固定・隔てのない、健康な人と社会・・・!(2)

「一つ」の世界へ・・・。 No2

「一つ」を実現するためのコース参加感想・続き

安心 と 満足 と 喜び これも、不健康な社会が、健康・正常な社会に育っていく道筋の、大きなポイントと思った。
人と人の中で、社会の中で、どの様な、安心・満足・喜び、の現れをしているのだろうか?探った。

探究会で素直にオープン、笑いの中で聴いてもらって安心状態が進む・聴いてもらって満足状態が進み、安心と満足はセットの感じがしました。

この世に「理」から外れていると言えるものは、人間の考えの中以外にはどこにもない。
人間の考えに「理」から外れているものがあろうとも、この世に存在しているものは「理」から外れているものは何もない。
どうなっているのだろうか?
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本心を探ると

昔同僚だった人が、何年か前から私と道で会ったときに、会釈無く顔をそらします。
嫌われてしまったな置いておくしかないなと、そのままの関係を続けていましたが、健康になりたいと思ったのか、今回コース参加の中で、その人の事が気になり出しました。
相手がそういう状態だなとして距離を置いている自分、隔てが出来てる状態だなと観えた時、心が動き始めました。
今度、話を聴いてみようかな!
自分の実態が観え、自分の内面に気づき始めると、「健康を志向する心の働きが」自ずと発生するのかな!

じっくり話がしたくなってきました。

自分の中の本心を探っていくと自分の心の働きを感じるのか、人の心の中身へ興味関心が湧き、人の心を聴きたくなっていく、こころは常に正常な働きを志向しているのかなと思った。

心を聴き合う、話し合いで営まれる社会が近づいてきました。

一人でも二人でも、話し合いの中で、そのままの自分をオープンに、守る必要のないこころの状態が、隔てを溶かし・変化するお互いを認め合う健康な間柄、心の状態になっていくと思った。

健康な心の状態とはどんな感じなのだろうか?
人間の考えと、健康な心の状態、どんな働きがあるのかな? 
人と社会の本来・本質を探っていきました。

間違いがあるとは、「間違い」にも、探求の中で焦点が当たりました。
おふくろさん弁当の配達場面のある出来事を通して、皆で調べてみました。
探究をしていくと、「人間は間違いを起こしやすい」と思っている私の中に、「間違いはあって当たり前」という考えが、底の方に深く入り込んでいると思いました。
おふくろさん弁当の配達で、メインのおかずが、一個入らずにお客さんに届いたことがあったそうです。
その例を聞きながら思いました。
美味しく食べたい、おいしいものを届けたい、造る人と届ける人と、食べる人が、「一つ」の世界でこころの底からの願いに焦点が当たっていくと、どうなっていくんだろう?

本心は、健康正常な世界、「理」の働く本来の世界

「本心で生きる」ひとりひとりの姿に、「理」の働く世界、間違いのなくなる方向の、健康な姿を思いました。
自分の中で、固定していく人間の考え「間違いはあって当たり前」という考えが、「あっ、そうか」と溶けていく感じがしました。
理に適った人間の考えが、心の状態を健康にしていく、考えと心の関係を思いました。
- | comments (0) |08:06

固定・隔てのない、健康な人と社会・・・!! (3)

「一つ」の世界へ・・・。 No3

「一つ」を実現するためのコース参加感想

「一つ」の世界・幸福な社会・・・を実現する方法。
今回使ったテキストの中に二つの方法が書いてありました。

一つの方法
サイエンズスクールが開催しているセミナーの中で、探究をする・・・。
探究会それは安心の場・オープンの場・自覚・気づきの場、人の本質・社会の本質を理解し知っていく場だと思いました。
今回の探究会ではサイエンズメソッドを体験している感じがしました。
人間の考えと心の状態の関係を、自覚・実際・本質と順を追って科学的に調べていく方式、サイエンズメソッドを使って理解を深めていったのかと思います。
間違いが生じる原因を見つけて、取り除く方法としてのサイエンズスクールのサイエンズメソッド!
各コースの参加を通して健康になっていく一つ目の方法を思いました。
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もう一つの方法
社会のひとりひとりが、本来の姿で暮らせるようにすること、それは、社会が健康に育っていく現われとして観えてきます。

本来の社会・かってない新しい社会を創っていくには、意欲・熱意・能力が高いよりも、「隔てのない、一つ」をやれるかどうか?に、かかっていると思いました。・・・⇒ 大きなポイント。

オープンな人々、固定・隔てのない「一つ」のスタートを切る、こころオープンの結集から始まる姿も描けてきます。
社会が健康な社会になっていくのに、必要なものは何もないと思った。
本来の姿に「立ち還る」だけで、あるものが豊かに見え始める心の世界が広がっていくだけだな。
豊かなこころのスタートでもあると思いました。

産まれくる赤ちゃんの目的かな「幸福こそめあて」。
幸福な暮らしは、物の豊満 + 「こころの豊かさ」 
人が幸福に暮らす姿ってどんな? 人が幸福に暮らし生きていける社会ってどんな?
本来・本質を探り、理解し、「知る」探究を進めました。

人の本質かな、人は人の心に触れて、その心を好きになる。

結婚の始まりも「幸せ」を好む人の本質的な性質からなのかな、仲良いを好む性質も引き継がれているのかな、人が人の中で暮らしているのは?
小さい頃から親に愛されて、「親の愛」を受けて、人を愛するこころが育っていくと思う、人は自分を受けとめて貰ったり、聴いてもらったりしながら満たされる体験をする。

人は、愛を感じながら満足を得て、満足の中で本心からの欲求が湧く、すべて、安心の中で動きだす心の本質的な働きだと思った。
- | comments (0) |06:25

固定・隔てのない、健康な人と社会・・・!(1)

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「一つを実現するためのコース」参加しました
            
 固定しているものは何もない
 単独で存在しているものは何もない。

お母さんが子供の弁当におかずを入れ忘れたりすることがないように食べる人のことを思えばおかずのない弁当は本来ではないというのを聞いて、ミスがあるのが当然でしょうと思っていたので、とても驚いた。

本来ということを知らないのかもしれないな、と思った。

こういうこと、(ミスがあって当たり前)が、人間の考えで、固定しているということなのかもしれないな、と思った。

前に〇〇ちゃんにお味噌汁を出してあげたときに、家ではお母さんがお味噌汁を作ってくれていたという話をしてくれて、そうなんだーと思った。
〇〇ちゃんのブログを読んで、お母さんのお味噌汁が飲みたいのかな、と思った。
それを検討会で出したら、△△ちゃんの心は?と問われて、えー、私の心??
 
私の娘じゃないしな、とか、私が何かやってあげてもな、とか思うとか、言ってて、あれ、なんかちがうな?と思って、これが隔てなんかな?と思って、それを取り除いた心を見たら、〇〇ちゃんに対する愛情があふれてきて、かわいくて、かわいくて、好きで好きで、しょうがない、ってでてきて、もう、心は動いていたのに、考えで隔ててたんだな、って見えて、そうか、これがあの、うわさの(!)本心だったのか、と思った。

 社会は心のある人の集合。
 誰にでも心はある。                
(40代女性)

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「一つ」を実現するためのコースに参加して

「視界が開けた。」

今の心境を一言で言い表すなら、こういう表現になると思う。

なぜだろう。目的がはっきりすればするほど、それへの道筋が鮮明になればなるほど、肩の力が抜け、気持ちが軽くなっていく。

ようやく、ここに辿り着いた。
紆余曲折を経て、スタートラインに立てる自分になれた(気がする)。
それは自分の力ではない。
9年前に、サイエンズ研究所(当時の研鑽科学研究所)の存在知り、
人や社会の本来の姿を0から探究する、それを本気でまじめにやっている人たちがいる。そこに惹かれて、ここに来たと思う。

住むところも、自分の能力を活かせる場も、食べるものも、家財道具なども、用意してもらい、
好きなようにやらせてもらってきた。
何をやっても、咎める人もいないし、強いる人もいない。
ただただ見守ってもらってきた。

今までの自分は、片足突っ込んだ状態だったと思う。
本気の人に頼っていたと思う。
自分は本気ではなかった。半信半疑だったと思う。

「一つ」の実現に向けて、スタートを切りたい。

また、今日この資料を読むまで、その不健康な状態を悪いものと見ていたり、その人のせい(努力が足りないとか?)としている見方があった。今までも何回か読んできたし、頭ではわかったつもりでも、本当の意味での理解にはなっていなかったようだ。

今日読んでみて、第1章の1に、”すべてのものにとって、健康であることが正常な姿で、それは理にかなった状態であり、そのものの本来の姿であり、…” とあり、つまり不健康というのは本来の姿と異なる状態、理に適っていない状態に、何らかの原因で、たまたま今、そういう状態になっている。それはその人に原因があるのではなく、元々、健康だったものに、周囲の人(環境)からの影響でそうなっている。つまり、社会がそうさせているともいえる、という辺りの理解がだいぶ進んだ感じがする。

自分の中にある、人に対してや自分に対しての嫌悪感とうのも、この辺から来ているようだ。
不健康というものを知らなかったなと思う。
もっと知って、その原因、元にあるものを解明していく、そこをやっていきたいな。(30代男性)
- | comments (0) |05:39

じっくり、ゆっくり、顧みる時間をもってみませんか・・・。

知らぬうちに自分を縛って、人も縛っていませんか?
あり方で心に蓋をして、本心が見えなくなっていませんか?
自分をジックリ観てみる機会を、自分にプレゼント・・・。
解放から、自由な心の状態、本心で生きる世界・・・自由への道。
10月のサイエンズスクールの内観コースに参加した人の感想を紹介します

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♡ あるがままを観る、気付きから本心へ「知る」とは!

母から受けて来たものは大きいと思っていたけど、改めて内観すると母の置かれていた状況とかに思いがいき、頭がさがる。僕は身勝手な奴だと。
今年母が死んだとき早く行って少しでも安心させてあげれなかったと自責の念。
母だけじゃなく父や兄、周りの人から受ける温かいものを感じる。

普段頭やる事一杯で中味、実際の方には意識言ってない。
責めたり恨んだり嫉んだり、そういった気持ちを打ち消すような努力してごまかし、認めていない自分に気付く。
そうゆう自分だと言うことを知っていまからか、その解消は。

仕事と自分の関係を内観した。
パット出てきたのは、生きがい。
その場を通して合う人とのつながり。
話したり、田畑や道具を貸してもらたり、喜びあったり、怒られたり、慰められたり。
タダでモノを貸してもらえる人が何人もいる僕は幸せものだ、改めて気付く。(56才男性)
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- | comments (0) |22:56

「話を聞く」「人を聴く」私は何を聞いているのだろう?

普段人の話(言葉)をどんなに聞いているのだろうか? 
探ってみると、言葉の性質に辿り着く。
話が聞けない時には、自分独自の「聞き方」がある。
柔軟な聞こえ方には、素直に「人を聴く」柔らかい頭への道筋の理解から・・・。
人の中で、もともとの穏やかな心の日常が見えてくる。
10月20日~のサイエンズスクールの「人を聴くためのコース」感想を紹介します。

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💛 私は何を聞いているのだろう?

自分の「聴く」がどうなっているか。まずは現状から探ってみた。
すると,人が発した「言葉」を捉えて,それがその人の気持ちや心,感覚を表しているものと理解して,その言葉をもってその人そのものとしている自分の実態が見えてきた。これまでそのことに何の疑問も持っていなかったのだ。

結果,その人から何か自分にとって違和感のある言葉を受けたと認識した瞬間,悪感情をいだき,その人を評価する。
そして,一度,その人に対してネガティブな印象を持ってしまうと,それ以降,その人の話しが聴けなくなる,聴きたくないという現象につながっていく。
これまで,そのようなことを繰り返してきていたということに気がついた。

そもそも言葉とは何か。
また,言葉はその人の気持ちや心,感覚をどれだけ表現できるのか,という問いも探求したり,実験したりしてみた。
すると,言葉とは,モノや事象の重要な部分を抽象化し,それを概念として表現したものに過ぎないということが見えてきた。
人の気持ちや心,感覚を表現する際,こうした言葉の特性からすると,その人から出てきた言葉は,その人の気持ちや心,感覚をそのまま示しているのではなく,それをその人の中で抽象化,概念化して言葉として表現しているということになる。

💛 言葉の性質は?

そのようなプロセスを経て出てきた言葉は,その人の気持ちや心,感覚を微細に表現しているものとは到底言えない。
すなわち,人の気持ちや心,感覚を言葉として完全に表現することはできないとも言える。
これが言葉の本質,限界だとしたら,その人から発せられた言葉をもって,その人を評価することがいかにナンセンスであるかということになる。

そもそも,その人から発せられた言葉を聞いて,そうだと理解しているのは自分であって,自分の理解した「そうだ」は,その人そのものではない。
その人の本当の気持ちや心からは,だいぶ遠くなっている。
そういうメカニズムを知らずに,その人から発せられた言葉はその人の気持ちや心,感覚そのものである,としている現状が,どうも人と人との間に不自然な関係,ネガティブな関係をもたらすことにつながっているようだということが見えてきた。
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- | comments (0) |13:05

自分の今までを思い出していくと、豊かなものが見えてくる!

思い出してみる、ただ、じっと見る、ありのままをそのまま思い出してみると、奥の奥に見えなくなっていたものが、見えはじめる。
豊かな世界への入り口が開き始める。 
豊かなこころの世界に生きていることに気付き始める。
10月3日~開催した「内観コース」参加者の感想の一部を紹介します。
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あたり前になっているものを、ゆっくり観ていくと、元にある心に気付いていく
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最初にお母さんに対しての自分のことを内観した時、してもらったことを探してみてもあまり出てこなかった。
お母さんが私にしてくれていた事は、当たり前、お母さんだからして当然だ、と捉えていた事に気付いた。お母さんの行為が生活の中に溶け込んで、見えない感じ。
お母さんがしてくれてた事と同じ事を他の人がしてくれた時のことは、してもらったことで調べるとポンって出てくるけど、お母さんの時は出てこなかったな。

二周目の内観
お母さんが私にしてくれていた事が、
私が生きていくことを支えてくれていて、私が快適に生活できるようにもしてくれていて、安心して生活ができる空間をつくってくれていたんだなと、とてもありがたい気持ちになった。
もう一つ、気付いて良かったと思う事がある。
誰かがしてくれてる事をその人がするのが当たり前の事だと捉えると、その人がその行為をしてないと、してくれてないという風に思う事、見える事。
この内容は周りから何回か聞いていて、そうだよなと思っていたのに、自分がそういう風になっているのに気が付いてなかった。全く。
それで、満たされない感覚も出てきたりしてた。

今回のコースは、料理たちが揃った状態のお膳が宝箱のように見えた。
食材にも、育ててくれた自然にも、食品を育てる事から最後お膳を持って来てくれる事まで、どれだけの人とものが関わってくれたのかと思ったら、とてもキラキラして見えた。ありがたいなぁ。(20代女性)


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思い出しながら観ていくと、だれの中にもある、やさしい心に出会える
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生まれた時から、大学生の途中で家を出るまで、食事を何度食べさせてもらってきただろう。
内観を通して、母は、私のために最善と思われることをやり続けてくれたな、と思う。
(母とはそういうもの?なのかもしれないが)、そこまでやらなくてもいいのに、おいしいものを作ってくれたり、デパートで服を買ってくれたり、成人式には高価な着物を用意してくれた。

父は私が幼いころから怖いお父さんだった。
大きくて、声が大きくて、よくこづいてくる。
しかし父もまた、娘に最善を尽くしてくれた。

祖母は私をめちゃくちゃにかわいがってくれた。
どこにでも私を連れていき、中学の制服はわざわざ遠くから仕立て屋さんを呼び、仕立ててもらった。
神戸や、大阪のおいしいお店に連れて行ってくれたり、自分が出かけた時はスーパーなどでは売っていないブルーベリーのキャンディなどを買ってきてくれた。
おばあさんと一緒に寝るのが好きだった。
いつもおばあさんの暖かい布団に潜り込んで、ぐっすり眠った。
長男が生まれた時も、おむつを何枚も縫ってくれて、毛糸のズボンや、チョッキを編んでくれた。

息子の内観は楽しかった。
かわいい姿を思い出せるから。
親にはしてもらったことばかりだなあ、と思うが、息子にもしてもらったことばかりだなあと思う。
生まれてきて生きてくれることが、もう、してもらったことで、それ以上にやってもらったら、やってもらったことがありすぎる。余剰だ。(40代女性)


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じっくり記憶を探ると、ネガティブな記憶の奥に、深い愛情が浮上する
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母とのことを振り返る中、一度目は、寂しかった気持ちが最初出てきたのですが、つぶさに思い出してみると思っていたよりも母と過ごしていた時間が長かったことに気が付いて、嬉しい気持ちになりました。母はずっと大切な存在だったんだな、と感じ涙が出ました。

育ての親である祖母への感謝の気持ち、そして自分がいかに自己中心的でわがままだったか、を感じ、祖母の深い深い愛情を再確認しました。

自分がやった、と思っていることであっても、自分自身は本当にたくさんの人の「してもらった行為」の上で、ちょっとやってるだけのことであって、
お世話になっていることだらけ。

妻からもしてもらったことだらけ。
それなのに恨み言が出てくる。
本当にもうこんなネガティブな感情に自分のエネルギーを消費してしまうのは嫌だ。
本当に幸せで穏やかな日々を送りたい。
いつも本心、実際のもの、そのものに焦点のあたる生活を送りたい。(30代男性)


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思い出していくと温もりに出会い、記憶からエネルギーを貰う
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実際に内観を始めてみて、ただただ「①してもらったこと、世話になったこと ②してあげたこと ③心配をかけたこと、いやな思いをさせたこと」この三点を思い出せる限り記憶をたどってみて確認していくと、まずはじめに気付いたのは、してもらったことの多さとその内容の温かさ、ぬくもりです。
母が手作りのお菓子を作ってくれた、という記憶の中にも、その時母が泡立て器でカチャカチャかき混ぜている姿や、オーブンの中からよい香りが部屋中に広がってきたこと、ケーキの切れ端を集めて味見していいよ、と言ってくれた時の母の顔、そしてもちろん出来上がった時とそれを食べるときのなんとも満たされた私の姿とその間にあった母との空気。
記憶ってこんなに豊かに残っているのだ、と胸が一杯になりました。

集中内観の環境は、最初こそ戸惑いましたが、外部からの刺激をできるだけ断ち、そして体を動かすことさえも必要最低限にすることが、こんなにも記憶へのアクセスを容易にし、またその整理ができ、新たな視点をもって自分の人生と向き合えるのだと、驚くばかりです。

過去の記憶による勝手な思い込みや縛りを超えて、私は大切な人たちと、またこれから出会う人たちとどうやって生きていこうか。
記憶は信じられないと思っていたけれど、過去の記憶によって力を与えてもらい、元気に歩んでいけそうな気がします。(40代女性)
- | comments (0) |08:45

一人一人の心に焦点があたる、幸福な社会!

人が人を縛る、社会が人を縛る、人が社会を縛る、自分が自分を縛る、縛るものをみつけて「知っていく」、自由への道筋を探る。
サイエンズスクールの9月23日~開催の「社会を知るためのコース」参加の人の感想の一部です。
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責任・義務・罰・所有、あたりまえのものを調べていくと、誰もが求める人の姿・社会の姿が、観えてくる。 
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やむを得ない理由がないなら、職場に無断欠勤することを認められない。
会社が職員に給料をくれないことは認められない。
政治家が約束を守らずに、権力を握っているのは認められない。
社会の色んなところで人の自由を認めず、住んでいるというのが驚くべきものだった。
どうなっているのだろうか。
人を役割として見て義務を強要して、責任を果たさなければ、批判するのが当たり前に思われる。
自分にも同様であり、誰がさせなくても自らを監視しながら生きて行っている。

今回のコースで非難、罰、責任、権利、義務という概念を検討し、メカニズムが見えてきた。
責任、権利、義務というのが実際にはないというのが見えてきた。
社会だということ、ももともとは何もない状態で人がいただけのことだということが見えてきた。
そのどれも人がいなければ可能ではない。
人は生まれた時から自らの欲求と意思によって生きて行く。
社会というのもそんな一人ひとりの欲求と意思がお互いに伝達されてお互いに応じているだけに行われるというのが見えてきた。
- | comments (0) |20:36

幸せな人生、誰もが願う「幸福に生きる」ことを探る!

人と人、繋がりの解明が「幸福に生きる」人生の道筋を、明らかにさせる。
「こころ」へのアプローチや探究が、「こころ」の世界の繋がりや広がりを明らかにし、誰にとっても、明るく・軽く・穏やかで「幸せな人生」を生きるスタートになる。
サイエンズスクールが開催した、9.8~の「人生を知るためのコース」参加感想の一部を紹介します。
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何気ない自分なりの見え方、奥にある本心を気付くとは?
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一つという観方・・・数年前の朝、男の子に〇〇高校はどこですかって聞かれた。
私は知識を総動員して答えた。

行ってしまってから、あっ、今日は高校の受験日の日だって思った。
なんだか、ちゃんと行けたのか、とても心配になった。
普段の見え方は、別々に捉えている様でも、とっさになると何とかしたいって気持ちが動くんだなって思った。

こっちの方が、考えとか入ってない本体なのかもと思う。
もっともっと、本心、本体を知りたい(50代女性)


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怒り・恐怖心、感情の元の、心の状態を見ていくと!
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怒り自体に反応してるのではなく、怒りに対しての恐怖のようものが自分の中にあってそれに反応してるように思えた。
だから〇〇さんが、いざ怒った状態になったのを見ると、だいたい逃げたり避けたりするか、怒らないで欲しいというのを必死に伝える感じもあって身を守る反応の現れのように思う。
怒りに対して恐怖のようなものが特になければ、怒ってて居心地が良くないというのはあっても、身を守る反応のようなものも無いように思えた。

〜できない、言えないというのも、恐怖心から来ているような感じもした。

現状の自分の人の観方が、感情とか気持ちとか欲求とか、現れたものをその人としている自分がいる気がする。
感情や気持ちなどは、自分の中に湧いてる感じもあってか自分そのものと思いやすい気もするけど、自分の外に現れてるものだよな〜と調べていくうちに思えた。

怒りをその人ではなくその人から現れたものという観方だったら、怒りが現れてるけどその人の心の状態はどうだろう?と、もっとその人の心に関心がいくようにも思うし、本心というのがハッキリしていたら怒りの現れがあって色々言ってても、その人自身本当にそうしたい訳じゃないだろうという感じで、怒りに対して嫌になってもその人を嫌になることはないように思う。

現れたもの と その人、の区別がついてなく、現れをその人としているような観方になってるように思えた。(20代男性)


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観念のフィルターをはずし、奥にある本心を生きることが、主体的な生き方へ変わる!
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これまで内面に関心を向けるというのは、その人の意志や考え、感情や気持ちに関心を向ける事のように思っていた。
しかし、それらは「自分」の外に「あらわれたもの」ではないかという見方が新鮮だった。
意志や考え、感情や気持ちは状況によってコロコロ変わる。

人の心というのはその奥(というか下というか)にあるもっと安定したものかもしれない。
その自分の心を見てみると、「上下観」が根強くこびりついているのに気が付いた。

こういった実際に反した観念が染みついていると、それがフィルターのようになって本心が見えない。
今は自分の内面(心)に注意を向けて、こういった事実化してしまった観念に気づいていくしかないと思う。

自分の本体というか「そのもの」から、人生の節目でメッセージが届けられてきたように思う。
きっと心がもっとクリアーなら、そのメッセージはいつも届いているのかもしれない。
鈴鹿に来て、〇〇〇で働かせてもらえることになり安心したが、自分の中の「上下観」が邪魔をして、本心というか主体性が十分発揮されないまま時を過ごしたように思う。

今回の「人生を知るためのコース」参加が、自分の心の中の観念の事実化に気づき、本心で主体的に生きていくスタートにしたいと思う。(60代男性)


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繋がりの中での安心・満足、本来の幸福な人生を探ると!
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自分の人生は,いったい何を目指しているのか。そして,実際の自身の人生は,その「目的」に適っているのか。
こんなことがこのコースではっきりとするのではという期待のもと,コースをスタートさせた。
コースが進んでいく中ではっきりしてきたことは,そもそも,自分自身,「人間の考えであることの自覚」が未だ身についていないという実態であった。
これには少し愕然とした。

意識上の自分と,実際の自分とがはっきりとしていない中で,人生の目的とは,本心とはと探っていっても,意識上のことだけがどんどん浮かび,実際は何かということがはっきりとせず,頭の中が混乱してきた。
加えて,実際はどうか,という視点ではなく,実際は何かと,あたかも答えを探すような思考を進めてきていたこともコースの中ではっきりとしてきた。
- | comments (0) |15:53

固定した考えで、自分や人を縛っていないだろうか?

人間の人間らしさは、知性の働きと心の働きから、現れるのではないだろうか?
人間の頭脳が作り出したフィックション(貨幣 時間 国境など)を共有することで、合理的な便利な暮らしを手に入れた。
が、自分で、作りだしたフィックション(貨幣 時間 国境など)で自分自身を縛ったり、お互いを縛り合う窮屈な暮らしになっていないだうか?
ゼロからの探究によって、縛り合う社会から、自発的で、自由な社会への道が、「自分の考え、自分の感覚であるという自覚」から始まる事が観えてくる。
9月2日~のサイエンズスクールの「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。
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人間の考えを知る → 「自覚と主体性」
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ブラジルや韓国、鈴鹿・八ヶ岳から集まったメンバーで、何を言ってもいい安心の中でかっこつけないでリラックスして出せたような気がします。

長女が濡れたバスタオルを丸めてあちこちに置きっぱなしにするのを見て、「もう!また!」と思うなぁ。
「感覚がちがうのね」では済まない感じ、大きい家、古い家、かわいい赤ちゃんなど、日常ではそのもののことを言っているな。
何かとの比較でそう言っている私の感覚のことだなぁ。
玄関で靴を脱ぐとか、そういう場所そういうものだからそうしてるという感じだと、まるで選ばされたような感じで、させられる感じになりやすいのかもと思った。
もしかして、これは主体性のテーマにつながってるのかな? と、2日目に思った。
忙しそうだから、声をかけれなかったのか、自分がやめておこうと思ったのかでは、だいぶ違うなと思った。
自分がやっている自覚がないと、やらされている感じになり、主体的でなくなるんだなぁ。
機嫌が悪いと判断したり自分のせいと思ったり、自分独自の回路があるなぁと思う。

実際とは何だろう。
「人間の考え」と知らないとルールや規則に振り回されて、何のためにやっていたのかわからなくなり、主体を失うと思った。
人間の考えであることの自覚がないとどうなるか? をやったときに、人に押し付けたり、やらされてる感じになったりするなと思った。
それって私が日常やってる事じゃん!
こうして振り返ってみると、自覚がない事を知らないんだなと思う。(40代女性)


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自分の感覚であることを知っていく、自覚!
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今回、参加してみて、毎日とても楽しかった。
久し振りにブラジルから日本に来て、なんだか、わからないが、何となくモヤモヤしていた。
日本は堅苦しい、とか、来たばかりなのに、ブラジルに帰って猫に会いたくなったりしていた。
でも、やっぱりコースはいいなー。
みんなと一緒に検討する醍醐味というか、脱線したり、笑ったり、好きなこと言い合って、本当はどうか一緒に考えられたのは良かったな。
自分がのびのびする。

今日、人間の感覚であることの自覚がないとどうなるか、というテーマで考えた時、いままで自覚のない状態で、眼くらめっぽうやってきた実態がはっきり見えたのが面白かった。
人の気持ちを勘ぐったり、こうではなかろうかと、想像したり、なんだりかんだり、いろいろややこしかったな・・・。
人間を知ることが、実現への一本道。
知らずして実現は出来ない。
知らないで、やること重視でやって来たんだな…と思う。
人間の考え、って、本当に多岐にわたる。
人間が暮らしやすくなるためにいろいろあるんだろうな、と思うが、人間の考えを事実化して、自覚ないままやってる実態だな。(40代女性)


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人と共に、ゆっくり自分の中を探求し、人間の思考を探る
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3日目ころまで、自分を知るためのコースとは自分を観察するコースと捉えていた気がする。 
探究会の最中も含めて、自分の行動、気持ち、何故そう思ったか、素行のクセや感想を述べていた感じだ。
4日目あたりからこのコースの本質を感じ始めた気がした。
自分を知るためのコースは、人間を知るコースなんだと(自分も人間だからね)人間の思考とはどうなっているかを、まず知って、自分を知るにつなげていく。
これをふんわりとだが感じてからは、コースの全体像が見えた気がした。
この探究、発見は独りでは無理だろう、仲間がいたから出来たことだ。(40代男性)


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自分の考えという自覚が、ありのままの自分、素直な自分へ、そして実際へ・・・。
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コースの二日目の朝にも朝食を食べながら〇〇ちゃんが私の事を可愛いって言ってくれた。
私に話してくれるのがうれしい気持ちとともに、本当はそうは思わないだろうという疑念か警戒する気持ちが見えてきた。
どう見て聞いて反応しているのかというテーマに出してみた。
見つめながら、日常の多くの場面で、私に向けてくれる人たちの関心を疑って警戒している自分が見えてきた。
その人の実際には関心が行かない状態。
素直に聞けない、どこか曲がっている状態、自分の考えということが消えてしまって、自分を守ることに力がたっぷり入った状態だったな。
〇〇ちゃんが実際に言った言葉は私の事を、「かわいいな」という言葉だった。  
その言葉には◯◯ちゃんの思い、心などがあり、言葉を渡す行為として現れたのだ。
言葉の向こう側に◯◯ちゃんがいた。
自分の考えで見ているという自覚があるのか。
自覚から始まるということを改めて感じたコースだった。
本当に素直に、ありのままの自分として生きていきたい。
ありのままの自分と、ありのままの相手と、実際の世の中を基盤にして生きていきたいなと思った。(30代女性)


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実際に近づく道は、自分の感覚を知っていく自覚から
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テーマが出されるたびにいろいろなことが頭に浮かんだけれど、どこまでが頭の中での理解で、どこまでが自分の実感のある血肉になっている感じなのかというのも観察してみたいポイントだった。
やってみて一番思うのは、自分の「知る」はまだまだ実現していないんだなあということ。
植物が緑色ではないらしいというのも本当に不思議で実感がわかない。
説明を聞いて納得してそう見ようとしても見えてこない。
私の眼には植物は緑色に見える。
人間の感覚器官、情報処理能力の限界というか、実際とは全く次元の異なるものであるだけだなと思った。
一体本当はどんな色(色で表現できないのかもしれないが)なんだろう??
さらに「夫婦、親子」などの関係までもが実際の物であるかのように認識していたことに気付いた。
「夫婦、親子」について考えたいとおもっても、それ自体が実在するもののように思い違いしたうえでの考えを話し合っているのなら、ただ各自の見解の言い合いにしかならないなと思った。 
自分の感覚、ひいては人間の感覚であるという自覚のある状態ではどうなるのだろう?
解決策を探すのではなく、実際に近づいていけるのだろうな。
人間の考えは宇宙だという話も出ていたが、その能力を使ってどんどんルールを増やし、どんどん人の気持ちを見えなくして、人を人として見ない社会になっていく。
ルールや観念を作るのはうまいが壊すことは下手だ。
一度作ると実際であるかのように錯覚してしまうからだろう。
自分で自分を縛ってほどかないでいるというのも変なものだけど観察してみるとよくやっていることだった
夫婦とはどういうものかを知るのではなく、それを捉えている自分の仕組みについて知る。「知ったつもり」ではなく「知る」を実現していくことからかなと思う。(40代女性)
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足るを知り・味わう、暮らしへ・・・・。

この毎日、心から楽しく暮らしているだろうか?
人の安心や満足は、どんな状態なのだろう?
母乳を飲む赤ちゃんや、母乳を与えるお母さんの満ち足りた心に思いを馳せる。
言葉の前の、感情や気持ち、人の心を知りたい。人の心の声を聴きたい。
8月18日~「人を聴くためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。
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言葉の性質を知らずに起こる、知ったという勘違いは
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言葉を通じて感情や気持ち、考えを伝達する。
言葉は非常に具体化された表現方法という考えに、言葉を聞いて、認識された言葉にその人の考え方や気分、感情などがあると思っていた。
しかし、言葉というのをよく知らずに使っていたことを気づくところからコースが始まった感じだった。
相手の言葉を聞いて、同一の性質だと捉えた私の中にカテゴリーと結びつけて、認識されるプロセス。
そのカテゴリーがどのように分かれているかによって認識されることも変わることが新たに感じられた。
韓国語ではウチワとセンスを同じ言葉「ブチェ」という。
しかし、日本語でウチワとセンスを分類して言うことを知ってから
「ブチェ」を見るときウチワか、センスなのか分類してみる方式が私の中に新たにできた。
各自の中に分類されたカテゴリーに言葉を認識するのが見えてきた。
しかし、知識や経験などによって各自のカテゴリーが異なるにもかかわらず、言葉を聞いて'知った'という勘違いが、 その人の中にどのようなことから言葉が出たのかに関心が行かないようにするんだという気がした。

"エルサドレスを買って"という甥の言葉を聞いて、エルサドレスを買った。
甥の言葉を聞いて何かを満たしてあげた感じがしたけど、今振り返ってみると、甥に関心があるというよりも、甥が言った言葉に関心を置いた。
話を聞いて、物や行為を通じて豊かにする方向に向けがちだが、感覚的に豊かにする行為はその瞬間の快感はあるだろうが、 すぐに再び感覚は消え、再び感覚的に満たそうとするパターンに陥りがちになってしまう。
そうしたら、満たし、満たして受ける行為に執着するようになる状態になっていくかもしれない。
行為以前に本当にその人に関心を向けた状態が本来の人と人が満たされる状態で行ける道かな? よく分からないが、一応ここにポイントを置きたい。(30代女性)

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相手が発する言葉の前のものへの興味・関心は?
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聴くということを調べていく中で、改めて言葉になる前のものがあって言葉が出てきていて、聴く側はまず言葉が聞こえるのだろうけど聴くということは言葉を手掛かりに言葉になる前のものに目を向けることだなというのが浮かんだ。
現状は言葉になる前のものに目が向くのではなく、聞いた言葉に大きく目が向く構造になっているように思えた。
人が満たされるというのも、肉体的な面は食べ物などで満たされるようにも思うけど、心はというと人の関心を受けることによって満たされるように思う。
体で言うところの酸素のような要素かもしれない。
人を聴くためのコースに入る前に社会を知るためのコースや集中研究会を経て、人が安心して満たされるということが人にとってとても重要な要素だなというのを思い、人を聴くという要素が大きいなというのを思った。
本当は人と人は常にお互いの独自の世界同士が聴き合うことによって交流しあってるのが正常で健康な本来の姿のようにも思えた。
それは言い換えると精神面も一つの存在という人の姿が少し自分の中で浮かんだ気がする。(20代男性)

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相手が何が言いたいのか聞けないのは、なぜだろう?
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今回コースの参加した目的は 、相手が何を言いたいのかがキチンと聴けて、尚且つそれに対して的確な返答が出来て、本当の意味での「話し合い」が出来る自分になりたいと思って参加しました。
今回やっとその本当の「話し合いとは?」ということが分かったような気がします。
というか、「なぜ今まで私の聴くが実現しなかっただろう」ということが分かった。という表現が適切かと思います。
それが実現しない「4つの原因」を具体的に丁寧に探っていく中で特に自分に当てはまったことは、「聞くこと」と「やること」の癒着、そして「聞くとすぐに自分の見解を言いたがる」という癖でした。
良かれと思い自分がやっていたことが、実はその人の本当の心を理解していない(聴けてない)が故に、相手の依存を増長し結果的に双方が悲しむ結果を生み出していたことに気づいたときは愕然とした。
またそれを繰り返すうちに私の人間不信が深まっていったことにも気づきました。
その瞬間瞬間に相手の内面(本心)に意識を向けて聴くことができていたら、このようなことも起きなかったろうと深く感じました。(50代男性)

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聴くと心の関係は? 人の満ち足りるとは?
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次の日の午前中、「言葉とモノとの関係は?」を検討していると、ますます娘の言葉ではなく気持ちを聞いてあげたいという気持ちが起きて、スッタフさんに電話したいと言ってみた。
スマホを持って来てくれたので、電話してどういう風に不安なのかをじっくり聞いてみた。
娘はだんだん安心したらしく、
「お母さん、聴いてくれてありがとう」と3回も言っていた!!!
このことを、電話を切ってから、思い返していると、じんわり涙が出てきた。
今「聴く」コースにいることを知ってるわけじゃないのに、「聴いてくれてありがとう」と3回も言ってくれたなー、安心してくれたみたいで、私も安心したなー。
なんで涙が出るんだろう。
言葉に出来ない感情が心にあるなーと思った。
3日目に「なぜ聴くが実現しないのだろう?」というテーマをじっくりやっていくうちに、早く実践したい!という気持ちでいっぱいになった。
そういう訳で、4日目の夜、無事に帰宅して、娘や夫の話を聴いた。
とても おだやかで満ち足りた時間だった。

そして翌日の午前中。自分の店の仕事をして、猫の世話して拭き掃除、片付け、掃除、たまった洗濯もして、銀行と郵便局と動物病院に行こうと用意をしていたら、娘が「行きたくない」とぶすっとし出した。
早速、聴くモード。
するとすぐに機嫌がおさまった。
すごい。
その後、「お母さん、これ見て」「お母さん、耳かきして」などなどをこなすうち、遅い朝ごはんを作ろうとしていたのが、いつのまにか12時になっていた。
リビングは娘のもので散らかりっぱなし。
だんだん、余裕がなくなってきた。
さらに、仔猫の1匹が、吐きはじめ、様子がおかしくなってきた。
病院に電話するも、昼休みで15時まで連絡がとれない。
15時になってすぐ電話し、連れて行くことにした。
郵便局で発送する仕事の荷物があったけど、慌てていて、家に忘れて来てしまった。
家に帰ったのが17時半、すぐに荷物をもってまた山を降り、夜も開いているちょっと離れた郵便局まで行き、戻ってきたら夕食の準備が待っている。
疲れた・・・。
完全に聴く余裕を失ってしまった。
そこから寝るまで、いつも通りに、片付かない部屋にイライラし、片付けない娘にいつもと同じように小言を繰り返すはめになってしまった。
頭では聴けてない、聴けてない、と分かってはいても、私の心が満たされない状態になっていると無理!ということが判明した。
そうかー、そこはコースではやらなかったもんなー。早速実践で、そう簡単にいかないことが分かった(笑)
その後、仕事から帰ってきた夫に、1日の出来事を聴いてもらったら、心が少し回復した。
そうすると、娘の話も聴くモードになれた。
聴く、には、自分の心の状態も大事!!!これ大事!!!(40代女性)
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