空気のような。それを飲んで、それを吸って、ここまで来れたことなんだなあ。

私のすべての出発点にしてベース。心強いバックグラウンド。

怪我しないように、病気にならないように、病気になったら早く治るように、よく食べてぐっすり寝てすくすく育つように、人として正しく成長するように…お母さん・お父さんは常に気をかけたり、体を動いたりしていた。

それは、あなたのことと私のこととして、区分した状態で出来ることではなかった。

お母さんの人生に、お父さんの人生の中に、いつも私のことまでが含まれていて出来ることだった。

お母さんからも、お父さんからも、「ああしろこうしろ」と言われたことがあまりないことに気が付いた。

両親はただ、毎日ご飯を作ったり、服と寝床を用意したり、住むところをちょっとずつ暮らしやすく整えてきた。

欲しいというものを買ってくれたり、お金をくれた。

私が家から遠いところに離れていった時にも、また戻ってきた時にも、二人はずっとここに居た。

一回もちゃんと意識したことはなかったけれど、その点においては本当に安心した状態で、私は思い切り離れて、好きに戻ってきて、また離れることを繰り返した。

その中で自分は、後ずさりしないで、ひたすら前に向かって進んできたような気がする。思う存分自分の人生を生きてきた。

ベースがあっての今なんだなあ。(30代女性)
内観コース | - |

話し合えるようになるために

「幸せに暮らしていますか?」

「何を幸せと思っていますか?」

「人にとって、本当の幸せとは?」

と、「アズワンセミナー」では、身近なテーマを、参加者どうしで話し合いながら、探究していきます。そして、自分を、お互いを知り合っていく「話し合い」の体験の場でもあります。

7月「アズワンセミナー」に参加した方の感想です。



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心が満たされているような感覚は、家族ではない人たちといる時でも味わえるのかもしれないと思った。(20代女性)



学問の「哲学」では文献を調べることが中心と感じるが、ここでは「哲学する」という姿勢を感じた。(60代男性)



「感じている事」が“ある”のではない、“ある”ことを「感じている」んだ、コレはよく前者になりがち。意識したいと思った。

いつも自分の内側で何がおきるのか、自分に矢印向けて観察する、同じく相手のコトバや行動ではなく、その人の内側で何がおきているのか矢印向けてみる。

そうすると、攻撃も防御も必要なく安心して居られる気がした。

中略

「世界」と思っていたものは「私にとって見える、聞こえる、感じる世界」なんだと知った。

もうちょっと、もうちょっと自分を探究したいな、探究している時、目がさえていた。おもしろいなと感じていた。(20代女性)



会話だけでなく、日常行っている行為のほとんどすべてが、このように流れ作業で行っているのかもしれません。

このように思うことが、いいとか悪いとかのジャッジではなく、ただ素直に「あ、そうなんだな」と思えると楽だろうなと思います。

感じることをあると認識するのではなく、あるということを感じる

ただ、そこで起きていることを感じる。

それは自分にも起きているし、相手がいれば相手にも起きている。

そして、起きていることが気になることであれば、「それがなんで起きているのかというメカニズム」をフォーカスすることを繰り返し繰り返し行うことで解決するのだろうなと思う。

日常で、無理のない範囲で、探究を続けていき、本来のもっているであろう身軽な思考で気楽に生きていきたいな。(40代男性)
アズワンセミナー | - |

「人が生きている」とは?

「人生を知るためのコース」では、

人間とはどういうものか、

人が生きるとは、どういうことか、

一週間かけて、じっくりと探究していきます。

「その人の実際」「そのものの実際」に目を向けていくと、

どんな世界が見えてくるのでしょうか?

6月「人生を知るためのコース」参加者の感想文を紹介します。



  * * * * * * * * * * * * *



長い旅をしてきた。

遠い宇宙のはじまりから、色々な舟に乗りかえて。

そうして、今、オレという舟で、オレという心で旅をしている。

どこへ向かってきたのか。 どこへ向かうのか。

長い旅をしている。

一人じゃない。(20代 男性)



  * * * 



自分を見るとか、本心に焦点を当てていくということは一人でやろうとしても(今の実力では)無理だな(全く無理ではないとしても非常に近いところに限界がある)というのははっきり見えた感じがする。現状は善悪の観念が強く、自分ではそれが自分の考えだと気づいてないことも多い。また自分の考えに伴う反応、義務感・責任感・上下感・優越感・劣等感等も大きいのでそれに気をとられてしまいがちになる。少人数でも気持ちのある人で寄って、現状の問題をどうするかよりも、まず、本当はどうあってほしいのか、本心はどうなのか、に焦点を当てていきたいと思う。誰もが本心で生きられる社会の実現には、自分の本心に焦点を当てるところからかもしれないなと思う。(30代 男性)



  * * * 



この感覚、見ることを取り戻し、今後は失うことのないように、今回、再留学もしたのであるが、見失うことなく、深めていきたいと決意を改にした。

人類が、地球が、世界が、一体となって大きな意志をもって、大きく飛躍しているような動きの中で、二元的な見方も心を重視しない見方も必然であり、間違いもないものであろうが、しかしさりながら、人類が開放され、本心で生き生きと楽しく生きていける日が、一日も早く来ることを願って止まない。

その為に、自分自身も思いっきり、それに向かって生きてみたい。(50代 男性)



  * * * 



その人の実際は?という時、行為は最後の目に見えて現れてくるその人のほんの一部で、目に見えないその人の思いや考えや感情などの意識上のこともあるけれど、そのもととなるその人の内面の大きさが、ああそれがその人本体と言ってもいいくらいなんだなと思った。

内面を重視したいと思ったらそうなるんじゃなくて、内面がどれだけその人の中の占める割合が大きいかを知ったら、そっちに目が向いていくように思う。

私にとって結構大きかったのは、善悪とか良し悪しを検討していて、実際の世界に良し悪しってあるんだろうか?良し悪しってなに?と探っていくと、自分の中に良し悪しの観念が強かったのに気がついたことかな。

以前から自分でもいい悪いですぐ見えてしまうなとは思っていたけど、自分が動く時や人のこともそう見えてしまうたびに、なんでだろうなあと思っていた。

実際の世界にはないものだなあ。

いろんなテーマでみんなで検討してきたことがつながっているんだろうけど、なんだか随分楽になったな。(50代 女性)



  * * * 



今は、あの人はどんな気持ちなのかな、その本心はどんな感じになっているのかなというような感覚が、好奇心と純粋な不思議感、ちょっとした愛しさのようなものが入り混じって存在しています。あたたかい感じも覚えます。



コースを通して自分の実際、成り立ちや背景への理解が深まるにつれ、人への関心や親近感、幸せを願う情のような感情が少しずつにじみ出てきている気がしています。この感覚はいったい何なのか?ちょっとした幸福感にも感じられます。何かを達成したり欲しいものが手に入ったりしたときの一時的な強く突き上げるような喜びとは異なり、弱いが優しく漂うようにそっと包み込む喜びのような感じです。

自分のたくさんのものを受け取っている実際を知っていくことで、こころが満たされた感・豊かな感覚が深まり、人へ与えたいという心の動きが生まれたのか、自分の人とひとつのものである実際を知っていくことで、人への興味や人を活かしたいともいえる心の動きが生まれたのか。もしかしたら、人間はもともとこういった心の動きは持っていて、ただ遮断されていただけなのかもしれないなと思いました。

これから日常に帰り元の生活に戻りますが、私に表出し始めた人の実際・本心を知りたい・活かしたいというエネルギーを、人とのかかわりの中でどう表現し、また育て、共有していくことになるのか、非常に楽しみな思いです。

そしてたくさんの人と人が本心を知り合い、本心で生き、豊かな人と人が満たし合い、活かし合う幸せで喜びあふれる社会が実現していく、そんな夢…いや現実を、今日は見始めました。(30代 男性)
人生を知るためのコース | - |

自分をそのまま見ると

「自分」を観察してみましょう。

私は、何を見た?そして、どう思った? 

私は、今、何を思って、なにをやろうとしている?

その都度の自分の状態(言動 感情 気持ちなど)をそのまま見てみると、自分のホントの気持ち、自分の願っていることが、見えてくるかもしれません。

6月「自分を見るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。



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「自分を知ること」を実現していくために「自分を見る」ということをやっていく、と聞いて、始まる前から楽しみでした。

「自分を見る」という事を一つ一つ丁寧に進めていくこのコース。

自分の考えている事がどのようなプロセスで正しい、とされていくのか?

自分が、実際にどこで引っ掛かったり、嫌な思いが湧いたのか、などがほんの少し明らかになったように感じます。

「掃除することになっている」「探究会は9時スタートと聞いている」

など、聞いたら当たり前になんの疑いもなくやっている事について、

自分の意志は?自分の気持ちはどうなっているのか。

なぜルールのように感じている事については、そのままに行動しようとするのか。

その中身はどうなっているのか。

行動する度に、自分の中を見ようとするようになってきました。

「自分は何をやっているのか?」「何をやろうとしているのか?」「実際には何をやっているのか?」

無意識にやっていることってたくさんあります。

むしろ無意識にやってることの方が多いくらい。(30代男性)



「見る」とはどういうことなのか。

過去や現在の自分の中で起きていることに意識を当てる。

何かを見て、聞いて、自分なりに捉えて、反応が出る。

反応が現象として現れ、意識で感じることができる。

その反応を手掛かりに自分がどのように捉えているか、何を見て、聞いているのかを探っていく。

言い聞かせようとしたり、考えを展開しようとするのではなく、今の自分の中に起きていることを見ていく。今のところはどうすればそれができるかがわからない。

そこに今興味が湧いている。(30代男性)
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私は、「自分」について、知ろうとしているだろうか?

日ごろ、人や物事について、「もう知っている、もう分かった」としていることが、ずいぶんあるように思います。

情報や、自分の体験から、「こういう物」「こういう出来事」「こういう人」など、「知った」つもりになることがあるでしょう。

もしも、「そのことについては、もう分かった」としてしまったら、それ以上は、進まない、理解し合えないのではないでしょうか?

6月「自分を知るためのコース」に参加した人の感想レポートを紹介します。





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自分がいかに「自分」というものを決めつけているか、そして自分から見ている世界をも決めつけているか、そのことがコースを終えて一晩明けてひしひしと感じられるようになってきた。

自分自身で作り上げた舞台の上で、自分で作った台本を読んで、自分は劇を演じていることを忘れて、自作の舞台を世界そのものと勘違いしていなかったか。

今回は、自分を知ることをいかに自分が疎かにしているか、に気付くようなコースだった。

自分のやっていたことにただボウゼンとしているが、今の地点から世界を見つめ直したら自分は何を見ることが出来るだろうか楽しみに思う自分もいる。

今回のコースは自分を知る「ための」コースであり、ここを出発点として、これからどう再出発できるか自分なりに試行錯誤していきたい。(20代男性)



これまで感覚ということを、五感で感じたり、身体感覚で感じたりするものとしていました。そういえば、あの人の生活感覚はどうなっているのだろうとか、あの人はセンスが良い悪いなど、ものの形状だけでなく、人の行動の様子まで、良い悪いと判断をしていたことを、自分の感覚でやっていることだと、はっきりと自覚していませんでした。

その人はその人の感覚でやっていることであり、それを見たり聞いたりして、私は自分の感覚で捉えたことを元にして判断していることを、他人事にしていたようなものです。(70代男性)



別に自分を知らなくても、知らなければならないこともない。

ただ、思ったことは、でも、まだ僕は、そんな自分とこれからもずーと一緒で、この人生を生きていくということだ。そして、もっとも、自分に近い一番身近な存在でもある。

その自分を通して、実際の自分を知りたいし、そしてその自分を通して、この世界や人を見ているし、その実際を知りたいと思っている。

そう思うと、本当にそんな自分を「大事にしてあげたい」と思った。

「自分を大事にしたい」、初めて思ったかもしれない。

もちろん、なんやかんや、自分のやりたいことをして自分優先して生きてきた自分だが、はたして、自分自身を、じっくり、ゆっくりとみつめて大事にしてきたか、どうか、というと、ずいぶん、乱暴にし、ムチを打って、強いて、責めて、苦しめて、無理くりに生きさせてきたような気がする。乱雑だったな。

たぶん、人に対して、同じようにしてきたんだろうな。

その自分の実際にふーっと目をやると、両親の愛情を受け、世話になり、また多くの人たちに世話になり、一人ひとりの大切なものを注がれて生きてきたことに目が向いた。

ほんとうに自分の存在って、大事なんだ、かけがえのないものなんだなー(50代男性)
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「社会」、何のためにあるのだろう?

そもそも「社会」とは、なんでしょう?

「社会」は何のために作るのでしょう?

「社会」は、人にとって重要、大事だとは思っていても、「社会」とは?と問われると、あまりにも知らないということに気づきます。まずは、自分の社会観を調べてみませんか?

そして、ほんとうに願っている「社会」は、どんな社会でしょうか?

5月「社会を知るためのコース」に参加した人のレポートの一部を紹介します。



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「するべきこと」「してはいけないこと」というのは本来あるのだろうか?

実際は何もないよなあ。

責任、権利、義務というものも本来は無いよなあ。権利を主張し、権利を持てば自由が増すかのように感じるが、権利と義務はコインの両面のようにぴったりとくっついているようだ。権利が増えればその分、私やあるいは他人がしなければならない義務が増えるんだなということを調べながら、権利を主張する活動等が、実際は互いに不自由な方向に行ってるんだな、ということが見えてきた。

「社会は何もしなくてもよい」というポイントで、社会が新しく見え、新しい社会を作るんだと思う。

いつからか個人も社会もあるのが当然となってしまい、そんな風に世界を見ているのだなということが見えてきた。

何もしなくてもよい社会であるのに、いろんなことをしてくれている。そんな風に見るにつけ、有難いことばかりだなあと思う。してもらい、受けてばかりだ。



人の内面、心の状態に関心を持ち、その心が満たされて成長できるように支援する社会。

個人がそのようにするのではなく、社会が一人の心と一つになっていこうという社会。

それで、その人らしく発揮できる社会というのがあるんだなあ。

社会から、心が満たされて、その満たされた心で、個人が自分らしく成長、発揮され、それが再び社会に流れるような社会。(30代男性)



現状では、社会のために人は作られている。

子供のころから「こうするべき」を教え込んで、権利義務や所有観念が染み込んでいく。

そして、互いに押し付けたり、やらせたり、責めたり、縛り合う。

でも実際の世界は「なにもしなくてもよい」

権利義務、所有も責任もそこには存在していない。

これがベース。

ここから生まれてくるのは本心。

「やりたい。」「やってほしい。」人の要求。

そこから見た社会があるんだ。

社会は人をサポート、応援することだけ。 経済をサポートすることでない。 

経済の成長ではなく人の成長。 

本当に人の心が満たされる社会。 

仕組みや機関はその結果で、出来てくる。 

力が抜けた。

社会がどんどんそういうふうに人をサポートしていったら、想像つかない社会ができてしまう。

どこを、重視するかだね。 

“社会をツクル”は簡単でシンプルに見えてくる。

「何もしなくてもいい」から、心オープンで話したい、ミーティングしたいな~。(50代男性)
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人として

人が人として生まれ、人として、その人らしく生きる。

そもそも「人」とは、どういう生き物か?

「人が生きる」とは、どういうことでしょう?

5月「人生を知るためのコース」に参加した人のレポートの一部を紹介します。



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人の自分の行為言動の現れの前に 意識上の自分の思いや、考え意思・感情・欲求・気持ちがある。

そこを紐解く?と本心にたどり着くらしい。

言動だけ見るとわけが分からなく、みんな違って、どうやっても争ってしまうように思う。

何を言っているのか、何をしたかったのか、内面を見ようとする。 

行為言動の良し悪しではなく、重要なのは、内面。

弟と言い争った事が印象に残る。

何を言おうとしていたのだろう。

思いに気づく、してほしい中身は、弟の人間性を表していた。

人の、自分の本来性は、満たされ、人と人との繋がり、社会の中で、豊かに、多様に、繋がって、受け継がれていく。

実際の世界、自分の成り立ち、自分が何者か、人が何から出来ているか見ていくと、そのまま、実際に近い形を好むように思う。(20代男性)



悪い事しそうな○○さん、私の見方に悪い人というレッテルを貼っている姿を思った、悪い人を事実にしている感じである、私の中にその人の距離感が発生してくる、隔てが出来ている。

その人の内面・心に、目を向けていくと、「気持ちは?」と、レッテルが剥がれだす。

何を願っての行為・行動なのか? もっと深く、その人の心底は?と、見ようとして見ていくと、広がりと深みをもって見えてくる。レッテルを貼った薄っぺらい自分の癖が遠のいていく。

人は、社会の中で生まれ、愛情を受けて満たされて育っていく。

人の中で安心を得、聴いてもらえる・受け止めてもらえる、人の心に満たされて、知る能力を育てながら、成り立ちを知り、事実・実際の豊かさを感じ満足し、自らの内に湧いてくる欲求によって動き、人によって欲求を叶えてもらえる嬉しさを知り、人の欲求に応える喜びを倍加させながら、人と人の中で人と共に、幸せに成り合っていく・・・人生。

人の心は元来優しい、奥底に愛しむ心が見えてくる、豊かな心の人生が、豊かになり合っていく、心育つ人生が・・・。(60代男性)
人生を知るためのコース | - |

身近な人と心通い合っていますか?

夫婦で、親子で、会社の仲間と、心通じ合いたいと、話し始めて、

話し合えば話し合うほどに仲が悪くなった経験はありませんか?

「話し合う」、一番の要は、「聴く」ということでしょうか。

そして、聴く対象が、その話の内容もありますが、「人を聴く」に鍵がありそうです。

5月「人を聴くためのコース」に参加した人のレポートの一部を紹介します。



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相手の心を聴こうとはするけれど、なぜ、それがうまく出来ないのかを調べた。

「言葉」というものは概念だと言っているが、実際にはそのことを理解していなかったんだなということが分かってきた。

現れた表現・言葉ではなくて、その前のその人の心の状態、言葉に現れたその人の背景に関心を傾けることが、より一層明らかになってきた感じだ。私が相手の言葉をどのように捉えているか、どのように見ているかを認識することがものすごく重要なんだなということを感じた。

そこからすべてが始まると言ってもいいだろうか?



また、「聴くこと」と「やること」がぴったりとくっついていて、相手の話を聴きながら、すぐに、「私がするのか、しないのか。」「出来るのか、出来ないのか。」と考えているのだな、と見えてきた。

相手の言葉を先ず聴くことよりも、私の側からどのようにするべきかを考えていた。

だから相手の話がよく聴けないのだ。



「人を聴くことは、その人の世界に入っていくこと。」という言葉が印象的だ。

相手の話をいくら聴いたとしても、それは私の世界で、私が認識した範囲内であって、その外では認識することが出来ないこと。

それでも本当に相手の心を聴こうとしたら、本当に既存の私の世界を超えて、相手の世界に入って心を聴いていきたいものだ。

そしてそんな風に聴いていこうとする心、関心が、結局は、私の世界も、より一層広げて、豊かなものへとなっていくのだろうと思う。(30代男性)



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相手へ相手へといく「聴く」と、「やる」(自分の中のこと)

方向性違うのに「聴く」即「やる」になりようがない。

また、相手に向かうことにより、自分の考え、思いみたいなものが薄れていく様な気がする。



自分が捉えていることを言っている。そのことを言ってない。

相手もその人が捉えたことを言っている。そのことを言ってない。



この辺の所がはっきりすれば、たとえ混乱しても元に戻れると思う。

そして、自ずと、お互い、相手に気持ちが向かうと思う。(60代男性)
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自分を知り 人と社会を学ぶ アズワンセミナー

5月の連休(5/2~7)に「アズワンセミナー」開催しました。

社会の基本である”人と人の繋がり”を知る5泊6日です。

参加した人の感想の一部を紹介します。



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みんなと共に、ひたすら探究するという事を繰り返す生活に身をおくと、「こんなにも自分の中での思い込みが、当然のように自分を支配しているのか!!」と驚きの連続でした。(30代男性)



特に全過程を通して感じたことは、【言葉】はかなり不確定なものであるということ。夫婦でも言葉にまつわる喧嘩が多々ありますが、解決策は【言葉】の根本的な認識のところにあったのだと分かりました(解決しないはずですね)。

初め苦痛で仕方がなかった探究中の沈黙も、なぜ苦痛なのか?と考えると自分の癖が見えてきました。

「この時間がもったいない」という時間にせっかちであること。

「もっとこうして進行してくれたら‥」という他力本願な思考癖。

「ここに来たら何か得られる、自分は変われる」という受動的な考え方。

客観的に見たらなんて小さな人間なのだろうと思うのに、それが実際の自分なのだと思うと、自分のことは意外と知らないものだと気づきます。

(30代女性)



6日間終えてみて、じんわり何かが伝わって来て、やり方は驚きの連続でしたが、伝わってきたものは、忘れていた何か、大切な何か、自分の中にもともとある何かであると思います。

言っても言わなくても、聞いても聞かなくてもよいとか、“自分はどうしたいのか”という問いにしても、はじめは驚いたのですが、その人らしく主体的に生きることを大切にしていたら、当たり前のことであり、それを失ってしまったことに逆に驚きました。(50代女性)



参加してみて想像していたのとは全く違い、どんどんリラックスして話しやすくなっていく事に驚いた。

これまでの日常の相談、打合せでは短時間で結論を出すために、自分と異なる考えを十分に聞かなかったり、強引に話をまとめるために、ずいぶんと無理のある方法で、ストレスを感じながら行っていたように思う。

「自分について」は、きっとたくさんのきめつけがあると思う。外していくとどんな自分が出てくるのか楽しみだ。

「幸せ」とは、自分一人の幸せではなく、周囲を含めた幸せであり、つきつめていけば、世界中の人々の幸せであるということが、みんなの話し合いの中でしっくりときた。(50代男性)



周囲の人達と生きてきたこの世界は、自分がつくり出しているものであるという、感覚を持つことができて、自分の思い込みやキメツケがなんと多いことかと、愕然とする一方、新しい世界が開けたような気がしている。

これから、周囲の人に対してすごく親しみを感じられる気がしたし、実は「私」と「あなた」の境目はすごくあいまいなもので、まさに世界が一つであるかのような(As onc)、互いに家族であるかのような争いのない社会を創り出すことができる可能性を感じることができた。

自分にとっての「家族」はどんなイメージだろう。

自分にとっては温かい、利害とは無縁な関係性、そのような関りを思いだした瞬間、熱いものが込み上げてきた。

家族じゃなくても、そんな関りがある気がした。(30代男性)



私の中にはまだまだ気づいていないたくさんの囚われがあるのだと思います。でも今、このセミナーを終えたばかりの私であれば、わが子に対しても、「あなたはどうしたいの?」と、本心から尋ねることができるような気がします。

そして同じ物事に対しても、私はこう思うけれど、子どもたちはどう思うのかを知りたい。

日常に戻ったら、気づかぬうちにマイフィルターをかけて物事を見てしまうのかもしれませんが、このセミナーで学んだことを思い出して、少しずつでも自分を探究し、本心でつながる人と人との関係というものをこれからも体感していきたいなと思っています。

一人一人の主体性が尊重され、人と人とがともに助けあい安心して楽しく暮らせる世界――。

アズワンセミナーを受けてみて、漠然とこれまで私が描いてきた「平和な世界」は絵空事ではなく、実現可能だと実感できるようになりました。

わが子を含め、今を生きる世界のすべての子どもたちにそんな世界を贈りたい――。

たくさんの仲間がいたら、結構早くに実現できるかもしれませんね。

そんな世界になることを心から楽しみにしています。(40代女性)
アズワンセミナー | - |

素直な自分に出会う~内観コース

今日から、6泊7日で、内観コース始まりました。

「内観コース」は、自分の人生にじっくり向き合い、「自分で自分を観る」機会です。

その中で自分を客観的に観察する力が養われていきます。

客観的に自分を観ることができてこそ、本当の自分を知ることも出来るようになっていくのでしょう。

3月「内観コース」に参加した人の感想の一部を紹介します。



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終盤になって、より具体的な場面を思い出し、その時の自分を見る。が、どうしても「あんなことしてしまった」「もう取り返せない」「悪いことをしてしまった」とドンドン反省する気持ちが出くる。面接でそのことを言ったら、「『悪いことをした』っていう気持ちをそのまま見るっていうか、認めるというか・・・」それを聞いた直後、僕の心がようやく長年の重圧というのか、突き刺さっていた棘がスッと抜けた。どういう作用か判然としないが、今まで自分の心を「悪いことをした」という思いで、固くしていた。閉ざしていた。それが一気に溶けて、開いた。

言葉にするとなんか物足りないけど、自分でもびっくりするような作用が心の中で起きた感じがする。

頭を使って唯々思い出すことだけをやってきたが、気が付くと心が穏やかになっている。

そんな一週間でした。(50代男性)



最初、内観は親などにトラウマを持っている人にとっては、いいかもしれないが、私のようにどちらかというと何不自由なく普通に暮らしてきた自分にはあまり必要ないかな、とも思っていた。

でも、内観をしてみて、「当たり前」の呪縛から外れてみえた、「何不自由なく」という言葉がまるで魔法のような、奇蹟に感じられ、どれだけ今の自分が両親や夫、友達などの多くのサポートによって、生かせれているのか、実感されて、有難く有難く、涙が溢れてくる。

母がどれだけ、自分に対してしてきてくれたことを改めて実感でき、まだ、母が生きているうちに内観が出来て本当に良かったと思う。(50代女性)



私という存在は、本当にたくさんの助けの中で育てられてきたんだなあ、と見えてきました。

子供の頃、両親と祖母の世話の中で、愛をたっぷりと受けて成長してきたんだな、と感じます。

生まれたときからおむつを何千回取り替えてくれたのか、ご飯も 数万回作って食べさせてもらい、洗濯も数千回して干し、私が着られるように準備してくれたのに、あまりにも当たり前に受け取っていたなと見えてきました。

このような部分に対しては、知っていると思っていたけどよく知らないでいたなと、知ることになりました。

母に対してを内観してみると、小学校の時で、雨が降る日の下校時、他の家の子供たちは、お母さんが傘を持って迎えに来るけど、私の母は来ないなと、雨に濡れて歩いて帰る、自分の姿を思い出しました。

その当時、母は教師の仕事をしていました。そのようなことがしばしばあり、私は、母はこのような事に関心があまり無いように思っていました。こんなに準備を色々としてくれたのに、関心の無い母親だと考えていました。

そんな、雨にちょっと濡れるくらい大きなことでもないと忘れていたようなことであったけど、今回よくよく考えてみると、私の母もこの時私を迎えに来たくなかったのか?雨が降る日、学校に居ながら、傘をさして帰っていく学生達を見ながら、自分の子供はどのように家に帰っているのだろうかと考えていなかったのか?と考えると涙が出ました。母はいつも私のことを思っていたのに、私は私のことに無関心な母だと思っていたんだな、と見えてきました。(30代男性)
内観コース | - |
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