誰にとっても、快適な社会って?

誰もが幸福に生きられるには、幸福な社会が欠かせない。
幸福な人生を求めて、人は寄り、社会を創ってきたが、幸福に暮らせる社会になっているだろうか?
かってない新しい社会を創る道を探っていきます。
1月31日~の社会を知るためのコースに参加した人の感想を一部紹介します。
img3192_IMG_20210211_142739.jpg何処の国だろうと、誰もが願う、人間の姿!
人として生まれてきて親や家族や友人、近所のおじさん、おばさんに見守ってもらって人らしく、優しく、思いやりの有る人に育って欲しいと多分、誰でもが願う人間の姿みたいなのがいつの時代でも、何処の国だろうと有るのじゃないかな

生まれた場所で、其処の社会に適応しようと色々頑張っているうちにいつのまにか責任、権利、義務が自分でもわからないくらいに絡み合ってしまって思っている方とは逆方向に向いてしまい何とかしようとする程に人にやらせたり、やめさせることが良い事だ、と勘違いをし目的を見失ってしまう

蝶も花も空に飛ぶ鳥も自由に動いて混乱もない、普通に生きている

人間だけなのだな、誰もが自由にしたら大変な事になると心配するのは、世間の常識ではそれが当たり前と自分を守ろうとし、家族さえも遠ざけていく、アホやねー
視点が変わると見える世界、本来元々ある世界をこのコースでは見せてもらった感じかな。(女性60代)
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健康な思考が進んで・快適な間柄へ、のびのびと!
現状の社会に生まれ育って、現状の仕組みの中で、しっかりとその社会用の人になっているのに気づいた。
所有の仕組みの中で、本当は心通わせ合って生きたいのに、人と人が個別に囲い合い、守り合って行かざるをえないようになってきたように見える。
責任、規則、罰則を教えられて、社会(人)から身を守って、個々に安心を得ようと努力し、そのために、個々別々の人間観・社会観が実際のようになって、人のこころの状態も不安で不健康になってきた。

私の状態を見ると、自分が上になって、人を批判し、責める、えらそうな姿、又は、遠慮してストレートに思ったことが出ない、欲しいかどうかもわからない、小さくなる。
これも現状の社会の中で生きてきた、けなげな姿に見える。

人も社会も何もやらなくてもいいというテーマは、もともとの人、社会のこと、今までの教え込まれた考えが無意識下にでーんとあるような気がする。
何もしなくてもいいと聞くと、何もしないことをやろうとするような考え、ここからの人間復帰は、今の自分をそのまま認めることかな、そのままでよい、この社会にそのままを委ねて、安心していけるかな

すーすーと通い合い、その人の欲求を知って、人らしくのびのびと楽しく暮らしたい。(女性60代)

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社会を知るためのコース | - |

心通い合う話し合いは「人を聴く」ことから始まる

家族間や職場でも人と人の交流の多くが、話し合いを通して行われていると思います。
その話し合いが上手く機能しないことが、不快な気持ちを起こし、不満な心の状態をつくり、争いを起こしています。
「人を聴く」ことは、心がその人そのものを理解する方向へと進み、人と人の間に、温かい心の世界が展開されます。

12月20日からの「人を聴くためのコース」に参加した人の感想です。
一部ですが紹介します。
photo0000-4036.jpg気持ちや意思に関心を向ける心の状態へ!

相手の気持ちや意志や欲求を聴きたい、自分の気持ちや意志や欲求を聴いてほしいというのは、もともとの人の中にある自然な心の働き。
人には、そういう回路というか通路が元々備わっている。

実際にはない「やること」に関心の大半を向けていた自分が見えて、これでは聴くが実現しないのは当たり前だった。
人を聴くは、やることではなく、相手や自分に関心を向ける心の状態。

何かをやることやどうやるかという世界から、人と人がお互いに関心を向け合う世界へ。
もともとない「やること」重視の世界から、実際にある気持ちや意志や欲求重視の世界へ
かつてない、新たな年が始まる。(男性60代)
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人を聴くは ⇒ 豊かさの味わいへ(人間の繁栄のベース)

「人を聴く」とは、人に対する本来の人間性の現れを表現したものだと思う。
人への関心とともに自然と現れるもので、意識して・がんばって行うことではない、というのが大きな発見だった。

「人を聴く」ことで、安心して知恵を出し合い、相手の世界の豊かさを知って味わうことで自分の世界も豊かにできる。
創造的な活動や人間の繁栄のベースになるもの。

自分自身や身近な人を聴くところからはじめていきたい。

コースからの帰宅後、妻に家の事をやってもらっている事実と豊かさ、そしてその中に妻の心がたしかに存在していることを感じることができた。
「夫婦間の役割分担・仕事量は公平であるべき」という人間の考えで、事実が見えていなかったな、と気づいた。

そして今朝目覚めたとき、普段頭に浮かぶ「やるべきこと」は実際には存在しないということに気づいた。
背中の緊張が流れていくのを感じた。

事実を知ることの力を実感しています。
これからの変化が楽しみです(男性40代)
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人を聴くためのコース | - |

見て聞いて、自分が思っているという自覚が、知性を働かせる!

自分をそのままを見る力を培うことによって、日常の見たり聞いたりして思っている自分を、科学的に調べていけるようになります。
そして、物事を素直に見られるようになり、実際はどうかと知性が働き始め、柔軟な思考が出来る頭に変化していきます。

12月19日からの「自分を見るためのコース」に参加した人の感想、一部ですが公開します。
img3121_file-nagano.jpg頭の中をそのままを見ることで、妄想が小さくなる
私にとって大きかったのは、事実、実際の世界と、見てから後の事は頭の中の事でその間に区切りがあるという事。
その区切りがハッキリしてさえいたら、自分の妄想は膨らまないなと思った。

自分を見るときに、その時の自分の心の状態や意思や欲求があって、それを捉えて言葉にするのだけど、その言葉になる前の自分を見ようとするのかなと思った。
そして、捉えたものに反応して、思いや考えが出てくる。
私はその思いや考えを事実化することで、悲しくなったり重くなったりするようだ。
固定化しやすい頭だね。

過去の大きな反応、悪感情が出た例も、出して客観的に見てみると、その時の自分はそう捉えたんだな、寂しかったんだな。
聞いて欲しかったんだな。と思う。
それを相手の言動のせいにしてたんだな。
言われる。 させられる。 責められる。 思われる・・・られる事なんて無い。

例え相手が押し付けてるとしても、機嫌が悪いとしても、そうなのかな? どうなのかな? ってなったら、自分が暗くなったり、重くなったりしなくてもいいなぁとおもった!(笑)
なんだか随分軽くなった感じ。(女性、50代)
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無自覚な自分を見ていくと、自分の本心が観えてくる
相手がそう言ったかもしれないと思っているけど、実は相手がそう言ったんだ。
そうした。
それが起きた。
という無自覚の自分がいるな〜

自分を見る。自分の本心を知る。 
それから相手と通じ合って、検討が出来て、やさしい社会が生まれるかな。

今回、自分を見ることと本心で生きられる社会の実現をちょっと見えてきたかな。 
自分を見るの重要性をちょっと見えてきたかな。(男性、30代)
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自分を見るためのコース | - |

本当に幸福な人生とは・・・人生観を探ってみると!

両親の喜びのもとに生まれ、愛情を注がれて、家族や社会に見守られた暮らしの中で、人として育っていく・・・人生。
安心し、満足しながら成長する、そんな人生を歩んでいるだろうか?
自分の持ち味を発揮しながら、自分らしく生きる。
幸福な人生=本来の人生を探り、気づき合う探究の機会です。
11月15日からの人生を知るためのコースに参加した人の感想、一部ですが公開します。
453726c278ce4884740ee1778652a5cd_1.jpg心の奥にある「ありのままの自分」を呼び覚ます
トマトはトマトの実をつける。胡瓜にはならない。 
トマト(植物)は環境や条件が整えば必要な養分を吸収し最大限の成長を遂げるために伸びてのばして実を付け種を残す。
人も人らしく人間として、環境と条件が整えば人間としての可能性を最大限伸ばしていけるんだね。

「地球はひとつ」「生命はひとつ」
地球の生命体すべてが単独で生きることは出来ない。
地球のゆりかごの中で自然のエネルギーを受けて生が始まりやがて終り、次の生につながっていく。
命の連鎖の中でひとつの大きい生命体として活動して、固定されず絶えず動いている。
地球も宇宙の中で単独ではないと。

知る、知りたいは知性の現れか。
その状態が心を刺激して本来の欲求を引き出す。
心の奥にある「ありのままの自分」を呼び覚ますイメージが見えてきた。

人の成長は、人に関わってもらって自然と成長するもの。 
ひとりでは成長出来ない。
本来の人間は人と人との間で成長し、社会をつくり知性の集団を形成してきたんだろうな。
人は単独では生きていけないことを知っている。(女性60代)
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自分一人でやっていることは一切ない
人生って何だろうなとかどうなっているかなと問いが続くような感覚。
まずは正常健康な心の状態を知るというところなんだろうなと思う。
人間として人間らしく成長する。というのも知らないとなれない。

自分がどんな世界でどんなふうに暮らしているか。
知らないことだらけ。
なんだか答えや結論を出すというよりどうなんだろうとなる状態のほうへ、人とともにやっていくことなんかな。

一つという見方が面白い。
生命は一つ。
別々のところから見てバランスが保たれていてすごいなと思ったけど、一つという見方から見てはごく自然なことなんだなと思った。
自分一人でやっていることは一切ない。
生まれるのも生きるのも。(男性20代)
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人生を知るためのコース | - |

自分を縛るフィクションに気づき、事実・実際の自由な世界へ!

普段、普通にしている会話は、頭の中で何をしているのでしょうか?
イライラしたり怒ったりしている時、それは、頭の中でどんなことが起こって不愉快になっているのでしょうか?
自分の中を、丁寧にそのまま観ていくと健康な頭・心に、変化していきます。
みんなの中でなんでも出し合いながら、自分の中の実際を調べていくと、自分自身を縛っているものが見え始め、縛りのない自由な世界が見えてきます。

10月11日~開催された「自分を知るためのコース」に参加した人の感想文の一部を紹介します。
img1436_IMG_20200927_174421.jpg見て、聞いて、受け取って、自分の頭の中の回路は?
当たり前だけど、自分は聞いたことや見たこと、感覚で捉えたことしか認識することが出来ない。
それも目の前にあるものの、ほんの一部分の情報を自分のなかのもので認識していく。
どんなに相手がそう言った、されたと思っても、それは自分が見たり、聞いたりしてそう見えたからとしか言えない。
見たり聞いたりしたことにしか、反応できない。
これは自分の感覚だと思っても思わなくても、常に自分の感覚で捉えてる。

自分の中の回路。
その回路を通って、反応したものが現れてくる。 反応を変えようとしたり、なくそうとする。
そのまま見る、ということを知らないようだ。(男性・20代)
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頭の中のフィクッションと事実・実際の世界
想像以上に思っていた以上に、深いコースでした。
じっくり多角的に丁寧に、実際はどうなのかを探っていくことのすごさには、びっくりしました。
普段、頭で考えている(フィクション)と現実の混同現象が、もう、普通の状態になってしまっていることに、気づかされました。
それでは混乱するはずだなと思いました。
今まで何となく自分のことや世の中のことを分かったようなつもりになって生きてきたなと。
雑にいいかげんに生きて来たなと思いました。
まだ、頭の先で理解を始めた所ですが、時々、これらで学んだことを反芻して、自分のものにしていきたいと思います。
特に、事実・実際はどうなのかという問いを折りに触れて、立ててみたいと思いました。(男性40代)
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宇宙に浮く地球、地球の上にふわふわと柔軟に!
随分長くいた感じがする。 見るとは何か? 聞くとは何か?
自分は何をしているか?  自分の感覚を通して捉えている
一つ一つ それは事実かと調べていった。
弁当が足りないのは事実か? あって当然から見ている
そこに弁当がある事実をみんなで出し合った、車、ガソリン、電気、ガス、人、水・・・地球、土星
土星があって地球に隕石が当たらないらしい、そこにある事実は捉えきれない

ルール、きまり、当然としていること、それはどこにあるのか、それは、事実なのか 自分にきいてみたいと思う。
捉えたことに否定はない。 ここが混乱していたと思う。 
弁当が足りないと自分は思う、思うのは思う。 それは事実か? 自分が思っているのか?
事実実際は捉えられない
自分が捉えたのは、今、自分を通した狭くて小さいもの、〇〇さんが、事実からしたら「なんやねん」と言った。
そうだなぁと可笑しかった、事実はなるようになっている

本当に自分の頭の中のことと知っていたら
何でも受け入れて 柔軟にふわふわと生きていけそう(女性70代)
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自分を知るためのコース | - |

過去をそのまま思い出し、じっくり観ると、自分の実際が捉えられてくる

心の声を聴きながら、自分の内面を観ていく・・・内観。
自分を客観的に観ていく力を培いながら、人と人、社会の元に流れる愛情を感じられる、柔らかな心に成長していきます。
もともと自分の中にあった、自由な心の状態へと立ち還っていきます。

8月30日~開催された「内観コース」に参加した人の感想文の一部を紹介します。
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多くの人に見守られ、支えられてきた実際
母に対して、父に対して 夫にたいして、子供たちにたいしての 自分はどうだったかと調べていくのですが、いろんなことが浮かんできてそちらに気が行ったり相手のことに行ったりしながら、それでも、何度も軌道修正されながら、なんとかやってこれました。

でも自分のほうからの相手の見え方は変わってきたとおもいますが、その時代の自分についてどうだったかは本当に甘かったと思います。
母、父には最後の最後までお世話になって胸がいっぱいになりました。

後半になるにつれて自分中心にしかみてなかったこと、行動していたことがみえてきて、あと人にたいしてやってくれないと責める気持ちがでてたことに気づきました。
不幸の原因そのものでした。

最後の息子に対しての自分の価値観を正しいとして、ずっと的外れなことばかりして、すまなかったと思いました。
こんなにもというくらいたくさんの人が出てきました。
いま息子と自分の、事故のあとの20年くらいたどってみて、ほんとに人の何倍も多くの人にみまもられて、ささえられてきました。
私は本当にめぐまれてたな、という思いでいっぱいです。(女性60代)
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自分の傾向や癖、縛りから解放されて、隅々まで明るい心に
途中CDの中で「事実をありのままに見ることができたら幸せになれる」というのを聞いて、ただそれだけなんだ、そのまま見れることができれば・・・ならば、実際は幸せなんだと思った。

うそごまかしを小さい頃から順を追って並べるように見ていくと、観えてくる自分の傾向。
面接の時間に聞いてもらう時、自分のやっていることを言葉にして出して言っていると毎度出てくるフレーズに、またか~と笑ってしまう。
笑い飛ばすことで消えていくような軽さがあった。

人に認められたいと思っていた自分、実際の自分より大きく見せようとしている自分に気づく。
慌てず・騒がず・落ち着いた様子を見せたかったんだなと。
周りにはそんな風に見えていなかったのかな? と恥ずかしい。

家族にしてもらった事、両親・姉3人から受けたもの、受け続けているもの。子どもの頃から今も変わりなく注ぎ続けてくれている愛情が流れつづいている。

心を開いて、隅々まで明るく、雲ひとつなく晴れている心の住処になっていきたい。(女性40代)
4916a1a7f121c5c0fda63daea3c9f5e4_t.jpeg「不安」もそのまま見つめ、内観していくと、奥にある大きな愛情が見えてくる
不安があったら何をやってもダメやなあ そんな風に思った。
「気を使う自分」というテーマで今までの自分を振り返ってみると、いつも「不安」があるんだなあと思った。

どう見られるかの不安 どう評価されるかの不安 要らない出ていけと言われる不安 等、その元見てみると、固く握りしめて離さない人に対する観方「人間観」があるなと思った。
言葉で表現すると
「人は(相手は)意に沿わないことがあると攻撃する、排斥する」といった観方かな。
それも自分の考えなのだけど、絶対そうだと強く強く思い込んで、頑なに手放そうとしない姿が浮かんできた。

それも不安からくる身を守るものだったかもしれないけど、そこから来る不安と、不安から来る反応と行為、その反応と行為のひとつの表れが、気を使うということに現れていたように思った。

一方で、今まで「受けてきたもの」をつぶさに見ていくと
どれだけ愛情を受けて、見てもらって考えてもらって大切にしてもらってきたか
たくさん声をかけてもらった「これやってみたら」、「これやめてみたら」といった声掛けの背景にも、想い考えてくれている人の存在や行為があって、そのどれもが愛からきていて、子どもの頃も、鈴鹿に来てからも、ずっとずっと見守られていて、大きな愛情をこれでもかというほど無償で注いでもらい

時には道端ですれ違った人の会釈や笑みや、交通誘導員の人の旗から伝わるもの、会ったこともない人からでも、道路標識や農作業で使う道具の端々からも、人の愛を受けて、それは感じる感じないと関係なく、どれほどの人の愛の中で生きてきたのか。

「受けてきたもの」を見ていって見えてきた世界は、自分が固く握りしめていた人間観とは、似ても似つかぬ世界で、人と人がいさえすれば、そこには必ず愛が作用するのだろうかと思うほど
注いでもらって不安も心配もない、ただ任せてさえいれば愛が導いてくれるような、そんな世界。

今まで固く信じて握りしめていた自分の見方を手放して
注がれる愛情をただただ素直に受け取る心と、今まで受けてきたものの実際を知って、
自分の人間観も、実際に即した人間観にと思う(男性40代)pexels-photo-457881.jpeg
内観コース | - |

決めつけや頑固さからの解放が、本来の知性を働かす!


日常の物事の観方や捉え方は、それぞれの価値観を物差しにして判断していると思います。
その物差し自体は、自分に身に着いてしまって、日常では自覚することもなく、当然のようになっていることが多いと思います。
その物差し自体を観察して、客観的に調べられるようになることで、キメつけや頑固さから放たれ、素直に自分自身や物事を見ることが出来るようになります。
そこから、実際はどうか、本質はどうか・・・と、人間が本来持っている知性が働き始めていきます。

7月25日~開催された「自分を見るためのコース」に参加した人の感想文の一部を紹介します。
shutterstock_157103996-480x320ハイビスカス.jpg自分の中の反応を捉え・そのまま出し、ただ・見る、人に触れる面白さ!
短かったけど、いろいろあったな。
人がおもしろかったな。
〇〇さん 始めて出会ったけど、なんか最後らへんは何をいってもおかしかった。
またね。
△△ちゃんはこの前のコースも一緒だったけど、もっと近くその人を知れた気がした。
なんかひとりひとりがユニークでおかしかった。

見るもひとりではできないな。
反応をつかまえてミーティングにだして、よく見るだけかな。

最後にスタッフさんが悪感情をなくすことなんて、なかなかできないけど、悪感情を持たないと書いてあるねと。
アスワンミーティング 一番の近道とも誰か言ってたかな。(女性60代)
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〇〇さんを見たのか? 自分の中の〇〇さんか? 記憶のカラクリは?
〇〇を見た、〇〇に見えた
いくら自分が見たと自信があっても、見たという実感があっても、そうにしか見えなくても、実際そうだったと言えない。
その根拠が、自分が見たということしかない。
どうしたって自分の目で見るし、自分の頭で記憶する。

〇〇さんを見たって言うとき、
顔、髪型、身長、服装、雰囲気、声、他にも色々捉えながら自分の中の〇〇さんを見ている。
その人を見ているつもりでも、自分の見方でしか見れないんだな。
人それぞれに〇〇さんの見方が違うんだろうな。

自分のことも自分が見てるとこしか見えない。
そんなこと当たり前じゃんって書いてて変な感じがするけど。
つづく、、、(女性20代)
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人に見てもらい、人に委ねることで、本来の自分に
自分を見る  
どういうことだろう。 本当に知らないんだ、ということが明るみに出る。
そんなことも今までは気がつかない。 従来のやり方、頭のまま。 
自己流で委ねない自分。

自分で捉えた自分像。 そこに強い自信をもって、私は、こういう人。
そう捉えている。
私以外の人の中にある「わたし像」それには「違うよ」と言いたくなる。
自分が思っている自分がいる。 かなり自信があるな。
人に委ね切れないところは、こういうところからきているのもあるかも。
そう思えた。

自分以外の人からの、私像。 どんなかな?日々変化しているんだろうな。
人に見てもらう、委ねる。 捉え直した感じもする。(女性40代)
自分を見るためのコース | - |

知性と心のはたらきによって、安心・満足の幸福な人生を歩む!

人生とはなにか?
日常は、自分や人の言動に目が向きやすいですが、その元にある心に目を向けてみると、自分も他人もない、人間らしさ、人の本質が観えてきます。
安心満足の中、知性が活発に動き出します。
知性によって、生きている目的や人としての生きがいを「知る」ことができ、自分らしく明るい人生を歩んでいきます。

サイエンズスクールの「人生を知るためのコース」は、人生の目的を知り、本当の自分を知り、未知なる自分への好奇心に生きる、自分に最も適した他に真似のできない生き方を探究する機会です。
5月17日~開催されたコースに参加した人の感想文の一部を紹介します。

以下のページから「人生を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jinseiwoshiru.html
img2176_file.jpg◆生きている実際を観察して、人を「知り」喜びに生きる
人間の中心で絶えず動いている、求め応える作用。
人の心の働き、そのものは安心状態といえる。
安心状態をベースに満足が始まる。
安心満足のベースに実際に行き交う数多くの行為、受ける喜び、与える喜び、知る喜び、生きる普通の幸せの状態。

受けて、受けて、受けて、年が経つほど受ける喜びが、心が豊かな人生、死の瞬間、その人の人生がすべての人の人生に溶け込む本当の人生、実際の人生はそうなんだ。

自然な状態が何なのか分かるのが始まりではないか?
人を知れば人を愛するようになる 自分の本心が分かれば、心が熱くなる。
健康に、快適に、いつも人の中で動く健康に生きようとする働き。

生きるということが何なのか、人は何をして生きているのか、人がどのように生きているのかを知る喜び。
もっと聞いてみて知っていきたい心。
さあ~日常に戻って、自分の現在の状態を素直に軽く知っていく過程自体を楽しみから~(女性30代)
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◆肉体にも心にも「健康正常」に生きようとする働きが、いくつになってもあるなぁ
人を人たらしめる作用が誰の中にもあって(全人類に)健康正常でありたい。
人に求めたい。それに応えたい。次代の子らが幸せであってほしい。
満足。安心。 そのことを知った。
実際はどうなっているのかなあ、と調べて行くのは、とても愉しい作業だったなあ。 
老年になっても知っていくことは愉しい。
全ての始まりは知る。 ことからかなあ。

知ろうとするエネルギーはとても大きいと思う。
知れば知るほど知りたいし、知った分だけ満足する。
本来のそうした作用がなければ、知る。 が続いていかないだろう。
実際はどうなのだろう。と調べていくのは愉しかった。
いくつになっても、知れて嬉しいと思うのかもしれないな。

自己を生かす。 ということはどういうことなのだろう。
その時その時に、健康になっていこうとする私が、人の求めに応えたり、人に求めたり。
本心をそのまま出していこうとすることで、社会を創っていく。
そんな感じかなあ。(女性70代)
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人生を知るためのコース | - |

自分を守ろうと固定している「自分の考え」を、見るから⇒自由な生き方へ!


自分の判断基準となる、身に着いた物差し自体を、観察して、客観的に調べられるようになることで、キメつけや頑固さから解放され、素直に自分自身や物事を見ることが出来るようになります。
「自分を見るためのコース」では、物事の見方、考え方の元を集中的に調べ直していきます。
快適な生活をするために、固定した物差しや考えを使う事の不自然に気づき、実際を見ていく方向に頭が向きます。

先月参加された方の感想文の一部を紹介します。

以下のページから「自分を見るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jibunwomiru.html
IMG_20200604_055908.jpg◆「自分が捉えている」が無いと、考えが大きくなり主体性を失っていく
反応の中身が見えない感じ。
反応の反応 反応からの考え 反応をダメとする考え 最初の反応がボヤけて見えないな。
見えないというか認めない。

認めない自分がみえてきて
ひとつ、ひとつゆっくり巻き戻しみたいにみていくと、最初の反応が見えてくる。
これを認めたくなかった。
だから反応がボヤけていったんだな。

反応が出るのは自分が捉えているから。
そこを自覚してなかったのかな。

自覚が無いから「自分の事を言っている。言われた。」と外に原因があるように捉えている。
自分が大きくなる違和感。

自分が捉えているという自覚があれば人を動かそうとしないな。

そこをもっとハッキリしていきたい。

みること、きくこと。
主体的に。
たのしく、自覚していく方向へいきたい。(女性40代)
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◆反応を捉えて見る…その時のそのままを見る、味わう
「自分を見る」とはどういうことか?
日常を離れてじっくりと探究。
自分の事例も出しながら。 
見て、聞いて、反応する。 
この繰り返しの日常。

「反応」の部分はどこをとっても自分の中にしかない。 
どうだろう?
いろんな視点から見ていく。
実際はどうだろう?
日常の何気ない動作はどのように成り立っているのだろうか?

育ちの中で反復、教えられたり、見たりまねたり、強制されたり、、、そうしていくうちに見えなくなっているもの。
そういうものの中で暮らし、ないものをまるで事実あるもの、すべきもの(こと)として、自分や人を縛っている。
そのことに気づいていない。 
自覚がないんだなぁ。。。

その時のそのままを見る。 味わう。まずは反応を見る。
反応のもとを、自分がそれをどう捉えているかを見る。

単純なようだけど、これまでずーっとそこを抑える、隠す、ごまかしながら、社会に適応してきたから、なかなかそこが捉えずらくなってるんだな。
そこがハッキリ捉えらるように、日々を意識的に、自分の認識、感覚だという自覚が身に付いてきたら、自然と実際に関心が行く感じがする。
「実際はどうかな?」と気が向く感じがする。

誰もが本心で生きられる社会の実現。
「先ずは自らの内面に目を向けるのです」という表現もあった。
今回の「自分を見る」ということだろう。

そういうことをしているお互いが、遠慮気兼ねなく、なんでも出し合い、和気あいあいの気風をつくっていく。 
実際はどうかと検討し、理想を実現していく。

自分の中で、これからやってみたいことが浮かんできている。
各地のメンバーともう少し密にミーティングの機会を持ちたいなということ。
理想はあるけど、先ずは日々の「自分を見る」をはっきりさせていくこと。(男性40代)
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自分を見るためのコース | - |

固定した考えで縛り合っていく、不自由な生き方からの解放!

知識を積み重ねることで、理解したつもりになることがあります。
また、空想的に考えを巡らせて、実際から離れていくこともあるでしょう。

「自分を知るためのコース」では、今までの知識や考えはいったん棚上げして、普段自分が考えたり、行動したりする元になっている「物差し」そのものを、ゼロから根本的に調べなおしていきます。
固定した考えから解放されて、自由な考えによって、自分や人の本質に迫ることを体験します。

先月のコースに参加された方の感想文の一部を紹介します。

以下のページから「自分を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jibunwoshiru.html
IMG_20200529_165856.jpg◆どんな感情も、そのまま出し合い、自分の思い込みに気づき合う
自分を責めたり、否定したり、人を責めたりの出てくる、湧いてくる感情をそのまま、客観的(感情に揺さぶられない状態)に見れるようになってくるのは、反応から探る、捉えたことから反応を見る、それらを否定も、肯定もない環境の中に、そのまま出しあっていく中で進む感じ。

それと同時に軽く、安心状態、満たされた状態から周りに安心状態が広がる
自信のない人は、知識や、経験があっても、考えで~だとか、思い込んだ状態がない状態。
事実、実際を知ろうとする、謙虚で、軽くて、柔軟な状態。(女性60代)



◆自信のある自分が見えると、明るくて柔軟な状態へと進む
自信のある人は、自分だけの世界で生きていて、自分以外の人は受け入れ難く、周りも気を使って、がっちがち。
知ってることだらけだからそこまで止まり。
人に対しても、その人のイメージだけで接する。
狭い世界。

自信のない人は、何でも誰でも軽く受け入れて、明るく柔軟で、どんなことでもなにがあっても軽い。
知らないことばかりで、知っていくことが沢山あって拡がるばかり。

まずは、自信のある状態の自分を見ることかな。
ここに書ききれないぐらいある自分の中の固定化、事実化されたもの。
そのまま見る。
知っているとなっている自分の状態。

不安な心の状態があるというのも、実際どうなのか、自分の反応や自分の頭の中の状態をまずよくみてみるところからかな。(男性50代)



◆身を守るための固定した「自分の考え」を「知る」日々へ
どこまでいっても「わかった」「知っている」としないで、いつも「知る」ことをしようとしている状態。
今回のコースで、自分の捉えている現象、あらゆることが「自分の考え」をベースにしているものなんだなぁ。
それに反応してるようだな。
そんなことを具体的に見ながら、「知る」ということがどういうことかを探究していった感じがしている。

なぜ直ぐに「わかった」「知っている」となってしまうのか? なぜ「自分の考え」に自信があるのか? それが「正しい」となるのか? ここらあたりの探究が面白かった。

従来の自分の認識で「自信がある」状態と、探究していく中で見えてきた「自信がある」は、全く逆の様相をしていた。 
そして、「自信がある状態って結構固くて力が入ってる感じ。 そうしなくては立ってられない感じ。 もし、人が安心で満ち足りていたら、それが素の状態であるなら、自信が無いのが普通かも。。。」とか。
現状の自分の心の状態とか、そこから見えてくる「自分の考え」とか、なにかヒントをもらえた気がする。

「人間の考えを知る」が深まるには? という問いに、「探究するにはそういう場、人が必要かな」というのも出た。

「知る」に終わりはないなー。
日々知っていくだけ。
楽しく、朗らかに。
知った分だけまたさらに、豊かな世界が広がってゆくな。
「自分を知る」日々を満喫していきたい。(男性40代)
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自分を知るためのコース | - |
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