「知る」とは…、「その成り立ちを知る」

「自分を知る」とは、「自分の成り立ちを知る」ことです。

これまでの、周りから受けたもの、今も受けているものを知ることだと思います。物や人の行為、心や情など、どれほど多く受けてきたか、受けているか・・・

現状は、権利、義務、責任やお金などの交換条件や、「当たりまえ」とする観念などによって、受けてきたもの、受けているものを見えなくしていることが多いようです。

人は、年を重ねるほどに、受けたもの、受けているものは、膨大になり、とても知りつくせるものではありませんが、それを知り、見えるようになっていくことが、人間性の成長でもあると思います。

「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。



何を「自分」としているのだろう?

音や光など、それ自体は意味を持たない。

人間が、捉えて、意味づけをする。

先ほども述べたように、各々の感覚によるもの。

事実・実際そのものは捉えられないのだから、

ハッキリと言えるのは、結果「そういう感覚が起きた」という自分側のことのみ。

事実の一側面だけを捉え、自分なりの解釈をし、感情が生まれ(ここまでほぼ自動で無自覚)、

その感情を正当化するための理屈を考え、付け加えていく。…という感じがする。

「考え」も「感情」も、「正しい、当然のこと!」となる。

否定されれば腹が立つ。

「考え」、「感情」を、自分自身だと思い込みがちのように思う。(20代男性)



自分の感覚で捉えたという、自覚の欠如と、心の不健康というのが密接に関係している気がする。頭の中の事実化による「妄想」が怒りや憎しみ、人間問題のところまでいってしまう。事実化が事実化をさらに進めることでそれを当然とすることで、本来の心の健康とは離れてしまう印象がある。(40代男性)
自分を知るためのコース | comments (0) |10:26

今までにないセミナー サイエンズセミナー

人のなかで、力むことなく等身大の自分になって、私の中身を、本来に照らして見ていく。

それは、難しいことでなく、素直に、ただ、ただ、「自分に問う」。

答えが出ない、表現できない。でも、何か、もっと、と尋ねて・・・

人と人、こんな感じがいいなあ。

人と人でつくる社会、どんな社会がいい?

さあ、ゼロから、創造してみましょうか~

「サイエンズセミナー」

今月も、参加の希望があり、急きょ開催しました。

来月(8/11~16)も開催。申し込み、まだ、受け付けています! 

7/5~サイエンズセミナーに参加された方の感想です。



ものの見方、考え方が無数にあって、それを否定しない

ああ あるよね、と言うゆるい受け入れかたが、ひとの幸せにつながる事を学びました。

こんなひと達がどんどん増えるてゆくと、地球の幸せがあると感じました。

こう言う、スタイルのセミナーは初めてだったんで、最初すごくとまどったけどだんだん居心地良くなって、疲れない、これは何でしょう。

一方的に開かれるセミナーは頭に入れないといけないと思って必死に聞いているけど、結局右から左と抜けていって、あれ? 何だっけと思ってドッと疲れるのですが。

頭には入れないけど、どこかに残っている(頭ではないですね)それが疲れない原因でしょうか。(60代女性)



自分のことを噛み砕だけると、人のことも噛み砕いていけると思いました。

人のことを聴けないとは、実は自分のこともないがしろにして、聴けてないと。

そこまでして優先してきたものは何だったのか・・・(40代女性)



ゆっくり考えてみること、実際は? どこからきてる?

ゆっくり感じてみること、この胸に手をあてて。

ゆっくり耳と心を傾むける。この人の中に今、何がある?

セミナーを通して体験させてもらったこの感覚を、ゆっくり・じんわり味わって、日々の暮らしの中で長持ちさせたい。

しゃべりたくなったり、黙ってようと思ったり、ムッとしたり、責めたり、その時その時、自分の中で何が起こってるのか「見たい」、「知りたい」という、今のこの素直な欲求を大事に育てていきたいような気持です。

好きになりたい。

自分の事も、身近な人のことも、出会ったり、すれ違ったりする人のことも。

というか、きっと自分の中に“大好き!”は、いてくれるから、その上にいっぱい積み重なっているものたちに、ひとつひとつ気づいて、心を向けられるようになっていければいいかもという気もします。(30代女性)



自分の話をする時も、身構えず、気楽に、等身大のまま話せたような気がしています。

そうやって自然に自分の話をしていると、不思議と過去の見え方が変わったり、自分の見え方が変わったり、自分の心持ちが変わったりしました。

何か特別なことであったり、大きなことをしたわけでもなく、むしろ気楽に肩の力を抜いていった結果、普段動かない何かが動いたような感じがあり、面白いです。(20代男性)



今回参加して、自分で想像していた以上に自分の中には決めつけや思い込みがたくさんあることに気付かされました。

特にコップのことを考えた時に、その背景にあるものの大きさに本当で衝撃を受けました。

「自分一人で生きている訳ではない」という言葉の深さが少し分かった気がしました。(40代女性)



「実際の人・自分・社会」

人がいくら頭で、「生きるためには、お金が必要だ」とか「報酬が、罰則が無いと人は動かない」と思っても、実際の「人が生きている」というのはあるんじゃないか、やっぱり良い野菜が出来ると、人にあげたいし、人から「こう料理してみたよ、おいしかったー」と言ってもらえると、うれしい。

そこにいちいちお金とか見返りとかはさむのが不思議。(20代男性)



1‐4日目まで探究してきた内容がベースにあって、社会について考えられることで、今まで捉えてきた社会、そしてみんなが幸せと思える社会について、どうしたらいいのか、についてのヒントをいただいた気がした。

6日目、初めての鈴鹿コミュニティーを見回って、実際働いて、住んでいる人の話を聞いて、人の心地よさを中心としている社会がいかに気持ちのいいものか…垣間見れて、これから帰ってから、少しできること、集まって話し合いの場所を設けてみようと思う。(40代女性)
アズワンセミナー | comments (0) |14:16

互いの理解が深まるには

「サイエンズセミナー」って、どんなセミナー?

具体的に何をするのかというと、そこでは、何でも出し合い、何でも聴きあい、なぜだろう、どうなっているだろう、本当はどうなんだろう?と、話し合い、調べ合う(探究する)のです。

そして、お互いの意見や考えを聴き合えば聴き合うほど、お互いの理解は深まり、ひとりひとりの違いがくっきりとして・・・。さあ、お互いの間柄は、どうなるのでしょう?

6月「サイエンズセミナー」に参加した方の感想の一部を紹介します。





思い込みやキメつけが、こんなに人生を縛り上げていたとは・・・

そして、安心して話を聞き・話すことが、こんなに快適だとは。   

傷つくのも傷つけるのも嫌なのに、人との関わりを求めて様々な場所に出かけて行って、浅い付き合いに留めていたことが、親しさのある間柄を作れなくしていたのかもしれない・・・

一人で考えていては堂々めぐりだったことが、一緒に考え一人一人の異なる考えを聞き、心ゆくまで探究する事で、新しい道を見つけていく。

この考え方が広がっていけば、もっと楽に生きられる。

これからの世の中が楽しみになってきました。(40代女性)



今回参加した仲間も、考えてみると、ここまで深く話したことがなかったので、お互いを知れてよかったです。

普段、自分は迷った時・悩んだ時・なるべく根本に戻ってよりシンプルに考えるようにしていました。

でも6日間のワークに参加して、まだまだ前提やキメツケ、思い込みがあることがよくわかりました。

もっと深く見ていくことが出来ると知り、今後の生活に使っていくのが楽しみになりました。(40代男性)



ゼロから「実際はどうか?」探究する・・・とても面白かった。

実際、自分一人でゼロになるのは難しい。

経験や知識を元に導き出し「本当にそうかな?」といつも考えるようにしていたが、一人の世界だと、前提ができてしまっている場合がよくある、くつがえせない。

でも、他の人と一緒に考えていると「え!!!」と思うような、予想外の答えや考えも出てくる。

それが本当に楽しかった。(30代女性)



すぐにつっかかりを感じ、ヘソ曲がりなところのある自分という人間がおもしろく感じるようになってきた。

そして身近に居る人、出会った人の中身をもっとしりたくなってきた。

それは実に愉快でおもしろいことである。(30代女性)



本の読み合わせをしたり「社会」についてのセッションを通して、それまでに比べて心持ちが緩んだ感じがした。

それまでのセッションでは、各々個別の考えや思考価値観を見させてもらっている感じだったのだろうか?

「社会とは?」と自問しそれを出し合い、響き合い、又考えて・・・・

その時間こそが共に社会を創っていこうというのに似た感覚だったのかもしれないなぁと振り返って今、そう思う。



何度も出てくる「分け隔てのない親しい間柄」という表現。

言葉にするのはとても簡単。

昨年も「そうだよね。確かに」そう思った。

今回の6日間で言葉には、しずらい深い感じを受けた気がする。



6日間を終えるのに当たり「自分のことをもっと深めていきたいなあ」ということと「周辺はどんなになっていくかなあ」とワクワクとした気持ちでいる。

「親しい間柄」へのこころみ。

これからが楽しみだ。(40代男性)
アズワンセミナー | comments (0) |09:47

「見る」とは、

今回は、「自分を見るためのコース」に参加した方の感想を紹介します。

「自分を見るためのコース」は、「自分を知るためのコース」を受講した人が対象の、3泊4日の集中コースです。

そのものを知るためには、<見る><そのまま見る>ということが、ポイントになります。

自分についても、物事や人に対する自分の観方・捉え方を客観的に見られるようになることで、知らないうちに、自分の中でキメているものに気づき、そのものへの関心、知性が働き始めることでしょう。



   *  *  *



「自分を見る」と「自分のことを思う、考える」

これが全く別の行為?であることに、とても新鮮な感覚を感じつつ始まった、久しぶりのベーシックコース「自分を見るためのコース」だった。

それぞれの人が出すたびに、その都度「それは考えて言ってんの?それとも、見て、言ってんの?」というスタッフからの問いかけもあって、自分の中で「自分を見る」が成されているかを押さえつつ、それを言葉にして、出したりしながらシンプルにやっていけたように思った。

反応を後から見てみると、捉え方にすでに事実化が潜んでいて、結果、反応もそれに伴った反応になっている。これはこれで調べる材料にはなっていくとは思うけど、後手後手感?が否めない。

日々、常に「見る時、聞く時」自分は何をしてるのか、自分の中に何が起こっているのかをしかと見た時、〝自覚”が自然と生まれてくるのではないかなと思った。(40代女性)



今の私はどのように物事を捉えて、世界を見ているのだろうか。毎日、見て、聞いて、起こる反応に糸口がある。実際の世界と私の中での認識の世界との区別、そして自分の中の世界で起こっていることについて客観的に見ていくこと。

まずはここから始まる。その次に、このすべてのことを通して、「結局、何をしようとしているのか」という人生の目的、すなわち、人間らしく生きるための方向性について、より明らかに見出したい。今の私って、この2つの作業、「どこが出発点なのかを見つけて、その前に立つこと」と、そこから一歩一歩前へ進むため、「足を踏み出す明確な方向を知ること」をやろうとしているところだと思う。

霞んでいた視界が一層、鮮明になってきた感じがする。希望的だ。(30代女性)



今までの普段の自分は何かに反応したあとの頭でいろいろ考えていることに振り回されてることが多いんじゃなかったのかなと思う。そこで自分で自分を納得させたり、押さえ込んだりして終わらせようとしたり、嫌なことはまた起きないように気をつけるようにしたり対処的に処理してた気がする。

そういういろんな考えが出てきた一番元の反応を見つめていくことで、今までとは違うことになっていくんじゃないかと思った。(20代男性)
自分を見るためのコース | comments (0) |13:18

「知っている」という状態は、

情報を得たり、自分の体験などから、「こういう人」「こういう物」「こういう出来事」「だからそうなんだ」など、人や物事について「知った」つもりになっていることがあります。

それをよく調べてみると、ほとんどが、一時的・部分的・表面的な情報や体験によるもので、自分の中では、「知らない」という意識がなくなり、「知っている」という状態になってしまっています。それは、その人やその物事について、「こうだ」とキメている状態とも言えます。

長年共に暮らしている家族であっても、知らないこと、分からないことがありますね。ましてや、他の人や出来事を「知っている」「分かった」と、言えるでしょうか?

6月の「自分を知るためのコース」参加者のレポートです。





「事実・実際」と自分の認識との違いについて理解するまで、かなりの抵抗と時間がかかった。

今までは、目の前にあるものに、形容詞がついていると本当に思っていた。

でも良く良く見てみると、形容詞(そう感じている)のは、自分の頭の中にあり、どこまでいっても、私の認識でしかないことに愕然とした。

「認識」は、今までの経験や知識など、ぼう大な情報の中から、取捨選択していて、その人その人のオリジナルなものであり、対象物を自分の五感を通して瞬時に判断しているのだが、その「判断」も反射みたいなもので、どのような回路を経て、何に反応して認識しているのか、全く意識していない。

今まで、自分の頭の中にある実際を事実と思い込んでいたので、目の前の実際を見ることができず様々な混乱をきたしていたことが分かった。

私の苦しみの構図が見えたことは大きな収穫だった。

今の段階では、「構図が分かった」だけで、どう、行動が変わるのか分らないが「構図を知った」ことで、物事の捉え方が変わり、反応も変わることに期待したい。(40代女性)



これからの人生の新たなスタートを切った気分です。

今まで、無自覚のまま感覚で認識してきたことを(五感を通しての感覚)自分の考えや思いと判断して行動してきた。

そのことに知識も理解も自覚もないでいた。

脳が捉えている認識を事実と思い込み・・・・ほんとうの意味での事実とは・・・が分っていなかった。

いつも、脳が自分独自の回路で表現しているけど、事実そのものではない(言えてない)

すべてのことは、自覚し続ける認識・意識の捉え方は、脳の仕組みから来る、このメカニズムを解ったことにより、人との関係性、これからの生き方が変わる、よりよく自分と向き合える。(50代女性)



あったはず・そうだったはず、過去は私の認識の中にしかない。

今、これからは、今、そこにあるものからしか始まらない。

ましてや将来を今の自分が決めることなどできないはず。

意識上の自分は日々更新、「実際の自分は自由だ」・・・なんだかすごく気持ちがワクワクしてきた!!誰も決めつける事はできない、やりたくない事をする必要もないが、できないと自分を縛る必要もない。(60代女性)
自分を知るためのコース | comments (0) |19:39

人のための社会を

人は寄り集まって、社会を作ってきました。

今も、これからも、社会の中で、生きていきます。

現代社会は、複雑化して、多くの問題を抱えていますが、

本当は、どんな社会が、いいですか?

まずは、じっくりと、自分の社会観を調べてみましょう。

「社会を知るためのコース」の参加者のレポートの抜粋を紹介します。



心は、いつでも正直だ。

心は、決して嘘をつかない。

考えで心を捻じ曲げるから、

「心でないもの」を持ち込むから、

おかしくなる、親しくなくなる、話し合えなくなる。

心に基づいて生きていくことができるのが「人らしさ」だと、私は思う。

中略

『人のための社会をつくる』。

「何もしなくてもよい」観点。

何でも言える、何でも聴ける人間関係で、気持ちを言う、気持ちを聴くこと。

必要なのは、おそらく、たったこれだけ。

どこかの誰かがやってくれるのではない。

そういう社会を望むならば、自分がそうなること。

そういう社会を望むならば、それを望む人と、なり合っていくこと。

私自身も、「社会」なのだ。(20代男性)



社会についてじっくり考える機会が人生で初めてやってきた。

今まで物事の本質とか、人間の本来性とか、やんわりその内容に触れて検討機会があったのに既存の社会観人間観の中でぐるぐる考えて訳もわからずただ道に迷うだけだった気がする。まぁ、それくらいの衝撃というか、すごいことやなぁ。

初日の「責めるとは」はとても重要なテーマでこれが解決すれば世界から争いが無くなると本気で思っている。

考えていくと「責めるのは良くない!」「責めるのはやめよう!」としても解決しないというのは分かる。何かもっと元にある人間観というベースからなんじゃないかというのが見えてきた。

中略

「社会は何もしなくてもよい」

何もしなくてもよいと本当に何もしなくなるのか。

お互いのやりたい気持ちだけでやる社会は実現し得ないのか。

もともとは人の集まりである社会において自分にも他にも強いて、社会にも強いて縛って、それで人を動かそうとする。人を動かすものはその人の意思でしかないのに、それを無視して奴隷のような扱いをする。そんな恥ずかしい行為。

これこそものすごく無理のあることなんだということが浮かび上がってくる。

何もしなくてもよいのだから、ものすごく楽だなー

やりたいだけだと、どんどんやりたくなるなー

どんどん検討したい研究したい感じだし

なんでも言ってもいいからどんどん言える感じ

やりたいことだらけ

楽しみだなー(30代男性)



一人一人が自分の気持ちと意思で動くだけ。

一人一人の気持ちを、感情を、考えを表明するのを妨げるものは何もない。

すべきことは何もない。何もしなくてもいい。

ただ自分の意志でやろうと決めたことをやるだけ。

気持ちは変わる。口に出してみると、誰かに聞いてもらうと、その瞬間に何かが変わる。誰かの話を聞くと、自分の心がそれに反応する。その人のやりたいことが自分のやりたいことになったりする。

これが「自分と人の心は一つ」ということか。自分の中に固定や隔ての無い状態というのはこういうことか。

こういう心の状態でみんなの思いや考えを出し合って、一緒に何かをしたら、どんなことになるのだろう。想像するだけでワクワクする。

僕がやりたいのは、まさにこれだった。(50代男性)
社会を知るためのコース | comments (0) |19:11

心の成長

人には、心というものがありますね。「人としての成長」というとき、心の成長を、一番に見ていきたいものです。ところで、その「心」って、一体どういうものなのでしょう?「心の成長」とは、どういうことなのでしょう?

5月の人生を知るためのコース参加者のレポートから、一部を抜粋して紹介します。



   *  *  *



意識上では「幸せになりたい、一人では無理だから周囲の人と成りあっていきたい。本当に皆で幸せになるには何をしようか?」等々浮んでくる。実際の私は、私の意識に上がらないところで、何かをやろうとしているのだろうか? 

人間性を踏み台にして後天的なもの(価値感、常識、善悪、良し悪し・・・・)に踊らされて生きているのだろうか?

4~5才の時、大学病院で、重い心臓病や肝臓病の子をお世話する看護婦を見る機会があった。子ども心に「自分もあんな風にやってあげたいなぁ」と憧れに近い気持ちを覚えたことを思い出す。医師や看護婦、親といった病児を取りまく人的環境に安心していたようにも思う。

途切れることなく与えられることで得た安心という状態の経験から与える側になりたいと思う。それは意志というより心の成長という方が適っている感じがする。

与えられて安心、与えて安心。

授乳中ってこんな感じだった。

(50代女性)



自分自身の実態を知る。人に対して、ある人の行為を見ておかしい常識のない人と、人を裁いている姿、無自覚で人を自分の基準で裁いている。

思いの世界で生きるのか、変わらぬもの、内面(心)、事実、実際の方に行かない図式。

一人ひとりに意志があり、その人の内面(心)があるというのが欠落・自覚なし、相手を動かそうとしたり、とても不自由なことをしていたことに気付かされました。

大きな分かれ道、健康正常(本質)か、不幸に進むのか、その人の行動迄も阻止出来るという、そこまで行ってしまう恐ろしさ、もう終わりにしたい と それだけなのに泣けますね。

(70代女性)

                            

安心と満足について

人の心というものは、人の心によって、人の満足には、「自分のこうしたいといった欲求」が満たされるだけではなく、「人にこうしてほしいという要求」も満たされてこそ、満ち足りた状態になっていくと思う。

これからの子どもたちが、いつも要求が満たされる環境で育つことで、自ずと人の要求を満たしたい大人へと成長していく、そうなることで、道徳や権利・義務の要らない社会になっていくのではないかと思った。

(60代男性)
- | comments (0) |09:14

自分の状態は、どうなっているのだろう?

私たちは、自分なりに、五感で捉えたことに反応して、暮らしています。捉えたことは、その時々のものだけでなく、過去に捉えたもの(知識や体験など)も大きく関係しているでしょう。

自分が、自分なりに捉えているわけですが、自分が捉えたことを事実、実際であるかのように思い込み、そこからいろんな感情が生じて、怒りや争いになっていることが多いと思います。



5月の「自分を見るためのコース」に参加した人のレポートの一部を紹介します。



自分を見てみると、自分が見たり聞いたりしたことが実際のことのようになって暮らしているのがはっきりした。

ときどき修正しようとしているけれど、ほんとうにここのところをはっきり自覚することが、人と人のあいだの壁をなくし、親しい間柄になるための大事な要素と思えた。

ここのところがお互いにはっきりしたら、何を言われてもその人が捉えたことを言っているのであり、自分が捉えたことを言っているということで、同じと思われることを見ていても反応は異うわけだから、どうしてそう思うのかもっと聴いてみたくなる様に思う。

対立や争いのない社会はこの基本的な、子供にもすぐに理解できることを、実際に顕していくことかなぁ~と思う。(50代 女性)



自分が普段、何を見て反応しているか?

目に飛び込んだ物、手で触れた物・口で味わった物など一瞬にして、自分で、実際として、捉えてしまう。

事柄に追われて立ち止まって考える余裕がないと思っていたが、「事柄に追われる」は自分の中に実際あるのだろうか?自分の中で何かに反応して、そう思っているだけの気がする。

自分の外にある物に対して事実化している以上、自分の中にある経験・記憶・知識などに合わないと、不安になったり、相手を責めたりする、元になるような気がする。

「自分の中の反応だ」という自覚が必要ではないかなぁと思った。(50代 男性)



どんなにはっきりこうだとしてみたところで、自分独自の捉え方で反応しているだけ。<洗ってないお風呂>と、捉えた私の歴史が見える。(ちょっと大げさかな?)こんなこと考えていたら自分がいとおしいっていうか、かわいいなと思えた。自分独自と思えたら、なんか自分に興味が湧くっていうか。周りの人にもその人の一言に人生があるのかなと。

自分も人に対して重くなるのは、自分の中で起こっている自覚がない状態(実際になっている)からきているのかも?

探究会をとおして、明るく霧が晴れていくように心も軽くなってくる。自分の反応の事例を出し合って、笑いとばして、検べていくって楽しいな!こんなこと日常でやりたいなぁ。 (60代 女性)
自分を見るためのコース | comments (0) |14:04

自分を知るとは・・・

まず、自分の言動を観察してみましょう。

自分の言動は、どうなっていますか?

じっくりと見てみると。。。

あら、なぜ?そうしたのだろう?

自分でも、不思議。知っている?つもりだった。

そして、なんと、知らない自分に気づいていく、心の軽さ、明るさ。

心の状態に大きく影響するように思います。

5/8~自分を知るためのコースに参加した人の感想レポートの一部を紹介します。





いろいろ思ったことはあったが、知ることができない実際があるように、自分の意識も知らない世界が広がっているのだろうと思った。

全て自分の感覚で、実際を知ることができないが、全て自分の感覚だとなっているのと、自分の感覚が事実実際化しているのは、大きな違いがあるような気がする。

また、自分の感覚だとなっていることと、自分の感覚だと思っていることも大きく違うような気がする。

そのためには、観察が大きなカギのような気がする。

そういう人達で出来る社会は、今までとは確かに違う社会になるなと思った。(20代男性)



自分独自の回路でしか、見れない、判断できない「私」と、まったく別個に「事実・実際」があり、どんなに詳細に五感を働かして調べたとしても「事実」にはならない。

他の人の視点・感覚・判断を、かき集めても、点の集合で「事実」そのものにはならない。 う~ん、なるほど。それでも拠って立つところは自分。 自分独自の回路しかないが、それはとても「自信」といえるものではなく、ここはどうしても「事実がわからない自分」というベースからスタートするしかなさそうだ、となってきた。(60代男性)



悲痛な気持ちでいっぱいになって、自分ではどうしようもない状態だと思って、涙があふれ出た。

ところが、そんなに悲しくて辛い感情というものが、事実・実際を見て反応したわけではなく、ただの自分の認識の世界に反応したことにすぎないと感じた瞬間、「なんだ、そんなことだったのか?」とフッと軽くなってきた。あくまでも自分の感覚、認識、記憶であることに対して、泣いたり笑ったり怒ったり苦しんだりして来たのだったのか。そんなバカなこと、いつまで繰り返すつもりなんだ、、、と思った。

(中略)

認識って、また新しい経験や考え方によって変化を重ねて行くものだろうし、それに応じて反応もまた絶えず変わって行くものではないだろうか。 そして、その反応というのが実際をベースとしたものではないことが明らかになると、どのような反応だとしても、より軽く見て行けそうな気がした。実際ではない、自分の認識によって起こる反応の世界の方じゃなく、実際の世界はどうだろうかと、関心の方向が変わるではないだろうか... 再び希望が湧いてきた。真っ暗な夜の世界から明るい昼の世界へ、一歩、踏み出した、と感じた。(30代女性)
自分を知るためのコース | comments (0) |17:36

知るためには・・・

「当たり前」「当然」としていると、そのものの成り立ちや背景を感じたり、知ることは難しいでしょう。ですが、人には、もっと知りたいという知的欲求があるように思います。



5月の連休に開催した<サイエンズセミナー>、参加した方の感想の一部を紹介します。



参加してみて、自分が日頃、周囲から感じる優劣や思い込みから動けずにいる状態だということに気づきました。自分がそういう状態にいると気づくと怒りから解放されたように感じます。自分という存在は今までの積み重ねからの視野でしか見ることができない。当たり前ですが、その当たり前になかなか気付かない。だから他の視点やその姿勢になれたとき、人の話を聞くことができるんだなと思いました。(40代男性)



普段は深く考えることのない『テーマ』、例えば、怒り・自由・所有 等を用意して、その事を誰かの考えを説明し、教え悟すのではなく、参加した各々の考えを出し合って、本当のところはどうなのか? 実際のところ、どうなのか? と見てゆくことは、話には聞いていましたが、体験すると「こんな面白い事はない!!」と感動しました。(40代男性)



・「あたり前だ」と思っていたことを探究して行くと、思いこみ、決めつけに気付き、それが外れると色んな気づきが生まれた。

・「思い込み」「決めつけ」が思っている以上に多くて驚くとともに、これを一つずつ外して行くことで、今まで出来ないと思っていたこともなくなり(出来ないということさえなくなり)←思い込み  何でもできるようになるかも! と思うとワクワクした。

・「知識」と「知ること」とは違うと思った。知識を増やすことはいいことだと思っていたが、逆に知ったつもりになり、そこで考えることをやめることになったり、逆に「~しなければ」という決めつけを増やしていたということに気付いた。(40代女性)
アズワンセミナー | comments (0) |18:19