自分自身の観察から、気づきを通して、気持ちや心を知っていく!

自分の行動や思考・感情などを、ゆっくり自己観察していくと、自分自身の成り立ちが見えてきます。
あらゆるものとの関連を知ることで、心豊かな自分になっていく。
それは……。
思い込みや決め付けから解放されて自由に生きることになります。
人間らしさを発揮し、知的に幸福を生きていくスタートに立ちます。
7月7日から、サイエンズスクールの「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を紹介します。


img1231_NCM_1842.jpg◆「どうしたいのか?」自分も相手も、気持ちに焦点があたった暮らしへ!

コース中、安心した、安定した満たされたような心と体の状態で過ごした。

周りの人と、生き生きと暮らせるようになりたいという願いを持ってはいるけど、まずは自分だ。
自分を知りたい、人間を知りたい、精神面が健康な状態でありたい、人間らしくなりたい、とてもそう思ってる。

やらなきゃいけないこと、やってはいけないこと。
そこには、自分が本当はどうしたいのか、を考える余地は一切ない。

義務化している捉え方を、実際に起こっていることではないことに気づき、やってもいいし、やらなくてもいい、という状況に立って初めて、自分がどうしたいのかという気持ちを冷静に見ることが出来る。

本当は、自分がどうしたいのか、相手はどうしたいのか、その気持ちを一番大切にしていきたい。(女性20代)
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◆自分を縛る記憶に気づき⇒ 幸せに自由に生きる!⇒ 事実の世界へ!

私はなぜコースに来たのか。
自分を知りたい。
もっと幸せで自由に生きたい。
しかし、どんなことが自由なのか、幸せなのかよく分からない。
それを知って実現するにはどうしたらいいんだろう。

事実はどうなのか知りたいという気持ちなら、誰もが持ってるようだ。
ただ、事実でないことを事実となっていると、事実に合った人生が実現しないらしい。
私の場合、記憶に関する執着。
誰か言った言葉やその文字を憶えて-> 「そんなことがあった。 」に.、なかなか譲歩しない、自信(固執)が出る。

記憶がどんなものなのか、聞いたのと見たものがどんなものなのか、感覚がどんな特徴と性質があるのだろう。

人をその人自体として、今ここ私の目の前に私に話しかけている存在より、記憶通りの人だとする。
記憶をみていることを知らない。
私の人間関係に影響している。
今はこんな感じか。

私がいる。私は生きている。
感覚を働かせて生きる、考えを使って生きる、 感覚と考えとはそれなりの特徴,構造がある。
私は、感情や、気持ち、考え,、判断/記憶、経験、価値観/見たこと、聞いたこと、触ったこと,、認識に住んでいない。
私は事実の世界に住んでいる。
実際の世界にあるとは、知りたいけど、ゆっくり。(女性30代)
自分を知るためのコース | - |

人は何を吸収して育っているのだろうか?

今の自分に育つまでに、周りから受けたものは?
人は誰もが子供のころから自然に母国語を話しています。
周りから受けたものを吸収し身につける力、生まれながら吸収する力を持っている人間!
身体は食べ物を得て大きく育ちますが、こころは人の中で何を吸収して育つのでしょうか?
人は、親からの愛情を受けて、人として育っていくのではーー。
小さい頃からどんな体験をしてきたのか、思い出し、ゆっくり、じっくり観ていくと、心に変化が起きてきます。
受けた愛情をはっきり知ることで、愛情深い人になっていく。そんな方向へスタートがきれるのです。
6月30日~の内観参加者の感想を一部ですが紹介します。

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◆成り立ちを知り、受けている実際を知り、心の温もりを知っていく!
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終わってみると心持ちが軽く、知らず知らずのうちに隠し持っていたザラっとした気持ちを整理整頓したような感じがある。
今まで、過去を振り返ることはあっても人に対しての自分をしらべ、事実を観ていくことはしていなかった。
母親や父親に対してもどこかで否定するような見方をしていたことも見えた、それが自分も否定するような見方にも繋がっていたことも。

内観すると自分の成り立ちが多面的に見えてくるようだった。

自分自身で育ってきたかのように、精神的なものも思考も趣味・嗜好なども自分で育ててきた自分をかたちづくる大事なものとしていたけれど、それさえもほとんどが周りの人の影響や受けたものが重なり合って成り立っていた。
そこには自分独自のものなんてなく、大事にしていた自分が消えていくようだった。

母が私に与えてくれた時間と手間と気持ちは想像を絶する。
”やってもらうだけの、ぼったくり” まさにその通りで、こんなにも受けてきたことばかりで返したことがほぼなかったこと。
条件もなく見返りを求めずに、ひとりの人に対してこれほどのことができる。

最後の方で、、、母の膝の上に座る私、その私の脚に母の手が置かれた温かさを感じた、あの時のしあわせな時間を再体験したようだった。(女性40代)
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◆誰もが知っている、「安心と満足」のこころの世界!
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いつまでかは覚えていないけど、わりと大きくなるまでお母さんにおんぶしてもらったり、手をつないで歩いてもらっていた。
学校から帰るとそのままお母さんの働いていた窓口に行って宿題をしたり遊んだり、学校での出来事を聞いてもらっていた。
お母さんの傍にいるのが好きだった。

お父さんもお母さんもいつでも話を聞いてくれた。
どんなことでも聞いてくれた。
それが私にとっては当たり前になっていた。
大事に育ててくれたんだろうなと思っていたけど、頭で思うよりももっとたくさんのものを受けていたんだろうな。
お父さんとお母さんといる時は本当に安心している自分だった。(女性20代)
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◆じっくり観ると、「当たり前」なっているものが、見え始める!
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母は玄関を改造して洋装〇〇〇と看板をかかげてオーダーメイドの洋裁店をはじめた。
それからいつもミシンの前か机に向かって縫ったり切ったりしている母の印象が強い。
ご飯はいつ作ってたんだろう?
あんまり覚えてないけど毎日本当に母の作ったご飯食べてたんだなあと思った。
手作りのデザートもよく作ってくれたな。
デザートのことは印象に残りやすいけど毎日の食事のこととなると・・・。
ほんとに当たり前なんだね。

こんなに父母に大事に育てられて、色んなものを周りから受けてきて私は何をしようとするんだろうか?

「やらなければいけない。してはいけない。」
はじめて幼い時から見てみたけど、小学生の低学年の時にもっと色々あったんだと思う。
もっと細かく見たら。
中学ぐらいにはだいぶ強化されている。
また見てみたい。(女性50代)
内観コース | - |

かって無い、新しい視点―「人を聴く」文化へ!

自分の心に、耳を傾ける。
本音は? 更に深く傾ける……本心は?
自分の心を聴けた分だけ、相手のこころへ、「人を聴く」が実現していく。
警戒心が溶けていく。
「人を聴く」の実現で、理解し合い、満たされ合う広い世界へ向かう!
――人を聴く社会、人を聴く政治、人を聴く運営へ。
「人を聴く」お互いから、一人ひとりの味が発揮される社会へ進んでいく!
6月22日から、サイエンズスクールの「人を聴くためのコース」に参加した人の感想を紹介します。

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◆警戒心? 気づいていくと、溶け始め、自然と人に関心が湧いてくる! 
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人を聴けるようになりたい(そうしたら人との関係がよくなると期待して)と頑張ろうとしても、そもそも頑張るものではない。
自然と人に関心がいくという表れになるかどうか。

人(特に身近でもう知っていると思っている人)がすごく単純なものに思えている。
実はほんの小さな1部しか見えていないと考えたら、全然知らないかもしれないと思えた。
相手を聴こうとなっていないときは、自分を何かから守ろうとしている。
人への警戒心だとか恐怖心がないと、自然と人を聴きたくなるように思えた。

人を聴こうとならない状態は、世界がとても狭い。
世界の片隅で身動きひとつせずに妄想しながら感情の上げ下げをして過ごしているような。
もったいない。
なんとなく、人を聴こうとする状態を垣間見せてもらった気がするので、自分のなかに可能性がでてきたと思う。(女性40代)



◆聴き合いの場は、主体性の復活!

今回は本来の人と人の間柄というところでの聴き合いとは・・・という視点と関心で参加した。
やっぱりまずは自分を聴く・・・
話を聞く際に、観察して「今、観念や記憶に関心が向かっているな」と気づくと内面の状態が少し落ち着いてくる自分になるなと思う。

そして「聴く」というのは「主体性への関心と尊重」がポイントだなと今回のコース参加で強く思った。
自分の主体、相手の主体・・・そこへの関心・・・言葉とか反応とかに関心が向くとそこが見えなくなる・・・自分を聴くではなくなるし、人を聴くではなくなる・・・聴き合いではなくなる。
お互いの主体、お互いの気持ちや本心への尊重・・・「主体のある人と人」を知る・・・それが本来の人と人との間柄を知ることなんだなと思った。

聴く状態になると実際の人が見えてくる・・・人と人との豊かさが見えてくる・・・人を聴くというところからの環境や社会の実現・・・本当を見出した分だけ人間らしい環境や社会が現れてくる・・・少しでも聴き合いの場作りをしていきたいと思う。(男性50代)

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