本当はどうしたかったんだろう?  何が言いたかったんだろう?

ゆっくりと自分をそのまま思い出し、振り返る時間が内観です。
自分自身の過去を振り返り、周囲の人から受けたものを見つめ直すことで、自分の心が膨らんでいくのを覚えます。人は、多くのものを受けて成長しているのですが、そのことの実際に気づかずにいるのでしょう。12月2日から内観コースに参加した人たちの感想を紹介します。

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◆至福の時間
「内観は知るものでなくするものです」である言葉がありましたが、まさにその通りです。
母に対する私について調べていたとき、寒い冬に早起きして部屋をあたためていてくれ、さらに私の下着をストーブにかざしてあたためてくれていた母が思いうかび、涙が流れたのですが、その時内観とは至福の時間と感じました。(60代男性)

◆無条件の愛情
今回の内観で鮮明に蘇ってきたことは、まず父母の無条件の愛情でした。
そのことをいかに当たり前とし、父母の心を軽んじ、不足を思い、恩を感じず、我をとうして来た自分だったなと、
より良い自分を見せることや、得た知識を話すこと、また収入を得て自立したり、社会的立場が上がることが、父母が安心してもらえる事だと感じて行動したり、その行動の日々の中では、父母の心情を思うことなく、全く独りよがりの、自分でした。(60代女性)

◆おばあちゃんから受けていたもの
例えば、東村山に住んでいた時、おばあちゃんが毎日ご飯を用意してくれた。
“あらわれ”からすれば、「毎日ご飯を作ってもらう」という行為が見える。
ただ、その時受けているものは何なのか、ということを考えた時、“あらわれ”として目の前に出されるご飯の奥に限りない奥行きを持った背景があるように思われた。

おばあちゃんはもう高齢で体を動かすのも一苦労で、いつも「腰が痛い」「しんどい」「疲れた」とこぼしていた。
そんな中で、僕が食事を必要とする時はいつも自転車にフラフラと乗ったりして買い物に行き、温かいご飯とおかずを用意してくれた。
時には連絡の行き違いでご飯を作っても僕が帰って来なかったり、家にいなくて、せっかく作ったご飯が無駄になることもあった。
でもそんなことがあっても、僕に不満を言ったりもせず、次の日も「辛い辛い」と言いながらご飯を作ってくれたりしてた。

僕がおばあちゃんから受けていたものはその奥にあるとてつもないエネルギーのようなものだったようにも思えてくる。
おばあちゃんの中の何かがおばあちゃんを動かしていて、それが物理的な作用としておばあちゃんの様々な動きとして現れ、最後の結果として僕の目の前に料理として出される。
そこまでの人の行為を成り立たせるもの、原動力となるものとは何だろうか。
僕が人から行為を受ける、と言った時の本質的な部分は、そういう行為に現れる前の心の働きにあるように思われた。(20代男性)
内観コース | comments (0) |14:36

鈴鹿ファームで収穫される野菜

鈴鹿ファームで収穫される豊富な野菜と、サイエンズアカデミー生の若者とCEO係り。
鈴鹿ファームで野菜を育てながら、人として心の成長に焦点をあてる暮らしをしています。
この時期、豊富に収穫される野菜は、地元のスーパーで販売したり、おふくろさん弁当のおかずにも調理されています。
サイエンズスクールの食事は、基本、このおふくろさん弁当が用意されています。
繋がりの輪の中に、サイエンズスクールの学びの場はあります。

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現在、サイエンズアカデミー生として学んでいるタッキーこと岡田拓樹さん。社会問題と向き合い活動してきたタッキーが今、なぜ、鈴鹿にいるのか、アカデミーブログに綴っています。今、本当は自分たちはどんな世界に暮らしているのか・・・ちょっと長い文章ですが、是非ご一読を!次のアドレスをクリックして下さい>>>http://www.scienz-school.org/blog/academy/log/eid5.html
サイエンズアカデミー | comments (0) |17:10

自分らしく自由に生きたい‥‥誰にでもある願いが叶えられる社会を探る!

「だれもが自由に生きられる社会って?」
「縛られるものが一切ない社会って?」
「誰の中にもある自由欲求を満たしながら暮らせる、正常・健康な社会って?」
サイエンズスクールの「社会を知るためのコース」は、正常・健康な、本来の社会を探る機会です。11月25日から開催されました。参加者の感想を一部ですが紹介します。

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◆一気に、こどもに戻ったような感じ。心が穏やかになり、気が楽になった。

「自分らしく、自由に生きたい」と多くの人が願っているけれど、
現代社会で生きてきた過程で長年染み付いた自分の意識を変えるだけで良いんだ、と理解できて気が楽になった。

罰則、責任、権利、義務という、現代社会にある概念が、ひとりひとりに「~すべき」「~してはいけない」「~しなければならない」「やらせる」という服従意識を植え付けていることを知って、強い衝撃を受けた。

事件が起きるたびに、罰則が強化され、義務、責任が増え、責められる機会が増える。
誰かが権利を主張するたびに、表裏一体である義務が増え、責められる機会が増える。
責められる機会が増えると、それを守らなければならないという責任感、精神的負担が増える。
自分だけでなく、他人にも、罰則、責任、義務を守らせようとする。

責める、叱るという行動が、親から子へ、先生から生徒へ、先輩から後輩へ、上司から部下へと伝わり、それが連鎖することで、世代を追うごとに、恐怖、不安、ストレス、自信喪失、自主性低下、無気力、服従意識が強化されているように思う。

みんなが望んでいるひとりひとりが人間らしく自由に生きる社会は、ひとりひとりが自発的自由意思で行動出来るようになることが出発点になる。(40代男性)


◆実際の世界にはない、所有・権利・義務。その概念を調べることで現状の人の中身を垣間見ることができた気がした

自由を好み、自由を求める人間が、自ら同族の足を引っ張り共に服従の世界に収まろうとしている姿。
意識では権利があれば自由が増えたような感じだが、権利の裏は人を服従させることだと知らないために、広まれば広まるほど自ら服従の機会を増やして行くことになると思う。

服従状態の心から創る社会ではなく。
自由状態の心から本来の社会を創っていけるのかな。

人のための社会とは、要求が満たされる社会とは、と探っていくとやはり自由平等というのがベースでそこから人を聴くというか、一つを聴くというか。
心の状態に関心が行く状態か。
すぐにやることにいくということではなくて、ほんとうにやろうとして聞くという感じかな。

そこに本来の、理想の社会ができていくように思った。
コミュニティー創り、職場創り、家庭もそうだろう、社会に自分にしなければならないことがない。
そうなって本当の発揮がはじまる感じかな。(30代男性)
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◆これからどんな風に生きていきたいのか,どんな社会で生きていきたいのか。そういうことを考え続ける一週間であった。

当然に,自由でありたいと思う。当然に,良質な人間関係の中で生きたいとも思う。また,人は,社会の中で活き,活かされるという感じもした。

そういう願いを阻害しているものの正体は何か。
コースではそういうところから探ってみた。
すると,その正体は,一言でいえば恐怖や不安による行動抑制や自己規制,自分を守るための他者への攻撃等々であるように思える。

少し丁寧に振り返ってみたい。・・・・・(長くなりますが全文です。お読みください)
社会を知るためのコース | comments (0) |08:12

自分の内面・気持ちや心をみてみると? 本心は?

教え込まれ・覚えたりで、ここでは「こうしてはいけない」「こうするもの」と自分を縛り・相手を縛って、いませんか?
常識や慣習が蓋になり、気持ちや、こころが、本心が見えなくなっていませんか?
ただ見ていくと、観ることで、気づくことがある、気づきから「知る」世界へ、本心・本来を「知る」知り合うお互いへのスタート・・・見ることからの出発。
サイエンズスクールの「自分を見るためのコース」に11月23日から参加した人の感想の一部です。
紹介をします。(絵はスクール会員の船田武さんのです)

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今回のコースでは自分の内面を観察しようとした。
自分は、その時その時何が起きてるだろうと観察することで、人間として実際どのように生きているかが見えるようになって行くかなと思った。
誰かから声をかけてもらって、どんな反応しているかとか、相手が俺に何かを求めているか行動を見て、どんな反応を自分がしているかをずっと見ようとしてきた。
その時その時、自分の内面で何が起きているかをその時を見るっていう練習してた。
何かを言いたくなると思ったら、それを観察する。
何かの反応が出て来たら、それを観察する。
見て、聞いて、どんなように反応したことなのかを観察しようとする、自分を見るためのコース。(30代男性)

今回は自分の体験の実例を通して、自分の「捉えたこと」そこからくる反応について、何度も繰り返して調べることに集中した。
反応が起きたことの元に、自分の捉えたことがある。
そこを調べていくと、その時の自分の人間観・社会観・世界観がどうなってるか見えてくる。
電車のなかでの実例だったんだけど、「電車の中の人」っていうのに、警戒している自分の状態があった。
知らない間に、急に発動している。
でも、これはいろんなところで、ちょこちょこ起きてる反応だと思う。
見えてくると、やっぱそこだよなあって感じ。
でも日常は起きてる反応を、何とかしようということに、いまだに相当なエネルギーをかけてると思う。
今回のコースで、人の成長・自分の成長は、人間観・世界観を深めていくことが、絶対に欠かせないということが、自分の観察から起きてきた。(40代男性)
自分を見るためのコース | comments (0) |13:25

固定・隔てのない、健康な人と社会・・・!! (3)

「一つ」の世界へ・・・。 No3

「一つ」を実現するためのコース参加感想

「一つ」の世界・幸福な社会・・・を実現する方法。
今回使ったテキストの中に二つの方法が書いてありました。

一つの方法
サイエンズスクールが開催しているセミナーの中で、探究をする・・・。
探究会それは安心の場・オープンの場・自覚・気づきの場、人の本質・社会の本質を理解し知っていく場だと思いました。
今回の探究会ではサイエンズメソッドを体験している感じがしました。
人間の考えと心の状態の関係を、自覚・実際・本質と順を追って科学的に調べていく方式、サイエンズメソッドを使って理解を深めていったのかと思います。
間違いが生じる原因を見つけて、取り除く方法としてのサイエンズスクールのサイエンズメソッド!
各コースの参加を通して健康になっていく一つ目の方法を思いました。
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もう一つの方法
社会のひとりひとりが、本来の姿で暮らせるようにすること、それは、社会が健康に育っていく現われとして観えてきます。

本来の社会・かってない新しい社会を創っていくには、意欲・熱意・能力が高いよりも、「隔てのない、一つ」をやれるかどうか?に、かかっていると思いました。・・・⇒ 大きなポイント。

オープンな人々、固定・隔てのない「一つ」のスタートを切る、こころオープンの結集から始まる姿も描けてきます。
社会が健康な社会になっていくのに、必要なものは何もないと思った。
本来の姿に「立ち還る」だけで、あるものが豊かに見え始める心の世界が広がっていくだけだな。
豊かなこころのスタートでもあると思いました。

産まれくる赤ちゃんの目的かな「幸福こそめあて」。
幸福な暮らしは、物の豊満 + 「こころの豊かさ」 
人が幸福に暮らす姿ってどんな? 人が幸福に暮らし生きていける社会ってどんな?
本来・本質を探り、理解し、「知る」探究を進めました。

人の本質かな、人は人の心に触れて、その心を好きになる。

結婚の始まりも「幸せ」を好む人の本質的な性質からなのかな、仲良いを好む性質も引き継がれているのかな、人が人の中で暮らしているのは?
小さい頃から親に愛されて、「親の愛」を受けて、人を愛するこころが育っていくと思う、人は自分を受けとめて貰ったり、聴いてもらったりしながら満たされる体験をする。

人は、愛を感じながら満足を得て、満足の中で本心からの欲求が湧く、すべて、安心の中で動きだす心の本質的な働きだと思った。
「一つ」を実現するためのコース | comments (0) |08:25

固定・隔てのない、健康な人と社会・・・!(2)

「一つ」の世界へ・・・。 No2

「一つ」を実現するためのコース参加感想・続き

安心 と 満足 と 喜び これも、不健康な社会が、健康・正常な社会に育っていく道筋の、大きなポイントと思った。
人と人の中で、社会の中で、どの様な、安心・満足・喜び、の現れをしているのだろうか?探った。

探究会で素直にオープン、笑いの中で聴いてもらって安心状態が進む・聴いてもらって満足状態が進み、安心と満足はセットの感じがしました。

この世に「理」から外れていると言えるものは、人間の考えの中以外にはどこにもない。
人間の考えに「理」から外れているものがあろうとも、この世に存在しているものは「理」から外れているものは何もない。
どうなっているのだろうか?
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本心を探ると

昔同僚だった人が、何年か前から私と道で会ったときに、会釈無く顔をそらします。
嫌われてしまったな置いておくしかないなと、そのままの関係を続けていましたが、健康になりたいと思ったのか、今回コース参加の中で、その人の事が気になり出しました。
相手がそういう状態だなとして距離を置いている自分、隔てが出来てる状態だなと観えた時、心が動き始めました。
今度、話を聴いてみようかな!
自分の実態が観え、自分の内面に気づき始めると、「健康を志向する心の働きが」自ずと発生するのかな!

じっくり話がしたくなってきました。

自分の中の本心を探っていくと自分の心の働きを感じるのか、人の心の中身へ興味関心が湧き、人の心を聴きたくなっていく、こころは常に正常な働きを志向しているのかなと思った。

心を聴き合う、話し合いで営まれる社会が近づいてきました。

一人でも二人でも、話し合いの中で、そのままの自分をオープンに、守る必要のないこころの状態が、隔てを溶かし・変化するお互いを認め合う健康な間柄、心の状態になっていくと思った。

健康な心の状態とはどんな感じなのだろうか?
人間の考えと、健康な心の状態、どんな働きがあるのかな? 
人と社会の本来・本質を探っていきました。

間違いがあるとは、「間違い」にも、探求の中で焦点が当たりました。
おふくろさん弁当の配達場面のある出来事を通して、皆で調べてみました。
探究をしていくと、「人間は間違いを起こしやすい」と思っている私の中に、「間違いはあって当たり前」という考えが、底の方に深く入り込んでいると思いました。
おふくろさん弁当の配達で、メインのおかずが、一個入らずにお客さんに届いたことがあったそうです。
その例を聞きながら思いました。
美味しく食べたい、おいしいものを届けたい、造る人と届ける人と、食べる人が、「一つ」の世界でこころの底からの願いに焦点が当たっていくと、どうなっていくんだろう?

本心は、健康正常な世界、「理」の働く本来の世界

「本心で生きる」ひとりひとりの姿に、「理」の働く世界、間違いのなくなる方向の、健康な姿を思いました。
自分の中で、固定していく人間の考え「間違いはあって当たり前」という考えが、「あっ、そうか」と溶けていく感じがしました。
理に適った人間の考えが、心の状態を健康にしていく、考えと心の関係を思いました。
「一つ」を実現するためのコース | comments (0) |08:06

固定・隔てのない、健康な人と社会・・・!(1)

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「一つを実現するためのコース」参加しました
            
 固定しているものは何もない
 単独で存在しているものは何もない。

お母さんが子供の弁当におかずを入れ忘れたりすることがないように食べる人のことを思えばおかずのない弁当は本来ではないというのを聞いて、ミスがあるのが当然でしょうと思っていたので、とても驚いた。

本来ということを知らないのかもしれないな、と思った。

こういうこと、(ミスがあって当たり前)が、人間の考えで、固定しているということなのかもしれないな、と思った。

前に〇〇ちゃんにお味噌汁を出してあげたときに、家ではお母さんがお味噌汁を作ってくれていたという話をしてくれて、そうなんだーと思った。
〇〇ちゃんのブログを読んで、お母さんのお味噌汁が飲みたいのかな、と思った。
それを検討会で出したら、△△ちゃんの心は?と問われて、えー、私の心??
 
私の娘じゃないしな、とか、私が何かやってあげてもな、とか思うとか、言ってて、あれ、なんかちがうな?と思って、これが隔てなんかな?と思って、それを取り除いた心を見たら、〇〇ちゃんに対する愛情があふれてきて、かわいくて、かわいくて、好きで好きで、しょうがない、ってでてきて、もう、心は動いていたのに、考えで隔ててたんだな、って見えて、そうか、これがあの、うわさの(!)本心だったのか、と思った。

 社会は心のある人の集合。
 誰にでも心はある。                
(40代女性)

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「一つ」を実現するためのコースに参加して

「視界が開けた。」

今の心境を一言で言い表すなら、こういう表現になると思う。

なぜだろう。目的がはっきりすればするほど、それへの道筋が鮮明になればなるほど、肩の力が抜け、気持ちが軽くなっていく。

ようやく、ここに辿り着いた。
紆余曲折を経て、スタートラインに立てる自分になれた(気がする)。
それは自分の力ではない。
9年前に、サイエンズ研究所(当時の研鑽科学研究所)の存在知り、
人や社会の本来の姿を0から探究する、それを本気でまじめにやっている人たちがいる。そこに惹かれて、ここに来たと思う。

住むところも、自分の能力を活かせる場も、食べるものも、家財道具なども、用意してもらい、
好きなようにやらせてもらってきた。
何をやっても、咎める人もいないし、強いる人もいない。
ただただ見守ってもらってきた。

今までの自分は、片足突っ込んだ状態だったと思う。
本気の人に頼っていたと思う。
自分は本気ではなかった。半信半疑だったと思う。

「一つ」の実現に向けて、スタートを切りたい。

また、今日この資料を読むまで、その不健康な状態を悪いものと見ていたり、その人のせい(努力が足りないとか?)としている見方があった。今までも何回か読んできたし、頭ではわかったつもりでも、本当の意味での理解にはなっていなかったようだ。

今日読んでみて、第1章の1に、”すべてのものにとって、健康であることが正常な姿で、それは理にかなった状態であり、そのものの本来の姿であり、…” とあり、つまり不健康というのは本来の姿と異なる状態、理に適っていない状態に、何らかの原因で、たまたま今、そういう状態になっている。それはその人に原因があるのではなく、元々、健康だったものに、周囲の人(環境)からの影響でそうなっている。つまり、社会がそうさせているともいえる、という辺りの理解がだいぶ進んだ感じがする。

自分の中にある、人に対してや自分に対しての嫌悪感とうのも、この辺から来ているようだ。
不健康というものを知らなかったなと思う。
もっと知って、その原因、元にあるものを解明していく、そこをやっていきたいな。(30代男性)
「一つ」を実現するためのコース | comments (0) |05:39

じっくり、ゆっくり、顧みる時間をもってみませんか・・・。

知らぬうちに自分を縛って、人も縛っていませんか?
あり方で心に蓋をして、本心が見えなくなっていませんか?
自分をジックリ観てみる機会を、自分にプレゼント・・・。
解放から、自由な心の状態、本心で生きる世界・・・自由への道。
10月のサイエンズスクールの内観コースに参加した人の感想を紹介します

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♡ あるがままを観る、気付きから本心へ「知る」とは!

母から受けて来たものは大きいと思っていたけど、改めて内観すると母の置かれていた状況とかに思いがいき、頭がさがる。僕は身勝手な奴だと。
今年母が死んだとき早く行って少しでも安心させてあげれなかったと自責の念。
母だけじゃなく父や兄、周りの人から受ける温かいものを感じる。

普段頭やる事一杯で中味、実際の方には意識言ってない。
責めたり恨んだり嫉んだり、そういった気持ちを打ち消すような努力してごまかし、認めていない自分に気付く。
そうゆう自分だと言うことを知っていまからか、その解消は。

仕事と自分の関係を内観した。
パット出てきたのは、生きがい。
その場を通して合う人とのつながり。
話したり、田畑や道具を貸してもらたり、喜びあったり、怒られたり、慰められたり。
タダでモノを貸してもらえる人が何人もいる僕は幸せものだ、改めて気付く。(56才男性)
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下をクリックすると他の人の感想も読めます。
内観コース | comments (0) |22:56

「話を聞く」「人を聴く」私は何を聞いているのだろう?

普段人の話(言葉)をどんなに聞いているのだろうか? 
探ってみると、言葉の性質に辿り着く。
話が聞けない時には、自分独自の「聞き方」がある。
柔軟な聞こえ方には、素直に「人を聴く」柔らかい頭への道筋の理解から・・・。
人の中で、もともとの穏やかな心の日常が見えてくる。
10月20日~のサイエンズスクールの「人を聴くためのコース」感想を紹介します。

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💛 私は何を聞いているのだろう?

自分の「聴く」がどうなっているか。まずは現状から探ってみた。
すると,人が発した「言葉」を捉えて,それがその人の気持ちや心,感覚を表しているものと理解して,その言葉をもってその人そのものとしている自分の実態が見えてきた。これまでそのことに何の疑問も持っていなかったのだ。

結果,その人から何か自分にとって違和感のある言葉を受けたと認識した瞬間,悪感情をいだき,その人を評価する。
そして,一度,その人に対してネガティブな印象を持ってしまうと,それ以降,その人の話しが聴けなくなる,聴きたくないという現象につながっていく。
これまで,そのようなことを繰り返してきていたということに気がついた。

そもそも言葉とは何か。
また,言葉はその人の気持ちや心,感覚をどれだけ表現できるのか,という問いも探求したり,実験したりしてみた。
すると,言葉とは,モノや事象の重要な部分を抽象化し,それを概念として表現したものに過ぎないということが見えてきた。
人の気持ちや心,感覚を表現する際,こうした言葉の特性からすると,その人から出てきた言葉は,その人の気持ちや心,感覚をそのまま示しているのではなく,それをその人の中で抽象化,概念化して言葉として表現しているということになる。

💛 言葉の性質は?

そのようなプロセスを経て出てきた言葉は,その人の気持ちや心,感覚を微細に表現しているものとは到底言えない。
すなわち,人の気持ちや心,感覚を言葉として完全に表現することはできないとも言える。
これが言葉の本質,限界だとしたら,その人から発せられた言葉をもって,その人を評価することがいかにナンセンスであるかということになる。

そもそも,その人から発せられた言葉を聞いて,そうだと理解しているのは自分であって,自分の理解した「そうだ」は,その人そのものではない。
その人の本当の気持ちや心からは,だいぶ遠くなっている。
そういうメカニズムを知らずに,その人から発せられた言葉はその人の気持ちや心,感覚そのものである,としている現状が,どうも人と人との間に不自然な関係,ネガティブな関係をもたらすことにつながっているようだということが見えてきた。
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下をクリックすると全文が読めます。
人を聴くためのコース | comments (0) |13:05

自分の今までを思い出していくと、豊かなものが見えてくる!

思い出してみる、ただ、じっと見る、ありのままをそのまま思い出してみると、奥の奥に見えなくなっていたものが、見えはじめる。
豊かな世界への入り口が開き始める。 
豊かなこころの世界に生きていることに気付き始める。
10月3日~開催した「内観コース」参加者の感想の一部を紹介します。
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あたり前になっているものを、ゆっくり観ていくと、元にある心に気付いていく
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最初にお母さんに対しての自分のことを内観した時、してもらったことを探してみてもあまり出てこなかった。
お母さんが私にしてくれていた事は、当たり前、お母さんだからして当然だ、と捉えていた事に気付いた。お母さんの行為が生活の中に溶け込んで、見えない感じ。
お母さんがしてくれてた事と同じ事を他の人がしてくれた時のことは、してもらったことで調べるとポンって出てくるけど、お母さんの時は出てこなかったな。

二周目の内観
お母さんが私にしてくれていた事が、
私が生きていくことを支えてくれていて、私が快適に生活できるようにもしてくれていて、安心して生活ができる空間をつくってくれていたんだなと、とてもありがたい気持ちになった。
もう一つ、気付いて良かったと思う事がある。
誰かがしてくれてる事をその人がするのが当たり前の事だと捉えると、その人がその行為をしてないと、してくれてないという風に思う事、見える事。
この内容は周りから何回か聞いていて、そうだよなと思っていたのに、自分がそういう風になっているのに気が付いてなかった。全く。
それで、満たされない感覚も出てきたりしてた。

今回のコースは、料理たちが揃った状態のお膳が宝箱のように見えた。
食材にも、育ててくれた自然にも、食品を育てる事から最後お膳を持って来てくれる事まで、どれだけの人とものが関わってくれたのかと思ったら、とてもキラキラして見えた。ありがたいなぁ。(20代女性)


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思い出しながら観ていくと、だれの中にもある、やさしい心に出会える
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生まれた時から、大学生の途中で家を出るまで、食事を何度食べさせてもらってきただろう。
内観を通して、母は、私のために最善と思われることをやり続けてくれたな、と思う。
(母とはそういうもの?なのかもしれないが)、そこまでやらなくてもいいのに、おいしいものを作ってくれたり、デパートで服を買ってくれたり、成人式には高価な着物を用意してくれた。

父は私が幼いころから怖いお父さんだった。
大きくて、声が大きくて、よくこづいてくる。
しかし父もまた、娘に最善を尽くしてくれた。

祖母は私をめちゃくちゃにかわいがってくれた。
どこにでも私を連れていき、中学の制服はわざわざ遠くから仕立て屋さんを呼び、仕立ててもらった。
神戸や、大阪のおいしいお店に連れて行ってくれたり、自分が出かけた時はスーパーなどでは売っていないブルーベリーのキャンディなどを買ってきてくれた。
おばあさんと一緒に寝るのが好きだった。
いつもおばあさんの暖かい布団に潜り込んで、ぐっすり眠った。
長男が生まれた時も、おむつを何枚も縫ってくれて、毛糸のズボンや、チョッキを編んでくれた。

息子の内観は楽しかった。
かわいい姿を思い出せるから。
親にはしてもらったことばかりだなあ、と思うが、息子にもしてもらったことばかりだなあと思う。
生まれてきて生きてくれることが、もう、してもらったことで、それ以上にやってもらったら、やってもらったことがありすぎる。余剰だ。(40代女性)


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じっくり記憶を探ると、ネガティブな記憶の奥に、深い愛情が浮上する
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母とのことを振り返る中、一度目は、寂しかった気持ちが最初出てきたのですが、つぶさに思い出してみると思っていたよりも母と過ごしていた時間が長かったことに気が付いて、嬉しい気持ちになりました。母はずっと大切な存在だったんだな、と感じ涙が出ました。

育ての親である祖母への感謝の気持ち、そして自分がいかに自己中心的でわがままだったか、を感じ、祖母の深い深い愛情を再確認しました。

自分がやった、と思っていることであっても、自分自身は本当にたくさんの人の「してもらった行為」の上で、ちょっとやってるだけのことであって、
お世話になっていることだらけ。

妻からもしてもらったことだらけ。
それなのに恨み言が出てくる。
本当にもうこんなネガティブな感情に自分のエネルギーを消費してしまうのは嫌だ。
本当に幸せで穏やかな日々を送りたい。
いつも本心、実際のもの、そのものに焦点のあたる生活を送りたい。(30代男性)


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思い出していくと温もりに出会い、記憶からエネルギーを貰う
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実際に内観を始めてみて、ただただ「①してもらったこと、世話になったこと ②してあげたこと ③心配をかけたこと、いやな思いをさせたこと」この三点を思い出せる限り記憶をたどってみて確認していくと、まずはじめに気付いたのは、してもらったことの多さとその内容の温かさ、ぬくもりです。
母が手作りのお菓子を作ってくれた、という記憶の中にも、その時母が泡立て器でカチャカチャかき混ぜている姿や、オーブンの中からよい香りが部屋中に広がってきたこと、ケーキの切れ端を集めて味見していいよ、と言ってくれた時の母の顔、そしてもちろん出来上がった時とそれを食べるときのなんとも満たされた私の姿とその間にあった母との空気。
記憶ってこんなに豊かに残っているのだ、と胸が一杯になりました。

集中内観の環境は、最初こそ戸惑いましたが、外部からの刺激をできるだけ断ち、そして体を動かすことさえも必要最低限にすることが、こんなにも記憶へのアクセスを容易にし、またその整理ができ、新たな視点をもって自分の人生と向き合えるのだと、驚くばかりです。

過去の記憶による勝手な思い込みや縛りを超えて、私は大切な人たちと、またこれから出会う人たちとどうやって生きていこうか。
記憶は信じられないと思っていたけれど、過去の記憶によって力を与えてもらい、元気に歩んでいけそうな気がします。(40代女性)
内観コース | comments (0) |08:45