
どの人も尊重され、満たされ、その人らしく生きられる社会を
人が本当に幸福に生きていくことを突き詰めていくと、自分一人だけで幸福には生きることは出来ないわけで、幸福な社会が必要不可欠なものとして浮かび上がってきます。
どの人も尊重され、満たされ、その人らしく生きられる社会が実現されていくには・・・?
人とは、人生とは、社会とは、社会をつくるとは、と探り、かつてない新しい社会を創造していくためのコースです。

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どの人も尊重され、満たされ、その人らしく生きられる社会を
![]() 検討してきて、自分も人も何もしなくてよい、社会も何もしなくてよい、というベースが、自分の中にないと、何をやっても、縛り、強制し、力関係でやろうとする。 いくら人の内面(心)が大切だと頭でわかっていても、重視できないのは、この辺に鍵があるのかな? 会話をしていても、「~やりたい。」「~やりたくない。」と聞くと、やりたい、やりたくないことが、その人の心としている。行動=心として、心を尊重することは、行動をやってもらうことと、どこまでいっても、そこから離れない。 内面とは、その人の言葉、行動に表れる欲求が出てくる前の、内、底にあるもの。 そこを尊重しているのか?聞いた内容をやったら尊重しているという錯覚から、人と会話をしていても、やるべきか、やらないのが良いかと、生身の人と接していても、自分の頭の中と会話している。 やるがどこまでいっても離れないので、自分の許容範囲の中ではホッとして、それを越えたら困ったり、拒否しようとしている。 まず、その人の心に、応えていこうとする。そういう心と心のやりとりでこそ、初めて、検討できるのではないか。 自他の心を受けとめないから、外の考え、あり方などを持ってきて、自他を裁き、動かそうとしている。 社会を知るためのコースを通して、内面を重視しようとしてもできないあたりがどの辺か、少し解明できた。 個人のテーマとして、何とかしようとしても、それだけではできない、社会のテーマでもある。 個人のテーマ=社会のテーマで、個と社会が協力し合って、人として、幸福な暮らしが営まれると思う。 コミュニティが、人が増えても、個人の小さな意見を尊重し、検討し、多いに要求し合い、心豊かな社会が造れる道筋が、まだ、私の理解では浅いと思うが、見えてきたように思う。 (50代 女性 主婦) |