観察 そして 自分に問う

 「自分を知るためのコース」では、「どんな自分だろう?」 というのもありますが、そもそも「自分」とは、なんだろう?どうなっているのだろう?と、観察することから始まり、観察すると、「なぜ、そうなったのだろう?」と、もっと探ってみたくなります。



4/3~9の「自分を知るためのコース」に参加された方の感想を少し紹介します。



小さい頃、おばあちゃんに「なんで?」を連発していた。

「なんで?」と聞いて答えが返ってくると「それは、なんで?」と次へ次へと続く・・・。たまらずおばあちゃんが言った言葉が「ごんぼ掘り!」。もちろん私は「ごんぼ掘り、って何?」と聞く。「ごんぼ掘り」とは、掘っても掘ってもなかなか先に届かないごんぼ(ごぼう)を掘る人のことで、「それは、なんで?」と際限なく聞くのは「ごんぼ掘り」みたいだ、ということだった。

あまり「なんで? なんで?」と聞くのは、大人を困らせることらしい、ということがわかり、だんだんと「なんで?」と外に発することは少なくなった。しかし、自分の内に「なんでやろ?」という自問は大人になっても続けてきた。

これまでも、これからも、続いているこの「ごんぼ掘り」が、今の私のベースになり、今私はここにいるのだろう。 さあ、さらに掘り続けてみましょうか・・・。

(60代女性)
自分を知るためのコース | - |

探究心を培う サイエンズセミナー

3/19~24で、サイエンズセミナー開催しました。

ここで、出会った人たちで、寝食をともにしながら、「どういうことだろう?」「なぜだろう?」「ほんとうはどうなんだろう?」と、自分の頭を使っての、探究する5泊6日間。

参加された方の感想の一部を紹介します。



日常に埋もれていた感覚を呼び覚まされることとなった。

怒り・自分とはなにか・自由とは・所有とは…

もうすでに解っている、と思っていた。

錆付き、薄れ、頭だけの事柄になってしまっていたことに気付かされた。

(60代男性)



コースの前半、「私は見た。」「彼はそう言った。」など、解釈とか判断などが、あまりないと思っていましたが、そのものに対して思いをくっ付け、事実にいくつも観念をくっつけている、という事に気づき、ゼロポイントから見るのは不可能で、いつも古い先入観が着いているのに気づきました。(略)

一連のテーマはどれも興味深いものがありました。

歩きやすい道筋を、一歩一歩、軽く楽しく造り出していくようで、最後に具体的にこの結果を見ると、この過程を生きている人達を見て、インスピレーションが湧いてきて…自分には何が出来るのだろうと考え始めました。

テーマに対してもそうですか、参加者達との交流・合宿生活も、軽く感じました。決めつけない、決定しないというのは、何か具体的でなく、一見不安定なようですが、人は常に変わって行くという事を実際とする方が安定していると思いました。

(40代女性)



何度か、何について考えたら良いか、わからなかった時がありましたが、そういう時もゆったりと他の人の話を聞くことができ、とても楽しかったです。時折、「これは説明しすぎだな~」とか、「それについてはもう考えたことがあるな~」とか思う場面があり、これではインサイトはこないな~とか思う時も、最後にはいつも新しい気づきがありました。特に力むこともなく、探究が行われました。

テーマ一つ一つに対して出てくる気持ちをはっきり観察することができ、その気持ちは自分の中から出てくるということを洞察することができました。テーマと「格闘」したのではなく、ただ「探究」したのでした。

例えば、私の「嫌いなもの」は、ただの「もの」であり、「私のカバン」は、ただの「カバン」である等、実際を「そのまま」見ることでき、それは開放的でした。

自分の「嫌いな気持ち」、「私のものと思う気持ち」等、感知して行くということが、強く印象に残りました。自分の中にあるものをもっと自覚して行く、もっと自分をケアしていく、より自分自身を尊重する、…やさしく…。。

他人事で無い、やさしいシンプルな社会。蓄積と契約(これは私の物、保証された物)に安心を求めるのではなく、安心を人との関係の親密さに構築して行く(本当の安心)。

サイエンズについては、「真の人間とは」を探究し、真の人間として生きていく。

これからは本当に大事なものを大事にしていきたいです。

(20代女性)
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