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自由な人間観から、自由な社会が作られる

社会を探究する。
自分の中の現状の社会観に気づいていくことで、人と繋がる社会・健康な社会が、ひとり一人の中に広がっていく。
人と人が、心の底で繋がる社会が、ハッキリしてくる。
ひとりひとりが快適に暮らせる本来の社会は、何もしなくてよい心の働きで、元々の健康な人間に還ることで、顕れてくる。

サイエンズスクールで、7月21日~開催された「社会を知るためのコース」参加者の感想レポートを紹介します。
nanohana_083.jpg◆フィクションの縛り合いを探求すると、本来の自由な社会が見えてくる

人間のつくったもの(フィクション)が人を不幸にしていたなんて、縛り合い、責められないように警戒して守り合う、恐怖社会をつくっていたなんて・・・。
誰も願ってないのにネ。
若い子達、出来ることなら子供時代からやり直させてあげたいな。
知ったら、本当に知ったら、世界がちがってみえるというから・・・やりなおさなくてもいいか。

誰もが本来のままで、自由なままで生きられる社会、お互いに気持ちを何でも出し合える間柄の社会、そんな社会に住みたい。
まず自分が自由意思で動ける人になる、そこから始まる。
他の人の自由意思を認められる。
気持ちを素直に出せる・聴ける。
本来の社会はどんなだろう!
見てみたいという人がいた、私も見れるかな!(女性60代)


◆受けたもので出来ている今の自分、そのまま出してみる素直さ

やりたいなと思った事、こうだったらいいなと思った事があって、それを目指して何かをやる。
いつのまにか、~しなきゃいけないになってる。
変な感じがする。
でも、とりあえず、続けてるみたいな事をよくしてる。
疲れる。 重い。 苦しいな。 とよくなる。
やめた方がいいか? いや、やらないのはよくない。 と考えを持ってきて、もっと見えなくさせていたんだと思った。
今回、こういう時、周りの人に「今こうなってるんだ。」と素直に出してみたらいいのか。 と思った。(女性20代)09_01_pc.jpg
◆浮かびあがる本来の姿

争いを無くしたいと思っていても無くならない。
その大きな要因は所有だと思う。
所有という考えが根深く、当たり前になっているのではないだろうか。
所有という考えは他を寄せ付けない。
禁止、許可、罰、規則、やらせる、やめさせる、権利、義務、強制,束縛、平等、、、
あらゆることに繋がった。
そういった考えになる状態。
人間を危険視した見方。
強迫観念ベースから構築された社会。
一つ一つ見ていくとそのことが人にとってどうゆうものなのか、いかに野蛮で恐ろしいことなのかがはっきりした。
現状の成り立ちを調べる中で浮かび上がってくる本来。(女性30代)


◆ねばならない社会から ⇒ 欲求を満たし合う社会への道筋

権利、義務に縛られてしまって、受けている行為も、自分が本心で願っていることもどちらも見えなくなっている。 と気づいた。
実際の世界にはそんなもの無いのにね。

本来の社会は、理想の社会は、そう。 
けど、今の社会ではどうなんだろう。
今の社会でも何もしなくてもよい。 ということが見えてきた。

権利や義務で、強制的に営まれているように見えることも多いけど、実際に社会の中でいつも自分が受けている行為はお金や生活の為だけで行われているようには、とても見えない。
これだけのことを齎してくれている沢山の人たちは、何もしなくてもよい。 のに、やってくれている。
その辺が見えてきて、その行為や思いを真っすぐに見て、気が付いて本当に自由になる事で、自分も周りの人も人間らしく本心で生きられる社会が実現していく。
それがすごく嬉しい。
遠い未来で起きる出来事じゃなくて、実践できるところにあるのが、すごく嬉しい。

責任、権利、義務の社会ではそれは当たり前の事で、当然すぎて誰も気が付かない。
幼い頃からずっとそれでやってきたし、「欲しい」「やりたい」がスッと言えない重苦しい状態。
それは、今でも続いている。
今回そこに焦点が当たって、本当の平等、機会の平等を知ったら、やっと本当の自分の欲求が分かる気がした。

そこから自然な要求が出て、社会がそれを満たして、どんどんやりたい気持ちが、人を満たしたい気持ちが湧いてきて、醸成されて、みんなが満たし合う社会が創られていく。未来を生きる人達に引き継がれていく。
本来の人をハッキリ知っていけば、簡単なコト。(男性40代)images (1).jpg
◆恐怖心から身を守る考えをつくる、所有のからくり

約束や規則を破って人が好きなこと(自由に)したら、責めの気持ちが生じるは何故?
自分は約束を守って相手が破ったケースについて。
そのとき自分は自由意思からではなく“そうするべき”という概念に則って行為していたからかもしれない。
幼い子供は自ら誰かを責めるということがない。
“規則や約束を守らなかったり悪いことをしたら責められる”という体験を繰り返すうちに、そのことを学び、踏襲していく。その連鎖があるだけ。
本来人間の中に「責め」はなかった。
もともと根のないものなら、この概念を引き抜き、連鎖を止められるはずと思えた。

権利と義務、やらせるとやらされる、強いると縛る。
これらの語は同じ意味合いを表している。
人が自由に生きられる社会とは真逆の概念のオンパレード。
権利(やらせる・強いる)が拡大するすればするほど義務(やらされる・縛る)も増大していくのにその仕組みには気づかず、権利が拡大することが素晴らしいことのように錯覚していた。

コース中で最も衝撃的だったのは、
「ない」を「ある」にすることにこれまで膨大なエネルギーを費やしていたということ。
「ねばならない」は頭の中にしかなく、
「所有」という概念も頭の中にしかない!

人の自由使用を禁止する「所有」という概念を持ちながら「自由」な社会を創るということは不可能。
「所有」すればするほど、自由は減っていくのだから。
本心が願うのは「所有はない」という本来の状態に立ち戻ること。

今回は本当にたくさんの幻想に気づかされた。
自由な理想の社会に生きるために“何かをしなければならない”もない。
「ない」ものを「ある」ものにしようとしたり、「ある」ものをあってはならないとしてきた幻想や思考癖に気づくだけで世界が変わっていく。
今ここにあるがままで。(女性50代)


◆人を満たす行為で自身も満たされる

内面を観ることで、塞いでいた寂しいという感情が蘇る。
軽い。
人の好意、愛情で生きてきた実際が鮮明になる。
自由な意思、自由な感情を表すことの爽快さ。
心が軽い。

自分をそのままを受け入れてもらえる安心感は、人をそのままを受け入れる行為として表れ、波及する。

この社会は人の好意であふれている
自分が満たされることを願っている
人を満たす行為で自身も満たされる。

本来の人の内面の表れは
鳥のように、自由にさえずり
鳥のように、自由に飛び回る

やさしい社会を創りたい。
一つの世界を観てみたい。
私が望んでいる。(女性60代)


以下のページから「社会を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/syakai.html

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