知性と心のはたらきによって、安心・満足の幸福な人生を歩む!

人生とはなにか?
日常は、自分や人の言動に目が向きやすいですが、その元にある心に目を向けてみると、自分も他人もない、人間らしさ、人の本質が観えてきます。
安心満足の中、知性が活発に動き出します。
知性によって、生きている目的や人としての生きがいを「知る」ことができ、自分らしく明るい人生を歩んでいきます。

サイエンズスクールの「人生を知るためのコース」は、人生の目的を知り、本当の自分を知り、未知なる自分への好奇心に生きる、自分に最も適した他に真似のできない生き方を探究する機会です。
5月17日~開催されたコースに参加した人の感想文の一部を紹介します。

以下のページから「人生を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jinseiwoshiru.html
img2176_file.jpg◆生きている実際を観察して、人を「知り」喜びに生きる
人間の中心で絶えず動いている、求め応える作用。
人の心の働き、そのものは安心状態といえる。
安心状態をベースに満足が始まる。
安心満足のベースに実際に行き交う数多くの行為、受ける喜び、与える喜び、知る喜び、生きる普通の幸せの状態。

受けて、受けて、受けて、年が経つほど受ける喜びが、心が豊かな人生、死の瞬間、その人の人生がすべての人の人生に溶け込む本当の人生、実際の人生はそうなんだ。

自然な状態が何なのか分かるのが始まりではないか?
人を知れば人を愛するようになる 自分の本心が分かれば、心が熱くなる。
健康に、快適に、いつも人の中で動く健康に生きようとする働き。

生きるということが何なのか、人は何をして生きているのか、人がどのように生きているのかを知る喜び。
もっと聞いてみて知っていきたい心。
さあ~日常に戻って、自分の現在の状態を素直に軽く知っていく過程自体を楽しみから~(女性30代)
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◆肉体にも心にも「健康正常」に生きようとする働きが、いくつになってもあるなぁ
人を人たらしめる作用が誰の中にもあって(全人類に)健康正常でありたい。
人に求めたい。それに応えたい。次代の子らが幸せであってほしい。
満足。安心。 そのことを知った。
実際はどうなっているのかなあ、と調べて行くのは、とても愉しい作業だったなあ。 
老年になっても知っていくことは愉しい。
全ての始まりは知る。 ことからかなあ。

知ろうとするエネルギーはとても大きいと思う。
知れば知るほど知りたいし、知った分だけ満足する。
本来のそうした作用がなければ、知る。 が続いていかないだろう。
実際はどうなのだろう。と調べていくのは愉しかった。
いくつになっても、知れて嬉しいと思うのかもしれないな。

自己を生かす。 ということはどういうことなのだろう。
その時その時に、健康になっていこうとする私が、人の求めに応えたり、人に求めたり。
本心をそのまま出していこうとすることで、社会を創っていく。
そんな感じかなあ。(女性70代)
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人生を知るためのコース | - |

自分を守ろうと固定している「自分の考え」を、見るから⇒自由な生き方へ!


自分の判断基準となる、身に着いた物差し自体を、観察して、客観的に調べられるようになることで、キメつけや頑固さから解放され、素直に自分自身や物事を見ることが出来るようになります。
「自分を見るためのコース」では、物事の見方、考え方の元を集中的に調べ直していきます。
快適な生活をするために、固定した物差しや考えを使う事の不自然に気づき、実際を見ていく方向に頭が向きます。

先月参加された方の感想文の一部を紹介します。

以下のページから「自分を見るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jibunwomiru.html
IMG_20200604_055908.jpg◆「自分が捉えている」が無いと、考えが大きくなり主体性を失っていく
反応の中身が見えない感じ。
反応の反応 反応からの考え 反応をダメとする考え 最初の反応がボヤけて見えないな。
見えないというか認めない。

認めない自分がみえてきて
ひとつ、ひとつゆっくり巻き戻しみたいにみていくと、最初の反応が見えてくる。
これを認めたくなかった。
だから反応がボヤけていったんだな。

反応が出るのは自分が捉えているから。
そこを自覚してなかったのかな。

自覚が無いから「自分の事を言っている。言われた。」と外に原因があるように捉えている。
自分が大きくなる違和感。

自分が捉えているという自覚があれば人を動かそうとしないな。

そこをもっとハッキリしていきたい。

みること、きくこと。
主体的に。
たのしく、自覚していく方向へいきたい。(女性40代)
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◆反応を捉えて見る…その時のそのままを見る、味わう
「自分を見る」とはどういうことか?
日常を離れてじっくりと探究。
自分の事例も出しながら。 
見て、聞いて、反応する。 
この繰り返しの日常。

「反応」の部分はどこをとっても自分の中にしかない。 
どうだろう?
いろんな視点から見ていく。
実際はどうだろう?
日常の何気ない動作はどのように成り立っているのだろうか?

育ちの中で反復、教えられたり、見たりまねたり、強制されたり、、、そうしていくうちに見えなくなっているもの。
そういうものの中で暮らし、ないものをまるで事実あるもの、すべきもの(こと)として、自分や人を縛っている。
そのことに気づいていない。 
自覚がないんだなぁ。。。

その時のそのままを見る。 味わう。まずは反応を見る。
反応のもとを、自分がそれをどう捉えているかを見る。

単純なようだけど、これまでずーっとそこを抑える、隠す、ごまかしながら、社会に適応してきたから、なかなかそこが捉えずらくなってるんだな。
そこがハッキリ捉えらるように、日々を意識的に、自分の認識、感覚だという自覚が身に付いてきたら、自然と実際に関心が行く感じがする。
「実際はどうかな?」と気が向く感じがする。

誰もが本心で生きられる社会の実現。
「先ずは自らの内面に目を向けるのです」という表現もあった。
今回の「自分を見る」ということだろう。

そういうことをしているお互いが、遠慮気兼ねなく、なんでも出し合い、和気あいあいの気風をつくっていく。 
実際はどうかと検討し、理想を実現していく。

自分の中で、これからやってみたいことが浮かんできている。
各地のメンバーともう少し密にミーティングの機会を持ちたいなということ。
理想はあるけど、先ずは日々の「自分を見る」をはっきりさせていくこと。(男性40代)
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