今の自分に育つまでに、周りから受けたものは?
人は誰もが子供のころから自然に母国語を話しています。
周りから受けたものを吸収し身につける力、生まれながら吸収する力を持っている人間!
身体は食べ物を得て大きく育ちますが、こころは人の中で何を吸収して育つのでしょうか?
人は、親からの愛情を受けて、人として育っていくのではーー。
小さい頃からどんな体験をしてきたのか、思い出し、ゆっくり、じっくり観ていくと、心に変化が起きてきます。
受けた愛情をはっきり知ることで、愛情深い人になっていく。そんな方向へスタートがきれるのです。
6月30日~の内観参加者の感想を一部ですが紹介します。
◆成り立ちを知り、受けている実際を知り、心の温もりを知っていく!
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終わってみると心持ちが軽く、知らず知らずのうちに隠し持っていたザラっとした気持ちを整理整頓したような感じがある。
今まで、過去を振り返ることはあっても人に対しての自分をしらべ、事実を観ていくことはしていなかった。
母親や父親に対してもどこかで否定するような見方をしていたことも見えた、それが自分も否定するような見方にも繋がっていたことも。
内観すると自分の成り立ちが多面的に見えてくるようだった。
自分自身で育ってきたかのように、精神的なものも思考も趣味・嗜好なども自分で育ててきた自分をかたちづくる大事なものとしていたけれど、それさえもほとんどが周りの人の影響や受けたものが重なり合って成り立っていた。
そこには自分独自のものなんてなく、大事にしていた自分が消えていくようだった。
母が私に与えてくれた時間と手間と気持ちは想像を絶する。
”やってもらうだけの、ぼったくり” まさにその通りで、こんなにも受けてきたことばかりで返したことがほぼなかったこと。
条件もなく見返りを求めずに、ひとりの人に対してこれほどのことができる。
最後の方で、、、母の膝の上に座る私、その私の脚に母の手が置かれた温かさを感じた、あの時のしあわせな時間を再体験したようだった。(女性40代)
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◆誰もが知っている、「安心と満足」のこころの世界!
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いつまでかは覚えていないけど、わりと大きくなるまでお母さんにおんぶしてもらったり、手をつないで歩いてもらっていた。
学校から帰るとそのままお母さんの働いていた窓口に行って宿題をしたり遊んだり、学校での出来事を聞いてもらっていた。
お母さんの傍にいるのが好きだった。
お父さんもお母さんもいつでも話を聞いてくれた。
どんなことでも聞いてくれた。
それが私にとっては当たり前になっていた。
大事に育ててくれたんだろうなと思っていたけど、頭で思うよりももっとたくさんのものを受けていたんだろうな。
お父さんとお母さんといる時は本当に安心している自分だった。(女性20代)
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◆じっくり観ると、「当たり前」なっているものが、見え始める!
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母は玄関を改造して洋装〇〇〇と看板をかかげてオーダーメイドの洋裁店をはじめた。
それからいつもミシンの前か机に向かって縫ったり切ったりしている母の印象が強い。
ご飯はいつ作ってたんだろう?
あんまり覚えてないけど毎日本当に母の作ったご飯食べてたんだなあと思った。
手作りのデザートもよく作ってくれたな。
デザートのことは印象に残りやすいけど毎日の食事のこととなると・・・。
ほんとに当たり前なんだね。
こんなに父母に大事に育てられて、色んなものを周りから受けてきて私は何をしようとするんだろうか?
「やらなければいけない。してはいけない。」
はじめて幼い時から見てみたけど、小学生の低学年の時にもっと色々あったんだと思う。
もっと細かく見たら。
中学ぐらいにはだいぶ強化されている。
また見てみたい。(女性50代)
◆”こういうものだ” とする固定イメージからの解放・素直さへ向かう!
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約1年半ぶり、2回目の内観でした。
今回は、集中をずーっと持続するということは難しいながら、初めから肩の力を抜いて座ることができました。
父との関係においても、今まで漠然と抱いていた固いものがどの様なところからきているのか、原因を一つに限定できるものではありませんが、中学校時代のやり取りの中で、その時の自分の状態がどんなもので、どのように父の言葉を受け取っていたのかということを感じることができました。
そのようなところから出来上がった自分の父親へのイメージのために、これまでの父親の言葉や態度へのイライラへとつながっていたのか。
実際の父親の在り方を観れば、そこには心根のやさしい、周囲に気を使いすぎて気疲れしてしまう、そんな愛すべき父でした。
ここまで〇〇年の人生を振り返り、途方もない数の人たちに触れながら、ここまできたのだなあとしみじみ振り返ることができ、現状の意識で捉えらる記憶の限りの人の数々の顔ではありましたが、懐かしく、ありがたい時間でした。
「嘘とごまかし」という点については
自分の中にある「人の心と体の健康、幸せな暮らし、生き方、社会への願い」が人生の底辺にずーっと流れているのを感じました。
自分の素直なこころ、本心を観る、表現する。
人の素直なこころ、本心を聴こうとする。
そんなところから、未来を描いていけたらと思います。(男性40代)
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◆”多くの受けたもの” その実際を知ると、人への隔てが消えていく!
まず、母親に対する自分、次に父親に対する自分を調べました。
不思議なのは、自分を見つめているのに、それをやっているとどんどん相手のほうに関心が向いていったように思ったことでした。
「あの時、自分はこんな気持ちでこんな風に思っていたけれど、こんなわがままを言っていたけれど、母は、父は、どんな気持ちでいたのだろう。」
「幼い頃から、離れて時間を過ごすことも多かった自分に両親はどれだけの思いを寄せてくれていたのだろう。」
「今でも、たまには顔を見せに来なさい。といって声をかけてくれるのは、どんな気持ちなのだろう。」
何度目かの内観でしたが、こういう風に感じたことは今までありません。
そして、父も母もそこに居てくれている存在だけで、自分がどれだけ安心して生きられているか。
少しだけですが、理解したような気がします。
この先も少しでも長く、元気で生きていて欲しいと思いました。
顔の見えない人、名前も知らないでいた人達からものすごい数のモノを受けていることを思った時に、自分とはなんだろう。
一体どこからどこまでが自分なのだろう。
そんな感じがして、己がないような感覚になりました。
してはいけない。やらなければならない。ことについても調べました。
どこで、そのことが自分に入って、どんなふうに強化されたり、変化していったりしたのか。
現在の自分にどのように繋がってきているのか。
一つを知る状態になるために、恐れや強迫観念についてももっと調べて、受けてきたものの大きさと両方の側面から見ていきたいと思いました。
見るというのは本当にすごいことだと改めて思います。
またすぐ内観したい。(男性40代)
以下のページから「内観コース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/naikan.html【 続 き を 閉 じ る 】