すべての人が求める、幸福な人生を探る!

人は、両親から生まれ、親や周囲の人から愛情を受けながら「幸福」に育っていきます。一生を「幸福」に生きるには、周りの人との間に不安が起こらない環境がいるでしょう。
自分が幸福に生きていくには、人と共に安心の中で生き、満たされ・満たし合うお互いで、人としての正常な知性を働かせ合うことが欠かせません。
サイエンズスクールで開催されている「人生を知るためのコース」は、自分自身を、人生の本来を、じっくり観察し探究していきます。1月13日から開催された参加者の感想を紹介します。

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◆不安を持った観念的な人生から、不安のない実際に即した人生へ!
不安というものがどういうもので、付き合い方がわかれば、かなりいろいろなことが楽になるのではないだろうかという話もしていた。
不安だと思っていたことも、どういうことなのか明確になると、たいしたことでなくなる。
正体や実態が分からないから不安になる。
つまり事実実際が常にわかっていれば不安にならない?
自分だけでも事実実際がわかっていたら、周りの人がどんな状態であっても大丈夫?

今回、自分と実際とのキョリが近ければ近いほどラクだと強く思った。
できごとだけでなく、心についても。
事実実際について。
不安について
しばらく考えていきたい。(40代女性)
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◆人によって満たされ、人を満たしたい「分かち合いたい」欲求!
人は人によってしか満たせない、満たされないものがあるなあ、と思う。
他のものでは代替えできないもの。
この部分が心と深く関わっているのだと思う。
これを他のもので一生懸命満たそうとしていた気がする。
きれいな景色を眺めていても満ちてくるものはあるけれど、人との中で満ちてくるものはそれとは少しちがう。
人の中で生きるしかないんだな、というある種のあきらめと覚悟のハザマ(笑)。

一つのもの。
みんなひとつのつらなりだって、考えればわかるけど、体得してはいない。
それを当たり前として意識にも上らないくらい、浸み込んだらどんな世界が広がるのだろうか。

最終日の早朝、池のほとりを散歩しながら昇ってくる朝日を見ていた。
きれいだなー、と思いながら不意にこれを誰かと「分かち合いたい」という気持ちが湧いてきて驚いた。
考えるとこんな風に思ったのは初めてかもしれない。(40代男性)
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健康な頭の働きへ ⇐ 「自分の頭の中の認識である」という自覚から

腹が立ったり、ムカっとしたり、イライラすることはありませんか?
自分がそうしたいわけでもないのに、止められずに自分の感情に振り回されてしまうことはないでしょうか?
仲良くしたい家族の中でも、つい怒ってしまったり… どうして、そうなってしまうのでしょう?
これらは、「自覚」のないことで作られている、自分自身の認識のなせる技なのです。
自分の中に無意識のうちに作られて来た常識を調べ、知り、囚われから解放されること――。そんな自分自身を「知る」ことが「自覚」への第一歩です。
サイエンズスクールで開催されている「自分を知るためのコース」は、そんな自分に踏み出していきます。12月28日から開催された参加者の感想を紹介します。

gull-1090835__340-500.jpg◆「自覚」が、観念上のやり取りから、事実や実際のやり取りへの出発に!

夕食にチキンカツを食べた時に「柔らかい!」とちょっと嬉し驚くような場面があった。
それも何に反応してるかというと、チキンカツにではなく、自分の中のチキンカツというイメージとのギャップに反応してるようだった。
チキンカツのイメージも、〇〇〇〇でよく食べるやつがイメージとして自分の中に形成されてるようだった。
改めて一場面一場面見ていく中で、自分が反応しているのは自分の中のものだなというを思えた。

自分の考えであることの自覚ということを、様々な角度から調べていってみて、言い換えると考えを考えとして扱ってる状態かなというのを思った。
何も難しいことでもなく、考えを考えとしているというシンプルなことだなと思えた。
人間は観念動物とも言えるかな。
事実をやりとりしてる訳ではなく、自分の観念上のことをお互いやり取りしてるというのが実際の姿のように思う。(20代男性)
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◆常に移り行く実際の世界、認識の実際を「知る」とは?

事実は瞬時に移り変わっていく・・・
過去の事実はもうどこにも存在していなくて、事実を確かめることは出来ない。
あるのは感覚器官を通した自分の認識であり、事実ではない。

あの日の事実実際を記憶の中で再現し、あの怒ったAさんの顔や仕草に焦点をあててみた。
事の成り行きを冷静にとらえてみると相手に、関心が湧き、Aさんの気持ちに寄り添う気持ちになってきた。
心が軽やかになって、溶けるってこの感覚だ!

自分が自分なりに捉えているとの認識がなく、
不要な負荷をかけ、心を重くしていた。
自分の中のことであるという自覚(60代女性)
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日常会話が快適でスムーズになる元「人を聴く」わたしへ!

ふだん言葉を使って意思疎通を、何気なく図っていますが、その実際をじっくり調べたり研究することは少ないのではないでしょうか。
言葉を交わす、その実際や実態を科学的に調べてみると、人間の本来的な性質が観えてきます。
その人そのものを理解すること、そのことを「人を聴く」とここでは表現していますが、人を聴くことで、心から通じ合える、人を尊重し合う豊かな話し合いが実現されていきます。
12月28日の年末から年始に開催された「人を聴くためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。
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◆安心から始まる、こころから通じ合えるお互いへの道
先ず自分が人を聴くというものに対してイメージでやろうとしていた。
こういう受け答えしたらいいかなダメかなと力が入るときがある。
多分相手に対して気に入られようとするみたいなことでそういう会話を成り立たせようとする頭が働く癖がある。

だからイメージ通りに答えて相手が良い反応をすると、うまくいったとか思う。
本当に人を聴くというのはそういった、考えでやろうとするものではない感じがする。
要素として本当に安心というベースに立たないと聴く状態というのにはなりにくそう。(20代男性)


◆「自分の頭の中」と気づくことで、相手の言葉のまえのものへ
「聞いたらやらなきゃ」等がないと、「聴く」は誰でもできる易しいことかもしれないと思いました「。
話せば話すほど寂しくなったり悪感情が出るのと、話せば話すほどますます相手を聴きたくなるとの違い。

言葉を聞いて、それがあってるかどうかに引っ張られてしまう。
自分の中の意味を相手のことだと勘違いしてしまう。

でも、自分が安心して伸び伸びしていたら「聴く」が実現しやすい。(30代女性)
20181212_163447.jpg◆言葉の性質を知り、主体的な心の世界へ向かう
"言葉"とは,個々人の頭の中に存在する概念。 ⇒  言語/話を聞くということは相手の話を聞くのではなく,自分の考えを聞くことである。 自分の考えであることの自覚。 ⇒ 言語とは,その人,相手に対する理解を始める入り口だな。 ⇒ 話を交わすということは言語を話すではなく,言語を媒介に相手が何を求めているか,その行為の本体に狭めていくことではないか。

何のために聴いているのか。 相手を理解して分かって行くために聴こうとするのか。
自分の納得のために聴こうとしているのか。

実際の世界は,話すその人にはその話を発する以前に気持ちや心など何かがあってそれを言語で発する。

相手の世界をありのままに理解しようとする互い, 主体的なお互いでこそ, ともに生きていくということが始まるのではないだろうか。

満たされた状態の、普通の, 人間らしく生きられるのベースはお互い、聴ける状態, 聴き合いの実現から始まるかな。 (30代女性)


◆人を聴くことから、安心・満足・その人らしく・その人の味!
人を聴くが実現するということは、その人を良いも悪いもなく受け入れることで、丸ごと受け入れられると安心し・心は満たされる。

心が満たされるとそこからが人生が始まり、のびのびとその人らしさが発揮され
花が開くのではないだろうか。(70代女性)


以下のページから人を聴くためのコースの案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/kiku.html
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