2023年、今年も よろしく お願いします

明けましておめでとうございます。
昨年も多くの方が、サイエンズスクールの色々なコースに参加しました。
各コースへの参加や、参加者の感想紹介などを通して、みんなの中で自分自身をそのままオープンにできる安心と、そのまま聴いてくれて受け止めてもらえる満足を味わいながら、今年も共に進んでいきたいと思います。
みんなで「一つ」を深めながら、「気づきや学びの世界」を拡げていきましょう。
どうぞ、よろしくお願いします。
12月4日~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
img3321_IMG_0274.jpg信じ込んでいるものがあるって? フィクションって?
僕の中では、約束は破らない方がよいってなってる。
もし破るのならば、それを埋め合わせる何かをする必要がある。
約束ってものが三次元的にあるわけではない。
頭の中にあるだけ。
だけど、縛られてるな~。
フィクションの世界だわー。
今まで意識してこなかった気がする。

自信のある人は「信じ込んでいるものがあるひと」。
この認識、目から鱗。
自信のあるひとが世の中的に良いと信じてきた。
信じ込んでいるものがあると、考えが臨機応変にいかなかったり。
どっちが良い悪い、でないとおもうけど。
新たな発見(男性20代)



かたくなに守り固執していたことが「人間の考えである」事を知るだけで、頑固や固執は解消されていく
自分を知るためのコースは自分にとって、基本だと思っていて、暮らす上で欠かせない、「考え」と「実際」をわけて見れる状態を土台にしたいと常日頃思っていて参加しました。
やってみると、自分の中に、不満の素や頭の中の固着部分があって、日々、検べるのが楽しみでした。

やれない、できない、言えない自分を検べてみると、やれないような動作ではないのに、どうしてもその先に進めない。
一歩手前で立ち止まってしまう。
想像さえできないとは、どういう事か。

この時の自分の状態を体験して、自分が、考えて理解したと思った事も、実際生身の方でそうはならない、考え付いた事(解かったー)と、実際の身体(脳含めて)とは別の事なのかと思った。
考え付いたものは、理解したと思ったことでも、ある種フィクションのひとつのような成り立ちなのか。

実際はどうか、自分の実際はどうなっているか、そして人の実際は、この世界の実際は、とあるのだろう。
目標の中で、実際に存在するかのように思いこんでいる諸々を「人間の考え」で作りだしたものと知ると、誰のどんな発言や行動もそのまま受け止めることができるようになりますとある。 
自分の考えであること、そして実際はどうか、が明確になっていくと、自分のああだこうだが抜けて、人が言っているのが、そのまま受け入れられるようになるという事だろうか。

信じる信じ込んでいるを調べてみて、悪いとしていたものが、観念的に悪者としたまま、目を閉じて見ようともしない、自分の頭で作った産物のような物だと思いました。
それで隔てを作っている。
目標のおわりに、かたくなに守り固執していたことが「人間の考えである」事を知る(本当に知る)だけで頑固や固執は解消されて、人はみな誰もが柔軟で穏やかになります。 とある。
争いのない への地道な道。

個性と頑固を一緒にしていたかな。
自分の中にある固まりを見つける、外にあると思っていた「おかしい」を自分の顕れという観点から観てみる。
自分の考えであるという自覚。
これを深めるには。 つづく。(男性60代)
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自分を縛っている思い込みや、決め付けからの解放!

自分が普段何気なく考えていることや、していることなどを観察し、それをミーティングで出し合いながら、人としての自覚のある健康な状態を皆で探って行きます。
思い込みや決め付けから解放され、自分らしさ人間らしさを発揮できる、健康で心豊かな自分に成り合って行きます。
知性と心の育ちに焦点が当たります。
7月3日~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
0953956878d84d16da0df57e913a45c4.jpg自分自身を縛っている、自分の考え と 事実実際は?
「これは何ですか?」その問いに自分の思考や体が一時停止する感覚になる。
2日くらいそんなことを繰り返した。
当り前に思っていたことの「事実」「実際」はどうなっているのか探究するうち、だんだん区別して「知る」楽しさに少し慣れてきたかと思ったら、時間をおくと私の思考はまた「事実」「実際」がどうなっているのかを忘れている。
繰り返し失敗する。
長い時間で培ったクセなのだから、そう簡単には手放せない。
でも実際、「知ってるつもり」になっていること「わかっているつもり」になっていることを、「知る」という探究の道にのせることは楽しいし、楽しいからまた思い出せるかもしれない。
余白がないなと気づければ「思い込み」に気づけるかもしれない。

また「絶対イヤ!」という発言に対して、「そうなんだ」と受け止める一方、実際はどうなるかな、こう言ってみたらどうなるかなと提案をしてみるという、「人と共に考え合っていける」という事例をいくつも知れたことがよかった。
知らない世界を知って、自分はどうなるだろう。
自分の現場で、このことを思い出して実践できたらと思う。(女性40代)
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自分自身を縛る事実化からの解放は、自覚のない状態から自覚状態に進んでいく事から!
初日は、自分を知るためのコースで、初めに「人間の考えを知る」から始めると。
その人間の「感覚とは?」で戸惑ったことを思い出した。

????が頭の中で沢山出てもやっとしたが、2日目は少しだけ感覚的に分かったような、そうでないような。
そして、自分の感覚・認識という状態には「自覚のある状態」と「自覚のない状態」に分かれるらしいと。
私は、前者を、レッテルを張っていない状態。
後者を、レッテルを張っている状態と書いた。
自分には、自覚のない状態の感覚や認識だらけだなと思った。
無自覚のまま自分が感じたことが正しい、自分なりの捉え方が正しいとしていた。
誰かが“事実とは理解が及ばない、分析もできないものと認識している”と言ったのを聞いて、ようやく少しだけ理解が進んだような気がした。

「事実・実際と記憶の関係は?」「(頭の中)意識上の事実化とは?」なども今思い出しても????がつく私がいた。
やはり言葉の意味の捉え方ができないので混乱した。
事実化とはどうやらレッテルを張った状態のようだ。
他の人に指摘されて、私は“この事実化という言葉に対して、即座に善悪の判断をして悪いもの”としていることを知った。

子供の頃の“怒られるのが恐いという経験”を通して、怒られないようにする方法として善悪の判断を使っているようだ。
これが私の事実化の例。
この発見は大きいと感じた。
普段自分がどのように見て、聞いて反応しているのか? 
自分なりに観察する目は持っているつもりだったが、それでは全く実際が見えていないことだろう。
徒労に終わる見方をしていたのかもしれない。

朝、窓の外に電線があり、そこに小さな黒い影が動いた。
何だろう? 実際は何? その実際を見ることができたらどんなに楽しいものだろうか。そう思えた。 初めての感覚。
「実際はどうだろうか?」を見ていくと、それに興味・関心が向く自分を発見した。
ある人が初日に「その人がどんな人なのかに興味・関心がいく」と言っていた。
それがどんなことを指しているのか分らなかったが、その朝少しだけその感覚に触れた気がした。
静かだが喜びの感覚だった。

見て → 感じて → 記憶になって → ここからどんなことが起こっているのか?
見て感じて、その受け取り方、捉え方はどうだろう?

ここがとても大事なポイントのような気がした。(女性60代)
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自覚から始まる、柔軟で幸福な生き方

五感で捉える認識は、すべて、自分の頭の中のこと。
思考や感情も、ゆっくり見ていくと、自分の認識の癖が見え始めたりと、思い込みに気づいていきます。
思い込みへの自覚が、自然と決め付けからの解放を起こし、人間らしさを取り戻していく生き方へと進んでいきます。

12月25~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。
蝋梅.jfif五感で感じて認識して ⇒ 自分の中の、自分独自の考えの「事実化」!
今、私が聞いたり見たりして五感で拾って認識したものは、すべて、自分の中のことで。
そして、五感で感じて認識したものを私自身が持っているブラックボックス(独自回路)へ入れ込み、自分の考えを作り出している。

全部、外、にあると思っていたことが、すべて自分の頭の中のことで。
こうだと思っていたはずなのに、どれもこれも確かなことではなかった。
よくこんなにいろいろ思って考えて、事実化して生きていたなぁ。

ほんま、労ってあげたいぐらい。
おつかれさまでした!私!!!
怖れや不安、まだまだ事実化していることたくさんあるけれど「あるな~」ってことさえ気付けば、どうにかなるんだろうな~なんて笑いながら思った記憶。(女性40代)
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事実や実際のことを、話合っているという誤解からの、解放へ
話をするということは事実や実際について話合っているんだと思っていた。 ということに気がつけたのは大きいと思う。

私は私の中のことを話していて、相手は相手の中のことを話している。
あと1人で頑張ろうと独自回路グルグルしたら空回って自信がある状態になる場合もありそう。

自分の中って言っても色々な人の考えに影響されてるからもはや自分の考えとも言えない状態なのかなとも思った。(女性30代)
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自覚ある状態から進んでいく「本心」、争いのない世界を作る
実際は、どうか 本来の人間とは、どういうものか 争いのない世界を作る人間の意識とはどういうものか、行きたい方向がわかった上での自分を知る。

自分ダメ!ってなるときの自分は、自分しか見えてなくて自分だけ辛い経験をしているような、ひとりで戦っているような、その意識からでは、本当に人を知りたいとか、行きたい方向にいきたい、とかにはならない気がする。

不安があるから自信をつけてやってきた。
自信なんかなくてもいい、信じるものなんか必要ない、何も知らなくていい、そんな安心できる人たちから生まれる社会はどんなんかな
自分を知る、自覚がある状態(女性30代)
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固定した考えからの解放へ


ほとんどの人が、今の社会の中で「~しなければならない・~してはならない」という固定した考えを身につけています。
そのような固定した考えで自分を縛り人を縛り、お互いの気持ちが見えなくなっているのではないでしょうか?
自らを縛る固定した考え・不自由な考えからの解放が、幸福な人生への一歩になると思います。
現状の自分を知ることで、新しい自分が見えてくる・・・そういう探求機会です。

10月3日~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
20211006_113041.jpg感覚で捉えている・・・私の中にあるものを、ただ見ていく・・・。
6日間 言葉や角度は違えども何度も、同じことを繰り返し問い続けてきたように思う
人間の考えを知るから  人間の考えであることを知る 自分の考えであることを知る
具体的に日常を振り返る
自分の中にあるもの 繰り返し、ただ見ていく

自分の感覚で捉えてる その言葉になるまで、自分の中に何でこんな言葉や感覚があるのだろう
不思議なことばかり
知らない わからない ゼロから始まる

おぎゃーと生まれて周りの環境や人から、知らず知らず形成されてきた感覚 
捉えかた 考え 
それを知っていくところから 
知らない状態から本当の人生は始まるのかな
人は何をしようとしてるのかな(女性30代)
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「しなくちゃ」・・・って、どんな感覚?
「どうも自分の感覚で動いているようだ」ということは感じられた。
この自分の感覚というものを、もっとみていきたい。
自分の動きの中に「しなくちゃ」として動いている面があり、それに、追われる感じ。(男性70代)20181127_110853-500.jpg
五感・感覚・思った・フィクション~解放される ⇒ 本来の姿は?
五感なしには生きていけないだろう。
感覚しかないかな。 
事実あるものを捉えるには、人みなそうしているのだろう。
相手も感じたこと、思ったことを言っている。
自分も感じたこと、思ったことを言っている。

感覚を使って捉えようとするが、こうだと結論付けたら、それは人間の考え。
これはこうだ、あの人はこうだとしたら、人間の考え。
捉えられないものを、捉えたとなったら既に違うのだろう。
これがキメつけ。
「自分がそう聞いた、見た」しかなくそこから始まっている、始めるしかないことを知ること。

自分がそう聞いた、見たことしかない。
捉えたものしかない。
捉えたもの全て、言葉になったもの全てが「フィクション」。
事例を通してより鮮明になってきた。
こんな状況だからこうした、ああなったというが状況も捉えたもの、フィクション。

そうなっているからそうしてる、となると、まるで機械の様。
自分や人の気持ちや心に関心が無くなる。
自分が捉えて構築した世界の中で勝手に反応、対応しているのはまるで一人相撲。

今回参加して自分の立っている位置がハッキリしてきた。と同時に
人(人間)の本来の姿が見えてきたように思う。

イメージでは風船が宙に漂っている感じか。
みんなふわふわ。
明るく楽しく面白おかしくどんな風にも漂っていける。
誰のどんな発言や行動もそのまま受け止められる。
悪感情、対抗的感情がなく柔軟で穏やか。
本来の姿とも言えるしここが最低ライン。

そうなってないとしたらそうなることを阻害するものがあるということ。
それは、人間の考えであるという一線を越えることによって起こる。
人間を知り、人間らしく生きる。
人間の考えであることをハッキリ知る、わきまえることから始めていきたい。(男性60代)
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見たこと・聞いたこと・感じたことは、実際のことなのかな?

日常の暮らしの中で、何かを見る時・聞く時・感じる時、自分の中では実際どんな事をしているのだろうか?
「やることがある」と言ったり、「相手がそう言った」となっていたり、「あの人は怖い」と感じたり、普段、自分の認識が自分の行動に与える大きさを考えたことがありますか?
みんなでいろいろな事例を出し合って調べて行くと、今までは「自分が見たこと・聞いたこと・感じたこと」が実際の事になっていたけど、実は全部自分の頭の中のことだったのかと、目から鱗が落ちる思い・・
自覚ある状態へ一歩進んでいく探究機会です。

9月5日~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
84357791.jpeg見た・聞いた・思った、知った、どうなっているの?
相手がそう言った
私がそう聞いた
何故そこが逆になるのか?

そこが本当にどうなっているのか。
何かに反応して悪感情が出たのを捉えた場面を見ようとしてもどうにもならない感じがした。
ただ「これがあったからこうなった」と繰り返し事実化を続けていくだけかな。
重要なのは「本当にどうなっているのか」と止まることなく見ていくこと。
悪感情や反応の内容よりも先ず仕組み自体を知ること。
一つ一つのテーマが違う角度からそこを追求していくように感じた。

そして何故人間らしくなくなってしまうのか、何故実際に関心が向かなくなるのか、何故知ったつもりになるのかというのもいつも問われるような感じだった。(男性20代)
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明るく楽しい探求、一本道への旅
人間の感覚、認識のからくり
見て、聞いて、自分のデーターベースからそれを捉える。意味付けする。その捉えたものに反応する。
そういうのが知識だけじゃなくて、本当に得心したのか、どうか。
どこまで実になっているか。

先ずは、知らない自分を知るからかなあ
できない。そんなこと言えない。これはやめられない。
自分でできないこととして、自分を制御していたこと。
本当にどうしたいかが出てくる前に、それを見えなくしている考え。

そうなっている。
従うしかない、自分の外に実在しているかのようになっていること。
そこからは想像が働かない。
狭い選択肢の中での窮屈な人生。

自分を知る  人間の考えを知る
自分という人間を題材にして、人間の考えとはどういうものかと、たんたんと知っていく。
みんなの中で、探究していく。
留まることなく、流れていく中で、どういうことかな…どうなっているのかな…
知るの体験。

盛り沢山の一週間
ゆっくり、じっくり、地道に、みんなと…
明るく楽しい一本道への旅だったような。(女性40代)
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「決めつけ」の考え方からの解放!

自分の行動や思考・感情などを、自己観察し、客観的に分析していくと、「こうしなければいけない」と自分の行動を縛っている「考え」が見えてきます。
自信のある固定した状態が、「どうなっているのかな」と調べることで、思い込みや決め付けから解放されていきます。
知的に幸福を探究していく思考回路が養われていきます。
3月7日~自分を知るためのコースに参加した人の感想を一部紹介します。
img3377_DSC09634.jpg「決めつけの考え方」が自縄自縛の心の状態をつくる
20年以上も昔の記憶、だけど酷い事された、という悪感情がブワ、と現れた。
「された」と事実化して記憶に残っている、その当時どんなだったかな、と又一人で振り返ってみて、「やらなければならない」が強くあったこと、自分の意思や気持ちを押し込めてその事をやり続けようとする、のは何故か?

「やらなければならない」という考えで自分を動かそうとがんばっていた、そっちの方が事実だ、になってるやん!
自縄自縛そのもの、主体性のかけらも感じられない(女性60代)
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ガッチガチ頭も、「考え」次第でほどけると ⇒ 笑ける自分へ
私の考えで私が変わる(私の有り様がひっくり返る!??)当り前のことという冷めた見方も出てくるが、あれは、今も強く思っているのだが私にとっては大大大発見。 
ボーッとしては居られないような感覚もある。
私のこと知らなさすぎる。
 
「考え」次第で、私は何にでもなれるんだー。
私には、山ほどの自信があって、決めた物(記憶、しつけ、教育)も、自覚すら無いが頭の中にガチガチにある

かなり自由な人だという思い込みもあったけれど、全然自由じゃあい。
私ってがんこ? そんなこと思ってもいなかったね。
笑えてくる位にね。(女性60代)
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自信のある自分 と 自信のない自分・・・違いを見てみる
自分は味の事は良く分からないから味については強く主張しないと思っていたけど、〇〇君が焼いたパンを見て、「焼き過ぎ!あれは美味しくない」とけっこう強く思ったり
見たこと・聞いたことをその時のその人独自の回路で反応している。
面白いなア。
なんであれは美味しくないと言えるんだろう。

一つの場面だけで反応の前に幾重もの決めが見える。
そのキメをベースに反応し、感情的になったり盲目的な行動になったりしている。
その他のいろいろな場面でも出てくる出てくる自信満々の私・・・。
今回はいい悪いが無かったからそういう自分も面白可笑しく見れたけど、その事で何処へ向かって行こうとしてるの?
何を目指しているの。

コースの中で「自信のある人、自信のない人」というのを出し合った。
自分を含めた参加者みんなから出ていた自信のない人像は「明るい」「素直」「飾らない」「柔らかい」「しなやかで強い」「言い張らない」「ニッコリ笑って負ける」「考えでやらない」・・・。
こういう人になりたい。(男性60代)
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自分を縛るフィクションに気づき、事実・実際の自由な世界へ!

普段、普通にしている会話は、頭の中で何をしているのでしょうか?
イライラしたり怒ったりしている時、それは、頭の中でどんなことが起こって不愉快になっているのでしょうか?
自分の中を、丁寧にそのまま観ていくと健康な頭・心に、変化していきます。
みんなの中でなんでも出し合いながら、自分の中の実際を調べていくと、自分自身を縛っているものが見え始め、縛りのない自由な世界が見えてきます。

10月11日~開催された「自分を知るためのコース」に参加した人の感想文の一部を紹介します。
img1436_IMG_20200927_174421.jpg見て、聞いて、受け取って、自分の頭の中の回路は?
当たり前だけど、自分は聞いたことや見たこと、感覚で捉えたことしか認識することが出来ない。
それも目の前にあるものの、ほんの一部分の情報を自分のなかのもので認識していく。
どんなに相手がそう言った、されたと思っても、それは自分が見たり、聞いたりしてそう見えたからとしか言えない。
見たり聞いたりしたことにしか、反応できない。
これは自分の感覚だと思っても思わなくても、常に自分の感覚で捉えてる。

自分の中の回路。
その回路を通って、反応したものが現れてくる。 反応を変えようとしたり、なくそうとする。
そのまま見る、ということを知らないようだ。(男性・20代)
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頭の中のフィクッションと事実・実際の世界
想像以上に思っていた以上に、深いコースでした。
じっくり多角的に丁寧に、実際はどうなのかを探っていくことのすごさには、びっくりしました。
普段、頭で考えている(フィクション)と現実の混同現象が、もう、普通の状態になってしまっていることに、気づかされました。
それでは混乱するはずだなと思いました。
今まで何となく自分のことや世の中のことを分かったようなつもりになって生きてきたなと。
雑にいいかげんに生きて来たなと思いました。
まだ、頭の先で理解を始めた所ですが、時々、これらで学んだことを反芻して、自分のものにしていきたいと思います。
特に、事実・実際はどうなのかという問いを折りに触れて、立ててみたいと思いました。(男性40代)
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宇宙に浮く地球、地球の上にふわふわと柔軟に!
随分長くいた感じがする。 見るとは何か? 聞くとは何か?
自分は何をしているか?  自分の感覚を通して捉えている
一つ一つ それは事実かと調べていった。
弁当が足りないのは事実か? あって当然から見ている
そこに弁当がある事実をみんなで出し合った、車、ガソリン、電気、ガス、人、水・・・地球、土星
土星があって地球に隕石が当たらないらしい、そこにある事実は捉えきれない

ルール、きまり、当然としていること、それはどこにあるのか、それは、事実なのか 自分にきいてみたいと思う。
捉えたことに否定はない。 ここが混乱していたと思う。 
弁当が足りないと自分は思う、思うのは思う。 それは事実か? 自分が思っているのか?
事実実際は捉えられない
自分が捉えたのは、今、自分を通した狭くて小さいもの、〇〇さんが、事実からしたら「なんやねん」と言った。
そうだなぁと可笑しかった、事実はなるようになっている

本当に自分の頭の中のことと知っていたら
何でも受け入れて 柔軟にふわふわと生きていけそう(女性70代)
img911_IMG_20160606_143603.jpg
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固定した考えで縛り合っていく、不自由な生き方からの解放!

知識を積み重ねることで、理解したつもりになることがあります。
また、空想的に考えを巡らせて、実際から離れていくこともあるでしょう。

「自分を知るためのコース」では、今までの知識や考えはいったん棚上げして、普段自分が考えたり、行動したりする元になっている「物差し」そのものを、ゼロから根本的に調べなおしていきます。
固定した考えから解放されて、自由な考えによって、自分や人の本質に迫ることを体験します。

先月のコースに参加された方の感想文の一部を紹介します。

以下のページから「自分を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jibunwoshiru.html
IMG_20200529_165856.jpg◆どんな感情も、そのまま出し合い、自分の思い込みに気づき合う
自分を責めたり、否定したり、人を責めたりの出てくる、湧いてくる感情をそのまま、客観的(感情に揺さぶられない状態)に見れるようになってくるのは、反応から探る、捉えたことから反応を見る、それらを否定も、肯定もない環境の中に、そのまま出しあっていく中で進む感じ。

それと同時に軽く、安心状態、満たされた状態から周りに安心状態が広がる
自信のない人は、知識や、経験があっても、考えで~だとか、思い込んだ状態がない状態。
事実、実際を知ろうとする、謙虚で、軽くて、柔軟な状態。(女性60代)



◆自信のある自分が見えると、明るくて柔軟な状態へと進む
自信のある人は、自分だけの世界で生きていて、自分以外の人は受け入れ難く、周りも気を使って、がっちがち。
知ってることだらけだからそこまで止まり。
人に対しても、その人のイメージだけで接する。
狭い世界。

自信のない人は、何でも誰でも軽く受け入れて、明るく柔軟で、どんなことでもなにがあっても軽い。
知らないことばかりで、知っていくことが沢山あって拡がるばかり。

まずは、自信のある状態の自分を見ることかな。
ここに書ききれないぐらいある自分の中の固定化、事実化されたもの。
そのまま見る。
知っているとなっている自分の状態。

不安な心の状態があるというのも、実際どうなのか、自分の反応や自分の頭の中の状態をまずよくみてみるところからかな。(男性50代)



◆身を守るための固定した「自分の考え」を「知る」日々へ
どこまでいっても「わかった」「知っている」としないで、いつも「知る」ことをしようとしている状態。
今回のコースで、自分の捉えている現象、あらゆることが「自分の考え」をベースにしているものなんだなぁ。
それに反応してるようだな。
そんなことを具体的に見ながら、「知る」ということがどういうことかを探究していった感じがしている。

なぜ直ぐに「わかった」「知っている」となってしまうのか? なぜ「自分の考え」に自信があるのか? それが「正しい」となるのか? ここらあたりの探究が面白かった。

従来の自分の認識で「自信がある」状態と、探究していく中で見えてきた「自信がある」は、全く逆の様相をしていた。 
そして、「自信がある状態って結構固くて力が入ってる感じ。 そうしなくては立ってられない感じ。 もし、人が安心で満ち足りていたら、それが素の状態であるなら、自信が無いのが普通かも。。。」とか。
現状の自分の心の状態とか、そこから見えてくる「自分の考え」とか、なにかヒントをもらえた気がする。

「人間の考えを知る」が深まるには? という問いに、「探究するにはそういう場、人が必要かな」というのも出た。

「知る」に終わりはないなー。
日々知っていくだけ。
楽しく、朗らかに。
知った分だけまたさらに、豊かな世界が広がってゆくな。
「自分を知る」日々を満喫していきたい。(男性40代)
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自分を知るためのコース 参加者の声から〜自分の認識の実態を探り、本質を知れる頭に

自分を知らずに、自分らしく生きることは出来ないでしょう。
では自分を知っていくとは、どういうことでしょうか?

安心できる環境の中で、何でも出し合いながら、一人ひとり気持ちや本心を探り合っていきます。
すると、一人では気づかなかった、気持ちや本心に出会います。
気づくことで、心の奥へと深まりが進んでいきます。
安心が、柔軟なこころに成り合う場を作っていくと、一人ひとり、仲良く暮らす快適な世界が鮮明になってくるのです。

2月16日~開催された「自分を知るためのコース」参加者の感想を紹介します。

以下のページから「自分を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jibunwoshiru.html
20170520063938海.jpg◆人生・無自覚のスタートから、自覚を通して、豊かな人格へ進む
自分も人間も何かを知らずに、人生がスタートしているという矛盾というかチャレンジというか面白さに、人類の歴史のからくりを自分の脳を通して明らかになっていくという、とても不思議な体験の1週間でした。

それにしても、1週間のコースのゆるゆると進むながらに、中身が濃くて、終わってみると長いようで短いことに驚かされました。

人格形成ということは、まったく観点になかったです。
それに「世界・社会・人生を知る」という重要な要素が欠落しがちでした。
これからサイエンズメソッドで探求を深めて行けること、そのスタート地点に立てたことが素直にうれしいです。
自分の認識に自覚的である=日常を探究の場にしていきつつ、一つ一つのコースを進んでいけるワクワクを丁寧に進んで、社会や地球にお役にたてる人格者になっていきたいです。(女性40代)



◆心の蓋をあける「本当はどうか?」、本心を生きる道を開ける!
5歳の頃、叔母に預けられたことがあった。
その頃を内観で調べたとき、叔母に良い子だと思われたくて一生懸命になっている自分は見えたけど、「寂しい」という気持ちが全然見えなかったのにはビックリした!
5歳の子供が母親と離れて寂しくないはずがないのにと!!
そして、そこに蓋をしていた自分に気付いた時は、すごくショックだった。
たぶん、そこがいつも自分が反応するときに触れる「何か」の「源」になっているのかもしれない。

知るためのコースでは、どこまでいっても、人間の考え、自分の捉えたことの領域にから出ることはできないけど、それを自覚することで、「本当はどうか?」と、事実実際に近づいていける。

ザワッとした反応も、自分の奥底にある「寂しがっている自分」を守っている反応かもしれないけど、それもすべて自分で捉えて、自分で作っている反応。
だから、そこに気付いていくだけで、また反応も違ってくるだろうし、「本当はどうか」に少しづつ少しづつ関心が向かっていけるようになってくのだと思う。(女性50代)86937137_2918609461492910_1347221478570983424_o.jpg◆決めつけの考えが、自分の思考や行動を縛る、解放へ「実際は? どうか?」
今回の自分を知るためのコースでは、たくさんの角度から人間の考えを探究した。
ひとつひとつの課題を考えることがとても奥深く、日頃深く考えることのないテーマに取り組むことができた。

日ごとに、私の中の強烈な思い込みや決めつけがあらわになって、正直恥ずかしい気持ちになった。
自分のドロドロした部分をみんなの前で発表することになったためだが、しかし今現在の自分の状態なので仕方ないと思った。

「事実、実際はどうなのか?」
感情の波(反応)に巻き込まれる前に、一瞬の隙間を作る必要があるのだが、その時の魔法の言葉が「事実、実際はどうなのか?」だと思った。

インプット→自分独自の回路→アウトプットの一連の流れがあることを知り、そのままではただ惰性に流されていくだけ、ということも理解した。(女性50代)
自分を知るためのコース | - |

人の中で安心し、気づき合う一人ひとり、探究の醍醐味!

日常、自分の頭は、どのようなに動いているのだろうか?
多くの人は、自身の思考の実態を見てみると「すべきことがある」と、普段、自分自身を縛っている考えが見えてきます。
自分自身を顧みる機会の中で、気づきのプロセスがこころに解放を起こします。
人と共に、幸福に生きる、道筋も見えてきます。
まずは、自分自身を知ることを通して、本来の自由な発想を身に付けていきます。
サイエンズスクールで12月8日から開催された「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。

以下のページから「自分を知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jibunwoshiru.html

pansy-3466090__340noseru.jpg◆気づきの連続で、思考回路がスッキリ
「私の内はどうなっているのだろう?」
「人間が考える時のメカニズムはどうなっているのだろう?」
「知るって?」・・・・
そんな色々な疑問や、生活の中で出てきては忘れていく反応をゆっくりと観てみたいなぁと思っていた。

探究中まず気付いたのが、私が表現したい言葉は最初頭の中に感覚のようなものがあって、絵になり、その感覚と絵とを合わせながら最もらしい言葉を引っ付けて表現している。
以前までそれがハッキリと見えてなくて自分自身では‘表現するのが遅いなぁ~‘と感じていた。
気付いた瞬間、思考回路がスッキリした感じ。

そう気付くと‘伝えないといけない…‘に捉われていた事にも気付いた。
無意識のうちに習慣付いて気付きもしない反応、自分の頭の中で書かれたシナリオで過去を生きている今。
探究すればするほど可笑しくて笑えてきたなぁ~。
そしてまだまだ終わりのない観察、探究が今もこれからも続いて行くんだなととても楽しみでワクワク。(女性30代)


◆認識を事実にする思考は、人間の考え。そこに気付く楽しさ・広がり
今回のコースで印象に残っているのは「事実化」
見たり聞いたりしてインプットしたことを自分の中の知識や経験、記憶と結び付けて自分の中で事実化する。
それはあくまで自分の中の感覚でしかないのにあたかも「事実」であるように思い込む。それが私の日常だったな。
それに自覚がないから他人の言動に振り回されたり自分の感情に捉われて一喜一憂したり。
それは人間の考えであることを知らない状態。

事実実際は今この瞬間瞬間のことで、留まっていないしはっきり捉えられるものでもないし、ただそこに関心が向いて「わかった、知った」とならないでただただ知ろうとする営みなんだろうな。
そのことに気づいたのが今回は印象的だったな。

今回はとくに「探究する」ことが楽しかった。
ぐるぐる同じところを回っているようで、それが拡がったり深まったり、もやもやしている思いを誰かがすぱっと言葉にしてくれたり、「そっか~!」と気付かせてくれたり。
ひとりひとりでいながら、深いところでは繋がっている感覚に日ごとになっていった気がする。
暮らしの中でも「私の中でおこった自分劇場」を出し合って「実際は?」に関心を向けて見たり、そんな経験がわたしにはとっても楽しかった。
よく笑ったな~。(女性60代)


◆広がりと共に柔らかくなる自分の考え、面白いなぁ
当たり前にやってること。
喜んだり、硬くなったり、焦ったり、不安になったり、どうゆう反応がおきてるのか。何から硬くなったり不安になったりするのか。
人間の考えの特性とか事実実際はどうゆものかの探究はおもしろいなと思った。
○○ちゃんが人間ってあほやな~って笑う
せやな~(笑)
知るは自分の世界がどんどん広がっていく感じがする。
自分の考えを決めていくのと自分の考えを囲ってない、相手の考えもはいってくる、相手と自分が委ね合って広がる世界。
硬いものがやわかくなる姿をみて、ええなぁ
実際の自分に
気づきながら、人そのものに適った暮らしに、そうゆう人に、そうゆう自分に、自分を知ることを続けていきたいなぁ。(女性30代)
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