人生・生き方の探究

「自分らしく生きたい」とか、「幸せに生きるために…」などと、よく耳にしますが、そもそも、人が生きるとは、どういうことでしょうか?

人の一生を観察して、人生の目的や生きがい、本来の人の一生を探ってみましょう。

9月「人生を知るためのコース」の感想レポートの一部を紹介します。



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人がどういう生き物かというと肉体面ではなく精神面という要素が大きいように思う。

行為という現われのそのものは心から湧いてくるものに影響されているだろう。

心が満たされている状態で現れてくる現象は自然と明るい、優しい、元気なものが多いように思う。

今の社会だと、行為の方を明るく、優しく、元気にしなさいと考えでやらせようとするが、心にとっては逆効果になることが多いだろう。

心が満たされるというのは、何で満たされるのだろうか。

モノが欲しいという欲求が叶うことから満たされるのもあるように思うが、人から満たされる部分が大きいように思う。

人がいれば満たされるかというとそうでもないが、人の心から湧いてる部分を受けて満たされるように思う。

欲求とは別に人に対しての要求という観点も面白いなと思った。

本心というのは、願いのようなものかもしれない。

なっていこうとするベクトルなようなものかな。

自分が満たされたいし相手も満たしたい、別の表現だと成長していきたい、豊かになっていきたい、活かしたい。

自分だけでなく、相手も、人間だけでなく、他の生命も、生命だけでなく、世界中のモノをそのもらしく豊かな方に向かっていきたい。

そのようなベクトルが働く生き物なのかもしれない。

人の社会が人の豊かさを重視してないって改めて見ると不思議だなと思った。

人が豊かな社会。

そんな社会に向かっていきたいなぁ。(20代男性)





人と人との間で本来の心が育ちあっていけたら、人は人らしく、幸せになろうとする働きが、自然に出てくるものなんだろうな。

そしたら、ただ“今ここ”に存在しているだけで、人は満たされる気がする。

外に何かを求めたり、何かをすることで満たされる喜びもあるけど、もっと心の底から“ただ、命としてある”ことを喜べること。

私の本心、心からの願い、~そんなものを、もっと観ていきたいな。(50代女性)





実際に人が生きているとはどういうことなのか。

人の命は一人で成立しているわけではない。

身体中の水分は常に世界を循環しており、呼吸している空気も一定の構成要素を保ちながら入れ替わっている。

自分の一部だったものが、ある時は海にあり、山にあり、他の生物の血肉であったりする。

体内では無数の細胞や器官が複雑に関わり合い、一つの命の流れを作り出している。人が生きるということは適当なものではなく、方向性を持っており、何かを実現させようとしている。

人が人らしく生きる、その中身には心と知性の働きが必要不可欠に思える。

心や知性があるからこそ、人が人として生きるということが成立するのではないか。

人は心によって世界と触れ、豊かさを感受し、膨らませていく。

また、心の好奇心によって知性で知ろうとする働きも生まれる。

知ろうという働きによって心は様々なものを受け取り、豊かになっていく。

こうして、心が満たされ続けていく。

人は心や知性によって、自らが進む方向を知り、選ぶことが出来る。

人は自分や人の本心や実際へ目を向けることが出来る。

人が成長するとは単独でなされることではなく、他の存在との触れ合いの中で、共に成長していく。

成長を分かち合えば分かち合うほど、人は豊かになっていく。

そして、実際を知って、成長し、周囲と豊かになり合い、世界全体で幸せへと進んでいく。(20代男性)
- | comments (0) |12:47

人としての成長・・・成長とはどういうことだろう? 

人は本来、知的な欲求を持ち、自分自身のこと、自分を取り巻く世界を「知る」ことで、人として成長していくのではないでしょうか?

自分を知り、自分を支えている人や物や社会を知り、本当の願いや自分の生きる目的を知ることで、より良い日常生活、ひいてはより良い人生を送ることができるようになります。

自分を見つめ、本当はどうなんだろうと調べる知性が育つことで、人間関係や周囲の環境に振り回されずに、自分の生き方で、周囲の人と共に歩んでいけるようになると考えています。

8月「自分を知るためのコース」に参加した方の感想の一部を紹介します。



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いろいろな視点で検討していくなかで、両者はまったく別物であるが、人間(自分)は、自分の感覚、思い・考えを事実としてしまうことが多々あり、そのことでいろいろな問題が発生するのが見えてきた。

自分の考え思いが「そうだ」「わかった」「知っている」など固定化した時点で事実としたのではないか。

「できない」「やめられない」など未来を予想して断定した時点で、事実としたのではないかということが、検討する中で見えてきたと思う。

「自分を知るためのコース」の自分を知るとは?

まず自分を観察して、その時の自分の考え思いが、固定したり、事実となったりしているのか、それとも決めつけずに「実際はどうだろう」と探究しているのか、どちらなのか知ることが自分を知る事のスタートではないかと思う。

サイエンズを知り「実際はどうだろう」という知性を知った自分。

人として知性と心の成長を考えるようになった。

そのためには日常のなかで「自分の実際はどうだろう」と探究していくことがその第一歩だと思う。

何才になっても人として成長していける可能性があると思うと、これからの人生が楽しみになってきた。(50代男性)



「私はものごとをどう捉えるのだろうか」とニュートラルな状態が、決め付けのない自分を知る状態なのではないかと思った。

“知る”とは、いつまでも「知っている」状態にならず、答えを決めつけずに常にゼロから観察すること。かな。(40代女性)





決めつけようがない。唯々限りなく知っていくだけの、また別の次元の「知る」の世界。その「知る」が始まるところから、人間を含んだあらゆる物事の実際に向き合い、知れば知るほど、そのものを大切にし愛する心が育ち、その心から自ずと現れる行為で成り立ち、営まれる暮らし・人間社会が実現する。どこまでも果てなく豊かになり、成長していく人生。

「人間を知り、人間らしく生きる」の意味が自分の中でもうちょっと繋がったように思った。(30代女性)
- | comments (0) |09:30

素直な自分に出会う~内観コース

静かな場所で、誕生から現在までの自分の歴史を振り返り、自己を発見する機会です。過去を振り返ることで、今まで思っていた過去の見え方が変わり、現在の自分の捉え方も変わります。

素直で正直な自分の心に出会うことでしょう。

8月内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。





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幼い時、お腹が痛い時にお母さんが手で撫でてくれるのが好きだった。でもある日叔母が、この子は構って欲しくてお腹が痛いと言ってるみたいとお母さんが言ってた、というのを聞いて、そうしてはいけないんだと思うようになったことが浮上してきた。

関心を受けたいということは甘えであって、そういうのは良くないという風に考えてしまったんだなあ。

お母さんに本当に愛されたかったけどそれを表現すれば、より愛されることが難しくなるようになってしまっていたようだ。

そんな風に話すと良くないと考えて、嘘をつくようになる瞬間等が見えた。

その時その時気持ちを素直に見ようとしたら、気持ちに、「良い」「悪い」というのがたくさんくっついていたんだなあ、と思った。(30代女性)





調べていくと自分でも不思議な自分の行動が出て来た。

よくよく見ると自分のその時の気持ちは全く分からないまま外に自分がどうすればいいかを求めていた。

私としては外に合わせているつもりだけど、それで合っているのか分からない、不安で怖くて余計に外に注意を向けて自分がどうするかを決めようとする・・その悪循環を繰り返して余計に訳が分からなくなっていた。さらにその時の事が《怖い事・良くなかった事》として記憶に残り、ついに《もう見たくない事》になっていた。

ここでも、怖いから見ない→見ないから更に怖くなる→更に怖いから見ない・・の悪循環を作り出していた。

自分に対して本当に無関心だったな・・と思う。

これでは本心は分からないし、自分でも分からない本心は他の人にも分かりようがない。

自分に本心があることが分からないから、人の本心にも関心が向かない。

まさに話し合えない自分だったな。(40代女性)





いつもどこかで、感情的に自分を見ていたり、何か解釈をした上でそれにそった自分を見ていたように思います。

それが今回、順を追ってゆっくりと自分を見ていくことで、今まで気づかなかった自分や周りの人のことについて見えるようになりました。

両親や祖父母が自分をどう扱ってくれていたか、どれだけの思いやりがそこにあったか。友人や先生、周りの人々にどれだけ恵まれていたか。

自分が気づかなかっただけで、自分はとても多くのものを周囲の人から受けており、自分の存在そのものもとても貴重なものなのだ、と深く感じました。

中略

内観をしてみて、いかに自分が狭い視野の中で自分を見ていたのか、自分が実際はとても大切に扱われていて、かけがえのない存在なのだということを強く感じました。

そして、僕の周囲の一人一人の人もそういうかけがえのない存在なのだとも。(20代男性)
- | comments (0) |09:43

私は、どんな社会に住みたいだろう? 「社会を知るためのコース」

人が本当に幸福に生きていくことを突き詰めていくと、自分一人だけで幸福に生きることは出来ないわけで、幸福な社会が必要不可欠なものとして浮かび上がってきます。

どの人も尊重され、満たされ、その人らしく生きられる社会が実現されていくには・・・?

人とは、人生とは、社会とは、社会をつくるとは、と探り、かつてない新しい社会を創造していくためのコースです。

7月「社会を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。

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「社会」が自分の外に大きくあるのでなくて、

自分が社会。

人と人のつながりが社会。

人の気持ち・意志で営まれる社会。

外のもの(やらなければならない・してはいけないことがあるベース)でなく「自分も人も社会も何をしなくてもよい」がベースから、~してほしいと要求し、それが認められ、受け入れられて、心が満たされていく社会。

どこまでも「人と人の気持ち意志の社会」とシンプル!

子どもが~してほしい(気持ち)、それを自分の気持ちが、それをやりたい気持ちが湧いているのか、見ないで、「やるのが良い」でやることが、やってもらうのが当然(いばる人)をつくる・・・これもビックリ!

これは自分の中で小さい時から強く入っている。

実際は何もしなくてもいい(本当だなと思う) → やりたい気持ちが湧いているかを見る。

やりたいかやりたくないかと今まで見ていた。

「人のための社会」がより鮮明に具体的になって見える。(70代女性)



人の気持ちと気持ちが出会って社会が創られる。

人の気持ちと気持ちが出会う瞬間、お互いがお互いに、そして、その周りにも新しい社会の空気が創られてくる。

人の気持ちと気持ちが出会うということは、

「人は何で動くのか」「人は何で生きるのか」「どこを見てその人だとするのか」を知っていき、自分の中にある気持ちがそのまま現れるところからスタートなんだろう。

やることが当然となっている状態では「やりたくない気持ち」が目立って見えるし、しなくても良い状態では「やりたい気持ち」しかないんだなあ。(30代女性)



コ-スの最初の時、どの人も自由にしたらめちゃくちゃになった社会を想像する自分がいた。

一週間のコースはそこからどうしてそういう風に考える状態になっているかを調べてみる過程だった。

一週間、調べながら残ったのは、結局 人と人の心、本心から湧いて来る意志と意志が出会って、お互いに 生きていく社会へ一緒に進んでいくだけだなと思った。

実際に起きていること、実際にあることを見ながら生きることだな。

義務、責任、権利、所有などがすべてない、何もしなくてもよい原点に立つと何が残るか。

一人一人の自発的自由意志、本心からの意志。

そこから始める社会はどんな姿だろうか。

でも、とても簡単という気がした。

ひとの心から湧いてくる要求と要求の出会い。 それが現れて作られる社会。

人、一人一人はそういう状態がなくても何もしなくてよい社会の気風、その中でそういう人達の関係の中で互いに内面を重視しながら進んでいく社会。

どんどん、もっと、明らかな方向へ。

自分の中が何もしなくて良い状態になっていく方向へ。

そういうお互いになっていく 方向。

その道が全人類も、自分も幸せになる方向ではないかな。

本当の社会は、どんな姿が現れるかな。(30代女性)
- | comments (0) |11:09

「私の人生」を生きているだろうか? 人生を知るためのコース

結果に一喜一憂する、周囲の評価を気にする、他の人の言動が気に障る等々は、自分の生き方をしていないことから来るのではないでしょうか。

趣味・興味・関心・得手不得手・感情・欲求・願望・知識・経験・発想・思考等々、自分のものだと思っていても、自分の生き方をしていない自分から出ているものかもしれない。

人生の目的を知り、本当の自分を知り、未知なる自分への好奇心に生きる、自分に最も適した他に真似のできない生き方を探究する機会です。

7月「人生を知るためのコース」に参加した人の感想の一部です。



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更に4日目に「一つの世界」「地球は一つ」というテーマで検討していくうちに、すごく、私の家は家、Aちゃんは関係ない別の人みたいに、バラバラに捉えてる自分の観え方が見えた。

バラバラ・別々関係ないものを、一生懸命受け入れようとしている自分、受け入れないのはひどい人、ダメな人としている自分、間違った捉え方から出てくる気持ちにマル、バツを自分自身でつけて、ダメだ出来ていないとして落ち込むという、とても複雑な迷路の意識に迷い込んでいたようだ。

実際の成り立ちを観てみると、水も雨になったり川になったり、海に行ったり蒸発したりして繋がっているし、自分もそれを飲んだり食べ物を食べたり、自分が生まれて今、ここにいる事だって繋がりの中で存在している、人だけ別という事はないと思う。

何か、人だけは別みたいに捉える意識があったな。

別々に観ていて、それは良くない事としていたんだな、「実際の世界」の成り立ちはどうかな、全てが一つで繋がっている、そしたら、私は「イヤなんだ。」とかいう気持ちも安心して言えるような気がする。

何だかこのからくりが観えた時、心の入り口のもつれた部分を発見したみたいで嬉しかった。(50代女性)



自分が自分の意志で生きていると思っていたけど、実際の世界を少し垣間見ると生かされているとしか言いようがない。

地球が超高速でまわりながら太陽の周りをまわっているのに私たちは何も感じないし、太陽からの距離といい、大きさといい傾きも生き物が生きれる環境が、偶然にもというか必然的にというかできてしまった。

何かの作用というかバランスというのか。

自分が生きるためにやってることもほんの少し。

ほとんどやってもらってる。

そして自分じぶんと言ってるこの自分も、生きようとするエネルギーからなにか欲求が出て来るけど、あとは受けたものでできている。

人、食べ物、自然などなど、それぞれの背景もあり、成り立ちは計り知れない。

今までは自分も人も、すべての繋がりの中で必然的に現れている現象を見てその人、そのものとしていた。

自分もその人にも心がある。確かに自分にもある。

そして人には本心がある。

私にも本心がある。

トマトみたいにどんな環境でもトマトらしく生きようとするエネルギーのような力というか欲求が人間にも元々ある。

自分の中から湧き出てくるもの。

安心したい。満たされたい。幸せになりたい。みんな幸せ。豊な人になりたい。

本心で生きる。本心が目的でそれを実現するための手段が仕事や暮らし。

いつの間にか手段が目的になってしまう。

自分ひとりで本心で生きようとしても無理がある。

みんなが本心で生きれるような社会がいいな。



本心はわからない~と自分をごまかさないで自分の内面に目を向けてみよう。

やることはそのぐらいかな。自分の中を観察・探究する。

欲求はみんな本心から出てるけど心の状態で反応が色々なのかな。

自分の要求が何かもっとハッキリしてもっとシンプルになる感じがする。

何で自分が満たされるのか?

本心から出てくる欲求や要求が満たされて、実際の世界を知れば知るほど豊になり知性や心が育ち成長していくのかな。

年をとればとるほど心が豊になっていく。そんな人生を送りたい。(40代女性)
- | comments (0) |18:04

自分を観察してみよう。~ 自分を見るためのコース

自分自身に対してや、日常の物事の観方や捉え方は、それぞれの価値観・人間観・社会観などを物差しとして判断しているのだと思います。

その物差し自体は、自分に身に着いてしまって、日常では自覚することもなく、当然のようになっていることが多いと思います。

その物差し自体を観察して、客観的に調べられるようになることで、キメつけや頑固さから放たれ、素直に自分自身や物事を見ることが出来るようになるでしょう。

7月「自分を見るためのコース」に参加した人の感想レポートの一部を紹介します。



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「自分が何を見たのか?」  道

「そこから何を捉えたのか?」  家へ帰る道

「反応は?」  安心

普段、見たものと反応がごちゃごちゃに混ざっていたり、自分が特定の捉え方をしていることを忘れたりしている。そしてそのまま、それが事実だと思い込んだりする。それを繰り返しているとだんだん視野が狭くなっていったり、自分を追い込んでいったりするのかな。

あとは、「見る」ことを妨げる一つの要因として善悪という話もあった。

自分の捉え方や反応に良い悪いを考え始めると見えにくくなる感じがある。

こんな捉え方をするのは良くない、とか、こんな反応をしては良くない、みたいな。

捉え方や反応そのものに良いも悪いもない。

怒るのが悪いとか、そういう話ではない。

反応や捉え方はいろいろしていて、それをどうこうしようという前に、まずはそのものを見てみる。

そこから始めることで、自分の捉え方の癖を自覚できたりするんじゃないかな。(20代男性)



○○さんを見て、イラッとする反応が出た。

その時点では、○○さんの言動に反応したようだった。

けれども、自分の中で起きたことを見てみると、自分の捉え方があるのが見えてきた。

自分が、○○さんをどう捉えているのか、ひいては、人というものをどう捉えているか、にも通じると思った。

「こうしよう」となったら、相手はそうするものとか、そうして当然とする捉え方。

逆に言えば、自分はそうしなくてはならない、そうしないのはよくないとする捉え方。

まずは、こういう捉え方をしている自分だということ、このことをじっくり見ることができた。

こういう自分の捉え方という自覚があるということ、ここから始まると思う。

これから、自分に起きてくる反応を見てみるのが楽しみだ。(60代男性)



赤信号は止まるもの、交通ルールだから、しかし、やはり、自分の中では、赤信号は止まらなければならない。

と思っている自分がいる。

だから、赤信号を見ると、ちょっと、不愉快な気持ちになる。

そう反応している自分に対しても、何か認めたくない自分がいる。

事実を受け止めるんだとか、ささいなことに動揺しないとか、そういう考え方が自分の素直な反応を見ないように、制御している自分がいる感じもある(分析だから、そうとらえるのも自分の考えの方)。

この微かな動揺は、人に対して起こっている。

人の行為を分析してみたくなるのは、自分の反応の仕方を納得・理解したいからか・・納めたいと思うからか。

みんなが自由奔放にしていたら、何か自分の気持ちが収まらない感じがある。

「ただ、見る。」

「ありのままを見る。」

「どう反応しているか見る。」

「どのように捉えているか、見る。」

まずは、素直に自分の中に起こっていることを見てみたいなーという感じ。(50代男性)
- | comments (0) |11:19

自分の成り立ちを知ろう 自分を知るためのコース

「自分を知るためのコース」は、自分の行動や思考・感情などを、自己観察し、科学的に分析するコースです。

自分の存在、成り立ちや背景、あらゆるものとの関連を知ることで、心豊かな自分になっていきます。思い込みや決め付けから解放され、人間らしさを発揮し、知的に幸福を探究していくための基礎コースです。6泊7日で毎月開催しています。

7月(7/23~29)の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。



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私はどうして今の私になったのだろう。

いくつもの???が膨らんだ7日間だった。

自分を知るということは、自分という個から抜け出し、無限に広がる世界に踏み込む一歩なのかもと思った。(40代女性)



やれているか?

間違ってないか?

おかしい事言ってないか?

いいか悪いか、正しいか等で、考えに行くと

不安や焦燥感、(劣等感・上下感・優越感)

何かに反応してイライラする感じ。

やれているか?からでなく

とりあえず、観てみよう

やってみようっていう方に行くと

不思議とストレスが和らいでいった気がする。(20代女性)



記憶や経験で作り上げた根拠もまた、自分の感覚であり、事実ではない。

他の人と、共通のものとして通用しそうな、一般概念、色、ものごとの形容なども自分が捉えた感覚であるが、それを自分の外にあるもの、自分の感覚外のものとすることでその考えに自信をもち、自分が正しいとしてしまう。

自分の捉えた世界があれば、他人が捉えた世界もある。

捉えたものが自分独自のものだと自覚し、他の人に通用するものではないと気づくことで、決め付けや思い込みが減っていき、よりよい関係を続けていけると思っている。(40代男性)



「知った。」「わかった。」という固定的な考えが生じるメカニズムが以前より明らかになった感じがする。

隔てというのもあるだろうが、基は固定の考えから来ているように思う。

このコースで触れてる部分は人間問題の根本の部分だなという感じがした。

人間の頭の中のどの部分で、固定が生じてるかを改めて調べていくと、「人間の考え」の部分のように思う。

もっと言うと、「固定的な考え」が生じてるのは「固定する考え方」からだろう。

「わかった。」ということがどういうことかと言うと、「事実をわかった。」ということだろう。

言い換えると、事実を知らないという意識が無い状態だろう。

事実実際と自分の感覚の区別が無い、事実実際と自分の感覚というのをそれぞれ知らないとも言えるだろうか。

事実実際のことと、事実実際の何かを自分の感覚で見て聞いて捉えていることが関係はあるが全く別のモノということを知ることが大きいように思う。(20代男性)
- | comments (0) |16:32

心の声を聴こう 内観コース

内観法とは、「自分を知る」ための方法として開発された自己観察法です。

昭和28年に奈良県で、内観創始者である故吉本伊信氏が内観道場を開設し、その効果の大きさから全国・世界にも拡がり、各方面でも注目されるようになって現在では、医療界・教育界、又企業の人材育成等多くの分野で利用されています。

サイエンズスクールでは、自分で自分を客観的に調べることができるようになるための有効な方法として内観法を取り入れ、「自分を知るための内観コース」として2006年から、毎月、開催しています。

この7月(7/2~8)に内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。

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身近な一人一人と向き合い自分の捉えた過去から実際を見る。

これを何度も何度も。丁寧に、じっくり。

丸一日をかけて時代を区切り細かくみる。

単純でシンプルなことだけどこれをくりかえすことで見えてくる実際にあったことと人。

実際のことと自分の考えや感情が混同しているということに気がついていく。

内観は過去の記憶から自分を知る作業かな。

自分てなんだろう。

実際の成り立ちを知りどんな人からどんな影響を受けてきたんだろうとみてみる。

愛情をうけて、たくさんの人に見守ってもらえたから存在することができているのだろうと思う。(30代女性)



面白かったのが、高校3年生になり、よく接する友人が変わり、その変わった友人の影響を受けてすごく自分の人間性が回復していったように思う。

その後も父も仕事が変わったと思うが、家族全体の仲が回復していったように思う。

内観中のCDの話でもあってそうだなと思ったのは、人間は環境の影響をとても受ける生き物だなというのを自分の人生を観察して感じた。

言い換えればそれ程人間にとって環境という要素が大きいと言えるのではないかと改めて思った。(20代男性)



自分を冷静に見れば見るほど、相手への愛情が湧いて出てくる。心が温かくなる。冷静な目で温かい心を回復するということ・・・おもしろいと思った。

自分は人間をどのように見ているのか。自分を見つめることで、人間観、世界観まで見えるということも。

不思議なことに、自分自身を見れば見るほど、自分と世界、自分と人間の間のつながりが見えてくる。

多くのものがありのままの姿で見えてくる。他人を見る視線で自分も見ていた。(30代女性)



思い出す印象的なシーンは、人生のうちのほんの数パーセントで、その他の膨大な時間の「いつもの」「何気ない日常風景」の中に、たくさんの人々、たくさんの思いがあるのかもしれないなあと思いました。

それは特に「受けたもの」を調べた時に思いました。

私の中にたくさんの顔が情景とともに浮かんできました。名前が出てこない人も多かったですが、こんなに多くの人が、ひっきりなしに私の人生に現れていたんだなあと感慨深かったです。

一人でやっていると思っている時でさえ、いや、そういうときこそ、たくさんの人に支えられているんだなあと思いました。(40代女性)

 

最後に嘘とごまかしというテーマで、自分をよく見た。

嘘だと思った時、人を欺いていると思ったが、実際は、私を欺きながら暮らしていたようだ。自分を見ないで、外に視線を置いて合わせようとする過程で、気がつかない嘘をつく時が多かったようだ。(良い振りをしながら、大丈夫な振りをしながら、上手くやる振りをしながら・・・など)そしてそれらがほとんど即時の反応として出たみたいだ。本当は何がしたいのか、自分にも分からないまま、何かをずっとやってきた時間が多くなかっただろうか?と、通り過ぎた時間がちょっと惜しく感じられた。(30代女性)



そう言えば、お母さん・お父さんは、私がどこで何をやっていた時でも、ずっとずっとそこにいてくれたなあ。一度もいなかったことのない、当たり前のようなこと。水のような、空気のような。それを飲んで、それを吸って、ここまで来れたことなんだなあ。

私のすべての出発点にしてベース。心強いバックグラウンド。

怪我しないように、病気にならないように、病気になったら早く治るように、よく食べてぐっすり寝てすくすく育つように、人として正しく成長するように…お母さん・お父さんは常に気をかけたり、体を動いたりしていた。

それは、あなたのことと私のこととして、区分した状態で出来ることではなかった。

お母さんの人生に、お父さんの人生の中に、いつも私のことまでが含まれていて出来ることだった。

お母さんからも、お父さんからも、「ああしろこうしろ」と言われたことがあまりないことに気が付いた。

両親はただ、毎日ご飯を作ったり、服と寝床を用意したり、住むところをちょっとずつ暮らしやすく整えてきた。

欲しいというものを買ってくれたり、お金をくれた。

私が家から遠いところに離れていった時にも、また戻ってきた時にも、二人はずっとここに居た。

一回もちゃんと意識したことはなかったけれど、その点においては本当に安心した状態で、私は思い切り離れて、好きに戻ってきて、また離れることを繰り返した。

その中で自分は、後ずさりしないで、ひたすら前に向かって進んできたような気がする。思う存分自分の人生を生きてきた。

ベースがあっての今なんだなあ。(30代女性)
- | comments (0) |15:50

話し合えるようになるために

「幸せに暮らしていますか?」

「何を幸せと思っていますか?」

「人にとって、本当の幸せとは?」

と、「アズワンセミナー」では、身近なテーマを、参加者どうしで話し合いながら、探究していきます。そして、自分を、お互いを知り合っていく「話し合い」の体験の場でもあります。

7月「アズワンセミナー」に参加した方の感想です。



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心が満たされているような感覚は、家族ではない人たちといる時でも味わえるのかもしれないと思った。(20代女性)



学問の「哲学」では文献を調べることが中心と感じるが、ここでは「哲学する」という姿勢を感じた。(60代男性)



「感じている事」が“ある”のではない、“ある”ことを「感じている」んだ、コレはよく前者になりがち。意識したいと思った。

いつも自分の内側で何がおきるのか、自分に矢印向けて観察する、同じく相手のコトバや行動ではなく、その人の内側で何がおきているのか矢印向けてみる。

そうすると、攻撃も防御も必要なく安心して居られる気がした。

中略

「世界」と思っていたものは「私にとって見える、聞こえる、感じる世界」なんだと知った。

もうちょっと、もうちょっと自分を探究したいな、探究している時、目がさえていた。おもしろいなと感じていた。(20代女性)



会話だけでなく、日常行っている行為のほとんどすべてが、このように流れ作業で行っているのかもしれません。

このように思うことが、いいとか悪いとかのジャッジではなく、ただ素直に「あ、そうなんだな」と思えると楽だろうなと思います。

感じることをあると認識するのではなく、あるということを感じる

ただ、そこで起きていることを感じる。

それは自分にも起きているし、相手がいれば相手にも起きている。

そして、起きていることが気になることであれば、「それがなんで起きているのかというメカニズム」をフォーカスすることを繰り返し繰り返し行うことで解決するのだろうなと思う。

日常で、無理のない範囲で、探究を続けていき、本来のもっているであろう身軽な思考で気楽に生きていきたいな。(40代男性)
- | comments (0) |10:36

「人が生きている」とは、?

「人生を知るためのコース」では、

人間とはどういうものか、

人が生きるとは、どういうことか、

一週間かけて、じっくりと探究していきます。

「その人の実際」「そのものの実際」に目を向けていくと、

どんな世界が見えてくるのでしょうか?

6月「人生を知るためのコース」参加者の感想文を紹介します。



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長い旅をしてきた。

遠い宇宙のはじまりから、色々な舟に乗りかえて。

そうして、今、オレという舟で、オレという心で旅をしている。

どこへ向かってきたのか。 どこへ向かうのか。

長い旅をしている。

一人じゃない。(20代 男性)



  * * * 



自分を見るとか、本心に焦点を当てていくということは一人でやろうとしても(今の実力では)無理だな(全く無理ではないとしても非常に近いところに限界がある)というのははっきり見えた感じがする。現状は善悪の観念が強く、自分ではそれが自分の考えだと気づいてないことも多い。また自分の考えに伴う反応、義務感・責任感・上下感・優越感・劣等感等も大きいのでそれに気をとられてしまいがちになる。少人数でも気持ちのある人で寄って、現状の問題をどうするかよりも、まず、本当はどうあってほしいのか、本心はどうなのか、に焦点を当てていきたいと思う。誰もが本心で生きられる社会の実現には、自分の本心に焦点を当てるところからかもしれないなと思う。(30代 男性)



  * * * 



この感覚、見ることを取り戻し、今後は失うことのないように、今回、再留学もしたのであるが、見失うことなく、深めていきたいと決意を改にした。

人類が、地球が、世界が、一体となって大きな意志をもって、大きく飛躍しているような動きの中で、二元的な見方も心を重視しない見方も必然であり、間違いもないものであろうが、しかしさりながら、人類が開放され、本心で生き生きと楽しく生きていける日が、一日も早く来ることを願って止まない。

その為に、自分自身も思いっきり、それに向かって生きてみたい。(50代 男性)



  * * * 



その人の実際は?という時、行為は最後の目に見えて現れてくるその人のほんの一部で、目に見えないその人の思いや考えや感情などの意識上のこともあるけれど、そのもととなるその人の内面の大きさが、ああそれがその人本体と言ってもいいくらいなんだなと思った。

内面を重視したいと思ったらそうなるんじゃなくて、内面がどれだけその人の中の占める割合が大きいかを知ったら、そっちに目が向いていくように思う。

私にとって結構大きかったのは、善悪とか良し悪しを検討していて、実際の世界に良し悪しってあるんだろうか?良し悪しってなに?と探っていくと、自分の中に良し悪しの観念が強かったのに気がついたことかな。

以前から自分でもいい悪いですぐ見えてしまうなとは思っていたけど、自分が動く時や人のこともそう見えてしまうたびに、なんでだろうなあと思っていた。

実際の世界にはないものだなあ。

いろんなテーマでみんなで検討してきたことがつながっているんだろうけど、なんだか随分楽になったな。(50代 女性)



  * * * 



今は、あの人はどんな気持ちなのかな、その本心はどんな感じになっているのかなというような感覚が、好奇心と純粋な不思議感、ちょっとした愛しさのようなものが入り混じって存在しています。あたたかい感じも覚えます。



コースを通して自分の実際、成り立ちや背景への理解が深まるにつれ、人への関心や親近感、幸せを願う情のような感情が少しずつにじみ出てきている気がしています。この感覚はいったい何なのか?ちょっとした幸福感にも感じられます。何かを達成したり欲しいものが手に入ったりしたときの一時的な強く突き上げるような喜びとは異なり、弱いが優しく漂うようにそっと包み込む喜びのような感じです。

自分のたくさんのものを受け取っている実際を知っていくことで、こころが満たされた感・豊かな感覚が深まり、人へ与えたいという心の動きが生まれたのか、自分の人とひとつのものである実際を知っていくことで、人への興味や人を活かしたいともいえる心の動きが生まれたのか。もしかしたら、人間はもともとこういった心の動きは持っていて、ただ遮断されていただけなのかもしれないなと思いました。

これから日常に帰り元の生活に戻りますが、私に表出し始めた人の実際・本心を知りたい・活かしたいというエネルギーを、人とのかかわりの中でどう表現し、また育て、共有していくことになるのか、非常に楽しみな思いです。

そしてたくさんの人と人が本心を知り合い、本心で生き、豊かな人と人が満たし合い、活かし合う幸せで喜びあふれる社会が実現していく、そんな夢…いや現実を、今日は見始めました。(30代 男性)
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