認識のメカニズムを科学して、自分自身を知っていく。
見たり、聞いたりが頭の中でどのように認識され、収まっているのだろうか?
認識の実際を観ることなく、認識されたものを固定したり、実際のことにしていませんか?
そして、それに自分自身が縛られていることはありませんか?
自由を求めながらも、自分自身を縛ってしまう認識のメカニズムを知ると、縛りが解けて無くなっていきます。
自身の縛りからの解放が、相手を縛ることを無くしていきます。
自分を知ることは、人と仲良く暮らすことが出来る人に変わっていく出発になります。
9月1日からの「自分を知るためのコース」参加者の感想を紹介します。
◆反応を捉え、自身を縛る独自回路を紐解いていく!
「何に反応しているのか?」を丁寧に見る。
「反応とは?」から取り組んで時間は掛かったが、一つ一つ反応を見て行く感じが掴めてきて。
そして”感情に振り回されるってどんな感じ?”という絶妙な問いかけに
私の中で開いていく感じがした。
気づきの花が咲くとでも表現しようか。
感情に振り回されていて、グシャグシャになっていた毛糸の玉を丁寧に観察してほぐして行く。
そこに見えたのは”独自の回路”による”こうあるべきだ!”みたいな。
自分の中で何がどうなっているのか、独自の回路パターンみたいなものを認識するだけでも、随分変わってくる気がする。
自分は本当に何がしたいのか?
どうありたいのか?と問うてみたい。(女性50代)
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◆悪感情が湧く独自回路から、理にかなった実際の世界へ向かう!
事実・実際を知る、ってどういうことだろう。
自分が膨大とも言える刺激の中から、選び取り、自分独自の回路を通して認識をする。
そして知識・経験・記憶として残る。
それがまた自分独自の回路に組み込まれていく。
自分なりに捉えたものでしかないんだ、事実・実際ではないんだな。
自分は本当に知らないんだな。
自分が、そう見ているだけなんだ、自分が、そんな風に聞いただけなんだ。
自分が、見たのはなに? 自分は、どのように聞いた?
自分が、本当に何も知らないんだな、っていう自覚、そして知っていきたい気持ち。
本当に、深く知りたい、もっと本質に近づきたい。
感情に振り回される中で湧いてくる感情は、本来の自分じゃない、って感じなのかな?
悪感情や対立的な感情でなくても、事実・実際を観ようとする、知的な、知性的な営みでなかったら、いくら思考をしていても、自分本来のもの、人間の本質的なところからかけ離れたものしか出てこない?(男性30代)
◆悪感情に振り回されない人へと、本来の人の成長へ向かう!
悪感情が湧くメカニズムを知りたい気持ちが強かった。
これでわかったとはとても言えないが、自分の中には「独自の回路」があって、見たこと聞いたことを、その回路を通って意味付けするというか、「捉える」。
これが既に反応で、さらにそこから感情が反応する。
「独自の回路」の中身は外からは伺い知れない。
だからその回路の前後つまり、どのように見たか、聞いたか、そして反応したかを観察して、その中身を推測するしかない。(男性60代)
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