認識のメカニズムを科学して、自分自身を知っていく。

見たり、聞いたりが頭の中でどのように認識され、収まっているのだろうか?
認識の実際を観ることなく、認識されたものを固定したり、実際のことにしていませんか?
そして、それに自分自身が縛られていることはありませんか?
自由を求めながらも、自分自身を縛ってしまう認識のメカニズムを知ると、縛りが解けて無くなっていきます。
自身の縛りからの解放が、相手を縛ることを無くしていきます。
自分を知ることは、人と仲良く暮らすことが出来る人に変わっていく出発になります。
9月1日からの「自分を知るためのコース」参加者の感想を紹介します。
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◆反応を捉え、自身を縛る独自回路を紐解いていく!

「何に反応しているのか?」を丁寧に見る。
「反応とは?」から取り組んで時間は掛かったが、一つ一つ反応を見て行く感じが掴めてきて。
そして”感情に振り回されるってどんな感じ?”という絶妙な問いかけに
私の中で開いていく感じがした。
気づきの花が咲くとでも表現しようか。

感情に振り回されていて、グシャグシャになっていた毛糸の玉を丁寧に観察してほぐして行く。
そこに見えたのは”独自の回路”による”こうあるべきだ!”みたいな。

自分の中で何がどうなっているのか、独自の回路パターンみたいなものを認識するだけでも、随分変わってくる気がする。

自分は本当に何がしたいのか?
どうありたいのか?と問うてみたい。(女性50代)
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◆悪感情が湧く独自回路から、理にかなった実際の世界へ向かう!

事実・実際を知る、ってどういうことだろう。

自分が膨大とも言える刺激の中から、選び取り、自分独自の回路を通して認識をする。
そして知識・経験・記憶として残る。
それがまた自分独自の回路に組み込まれていく。

自分なりに捉えたものでしかないんだ、事実・実際ではないんだな。
自分は本当に知らないんだな。

自分が、そう見ているだけなんだ、自分が、そんな風に聞いただけなんだ。
自分が、見たのはなに? 自分は、どのように聞いた?

自分が、本当に何も知らないんだな、っていう自覚、そして知っていきたい気持ち。

本当に、深く知りたい、もっと本質に近づきたい。

感情に振り回される中で湧いてくる感情は、本来の自分じゃない、って感じなのかな?

悪感情や対立的な感情でなくても、事実・実際を観ようとする、知的な、知性的な営みでなかったら、いくら思考をしていても、自分本来のもの、人間の本質的なところからかけ離れたものしか出てこない?(男性30代)

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◆悪感情に振り回されない人へと、本来の人の成長へ向かう!

悪感情が湧くメカニズムを知りたい気持ちが強かった。
これでわかったとはとても言えないが、自分の中には「独自の回路」があって、見たこと聞いたことを、その回路を通って意味付けするというか、「捉える」。
これが既に反応で、さらにそこから感情が反応する。
「独自の回路」の中身は外からは伺い知れない。
だからその回路の前後つまり、どのように見たか、聞いたか、そして反応したかを観察して、その中身を推測するしかない。(男性60代)
自分を知るためのコース | - |

自分自身の観察から、気づきを通して、気持ちや心を知っていく!

自分の行動や思考・感情などを、ゆっくり自己観察していくと、自分自身の成り立ちが見えてきます。
あらゆるものとの関連を知ることで、心豊かな自分になっていく。
それは……。
思い込みや決め付けから解放されて自由に生きることになります。
人間らしさを発揮し、知的に幸福を生きていくスタートに立ちます。
7月7日から、サイエンズスクールの「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を紹介します。


img1231_NCM_1842.jpg◆「どうしたいのか?」自分も相手も、気持ちに焦点があたった暮らしへ!

コース中、安心した、安定した満たされたような心と体の状態で過ごした。

周りの人と、生き生きと暮らせるようになりたいという願いを持ってはいるけど、まずは自分だ。
自分を知りたい、人間を知りたい、精神面が健康な状態でありたい、人間らしくなりたい、とてもそう思ってる。

やらなきゃいけないこと、やってはいけないこと。
そこには、自分が本当はどうしたいのか、を考える余地は一切ない。

義務化している捉え方を、実際に起こっていることではないことに気づき、やってもいいし、やらなくてもいい、という状況に立って初めて、自分がどうしたいのかという気持ちを冷静に見ることが出来る。

本当は、自分がどうしたいのか、相手はどうしたいのか、その気持ちを一番大切にしていきたい。(女性20代)
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◆自分を縛る記憶に気づき⇒ 幸せに自由に生きる!⇒ 事実の世界へ!

私はなぜコースに来たのか。
自分を知りたい。
もっと幸せで自由に生きたい。
しかし、どんなことが自由なのか、幸せなのかよく分からない。
それを知って実現するにはどうしたらいいんだろう。

事実はどうなのか知りたいという気持ちなら、誰もが持ってるようだ。
ただ、事実でないことを事実となっていると、事実に合った人生が実現しないらしい。
私の場合、記憶に関する執着。
誰か言った言葉やその文字を憶えて-> 「そんなことがあった。 」に.、なかなか譲歩しない、自信(固執)が出る。

記憶がどんなものなのか、聞いたのと見たものがどんなものなのか、感覚がどんな特徴と性質があるのだろう。

人をその人自体として、今ここ私の目の前に私に話しかけている存在より、記憶通りの人だとする。
記憶をみていることを知らない。
私の人間関係に影響している。
今はこんな感じか。

私がいる。私は生きている。
感覚を働かせて生きる、考えを使って生きる、 感覚と考えとはそれなりの特徴,構造がある。
私は、感情や、気持ち、考え,、判断/記憶、経験、価値観/見たこと、聞いたこと、触ったこと,、認識に住んでいない。
私は事実の世界に住んでいる。
実際の世界にあるとは、知りたいけど、ゆっくり。(女性30代)
自分を知るためのコース | - |

実際に則して検べ、本質に迫ることの体験で、誤認からの解放!

私たちは外の世界を感覚器官を通して脳が認識しているのですが、そこにある盲点を知らないため、脳の誤認に振り回されているかもしれません。
それは、高性能な脳のなせる業なのか? 
固定した考えで作られた社会の影響によるものなのか?
誤認に気づかずに暮らす社会の中でも、素直に、正常な感覚で暮らすには、固定した「考え」からの解放が不可欠です。
場を持ち、人と共に調べてみると、本質が迫ってきます。
5月19日から開催された「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。
15062.jpg          (畑公園の紫陽花)
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◆実際を捉えているという感覚の、実際は?         

人間は実際を捉えようとして感覚器官をもった、(もっている)ここにハッとした。
ふだん感覚器官を通っていると認識はしないが、ここを自覚している状態と、実際をみてるとなってしまって(事実化)自覚を忘れている状態とありそうだ。
脳の高性能がゆえなのか?
小さい時からの周囲(周りの人や社会)の影響が大きいかな。

人間は実際をみようとすること(推測したり)はできるけど、あくまで、実際がわかるなんてことはない。
事実になりようがないものを事実にしてしまう、約束をした、その人来ない。なんで来ないんだ!!約束したやろーーー!来ない、おかしい!ドライアー動かへん!おかしい!
おかしいのはどこやね~ん
ないもんがみえんか~い!真剣に、ないものみえてます、えーはい、どうも。

自由な自然な人間で知性が働き、柔軟な人と人が・・・そんな社会はどんなだろう。
力まず人と共にそう成り合いたい。気づき合いながら。。
とてもおもしろかった。(女性30代))
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◆「感覚」・「認識」・「考え」・「知っている」の実際を探る!

今回見てきたような「人間の考え」とは? という認識なくつくられてきた社会の中で、自然と身につけてきた感覚と認識のとらえ方を、「どうなっているのかな?」とゼロから見直す機会。
貴重な探究の時間だった。

「知る」と「知っている」の違いは何か?
と考えた時に、本来の人間は「素直に知ろうとする性質があるのではないか?」ということが出てきた。
「人間の考え」が悪いのではなく、使い方やそもそもそれがどういうものかを知らない現状なのだなと思う。

考えによって決めつけや固定のある人や社会は窮屈だなと思う。
考えを知り、うまく使って、生き生き自由な人や社会の中で生きたい。(男性40代)
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◆人間の考えを、信じている状態から、楽しく生きる世界へ解放!

一週間やってみて、「人間の考え」というものが、ますます気になってきたように思います。
「人間の考え」とは。
どういうものなんだろう、どうなっているのだろう?
自分の頭の中では、どうなっているのだろう?
どんなふうに使っているのだろう?

〇〇を信じている、それは何を信じているのだろう?
頭の中の「考え」を信じている、そう考えている「考え」を信じているようです。
信じるとは?
考えていることが事実だとしている、正しいことだと(?)動かしようのないものだとしている。
「考え」というものを知らない、「そうしなければならない」があると思い込んでいる。
疑いようもなく、ある、と思っている。
そして、それに合わせて動こうとして動いている。
それが、どういうことなのか、どうなるのか、を知らない。
人間とは、こういうものだと信じ込んでいる。

それが、どういうことになっているのか、なってしまうのか?
それで、本当に楽しく生きてゆけるのか?
人間を知り、人間の考えを知って、生きてゆくしかないのでは。
自分は、どうするのか、どうしたいのか、自分を見てゆけたらいいなと思います。(男性60代)
20190604_051422.jpg          (第二研修所に咲く花)
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認識のメカニズムを知り、自分を知り、誤認からの開放を!


人間は、誰しも生まれてから人として、成長していきます。
肉体の成長は見えやすく、部分的な強化も図られるくらい研究も進んでいます。
では、人の精神面の成長は、どこまで研究が進んでいるのでしょうか?
こころの成長に焦点を当てた研究やその実際は・・?

人の心の本質の解明や理解が進んだ分だけ、その人の精神面に現れてくるでしょう。理解を進める機会によって、こころの育ちに変化が現れてきます。
こころの本質を、自分自身を、「知る」ことの進み具合によって、それは、社会の成長として現れ、繋がっていきます。
サイエンズスクール開催の「自分を知るためのコース」(4月28日~)に参加した人の感想を紹介します。
20190501_114356-300.jpg◆普段の自分の感覚や考え! 実態をよく見ると!

「理想について考える前に、人間の考えについて知ることが大切」という話の意味や重要性がつかめたように思う。

事実・実際を五感を通じて把握するが、それは記憶をベースにした自分独自のもの。
事実・実際そのものとは異なり、かつその一部に過ぎない。

カレーを食べ終わりお鍋を洗おうとすると、おいしい食べものから、落とすのが難しい汚れに変わってしまう。
寒い時には寒さから身を守ってくれてありがたく感じるが、暖かくなるとその存在自体が暑苦しく感じられ、邪魔ものに見えてしまう。

「○○さんは相手を責める発言をしている」…断定に聞こえ、きつい感じ。
→「○○さんは相手を責めるように聞こえる」…謙虚で、自分もホッとする感じ。(男性40代)
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◆感覚器官の受け取りは? 認識の構造は?

まずは、感覚について探求しました。
感覚が自分の前に広がる世界を知る調査ツールであることを思い知らされました。
感覚が、自分の世界を作り上げる道具のようなものなのだろうか。
感覚は、実際あるだろう世界を味わう最高の道具であるとも思えました。
この素材をいかに調理して味わうか。

これまでは、こんなものだろうと思っていた世界が、広がりまた味わい深く感じられました。
そして、この感覚を用いて感じ得た世界が自分の認識や概念を作っていくようです。
この認識が自分の世界を構築していくのでしょう。
この世界は、人間の考え・認識が作り出しているのです。
感覚の旅は続いていきます。

自分が安心できる状況を作るために、感覚を用いて固定概念を作り出していきます。
ただ、これは自分を守るものでもありますが、自分をその世界に閉じ込め苦しめる元にもなっているようです。
そうやって観念を事実のように扱い、世界を批判し、生きづらい世の中を自分で作り上げていくのです。

理解してもらいたいという気持ちをそのまま表現し、目の前の人に正面から向き合う、すなわち直面することが私にとっては素直な行動なのだろうと思います。
私の本来の願いは、お互いが向き合って素直な気持ちを出し合える関係を作っていくことなのかなと今は感じています。(男性30代)img26_s-PIC_4183.jpg◆研究の面白さ! 知ることの面白さ! 人の面白さ!

面白かったな。
このコース初参加の人が半分で、初めて出会うテーマから思考し、自分を見て出して、また思考し、自分を見て・・・を連続していく中で、その人が変わっていく。

その人の味がこぼれるような瞬間に出会い、また私も生身の自分でテーマと向き合い、
一緒に探究していくのが何とも言えない感じ。
嬉しいというのか、力がみなぎるような、誰にでも通ずる、サイエンズメソッド、すげーとも思った。

見るとは? 聞くとは?
自分の脳の中で起こってるであろうというのをじっくり観察しながら、また日常の自分がどうなっているのか見ながら、思わぬところで直面するテーマもあり、また差し迫るような感覚、次の社会に向けて阻む心の状態も見つけた感じです。

実際の方に目を向けてみると、それぞれの個性や見えてる世界があり、特徴があるようで、それが発揮すると、また、どんな社会が現れてくるのか楽しみになりました。
自信のない人
健康な状態、どこまでも知ろうとする働き、柔軟、誰とでもどんな意見でも話し合える状態

「柔軟で自由活発な知性と温和な心」育てていきたいな。
また一から、スタートしたい(女性30代)img15642_s-DSCF4288.jpg
自分を知るためのコース | - |

不安や警戒心の元、固定した「考え」を知る探究を!

人に対して不愉快な感情が出てくるのは何故でしょう?
人に対する警戒心からかもしれません。
自分自身を観察していくと、自身の育ちの中で不安や恐怖の体験から警戒心を身につけ、自分を守ろうとしてきた実態が見えてきます。
観察によって、そんな自分自身が見えはじめると、自分の不自然さに気づきいてきす。
そして、安心できる環境、満足しながら暮らせる環境、本来の育ちの環境づくりへ、そうしたい気持ちが自然と湧いてきます。
健康な暮らしは、「自分を知る」ことからのスタートです。
3月24日からサイエンズスクールで開催された、「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。


20190403_170543-300.jpg◆不安や警戒心が、身を守る考えをつくり、自分自身を縛っている!

自分の中で見えてきたこと
★「嫌い」について
この間、「この人嫌い!」って思うことが何度かあった。
どうなっているのだろう?
「この人、私を受け容れてない」と思う時に、「この人嫌い」が出てくる。
その人が怖くなる、邪魔になる。
なんで怖いんだ?なんで邪魔になるんだ?
“自信のある考え”をやっていて「人に認められることが安心」という考えが見えてきた。
私を受け容れない人は、その安心が脅かされるように感じてしまうんだ。
その人は私の安心を脅かす、私の安心を守ろうとして「嫌い!」と反応する。
「嫌い」は、不安、恐怖からきている。
そしてその不安は、「人に認められることが安心」としている私の“信じている考え”が生み出している。
「不安」「嫌い」がどうなっているか、少し明らかになった。

★「できない」について
自分の考えで自分を縛っている。
「あなた嫌い!と面と向かって言えない、できない」
実際は言うことも言わない事も出来るけど、「それはしちゃいけない、絶対してはいけない」という考えが自分を縛る。(50代女性)


◆人間の考えで“できない”と決めている窮屈な自分、固定~の解放を!

5日目、“自信のある考えについて”がその夜の宿題テーマで、その日までは“できない”の固定が強かったけれど、やってもいいし、やらなくてもいいとなった時に出来ないという自信が揺らぎ、決めたことに随分頼っていることに気付く。
少し不安を持ったけれど、縛られていた・縛っていたものから解放されるような感覚を持った。
その頼っていたことが“人間の考えだ”と知ると、ねばならないが無くなり、人間の考えに囚われずに、実際・事実をそのまま見て、知って受け止められると思った。
そうするとただそのひとのどうしたいかの気持ちが元から出てくるのだ、と頭の理解でなく底のほうから出てきた感覚だった。(40代女性)
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◆「消し忘れ」というフィクッションを、事実にしている「考え」とは?

~実際はどうかに関心があるだろうか~
家のリビングのテーブルの下に、足元を温めるための小さな電気ストーブが置いてある。
ある日夜中に目が覚めて、リビングを通ったらストーブが点いていた。
それを見て「あ、消し忘れている」「私は消したから、息子が使ってそのまま点けっぱなしにした」と思い、一言、言いたくなって、
朝、「ストーブ点けっぱなしになってたよ、気をつけてね」と息子に言った。
すると息子は「ウニ(飼っている猫)がストーブの前に座っていたから点けておいた」と答えた。
それを聞いて「私の勘違いだったんだ、息子は優しいなあ」と思った。

このことを人に話す時、「私がストーブ点けっぱなし、消し忘れだと見たけれど
実際は息子が猫のために点けてあったんだよ」というふうに(実際)という言葉を使っていた。
ここでいう実際は、ストーブの実際、息子の実際、そして私の実際もある。
ストーブとしているものの実際は、言葉で表現するとしたら、
「消しても消さなくてもいい」というようなものだろうか。
ストーブは点けてあってもいいし、消してもいい。
それに対して私は、「電気は使ってなかったら消した方がいい」という考えを
、自分の考えだという自覚がなく、暗がりに赤くなっている様子を見て、
「消し忘れ」という事実を作り出していた。
そして、息子は消し忘れたのではなく、あえて点けていたのだ。
そしてその時の私の実際は、一人で解釈して一人で「節電しなくちゃ」「一言言わなくちゃ」とバタバタ動いている。(60代女性)
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阻害しているものを知って、自ら快適に生きていく!

快適に生きる・・・人の中でこそやれることだと思いますが・・・日常の暮らしを本当に快適に暮らしている人はどれだけいるでしょうか?
誰にとっても、望む生活が営まれることが本来の姿だと思います。

やりなさい(攻める)、やめなさい(守る)が無く、いつでもどこでも話し合いがあり理解し合うお互いで、一人ひとりの希望が反映される暮らしを・・・!

「快適に生きる」は、「自分自身の実際」を理解することから始まります。
サイエンズスクールで開催されている「自分を知るためのコース」は、そんな自分自身の中にダイブしていきます。1月20日から開催された参加者の感想を紹介します。



◆「自分の中身がどうなっているだろうか?」
自分の中で終始この問いから始まったように思っている。

相手や事柄に反応しているのではなく、自分がそれをどう見て、どう聞いて、捉えたのか?
何を思い、なにを考えたのか。
常に“自分”が視点だと思う。
自分だけでは今の自分が当たり前になりすぎて自分の状態に気づきにくかったりする。

反応しやすい人の近くにいるというのは実はとても有難いことだった。
「人間の考え」というのがどこからなのか、まだハッキリしていない感じだ。
「“人間の考え”を知っていく」というのも大きいと思う。

自分が今どうたったのか?という視点で話す場面が増えてきていたと思う。
自分の中でグルグル(負の連鎖)の中に飲み込まれても、そういう角度から話すと抜け出せていたように思う。

「自分の中でどうなっていたのか?どうしたいのか?」
そんな自覚し合うお互いから、これからの暮らしも始めてみたいと思っている。(30代女性)
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◆みんなの中で探究してみると、あれ?・・? わらけてくるわ!

自分の中で当たり前になっている事は、そうしている事にもなかなか気付けそうにないし、同じ思考回路で1人でグルグルする感じ。

探究会だったら自分が思ったことを言葉にして出す中で新しくまた何か思いが出てきたり、誰かが言った一言で、「あれ?今のどういうこと?」とまた違う頭を使いだす感じがある。
そうやって少しずつ自分の状態に気付いていくのかな。

日常生活の中でわりと大きな反応が出たなあという例を調べた時に、瞬間的に出たものは「は?」という言葉やイラっとする気持ちなのだけど、そういう反応が出るまでに自分の中で色々起きているんだなあと思った。

自分でも笑えるほど被害妄想的なのでここには書かないけど、その時は本気でそう思っているし、自分の中でそれが起こっていることには気付かないんだよね。
相手の気持ちも分かっているので(分かったつもり)、相手には全く関心が向かないし(20代女性)
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健康な頭の働きへ ⇐ 「自分の頭の中の認識である」という自覚から

腹が立ったり、ムカっとしたり、イライラすることはありませんか?
自分がそうしたいわけでもないのに、止められずに自分の感情に振り回されてしまうことはないでしょうか?
仲良くしたい家族の中でも、つい怒ってしまったり… どうして、そうなってしまうのでしょう?
これらは、「自覚」のないことで作られている、自分自身の認識のなせる技なのです。
自分の中に無意識のうちに作られて来た常識を調べ、知り、囚われから解放されること――。そんな自分自身を「知る」ことが「自覚」への第一歩です。
サイエンズスクールで開催されている「自分を知るためのコース」は、そんな自分に踏み出していきます。12月28日から開催された参加者の感想を紹介します。

gull-1090835__340-500.jpg◆「自覚」が、観念上のやり取りから、事実や実際のやり取りへの出発に!

夕食にチキンカツを食べた時に「柔らかい!」とちょっと嬉し驚くような場面があった。
それも何に反応してるかというと、チキンカツにではなく、自分の中のチキンカツというイメージとのギャップに反応してるようだった。
チキンカツのイメージも、〇〇〇〇でよく食べるやつがイメージとして自分の中に形成されてるようだった。
改めて一場面一場面見ていく中で、自分が反応しているのは自分の中のものだなというを思えた。

自分の考えであることの自覚ということを、様々な角度から調べていってみて、言い換えると考えを考えとして扱ってる状態かなというのを思った。
何も難しいことでもなく、考えを考えとしているというシンプルなことだなと思えた。
人間は観念動物とも言えるかな。
事実をやりとりしてる訳ではなく、自分の観念上のことをお互いやり取りしてるというのが実際の姿のように思う。(20代男性)
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◆常に移り行く実際の世界、認識の実際を「知る」とは?

事実は瞬時に移り変わっていく・・・
過去の事実はもうどこにも存在していなくて、事実を確かめることは出来ない。
あるのは感覚器官を通した自分の認識であり、事実ではない。

あの日の事実実際を記憶の中で再現し、あの怒ったAさんの顔や仕草に焦点をあててみた。
事の成り行きを冷静にとらえてみると相手に、関心が湧き、Aさんの気持ちに寄り添う気持ちになってきた。
心が軽やかになって、溶けるってこの感覚だ!

自分が自分なりに捉えているとの認識がなく、
不要な負荷をかけ、心を重くしていた。
自分の中のことであるという自覚(60代女性)
自分を知るためのコース | - |

自由なる心境は、自分を知ることからの始まり!

「自由に生きたい」、これは誰にでもある本能的欲求ではないでしょうか?
教わりながら、または無自覚に身に付いた「こうするもの」「しなければならない」と観念づいた考えが、自らの行動を縛っていないだろうか?

軽く明るいこころ、主体的に、自由に生きられる人と社会の始まりは、「自分を知る」ところから!
12月9日から開催されたサイエンズスクールの「自分を知るためのコース」に参加した人の感想を一部紹介します。

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◆素直に生きる
最近、素直にやりたい、素直に生きたいと思うが、私は無意識に自分の考えに素直にやろうとしているのではないか? という問いが出て来た。
素直とは、実際に素直というか理に沿って素直な状態ではないのかな?
知性が働く、知るには自覚のある状態が不可欠ではないのかなと思いコースに参加しました。(60代女性)

◆事実・実際にしているものと理想との関係は!
自分が思ったことを事実だとした状態で。
私は長い間、事実、人間は地球を壊す存在 だとしていた。
けど、そうしていたのは自分だったなんて、拍子抜け。
でも、同時に軽くもなった。
海にゴミが…。学校教育が…。戦争が…。と問題とされている内容の話を聞くと、自分の中の“これは問題だ。” “おかしいだろ!” と捉えているものがあぶり出されるような感覚になる。
その時は、感情が揺さぶられるし、また前みたいに怒りや恐怖に囚われるのは嫌というのが出てくる。
でもたまに、そんなのおかしい。 なんとかしたい。 と、自分が捉えたことを事実として、善い悪いで裁いて、それに沿った行動をしようとする。
そんな状態の時は、何かをしたとしても、理想の方向には行かない気がする。(20代女性)

◆主体的に生きるとは!
今回、一番印象に残ったのは、人間の考えであることの自覚と観念の事実化が正反対の場所にあるんだな。
ということが、中から湧くようにというか、天から降ってくるようにというか、スーッと自分に入ってきた感覚だったこと。

自分の感覚で捉えたことが事実化の方へ向かって行き、固定された状態になっていくのか、それとも、なぜだろう? どういうことだろう? という感じで実際を知る方へ向かって行くのか。
その分岐点が日常のそこかしこに沢山あって、それを見逃してしまっていることがあるんだろうなぁ。と思う。

今までの習慣や一般の常識から、捉えたことを事実化していき、そこにまた事実化したモノを積み上げていくとあっという間にそれが事実になってしまう。
自分の中で。
そこの分岐点をつぶさに捉えて、本当はどうだろう?と観て調べていきたい。
それから、主体的に生きれているかということかな。と思う。(40代男性)
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自分を知るためのコース | - |

固定した考えで、自分や人を縛っていないだろうか?

人間の人間らしさは、知性の働きと心の働きから、現れるのではないだろうか?
人間の頭脳が作り出したフィックション(貨幣 時間 国境など)を共有することで、合理的な便利な暮らしを手に入れた。
が、自分で、作りだしたフィックション(貨幣 時間 国境など)で自分自身を縛ったり、お互いを縛り合う窮屈な暮らしになっていないだうか?
ゼロからの探究によって、縛り合う社会から、自発的で、自由な社会への道が、「自分の考え、自分の感覚であるという自覚」から始まる事が観えてくる。
9月2日~のサイエンズスクールの「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。
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人間の考えを知る → 「自覚と主体性」
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ブラジルや韓国、鈴鹿・八ヶ岳から集まったメンバーで、何を言ってもいい安心の中でかっこつけないでリラックスして出せたような気がします。

長女が濡れたバスタオルを丸めてあちこちに置きっぱなしにするのを見て、「もう!また!」と思うなぁ。
「感覚がちがうのね」では済まない感じ、大きい家、古い家、かわいい赤ちゃんなど、日常ではそのもののことを言っているな。
何かとの比較でそう言っている私の感覚のことだなぁ。
玄関で靴を脱ぐとか、そういう場所そういうものだからそうしてるという感じだと、まるで選ばされたような感じで、させられる感じになりやすいのかもと思った。
もしかして、これは主体性のテーマにつながってるのかな? と、2日目に思った。
忙しそうだから、声をかけれなかったのか、自分がやめておこうと思ったのかでは、だいぶ違うなと思った。
自分がやっている自覚がないと、やらされている感じになり、主体的でなくなるんだなぁ。
機嫌が悪いと判断したり自分のせいと思ったり、自分独自の回路があるなぁと思う。

実際とは何だろう。
「人間の考え」と知らないとルールや規則に振り回されて、何のためにやっていたのかわからなくなり、主体を失うと思った。
人間の考えであることの自覚がないとどうなるか? をやったときに、人に押し付けたり、やらされてる感じになったりするなと思った。
それって私が日常やってる事じゃん!
こうして振り返ってみると、自覚がない事を知らないんだなと思う。(40代女性)


====================
自分の感覚であることを知っていく、自覚!
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今回、参加してみて、毎日とても楽しかった。
久し振りにブラジルから日本に来て、なんだか、わからないが、何となくモヤモヤしていた。
日本は堅苦しい、とか、来たばかりなのに、ブラジルに帰って猫に会いたくなったりしていた。
でも、やっぱりコースはいいなー。
みんなと一緒に検討する醍醐味というか、脱線したり、笑ったり、好きなこと言い合って、本当はどうか一緒に考えられたのは良かったな。
自分がのびのびする。

今日、人間の感覚であることの自覚がないとどうなるか、というテーマで考えた時、いままで自覚のない状態で、眼くらめっぽうやってきた実態がはっきり見えたのが面白かった。
人の気持ちを勘ぐったり、こうではなかろうかと、想像したり、なんだりかんだり、いろいろややこしかったな・・・。
人間を知ることが、実現への一本道。
知らずして実現は出来ない。
知らないで、やること重視でやって来たんだな…と思う。
人間の考え、って、本当に多岐にわたる。
人間が暮らしやすくなるためにいろいろあるんだろうな、と思うが、人間の考えを事実化して、自覚ないままやってる実態だな。(40代女性)


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人と共に、ゆっくり自分の中を探求し、人間の思考を探る
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3日目ころまで、自分を知るためのコースとは自分を観察するコースと捉えていた気がする。 
探究会の最中も含めて、自分の行動、気持ち、何故そう思ったか、素行のクセや感想を述べていた感じだ。
4日目あたりからこのコースの本質を感じ始めた気がした。
自分を知るためのコースは、人間を知るコースなんだと(自分も人間だからね)人間の思考とはどうなっているかを、まず知って、自分を知るにつなげていく。
これをふんわりとだが感じてからは、コースの全体像が見えた気がした。
この探究、発見は独りでは無理だろう、仲間がいたから出来たことだ。(40代男性)


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自分の考えという自覚が、ありのままの自分、素直な自分へ、そして実際へ・・・。
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コースの二日目の朝にも朝食を食べながら〇〇ちゃんが私の事を可愛いって言ってくれた。
私に話してくれるのがうれしい気持ちとともに、本当はそうは思わないだろうという疑念か警戒する気持ちが見えてきた。
どう見て聞いて反応しているのかというテーマに出してみた。
見つめながら、日常の多くの場面で、私に向けてくれる人たちの関心を疑って警戒している自分が見えてきた。
その人の実際には関心が行かない状態。
素直に聞けない、どこか曲がっている状態、自分の考えということが消えてしまって、自分を守ることに力がたっぷり入った状態だったな。
〇〇ちゃんが実際に言った言葉は私の事を、「かわいいな」という言葉だった。  
その言葉には◯◯ちゃんの思い、心などがあり、言葉を渡す行為として現れたのだ。
言葉の向こう側に◯◯ちゃんがいた。
自分の考えで見ているという自覚があるのか。
自覚から始まるということを改めて感じたコースだった。
本当に素直に、ありのままの自分として生きていきたい。
ありのままの自分と、ありのままの相手と、実際の世の中を基盤にして生きていきたいなと思った。(30代女性)


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実際に近づく道は、自分の感覚を知っていく自覚から
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テーマが出されるたびにいろいろなことが頭に浮かんだけれど、どこまでが頭の中での理解で、どこまでが自分の実感のある血肉になっている感じなのかというのも観察してみたいポイントだった。
やってみて一番思うのは、自分の「知る」はまだまだ実現していないんだなあということ。
植物が緑色ではないらしいというのも本当に不思議で実感がわかない。
説明を聞いて納得してそう見ようとしても見えてこない。
私の眼には植物は緑色に見える。
人間の感覚器官、情報処理能力の限界というか、実際とは全く次元の異なるものであるだけだなと思った。
一体本当はどんな色(色で表現できないのかもしれないが)なんだろう??
さらに「夫婦、親子」などの関係までもが実際の物であるかのように認識していたことに気付いた。
「夫婦、親子」について考えたいとおもっても、それ自体が実在するもののように思い違いしたうえでの考えを話し合っているのなら、ただ各自の見解の言い合いにしかならないなと思った。 
自分の感覚、ひいては人間の感覚であるという自覚のある状態ではどうなるのだろう?
解決策を探すのではなく、実際に近づいていけるのだろうな。
人間の考えは宇宙だという話も出ていたが、その能力を使ってどんどんルールを増やし、どんどん人の気持ちを見えなくして、人を人として見ない社会になっていく。
ルールや観念を作るのはうまいが壊すことは下手だ。
一度作ると実際であるかのように錯覚してしまうからだろう。
自分で自分を縛ってほどかないでいるというのも変なものだけど観察してみるとよくやっていることだった
夫婦とはどういうものかを知るのではなく、それを捉えている自分の仕組みについて知る。「知ったつもり」ではなく「知る」を実現していくことからかなと思う。(40代女性)
自分を知るためのコース | - |

自分について、どれくらい知っているだろうか?

「自分って、どんな人だろう?」と、自分の行動や思考、感情など、自己観察し、科学的に調べてみませんか?

誰かと比べたり、周りの人から言われて、自分って、こういう性格だとか、~が苦手だとか、得意だとか、いろいろ自分について、思うことはあると思いますが、そもそも、「自分ってなに?」、「もともとの自分って、どんな人だろう?、なにを望んでいるのだろう?」と、「自分」に「人」に関心が湧いてくるようです。

1月「自分を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。

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「何に関心があるか。」 すべて自分の願望が出てきて驚いた。

この中には、人からどう見られているかに関心があるということもあった。

だけど、全て自分の感覚であるという自覚できた時、他人の目をそんなに気にしなくなった。今まで生きてきて、他人の目に捕らわれるような感覚をずっと持って苦しんでいたが、これは本当に嬉しいなと思う。

自分に一番関心がある。 そのままでいいんだなー。

今までは、エゴイストとか、他人を思いやれない人間?とか、、まるで悪いことかのように捉えていた。

だけど、自分は自分のままでいてもいいんだなと、感じてとても楽になった。

嬉しいな。

「頭の中の近況、何に関心があるか?」が大分変った気がする。

今までは、自分の軸を持ちたいとか、認められたいとかが大きく占めていた。

でも、自分の軸なんて持たない方がいいな。

人から認められる必要なんてなかったんだなと思い、今はとにかく自分のことが知りたい、楽しく生きたいという思いが大きい。

自分を好きになりたいとか思ってたけど、なんかもう好きだよなーと思った。

今まで自分に対して愚痴を言ってきて、嫌だなと感じていた人、その人のことをふと考えると、何故かすごく愛おしいなぁ!という思いが出てきて、びっくり! 仲良くなりたいな。 気をつかわない関係になれたらな。 

私が一番大切にしたいのものは自分。 今、そう思っている。 自分をもっと大切にしてあげたい。

私が自分を大切に生きることで、周りも楽に生きられたらいいな。

わがままだと思われるのが嫌だと思っていた自分にとって、わがままでいいじゃーんと思えたのはとても嬉しいことだった。

自覚で見えてきたものが沢山ありすぎる。

もし何か感情が沸いてきたら、本当にじっくりと味わったり観察したりして見てみたい。

欲求とかも同じく。(20代女性)



自信を持つことがイイコトだとされる社会で生まれ育ち、「自信なしにどうやって生きていけるの?」と思ってる自分を発見した。

“できない”という自信、自信がないことに自信がある等の聞きなれない表現を耳にして目からウロコが落ちた。

自信のある・なしで一喜一憂し、踊らされていたことに初めて気づいた。

自信がなくても生きられる社会?!・・・私にとって全く新しい概念だけど、自信持つことに力入れて緊張と競争に満ちた社会より、ずっと肩の力抜いて生きられそうだし、そこには安心がありそう。(50代女性)



「自信のある考え方と自信のない考え方」というテーマがあった。

「自信のある」ということは何なのかと調べていくと、実際でないものを大事に、それがなくなれば自分も無くなるような感覚を伴うもので、意識してそれを離すことが出来ないとなっているもので何故そうなるかは種々の原因がありそうで、複雑怪奇にも見え、それを維持するのに相当なエネルギーを要するもので、、、、と。そしてそれが及ぼすものは自分に強いるもので、それだけに止まらず人にそうさせようとする。

「自信のない」というのはシンプルで簡単で無駄なエネルギーを要しない。

人にたいしては親しさや愛情のみが溢れる。

自信のない考え方、実際に即した考え方。

「何時に行きます」「了解」その時間が過ぎた。どうしたのかな?30分過ぎて来た。「よう来たね」とそのつどそのつどその人を思う。(60代男性)



私は、自分と異なる感覚のことを言われると、特に家族に対して、「おいおい大丈夫か?」と自分が正常であるかのように思ったし、それを相手に堂々と表現していた。

ひどいことをしていたのだ。

感覚と考えと思い込みが全部一緒になって錯覚している自分。

だから人とのズレに対して感情的なっていたのだな。

「約束」はどこにある。

人と待ち合わせを約束した瞬間に、約束がかなっているイメージが浮かび、人と待ち合わせして来なかった時に、自分のイメージを事実化して、それを基に感情が生じる。

この感覚には、本当に驚いた。

事実を捉えていない日常、自分の中に生じていることにだけ反応している日常だったのだ。

今まで生じていた、人との関係の中での感情は、事実とは無関係だったのだ。

愕然とした。

「事実化のメカニズム」を知るかどうかは、人が生きる上で大きなカギになると思う。

探究したことで自分のことを耕した感覚があり、いつしか日常の中で無意識の内に、作用していくものと思っている。

探究の最後に「自分を知るためには」という問いがあったが、この問いに対する自分の

考えを、暮らしの中で検証したい気持ちが高まっている。(40代女性)
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