見たこと・聞いたこと・感じたことは、実際のことなのかな?
日常の暮らしの中で、何かを見る時・聞く時・感じる時、自分の中では実際どんな事をしているのだろうか?見た・聞いた・思った、知った、どうなっているの?
「やることがある」と言ったり、「相手がそう言った」となっていたり、「あの人は怖い」と感じたり、普段、自分の認識が自分の行動に与える大きさを考えたことがありますか?
みんなでいろいろな事例を出し合って調べて行くと、今までは「自分が見たこと・聞いたこと・感じたこと」が実際の事になっていたけど、実は全部自分の頭の中のことだったのかと、目から鱗が落ちる思い・・
自覚ある状態へ一歩進んでいく探究機会です。
9月5日~の「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部ですが紹介します。
相手がそう言った
私がそう聞いた
何故そこが逆になるのか?
そこが本当にどうなっているのか。
何かに反応して悪感情が出たのを捉えた場面を見ようとしてもどうにもならない感じがした。
ただ「これがあったからこうなった」と繰り返し事実化を続けていくだけかな。
重要なのは「本当にどうなっているのか」と止まることなく見ていくこと。
悪感情や反応の内容よりも先ず仕組み自体を知ること。
一つ一つのテーマが違う角度からそこを追求していくように感じた。
そして何故人間らしくなくなってしまうのか、何故実際に関心が向かなくなるのか、何故知ったつもりになるのかというのもいつも問われるような感じだった。(男性20代)
.
.
.
明るく楽しい探求、一本道への旅
人間の感覚、認識のからくり
見て、聞いて、自分のデーターベースからそれを捉える。意味付けする。その捉えたものに反応する。
そういうのが知識だけじゃなくて、本当に得心したのか、どうか。
どこまで実になっているか。
先ずは、知らない自分を知るからかなあ
できない。そんなこと言えない。これはやめられない。
自分でできないこととして、自分を制御していたこと。
本当にどうしたいかが出てくる前に、それを見えなくしている考え。
そうなっている。
従うしかない、自分の外に実在しているかのようになっていること。
そこからは想像が働かない。
狭い選択肢の中での窮屈な人生。
自分を知る 人間の考えを知る
自分という人間を題材にして、人間の考えとはどういうものかと、たんたんと知っていく。
みんなの中で、探究していく。
留まることなく、流れていく中で、どういうことかな…どうなっているのかな…
知るの体験。
盛り沢山の一週間
ゆっくり、じっくり、地道に、みんなと…
明るく楽しい一本道への旅だったような。(女性40代)
人間の考えであることを、本当に知ると?
「人間の考えを知る」とは?
問いが生まれる...知りたくなる
調べたくなる そういう状態があって始まるかな
私は何を知っているの?と、問うてみる。
知っている なんて言えることがあるだろうか?
知るとは?
知る と 知っている の違いは?
違いを知る。 知っている となっている状態に気がつく。
ずーっと自分の頭の中のこと、どこがどうなっているのかを角度を変えながら 繰り返し調べてきたように思う。
観察の方に関心が向くのと、考えの方でグルグルするのと、全然違うんだな。
捉える前の、捉えている段階に意識を向ける感じがした。
人って、何かしら捉えて表現することができるみたいだ。
感覚を通して、あるものからなにかキャッチして、それに意味を付け加えながら捉えて、それを表現したり人に伝えようとしたり、共有しようとしたりする。
言語化するのも、持っているものの中からその時の現れ方をしている。
自分の中にある情報だけで意味付けして捉えただけ。
自分で意味付けして捉えたものに対して反応したり感情が湧いたり、捉えたことを事実がそうだと思い込んだり、固定をしながら、人や物事をみている。
自信を持っていることに気付いて、その根拠をひとつひとつ調べていく。
ほんとには事実化も固定も、知った・わかった と結論づけることも、できない。
できないことを知らないで、知っている、知りたい、知ろう、知らない、知れない、としているのかな。
感覚や感じ方も考え方も人それぞれだからね、生きてきた背景や受けてきたものもそれぞれ、あなたはそう思うのかぁ、これは私の思ったことだし、実際はわからない、そうじゃないかもしれない、本当はどうなんだろう?
などなど、普通に思っていそう。
そういう時、状態はどうだろうか?
本当に自覚がある状態だと、どうだろうか?
どこがどう違うのかな?
表面化したものやその前に起こっている反応を捉えられたり、自分がどう捉えているかを観ていくことも大事かな、と思ったけど、人それぞれの感覚や意味付けによって捉えるということをしている、ということを知るのが先にあるかないかで、状態が違うとも言えるのかな と思った。
ほんとの人としての成長があって、前提のないところから湧いてくるその人らしさ、そっちを実現したいかな。
表面的な思いや気持ちを大事にしていてもならないだろうな。
いろいろ感じたことを表現したくなるけど、何を言っても要は元がどうなっているか、か?
見て、聞いて、感じて、捉えたもの、いくら自分にはそうとしか思えないとしても、それがどこにあるものか。
どうなってるのかを知る。
やろうやろう、成ろう成ろう、で成っていくわけでもなく、成るように成っていくだけ、その方向に向かっていけるかどうかは観察の仕方もありそうだな。
体験を重ねて身に付けていくしかないかな。お互いに。
人間の考えであることを 本当に知ると どうなると思う?
考え方が変わるんじゃないかな?
漠然と、だったけど やっぱしそんな感じがしてきた。
捉え方が変わって、考え方、現れるもの、変わるんじゃないかな。
シンプル。
いろいろ思わない。
思ったまんま。
出てきたまんま。
シュッといく。(女性30代)
「人間の考えを知る」とは?
問いが生まれる...知りたくなる
調べたくなる そういう状態があって始まるかな
私は何を知っているの?と、問うてみる。
知っている なんて言えることがあるだろうか?
知るとは?
知る と 知っている の違いは?
違いを知る。 知っている となっている状態に気がつく。
ずーっと自分の頭の中のこと、どこがどうなっているのかを角度を変えながら 繰り返し調べてきたように思う。
観察の方に関心が向くのと、考えの方でグルグルするのと、全然違うんだな。
捉える前の、捉えている段階に意識を向ける感じがした。
人って、何かしら捉えて表現することができるみたいだ。
感覚を通して、あるものからなにかキャッチして、それに意味を付け加えながら捉えて、それを表現したり人に伝えようとしたり、共有しようとしたりする。
言語化するのも、持っているものの中からその時の現れ方をしている。
自分の中にある情報だけで意味付けして捉えただけ。
自分で意味付けして捉えたものに対して反応したり感情が湧いたり、捉えたことを事実がそうだと思い込んだり、固定をしながら、人や物事をみている。
自信を持っていることに気付いて、その根拠をひとつひとつ調べていく。
ほんとには事実化も固定も、知った・わかった と結論づけることも、できない。
できないことを知らないで、知っている、知りたい、知ろう、知らない、知れない、としているのかな。
感覚や感じ方も考え方も人それぞれだからね、生きてきた背景や受けてきたものもそれぞれ、あなたはそう思うのかぁ、これは私の思ったことだし、実際はわからない、そうじゃないかもしれない、本当はどうなんだろう?
などなど、普通に思っていそう。
そういう時、状態はどうだろうか?
本当に自覚がある状態だと、どうだろうか?
どこがどう違うのかな?
表面化したものやその前に起こっている反応を捉えられたり、自分がどう捉えているかを観ていくことも大事かな、と思ったけど、人それぞれの感覚や意味付けによって捉えるということをしている、ということを知るのが先にあるかないかで、状態が違うとも言えるのかな と思った。
ほんとの人としての成長があって、前提のないところから湧いてくるその人らしさ、そっちを実現したいかな。
表面的な思いや気持ちを大事にしていてもならないだろうな。
いろいろ感じたことを表現したくなるけど、何を言っても要は元がどうなっているか、か?
見て、聞いて、感じて、捉えたもの、いくら自分にはそうとしか思えないとしても、それがどこにあるものか。
どうなってるのかを知る。
やろうやろう、成ろう成ろう、で成っていくわけでもなく、成るように成っていくだけ、その方向に向かっていけるかどうかは観察の仕方もありそうだな。
体験を重ねて身に付けていくしかないかな。お互いに。
人間の考えであることを 本当に知ると どうなると思う?
考え方が変わるんじゃないかな?
漠然と、だったけど やっぱしそんな感じがしてきた。
捉え方が変わって、考え方、現れるもの、変わるんじゃないかな。
シンプル。
いろいろ思わない。
思ったまんま。
出てきたまんま。
シュッといく。(女性30代)
自分を知るためのコース | - |