過去をそのまま思い出し、じっくり観ると、自分の実際が捉えられてくる

心の声を聴きながら、自分の内面を観ていく・・・内観。
自分を客観的に観ていく力を培いながら、人と人、社会の元に流れる愛情を感じられる、柔らかな心に成長していきます。
もともと自分の中にあった、自由な心の状態へと立ち還っていきます。

8月30日~開催された「内観コース」に参加した人の感想文の一部を紹介します。
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多くの人に見守られ、支えられてきた実際
母に対して、父に対して 夫にたいして、子供たちにたいしての 自分はどうだったかと調べていくのですが、いろんなことが浮かんできてそちらに気が行ったり相手のことに行ったりしながら、それでも、何度も軌道修正されながら、なんとかやってこれました。

でも自分のほうからの相手の見え方は変わってきたとおもいますが、その時代の自分についてどうだったかは本当に甘かったと思います。
母、父には最後の最後までお世話になって胸がいっぱいになりました。

後半になるにつれて自分中心にしかみてなかったこと、行動していたことがみえてきて、あと人にたいしてやってくれないと責める気持ちがでてたことに気づきました。
不幸の原因そのものでした。

最後の息子に対しての自分の価値観を正しいとして、ずっと的外れなことばかりして、すまなかったと思いました。
こんなにもというくらいたくさんの人が出てきました。
いま息子と自分の、事故のあとの20年くらいたどってみて、ほんとに人の何倍も多くの人にみまもられて、ささえられてきました。
私は本当にめぐまれてたな、という思いでいっぱいです。(女性60代)
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自分の傾向や癖、縛りから解放されて、隅々まで明るい心に
途中CDの中で「事実をありのままに見ることができたら幸せになれる」というのを聞いて、ただそれだけなんだ、そのまま見れることができれば・・・ならば、実際は幸せなんだと思った。

うそごまかしを小さい頃から順を追って並べるように見ていくと、観えてくる自分の傾向。
面接の時間に聞いてもらう時、自分のやっていることを言葉にして出して言っていると毎度出てくるフレーズに、またか~と笑ってしまう。
笑い飛ばすことで消えていくような軽さがあった。

人に認められたいと思っていた自分、実際の自分より大きく見せようとしている自分に気づく。
慌てず・騒がず・落ち着いた様子を見せたかったんだなと。
周りにはそんな風に見えていなかったのかな? と恥ずかしい。

家族にしてもらった事、両親・姉3人から受けたもの、受け続けているもの。子どもの頃から今も変わりなく注ぎ続けてくれている愛情が流れつづいている。

心を開いて、隅々まで明るく、雲ひとつなく晴れている心の住処になっていきたい。(女性40代)
4916a1a7f121c5c0fda63daea3c9f5e4_t.jpeg「不安」もそのまま見つめ、内観していくと、奥にある大きな愛情が見えてくる
不安があったら何をやってもダメやなあ そんな風に思った。
「気を使う自分」というテーマで今までの自分を振り返ってみると、いつも「不安」があるんだなあと思った。

どう見られるかの不安 どう評価されるかの不安 要らない出ていけと言われる不安 等、その元見てみると、固く握りしめて離さない人に対する観方「人間観」があるなと思った。
言葉で表現すると
「人は(相手は)意に沿わないことがあると攻撃する、排斥する」といった観方かな。
それも自分の考えなのだけど、絶対そうだと強く強く思い込んで、頑なに手放そうとしない姿が浮かんできた。

それも不安からくる身を守るものだったかもしれないけど、そこから来る不安と、不安から来る反応と行為、その反応と行為のひとつの表れが、気を使うということに現れていたように思った。

一方で、今まで「受けてきたもの」をつぶさに見ていくと
どれだけ愛情を受けて、見てもらって考えてもらって大切にしてもらってきたか
たくさん声をかけてもらった「これやってみたら」、「これやめてみたら」といった声掛けの背景にも、想い考えてくれている人の存在や行為があって、そのどれもが愛からきていて、子どもの頃も、鈴鹿に来てからも、ずっとずっと見守られていて、大きな愛情をこれでもかというほど無償で注いでもらい

時には道端ですれ違った人の会釈や笑みや、交通誘導員の人の旗から伝わるもの、会ったこともない人からでも、道路標識や農作業で使う道具の端々からも、人の愛を受けて、それは感じる感じないと関係なく、どれほどの人の愛の中で生きてきたのか。

「受けてきたもの」を見ていって見えてきた世界は、自分が固く握りしめていた人間観とは、似ても似つかぬ世界で、人と人がいさえすれば、そこには必ず愛が作用するのだろうかと思うほど
注いでもらって不安も心配もない、ただ任せてさえいれば愛が導いてくれるような、そんな世界。

今まで固く信じて握りしめていた自分の見方を手放して
注がれる愛情をただただ素直に受け取る心と、今まで受けてきたものの実際を知って、
自分の人間観も、実際に即した人間観にと思う(男性40代)pexels-photo-457881.jpeg
内観コース | - |

ありのままの自分を受け容れ、そのまま観ていくと、底にある素直な心に出会います

内観では、ありのままの自分を客観的に観る、ということをします。
じっくり観て、観る力がついてくると、自分の中にある固定した考えやフィクションによって縛られている自分自身が観え始め、実際の世界へと目が向き始めます。
自分が今生きている実際を知り、実際に受けてきたものによって、満たされて生きていることを知ることで、自身の中にある縛りの考え方から解放されて、事実・実際の理に適った暮らしに向かって歩み始めるのです。

先日開催された内観コースの、参加者の感想文を一部ですが紹介します。

以下のページから「内観コース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/naikan.html
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◆客観的にそのまま観ることから、素直な自分へ
内観の部屋は凛として清らかな空気がある。
夜もぐっすり寝た。
何かに包まれているような睡眠だった。
法座の中は母の胎内にいるような感じだったり、空の上を飛び回る感じだったり、夜の空もあったような…非日常の空間旅行だった。

内観の途中でスタッフさんが言った。
「客観的に観ることは、その時をそのまま、その状況も含めて観てあげる」まだ意識が邪魔をしてうまくいかない。
間脳を揺るがすような体験をしたい。(女性60代)



◆感情がそのまま見え始めると、「事実・実際」の豊かな世界が見えてくる
内観やれてよかったな。
ただそのままみる。 
否定も肯定もしないで。 
そこは意識したかな。
この1週間、その練習をしてた感じかな。
嫌だったこと、つらかったことはその時起きた感情、その記憶ばかりをずっともって、
実際のその時、どんなことをしてもらっていたのか、その時の自分・・・・
(女性30代)



◆安心を受けている、計り知れない心の満足!
父、母
帰る場所、戻れる場所、甘えられる、理屈では推し量れない何かをもらってきたのだなと感じた
印象に残ったのは父と過ごした記憶、憧れや安心を抱いているような、父といる時はお金のことや後先の事を一切心配していない自分がいるなと思った(男性30代)



◆ありのままを見て、自分をそのまま認められる、楽で健康なこころ
事実私を、ありのままに見るだけで、幸せになります。
モノゴトをありのまま見えたら、その人の人生はそれだけで幸せになります。
内観しながら、表面的なことしか見えてない、あまりうまくできないと、そわそわ、時にはイライラ。
面白く内観できたらいいねとスタッフさんが話してくれて、はっとした。
できない自分がダメ、ちゃんとやらないとと、がんばろうとする自分が見えてきた。
この人生、「やめたい」「いやだ」の言えない連続だった。(全く言えなかったわけじゃなかった)
我慢の練習をたくさんしてきた。(男性20代)
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◆「やってもらっている」ことをそのまま観ると、相手の心に気持ちが向いていく
これまでの自分の人生を、サラッと思い返すだけでも、「自分はほんとに沢山してもらってきた」「子どもの頃から可愛がってもらってばかり、大人になってもいつもしてもらってばかり」と思っていた。と思う。

改めて、私がやりたいという事をやらせてもらって、やってほしいという事をやってもらって、これが欲しいというものを買ってもらってきたんだなぁ、と。
わりと大人しく、あまり親を困らせず、自分てそんな子どもだった、そんな風に思ってたかな。
いやいや、結構、我がままにやらせてもらってきたんだなぁ、と感じた。

母や姉に対して、
とにかく、気持ちも物も沢山に注いでもらってきたという感覚。
「やってあげたい」というのを感じながら、きたように思う。
私の中で、「やってもらって、やってもらってばっかり」というのがどうなってたかな? とちょっと思った。
母や姉の、何がそうさせるのか? 相手の心の方に気持ちが向く。
いつも私を思ってくれている。

今回の内観を通して、「みんなの気持ちを受けて育ってきたんだなぁ」と今までと違った視点で捉えられた感じがする。

人の「やってあげたい」の気持ち(心の方)を見れたら、どんな風に応えて来れたのだろう、と思った。(女性30代)
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「そのまま観る」ことから、軽くて明るい人、健康な人へ

素直な自分・明るく軽い心・健康な人へ、こころの成長は、受けている愛情がハッキリ見えてくるところからはじまります。
自分を見る、家族を見る、社会を見る、実際の世界を「そのまま観る」と、ありのままの心の世界が自分の中に広がります。
心の底で人と繋がり、こころ豊かな人へ成長していきます。

3月29日から開催された「内観コース」参加者の感想を紹介します。

以下のページから「内観コース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/naikan.html
img1856_DSCF5228.jpg◆受けた愛情を「知る」ことは、愛情深い・健康な自分を知っていく道
参加動機は、本来の人間らしい 健康(健康的な内面)になりたい!
そのためには、自分の不健康な状態を知りたい、それを改善したい、といったことであった。

内観をする事で、実際は何をしてもたったか(実際を知る)
自分の過去の記憶を具体的に映像で思い出すことがいかに、大事かを知る

そして、当然としていたこと、親だから当たり前としていた事、一つ、一つ知る
両親から受けた愛情を知る 
鮮明に知る事が、自分の今後の人生に
とっても大事になることと 感じて・・・・(男性50代) 


◆「そのまま観る」力を育てることは、受けている愛情を捉えられることに繋がる
あっと言う間の一週間でした。
内観というと、禅寺へ修行に入るような感じを持っていましたので、多少緊張していたのですが、思ったよりリラックスして座ることが出来ました。
また、法座の設えは記憶を呼び戻すに適した空間だと思います。

最初は雑念が多く、あれこれと考えすぎたようで、記憶のあいまいさがそのまま報告の説明的な言葉に出たように思います。
次第に記憶の断片が動き出し、お互いに連鎖反応を起こし、新たな記憶を呼び覚ますといった感じで、繋がったり切れたり結び直したり、徐々に鮮明になっていくのには少なからず驚きを覚えました。

朧気だった記憶が、周辺までピントが合い、色や形まで鮮明になって動き出し次々と繋がったり・・・・・
何となく過ごした時のことが、意識を集中することで思い出せたり、すごく印象に残っていることを核にして周辺の事が引きずられて思い出せたり、父の時に母の事を思い出せたりと、面白い体験でした。

母や父にしてもらったことの多さを、改めて明確に調べる事ができました。

これまでなんとなく感じていたことより、遥かに多くの事をしてもらっていたことが分かり、改めて感謝の思いを深くしています。(男性70代)
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思いだしながら、自分をそのまま観る!

子どもの頃から順番に、思いだし、そのまま見ていくと、硬くなっている記憶が緩くなり、解け始める。
健康な記憶へと変化する。
そのままの自分を認め、周りの人へと心が動き出す。
柔軟なこころになって、幸福な暮らしへ向かっていきます。

2月2日~開催された「内観コース」の参加者の感想の一部を紹介します。
以下のページから「内観コース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/naikan.html
87299407_2872053306217721_1463818656562544640_nyosioka.jpg◆母・父・兄、観ていくと、記憶が健康を取り戻す
約1年ぶりに内観コースに参加した。
前回受けた衝撃の記憶も遠い昔の話しのようだ。
今回も同じく母に対する自分を調べるところからスタートした。
そして新たに”兄”に対しても調べてみた。

今回初登場の”兄”とのことを調べていくと、途中で感情が出てきてしまい、腹が立って仕方なく、内観にならない時があった。
観察に徹しようと試み、何とか戻っては来れたけれど、相当根深き感じがした。
もちろん、兄にも事実・実際があるわけで、私の中で勝手に「お兄ちゃんはこういう人だ!」と決めつけたきっかけが見えた気がした。
これから疎遠になっていた兄と接する機会も増えるので、しっかり向き合っていきたいと思う。

私の周りでは色んな事が起こり、色んな情報が御構い無しに飛び込んでくる。
それらに翻弄され、流されていく感覚があったのだけど、
でもそんな時こそ、そこに嘘やごまかしがないだろうか?
本心はどう?と問うていきたい。

流されない(ごまかさない)ためにも、一本の大きな樹木のようにどっしりと大地に根を張りただそこに在るだけの私でいたい。(女性50代)



◆母の愛・父の愛、そのまま観えることが、家族愛を大きく広げる
学校から帰ってお母さんの働く窓口に「ただいま~」ってドアを開ける瞬間、中学校からはお父さんが途中まで車で迎えに来てくれて「ただいま~」と言いながら車に乗り込む瞬間、とても嬉しかった。
毎日お父さんとお母さんに会うのが楽しみだったんだな。

お父さんの人生、お母さんの人生、そこから見る私。
二人の人生の中でどれだけ私に時間を費やしてくれただろう、どれだけの愛情を注いでくれただろう。

本当によく怒って泣いてお父さんとお母さんを責めた。
こんなに身体が丈夫で病気もせずに元気でいられる事だけで十分だと2人はよく言った。
本当にそれだけで良かったんだと思う。
私が高校行って勉強はほとんどせずに部活と遊びだけで3年間過ごしてもそんな高校生活良いねと言っていた。

学校生活、職場、それ以外の場面でも、たくさんの人が周りにいた。
人の中で育ってきた。
人の愛情の中で育ってきたように思う。
今度は私が人に対して愛情の溢れる人になりたい。(女性20代)
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内観コース | - |

過去の暗い記憶が、明るい記憶に変わっていく〜内観によって〜

子供時代、「こうするものです」と押しつけられる環境の中での育ちをしていませんか?
気持ちに蓋をして、我慢したり、反抗したりの育ちだと、どんな記憶が作られていくのでしょうか?
思い出したくない記憶や、無意識にしまい込んでいる不快な記憶も、ありのまま見ていくことで、その時の気持ちが見えてきます。
自分自身で自分を縛る不健康な記憶に、明るさが戻ります。
縛りからの解放が起こり、自由を取り戻す「健康な記憶」に変わっていきます。
健康な記憶になっていくことで、明るい自由な人生へのスタートが切られます。
9月28日からの内観コース参加者の、感想の一部を紹介します。
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◆受けているものの大きさを知ると、気持ちが動き始める
自分の中にある過去をそのまま、ありのまま観る。

実際はどうだったか、具体的に観ればどうか、自分の心はどうだったか。
ただ、してもらったことを思い出しなおし、自分がしてあげたことを見てみては、心配をかけたことはなかったかと捉え続ける。
したのはそれだけ。
そう、それだけ。

それなのに、母に対する捉え方「母自体」に対する見方が変わる。
そして自分が母にしてもらってきたものを、さも当然かのように受け取ってきた事実を目の当たりにし、膨大なしてもらったものを前に平伏すような想いが込みあげた。

それは、母に対してだけではなく、今日観た祖父母・同僚・友人に対してもそう。
また、その他の人々にさえ、見え方が変わっている感もある。

「人は一人では生きてはいけない、というような格言めいた言葉は自分の中にはあるが、それをより実感している感じがする。
どれだけ、してもらったことを見落としてきたのだろう、どれだけ人に心配をかけたのだろう。
それなのに、してあげたことはどれだけあっただろう。

今は、とにかく母に合いたい。(男性30代)


◆自分の気持ちを誤魔化したり、抑えたりを、よく見ると・・・
自分の気持ちや感情を騙したことについても小学校時代から見てきた。
見える場面で私の気持ちや心境がどうだったのか見ようと思った。

心の状態がよく見えなかったり、どんな気持ちだったのか紛らわしい場面も見ようとした。

私の心を騙したり、どうしたいのかよく知らない状態で行動したのが後悔として残るんだなと思った。

そのように生きるのは本当にもったいない。(女性40代)

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◆「ダメ」とする自分をあるがまま観ると、素直さへの欲求が湧く
こんな(ダメな)自分が、、、 でも、ダメ!ってなんだ?? という思いを持ってスタート。
ダメ!というのは、強~いキメツケだな。
そしてダメ!というのは、ダメとしていることを認めない(受け入れられない)。
私の場合、劣っている、できない、悪い、至らないetc.をそういう自分としてダメ!としてしまうことが多い。
ダメ!とすると、それをそのまま認められなくなってしまう。

ダメとしている事に気づき、ダメ!が何なのか?、少し見えてきたかな。
見えてきたら、、、「あー、そのままでいい、そのままでいいんだな」となってきた。
そして、ホントのホントの自分はどんな自分なんだ?
なにをしているんだろう? となってきた。

ダメ!とすることで(決めつけることで)、そのままを見れなくしている、あるものが見えなくなっているようだ。。。

あー、こうやってその時してたことをみて、ダメ!と裁く。
「ダメ!」とする思考パターンが癖づいているなぁ。

「実際」に目を向けようとしなくても、ダメといていることに気づくと目が実際の方に向くようだ。

そのままでいい、そのままで十分。
こうでないといけないものは何もない。
何かしなければならないことも何もない。
今のままでよし!私のペースでゆっくりと地に足つけて進んでいきたい。
人生の途中の今、そしてまだ続いてる、、、。(女性50代)
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心の奥の本心、明るく・軽い・自由な自分自身の姿を!

今の社会に適応し、今の社会用の自分になっている一人ひとりですが、ゆっくり、じっくり記憶を思い出してみると、その奥にある自分の希望や本心が見えてきます。
人と溶け合って仲良く暮らしたい、私の中の本来の姿が捉えられてきます。
人と人との関係・軽く自由な姿が、観えてきます。

8月4日からのサイエンズスクール内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。
park-3112055__340.jpg◆自分自身がそのまま見えてくると、周りの姿が見えてくる!

これまでで、自分の気持ちをごまかしたことを振り返ってみました。
人と接する場面で何か思いが出てきても、それは自分の中にしまっておくことがよくありました。
あまり受け入れてもらえる気がしていないんだな、と思いました。

自分の思いを安心して出すことができていない、そういう場をみつけられていない、警戒心がある自分なのかなと思いました。

『思っていることを大事にしたい』という願いがあるのだけれど、それが実現できていない自分なのかなと思いました。

これまでの自分の人生は、してもらうことが沢山あったと思います。(男性40代)
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◆嫌な印象が強く、見えなくなっていた奥がゆっくり見え出すと・・・!

今回は以前観るのが苦痛だったところを思い出しても特に重苦しい気持ちにはならず、むしろ当時の自分をかわいらしく見るような感覚になり興味深かった。
前回ほとんど思い出せなかった中学校時代は、学校の教室や廊下、校庭の映像がより広く思い出せた。
全然思い出すことのなかった当時の友人の顔もはっきりと思い出し、みんな素直で可愛らしい中学生だなぁと笑みが浮かんだ。

普段生活しているとどんどん記憶は薄れていくが、内観はやればやるほど思い出せる。
人の記憶というものが実は忘れているようで結構覚えていて、印象によって書き換えられるものだということを体感したように思う。

両親に本当に大事に育ててもらっていた。
身近になればなるほど一人の人として観ることができなくなり、当たり前になっていくのは自分にとって、本当にもったいないことだと思った。(女性40代)
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人は何を吸収して育っているのだろうか?

今の自分に育つまでに、周りから受けたものは?
人は誰もが子供のころから自然に母国語を話しています。
周りから受けたものを吸収し身につける力、生まれながら吸収する力を持っている人間!
身体は食べ物を得て大きく育ちますが、こころは人の中で何を吸収して育つのでしょうか?
人は、親からの愛情を受けて、人として育っていくのではーー。
小さい頃からどんな体験をしてきたのか、思い出し、ゆっくり、じっくり観ていくと、心に変化が起きてきます。
受けた愛情をはっきり知ることで、愛情深い人になっていく。そんな方向へスタートがきれるのです。
6月30日~の内観参加者の感想を一部ですが紹介します。

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◆成り立ちを知り、受けている実際を知り、心の温もりを知っていく!
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終わってみると心持ちが軽く、知らず知らずのうちに隠し持っていたザラっとした気持ちを整理整頓したような感じがある。
今まで、過去を振り返ることはあっても人に対しての自分をしらべ、事実を観ていくことはしていなかった。
母親や父親に対してもどこかで否定するような見方をしていたことも見えた、それが自分も否定するような見方にも繋がっていたことも。

内観すると自分の成り立ちが多面的に見えてくるようだった。

自分自身で育ってきたかのように、精神的なものも思考も趣味・嗜好なども自分で育ててきた自分をかたちづくる大事なものとしていたけれど、それさえもほとんどが周りの人の影響や受けたものが重なり合って成り立っていた。
そこには自分独自のものなんてなく、大事にしていた自分が消えていくようだった。

母が私に与えてくれた時間と手間と気持ちは想像を絶する。
”やってもらうだけの、ぼったくり” まさにその通りで、こんなにも受けてきたことばかりで返したことがほぼなかったこと。
条件もなく見返りを求めずに、ひとりの人に対してこれほどのことができる。

最後の方で、、、母の膝の上に座る私、その私の脚に母の手が置かれた温かさを感じた、あの時のしあわせな時間を再体験したようだった。(女性40代)
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◆誰もが知っている、「安心と満足」のこころの世界!
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いつまでかは覚えていないけど、わりと大きくなるまでお母さんにおんぶしてもらったり、手をつないで歩いてもらっていた。
学校から帰るとそのままお母さんの働いていた窓口に行って宿題をしたり遊んだり、学校での出来事を聞いてもらっていた。
お母さんの傍にいるのが好きだった。

お父さんもお母さんもいつでも話を聞いてくれた。
どんなことでも聞いてくれた。
それが私にとっては当たり前になっていた。
大事に育ててくれたんだろうなと思っていたけど、頭で思うよりももっとたくさんのものを受けていたんだろうな。
お父さんとお母さんといる時は本当に安心している自分だった。(女性20代)
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◆じっくり観ると、「当たり前」なっているものが、見え始める!
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母は玄関を改造して洋装〇〇〇と看板をかかげてオーダーメイドの洋裁店をはじめた。
それからいつもミシンの前か机に向かって縫ったり切ったりしている母の印象が強い。
ご飯はいつ作ってたんだろう?
あんまり覚えてないけど毎日本当に母の作ったご飯食べてたんだなあと思った。
手作りのデザートもよく作ってくれたな。
デザートのことは印象に残りやすいけど毎日の食事のこととなると・・・。
ほんとに当たり前なんだね。

こんなに父母に大事に育てられて、色んなものを周りから受けてきて私は何をしようとするんだろうか?

「やらなければいけない。してはいけない。」
はじめて幼い時から見てみたけど、小学生の低学年の時にもっと色々あったんだと思う。
もっと細かく見たら。
中学ぐらいにはだいぶ強化されている。
また見てみたい。(女性50代)
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思い出しじっくり観る、私を縛っていた記憶が、変わっていく!

強烈な体験! 
こころに残った忘れられない記憶、記憶は過去の事です。 
「こうしてはいけない」「こうしなさい」と自分を縛っている記憶も過去の体験のほんの一部。
内観で、多くの体験を思い出し、ゆっくり自分に落とし込み、
記憶の奥にしまってあった豊かな体験も思い出し、じっくり「観る!」と―
不自由な自分を作っていた記憶に、縛りからの解放が訪れます。
自由な自分を取り戻すのです。
記憶の正常化、健康なこころへの道がスタートします。
5月5日から開催された、サイエンズスクールの「内観コース」参加の感想を一部紹介します。
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◆温かい心の体験を思い出し、味わい、満たされる過程!
6泊7日間の内観を通じて、まこと幸せな人生だと思った。
豊かな人生だな,本当にありがたいと思った。
今まで受けた喜びを通じて満たされ,人生が幸せに認識される過程。
人の成長という側面から受けてきたことを知って満たされる過程。
豊かさ 実にいいと感じた。

おばあちゃんを通して観る
内観の最後におばあさんについて見ながら,本当にあたたかいと思った。
おばあさんの家の前でオシロイバナを取った記憶、ご飯を食べる時に魚の骨を取ってご飯の上に乗せてくれたこと。
退屈ならば一緒に花札遊びをしたこと、お正月だったら一緒にギョーザを、秋、冬になると味噌や醤油を作った記憶。

体力的に孫たちを見るのが大変だったはずなのに,怒ったことがなく面倒を見てくれました。
私は亡くなる前に会えなかったね。
療養院に行った時でもありがとうという挨拶でもしたらよかったのに. 本当にその一言は伝えられなかったなと思ったら涙が出た。

あったかい思い出をたどりながら息子に暖かい記憶をたくさん残したいと思った。 もっと温和で暖かい父親になりたくなった。

母親を通して観る
小学校時代,自分だけ字が読めずに学校へ行ったと思った。
母親は,"忙しくて私の教育にあまり関心がなかった"と認識されていた。
じっくり見てみると,ピアノ,美術学校,学習塾,ユン先生,英語などいろんなことをしたね。

休みの時は,母が直接算数を教えてくれたし,母が勤務する中学校の科学室に行って,顕微鏡で細胞組織や生物を解剖したことを見せてくれた。
なんで、あの時に書き取りの成績が悪いのを母のせいにしようとしたのか?

小学生のときは母親が他の地域に転勤になり,通勤しなければならなかった。
朝夕1時間30分ずつかかる距離だったが、今思ってみたら私たち朝食・夕食をどう食べさていせたのか?
"母が朝,運転するのに眠すぎる"という話を父親としていた姿が思い出される。

父親を通して観る

父親の、聞いて話すやり方が、情が足りないと、自分に無関心そうに把握していた。
母親のように怒ったり大きく反応しないことを否定的に見ていた。
その認識が中学校から続いて、父はそういう人だと強固になったようだ。

注意深く観察してみると,父のやり方で私に愛情を注いでくれていたように見えた。

大学1年生の時、牛乳のバイトをしながら配達に車が必要と思いお父さんの車を借りたが、よく思い出すと,私が早朝運転するのが心配だと思ったのか,私と一緒に早朝から牛乳を受け取りに行き運転してくれて一緒に配達した。

お父さんは元気ないように思っていたが、あんなにも横にいたなと思う。(男性30代)2019-05-23 11.21.45_2.jpg
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自分を客観的に見えると、多くの愛情に気づき始める

「内観」とは、「内を観る」こと。  
幼少時から現在までの自分と向き合い、記憶を辿りながらその時その時、どうだったかを具体的に調べていきます。
自分が自分を客観的に見えるようになると、どこででも、誰とでも、幸福に生きていける力がついていきます。
穏やかで幸福な人生のスタートです。
サイエンズスクール開催の内観コース。
3月31日~に参加した人の感想を紹介します。

20190416_105527-300.jpg◆嬉しすぎる自分・気にしている自分、自分自身が明らかに!

父母からはいつも、どんな時でも、色々してもらっている事がすごく多くて言葉が出ないほど感謝の気持ちが強くなってた。
してあげた事が何も思いつかなくて泣いてた。

皆に対する自分を調べた時はもう (´;ω;`)ブワッ ってめっちゃ泣いてたなー。
昔の友達とか、もう全然思い出す事も無かった人々が記憶からまた出てきて、すごく嬉しくなった。
そしてそんな色んな人を知られた機会を作り上げてくれた父母家族の事がまた嬉しくなった。
アーもう数えきれない、考えきれないほどの事があって嬉しいわ、って感じだった。

「嘘やごまかし」の事を調べてみてたら、自分はあまりそんなのやってないし気にしてないって思っていつも気楽に過ごしてたと思ってたけど、無意識に自分をごまかしてる事がものすごく多かったように見えた。

意識して自分にごまかしをしていた時も色々あったけど、「こんなの軽いごまかしだからいいでしょ」っていつも思ってたので、気付かない内に本心ではやりたくないのにやってた事がいっぱい集まってるのが見えた。

内観に参加して人にどう見られるかとか、認められる事をめっちゃ気にしてる自分がいるって明らかに見えるようになったと思う。(20代男性)


◆客観的にそのまま見る → 気づきの体験を!

特に自分が固定した印象や強い感情を持っている記憶に関しては、捉え方を変えようとするわけでもなく、ただ具体的な記憶を調べることに集中することで、自然と自分が持っている捉え方に気づく経験があった。

記憶の中の自分に対する固定した捉え方に気づいていくことで、自分の中で起きている反応が変わっていくということも起きてくるように思う。

日常の生活でも「こういうことか」という解釈や結論を出すよりも、ただ冷静に客観的に見るほうに重点をおいてやってみたいと今は感じている。(20代、男性)
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内を観る、そのままの自分を見ていくと、本音・本心が観えてくる

怖い体験の記憶や、クセ付けされた自分を守る思考(恐怖心)もじっと見ていくことで、実際の自分が見えてきます。
心の開放が起こります!
記憶の奥にある、愛情をいっぱい受けて育った実際の自分が浮き出てきます。
人の中で、人に育てられている、喜びの中に生きている実際の自分の発見!
人との対立がなくなり、明るい暮らしが始まります。
人間の本来に興味がわく自分自身にも出会えます。
サイエンズスクールで開催されている「内観コース」は、そのままの自分を受け入れられる自分を体験します。
2月3日から開催された参加者の感想を紹介します。

DSCF2744.jpg◆思いや考えのもっと奥、底にある気持ちやこころの発見!

「その時のそのままをただ観る」とういうのが、やっと垣間見えた様な感じで、ここからやっと始まるという気がしてきた時に終わった感じだった。
内観して、本当に沢山の人が登場してきた。

実際は、それだけの人に関わって、把握出来てない人も沢山いる中で生きていたのかな。
色々な場面を振り返ってる中で、スタッフさんが、「もっと 具体的に、ただ見る」と言ってくれたので、よし、もっとよく見てみようと思ってやってみた。

娘〇〇の卒業式の洋服を買いに行く場面で、「これはどう?試着してみたら」
「ママはこれがいいんでしょう」 「そんな事ないよ、〇〇の気持ちが大事だよ」
という会話だけど、もっともっとよくよく見てみると、私の中に急いでる感じがあって、もう既に決めてる感じもあった。
そんな心の状態があるのが見えてきた。

娘〇〇は後で、あれはイヤだったって言ってて、あのリサイクルショップの洋服がイヤだったのかと思って聞いてたけど、〇〇の気持ちに全く関心を示してない私の態度がイヤだったのかもしれないなと思った。
「あれはイヤだった」
という表現した中身はなんだったのかな?

本当にいつも事柄を進める事を優先してきたな。(50代女性)
.
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◆愛情いっぱい・・・明るい世界が見えてきた!

長いトンネルの終りが見える感じだ。
暗いトンネルの中に明るい光の外の世界が見えた, 
何かそんな感じがした。

赤ちゃんだった私の手を母が噛んで泣いていた自分がいる。
あまりにも明るく笑っていた母。
お爺さんの自転車に乗って家に帰って玄関に降りたら 、あまりにも明るく笑っていた母。
お母さんが働く職場に行ったら私を見て 、あまりにも明るく笑って入り口に歩いてくる母がいた。
そんな母がいて、 ご飯を食べてもテレビを見ても、シャワーを浴びても布団に入る時も楽しく感じていた。

明るく笑う母の状態。
親の状態とはそういうものなのか。
人といて安心。
人と一緒にいて楽しい。
何かを一緒にやってではなく、安心と楽しさのベースの関係。

そんな人になりたいと夢が出てきた。
親のような心の人。
共にいる人たちが安心してのびのび暮らせるような、そういうベースになる人。
今回の内観で
"人と人の間に何があるのだろうか"という観点が生まれてきた。
人と人の間にある実際に焦点を当てて、大切にしていきたい。(30代女性)
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