規則や罰則は何のためにあるのか。一見すると,社会の秩序を維持し,人の自由や権利を守るためにそれらは存在するようにも思える。
しかしその原理は,違反したら罰を与えるという「恐怖」によって人をコントロールする仕組みのようにも思える。
ちょっとした手違いや間違い,作為などによって問題が起こると,更にそれを規制する規則や罰則が増える。
これでは自由になるどころか,規則や罰則に人が縛られ不自由になる。
また,他人や社会を責めるというのはどういうことか。
自分の考えや信念のようなものに,こうすべきというのがあり,それと違うことが起こると,他人を攻撃するがごとく責め立てる。
他人が自由にしているのも,許せない感情をもって責めることも多い。
この時の心理は,何か自分が侵されたことに対する防衛反応,あるいは不利益を受けたことに対する攻撃のような気もする。
責めた後は,責められた人も,責めた人も後味が悪い。
これでは良質な人間関係など望めない。
権利や義務といった意識も,「不自由」を作っているようだ。
権利や義務をかざして,他人にやらせる,やめさせる。
人ばかりか,社会に対してもそれを主張して,社会に強いて,社会も縛る。
さらに,人によっては,権利を主張しないとその権利が侵されるかの如く,権利確保・拡大のために猛進していく姿勢も見受けられる。
これは,社会がよくなってほしいという願いもあるかもしれないが,一種の不安による意識,行動の一つの現れであろう。
これではどんどんがんじがらめになって,人間関係も,社会もどんどん窮屈になっていく。
このように,現状の社会に生きる私たちは,罰がないと悪いことが起こる,自由を認めたら社会が混乱する,権利を主張しないと体制に飲み込まれる,義務をしっかりと果たされなければ社会秩序が崩壊するといった社会観に支配されているように思える。
これでは,現在の社会は恐怖と不安の巨大プールのようで,私たちはその中から這い出すこともできず,溺れないように必死になって浮かぼうとして,責めたり攻撃したりしている哀れな存在に思えてくる。
自由な暮らしを創る、自由な社会を探ってみると!
しかし,このような社会観は,私たちが生まれたばかりの時から身についたものなのだろうか。否,元々なかったものが,社会で生きているうちにしみ込んだものに違いない。
それでは,実際の社会はどうだろう。
生まれたばかりの時は,権利や義務も,責めるも縛るも,不安も恐れもなかったはずだ。
それが人間本来の姿であろう。
つまり,生まれたときの状態=自由である状態が人間本来のあり様であり,それをベースに営まれる社会が実際の姿なのである。
そうすると,これまで染みついたものを落し,人も社会もいかに本来の姿を取り戻していくのか,ということがこれからの真に自由な社会を創るためのポイントとなるのではないだろうか。
それでは自由がある状態とは,どのような状態なのだろうか。
「しなければいけないがない」,「してはいけないがない」といった状態であろうか。
また,「やりたいときに,やりたいだけ」というと,自分の意思をもって自由にしている状態と言えるかもしれない。
つまり,何からも縛られず,服従もせず,赤子のように意のままにいられる状態を示しているのではないだろうか。
これは人ばかりではなく,社会も同様である。
このような,ある意味,無重力空間に人も社会もあったら,権利や義務も,責めるも縛るも,不安も恐れもあり得ない。
これほどの楽があるだろうか。
これを知ったら,自由がなく,何かに服従しているような不自由な状態には,もう戻れなくなる。
このように,自由意志を基盤とした人と社会の中で生きていったら,人はどうなるのだろうか。
すべてが自由だとストレスが生じない。
その分,自分の好きなこと,得意なことに集中できる。
また,社会からも,お互いからも自由が縛られずに,その人がその人として尊重されるため,人の内面も重視され,人の要求も満たされるのではないか。
次の社会はこのような人々が織りなし,豊かに広がっていくことだろう。
最後に,これまで,縛られずに自由に生きていきたいと思っていた自分は,自分を縛るものは自分の外にあるとずっと思っていた。
日常は,仕事も付き合いもあって縛られる。
だから,非日常を求めて旅行に行くとか,日本の日常は縛りが多くて疲れるから,海外で自由に暮らしたい,の如く。
しかし,ここにまできて気がついたのは,
本来の社会には縛りも,不自由もない。
自分を縛っているように感じているものは,単に現状の社会の影響を受けて自分で創り出してきていたということだ。
そうなると,自由を獲得するためには,不自由としている既存の社会そのものを変えるのではなく,不自由を創り出してきた自分の意識に働きかけをして,それを解放することから始めればよいということだ。
本来の人や社会を知ることで,それは容易に叶うこともこのコースで学んだ。
次の社会へトランジットするきっかけは,自分の中にあり,簡単に始められるということになる。(50代男性)
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