人間らしく生きる

人の行為を問題視し、悪や間違いばかりが、目につく社会風潮の中、「人間には、悪事や争いはつきものだ。」と、いつの間にか、諦めてしまっていませんか?

「人間とはどういうものか」と調べ、人間を知るにつれて、知性、心などの人間性や、人生についても明らかになってきて、「こんなものだ」としていたものが、「いや、こんなものではない」と、人や社会を明るく展望できるようになります。

7月「人生を知るためのコース」の感想です。



じっくりと、ゆっくりと、真面目に、本気で、

自分の内面、本心に向き合ってみる。

人に、人間に、人生に向き合う。

これをしていってみよう。(60代男性)   



心とか自分というものについて考えたり、観察する機会になったかな、と思う。

これまで、考えや感情を自分と捉えて大事にしてきたので、凝り固まってしまっていたかもしれない。

こころを大事にする人達がいるというのが、ちょっと信じられないような、不思議な感じがする。

遊ぶような人生が、実現してしまうんだろうか。(40代男性)



考え、感情、気持ちはどういう所から出てくるのだろう。

人の成長から、辿っていくと、子供の頃は、善悪とかなく、成長するままに伸びている様に思うが、大人になるにつれ、いろんな知識が身について、いつのまにか人に対して恐怖感や警戒心、善、悪が先に出てしまう。

元はどうなっているのか。

何のために生きているのか。

心とは 心が満たされるとは

そのもっと元にあるものは、本来のと云ってもどんなものだろう。

わかるとかわからないとか関係なく、もともと具わっている、 人の生命力、みたいな・・・

(60代女性)



豊かな存在である、わたしにも、もちろん、あなたにも心がある。

わたしの心は、いったいどうなっているのだろう。

あなたの心はいったいどうなっているのだろう。

あらわれた言動のもとには、わたしやあなた、そのものがいる。

人に興味が湧いてくる、知りたくなってくる。

人の存在が近くなり、知ろうとした分だけ愛しいような気持にもなる。



わたしは何がしたいのだろう、きっと、わたしの心の底にも、幸せとか、健康とか、正常とか、快適とか、豊かさ、安心、満足、、、、、そんな願ってやまない確かなものがあると思う。

その実現を強く願っているに違いない。(50代女性)
人生を知るためのコース | - |

自分のことであるという自覚

「自分が聞いたこと」は、「相手が言ったこと」でしょうか?

「自分は、○○と聞いた。」ということでしょうが、「あなたは、○○と、言ったじゃないか」と、相手を指摘するような経験がありませんか?

「自分が聞いたこと」を、事実だと思い込み、違う意見は、否定したくなります。今の争いごとの多くは、ここから来ていると思います。自分の感覚で聞いたこと、自分の感覚で見たことであるから、個々の捉え方の違いであるとの自覚があれば、それぞれに違いがあって当然だと思いませんか?

7月「自分を見るためのコース」参加者の感想をどうぞ!



「自分を見るとは」というテーマで、ずっと調べながら、私は随分自分に関心がなかったことに気づきました。

「自分が聞いた、見た」としていることの中身は、自分に「見えた」「聞こえた」だったのか!

知っているつもりになっていましたが、見えた、聞こえたことを、見た、聞いたどころか、ゆるぎない事実のようにとらえている自分がいました。

「聞いた」と「聞こえた」の探究で、「自分が聞きたいように聞いてる」といったことが、心に響いてきました。そうだなあ、聞きたいように聞いてるんだ、じゃあ、わたしはどのように聞きたいのか?そこに、関心を向けると、本当の自分の心がもっと見えてくるのではって、今はそう思っています。(50代女性)



見て、聞いて、反応するまでの一瞬の間に、頭の中では、今までの経験や常識、記憶、情報、価値観などにものすごいスピードで照らし合わせて反応している事が分かり驚いた。

これは帰って来てからの事だが、知るためのコースを受けた後は、「実際はどうか」と言う観点で日常の出来事を見て来たが、見るためのコースを受けた後は、私は何に照らし合わせて(捉えて)反応したのか?と言う観点から自分を見ている事に気付いた。

昨日、いつもだったら混乱したり怒ったりする出来事を、相手がどういう気持ちで言ったのかを理解した(聞いた)ら、ただ「あなたはそう捉えたのね」と思っただけで、感情が乱れる事がなく驚いた。

私の中で何が起こったのだろうか?

相手が話している内容が、私の事を言っているのではなく、相手が捉えた事を話していると認識したからだろうか?

なぜか楽チンな自分がいた。

自分を見て行くと、今まで無自覚だった自分の気持ちに気付いたり、私って~だと思ってこうしているんだ、と気付くとちょっと楽しいと思っている自分もいる。

何を捉えて反応したのか分からない事の方が多いけど、実際自分の反応が違ってきている事を感じているので、「何かが」変わったのだろう。

まだまだ探究を続けて行きたい。(40代女性)
自分を見るためのコース | - |

「知る」とは…、「その成り立ちを知る」

「自分を知る」とは、「自分の成り立ちを知る」ことです。

これまでの、周りから受けたもの、今も受けているものを知ることだと思います。物や人の行為、心や情など、どれほど多く受けてきたか、受けているか・・・

現状は、権利、義務、責任やお金などの交換条件や、「当たりまえ」とする観念などによって、受けてきたもの、受けているものを見えなくしていることが多いようです。

人は、年を重ねるほどに、受けたもの、受けているものは、膨大になり、とても知りつくせるものではありませんが、それを知り、見えるようになっていくことが、人間性の成長でもあると思います。

「自分を知るためのコース」参加者の感想の一部を紹介します。



何を「自分」としているのだろう?

音や光など、それ自体は意味を持たない。

人間が、捉えて、意味づけをする。

先ほども述べたように、各々の感覚によるもの。

事実・実際そのものは捉えられないのだから、

ハッキリと言えるのは、結果「そういう感覚が起きた」という自分側のことのみ。

事実の一側面だけを捉え、自分なりの解釈をし、感情が生まれ(ここまでほぼ自動で無自覚)、

その感情を正当化するための理屈を考え、付け加えていく。…という感じがする。

「考え」も「感情」も、「正しい、当然のこと!」となる。

否定されれば腹が立つ。

「考え」、「感情」を、自分自身だと思い込みがちのように思う。(20代男性)



自分の感覚で捉えたという、自覚の欠如と、心の不健康というのが密接に関係している気がする。頭の中の事実化による「妄想」が怒りや憎しみ、人間問題のところまでいってしまう。事実化が事実化をさらに進めることでそれを当然とすることで、本来の心の健康とは離れてしまう印象がある。(40代男性)
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