人生・社会に向き合う端緒にーー8月マイライフセミナーから

8月12日からはじまったマイライフセミナーは、
最終日の17日、"やさしい社会の試み”が実際にいろいろなところで、いろいろな人を通して現れているアズワンコミュニティの一端を見学した。
はたけ公園では、谷藤俊幸青年が案内してくれた。
真っ黒に日焼けして、笑うと歯の白さが目だった。
お弁当屋さんでは、岸浪龍くんが案内してくれた。
「7年前、うどん屋さんがはじまりだった。そこにいる美代子さんはうどん屋のおばさんだった」美代子さんは、今回スタッフでマイライフセミナーに参加している。
ACS(アズワンコミュニティステーション)では、坂井和貴さんが、コミュニティのしくみについて、コミュニティオフィスのことなど説明。

そのあと、大人と10代の人たちに分かれて、この社会を味わっている人たちと交流会。
「うまくいかないことの日々だよね」と笑い声が絶えなかった。

今回マイライフセミナー出発にあたっての感想、つぶやき。
「なんかこれこれのことが分かったとか達成感とか充実感がないのよね。」
「これから、一生かけて向き合っていきたいテーマをじっくり検討していける、そんなスタートラインに立てた感じがする。」
「たしかに、一つひとつのテーマはこれまでも考えていきたいと思ってきた。それが、時間切れだった。また、来たいな。」
「若い人たちの話すのを聞いていて、その感性に刺激された。」
「話していると、つい”なんでそう思うの?”なんて聞いていたりして。これからが楽しみ・・・」
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7月サイエンズスクール開催レポート

サイエンズスクールはここ数ヶ月、内観コースへ参加する人が目に見え増えている。
1週間の集中内観のあと、2日とか3日とかの短期内観に入る人も多い。
内観コースが、その人の暮らしの中で、欠かせない機会になっているようだ。
1ヶ月遅れですが、6月~7月のコースの様子です。

<内観コース>     6月29日~7月5日
 1週間の集中内観には3人の人が参加しました。
 そのうち、韓国からの参加が2人ありました。
 短期の内観というので、3人が研修所を利用しました。
 短期の場合でも、スタッフの面談機会があります。

<自分を知るためのコース>  7月6日~12日
 男性1名、女性2名の参加がありました。

<自分を見るためのコース>  7月14日~17日
 男性1名、女性4名でした。

<人生を知るためのコース>  7月21日~27日
 男性2名、女性3名でした。



○参加者の感想 抜粋して紹介します。

<内観コース>
男性 50代
幼少年ごろをしらべる時、お父さんからしてもらったこともあったし、それにありがたいと思いながらも、なんか心に残る物足りなさ、残念などがありました。
でも、お父さんは私が家に帰るといつも息子として受け入れてくれたということに気づいた時、涙と一緒にすごくありがたい気持ちが湧いてきました。
”お父さんは50年も息子として考えて、見てくれて、世話してくれたんだ”と ”捨てることも出来たのに、ずーっと息子として受け入れてくれた”と気づきました。
なぜかそのあとは子どもの頃の不満感がなくなりました。
そんな不満の気持ちでいたときもお父さんは愛情もって見ていたと思うと、その大きい愛情の光のなかで育って居るのを感じて、自分の不満とかは小さくなって、無くなる感じがしました。有ることの大事さを知らなかった・・・

<内観コース>
70代 女性
母が嫌いでもなく、何か問題があった訳でもないが、当時、母に対して、寂しいような、物足りないものを感じる事があった。何があったのかな、でもないような、そんな思いで、私と母の事を見ようと思った。
母が感情的になって叱ったり、お説教したりしたことは思い出せず、ちょっとしたおもしろい諺みたいなものは言っていた。
自分ではまずかったかなと思った事でも叱らないので、その事に物足りなかったり、寂しくなるようだった。
母は、男物の洋服を仕立てる仕事をしていて、三つ揃いの背広、オーバー、コート、モーニング等を手掛けていた。
小学校4、5年の頃から、学校から帰ったらすぐ仕事場に行って飽かずにながめていた。無口な母も洋服作りに関してはいろいろ話してくれたし、質問にも答えてくれた。生地の見本もいっぱいあったし、専用のおもしろい道具もあった。今でも注文受けて生地を選び、採寸し、型紙をおこし・・・縫い上げるところまで一通りしゃべれるのではないかと思う程、浮かんでくる。指先で糸をよるパチンパチンという音、一針、一針、針が仕事台に触れる時のプチプチという音。アイロン(木炭を入れるアイロン)が熱くなると、水につけた時のジャーという音と共に上がる湯気、当て布をしてアイロンをかけた時のこげたような臭いまでも蘇ってくるような気がする。
母の一面である洋服の仕立てが私の中にしっかりあった。
今でも、母の仕事について、いくらでも話ができそう。
「母を味わう」・・・もっともっと味わいたい。


○人生を知るためのコース
女性 30代
<やさしい人々の中で生きている自分を観ること>
雨が降る。9時間ぐっすり寝て、起きたら、窓の外は,雨が降っている。瞬間“カサないのに・・・”と思ったら、“今は雨が降れる背景や条件がそろって
こそ雨が降っているんだろう”と思いが移動した。
人生ということに対しても、こういう人生が良いとか、こんな人生を生きて来たとか、こういう人生を生きて行こう、とか、すっかり意識で考えてたことが見えてきた。
まるで雨が降る現象にたいして実際そのものを観るよりは、欲求や価値判断・感情などが、先出て来るように、人生に対してもそういう方式ではなかった
のか。
人生を知るとは、“人間としての一生の実際”そして
“人間という生き物としての本性を観れるようになって、
生きている間に自分を豊かに、それで自分と周りを生かして行くことではないか。
もう、そうなっている存在としての私とその人。
そうなるしかない状況と背景下でそうなっている私とその人。
否定も肯定も必要でない、ただそうなっている現象を観るとそれだけだ。
ほんの一部だけを見ている視線から離れて全体としての実際を認識すると、自然に豊かになる。
実際の自分がどれほど多い面で(すべてとも言えるんだろう)
人とほかの生命からのもらったもので生きているか、
ちゃんと観ることによってすでに満たされている内面を自覚する。自然に満たされてあふれる分、周りに伝わる。
心が豊かだというのは、より分かりやすく言うと
“やさしい心”とも言えるんじゃないか。
実は世の中にはやさしい人々がもうあふれている。
そのおかげで私が今生きている。心の面でも、実際の面でも。
雨がやんだ。
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雑感 スタッフのつぶやき  8/4 

内観ーー対人的な味わい・情・親しみ

本来的な情とは、人と人が接することで自然的に湧いてくるもの。

人に対する親しみというものかもしれない・・
好きとか嫌いとかいうものではない・・
親愛の情という言葉もある・・

内観体験で味わうのは、そういう<人>に対して
自分の中に自然に湧いてくる情とか親しみというものだろう。

内観では主に人に対する自分を調べる。
(どのテーマで調べる場合でも、主題となるのは、
人との関係の中での自分、つまり人に対する自分ということになる・・)

調べる中で、相手の人に対して自分が抱いていたイメージ(印象)が変る、
その人に対する見え方が変わる、
そういう時にフッとその人に対して親しみを覚える・・
近しくなる・・心が通じるみたいな感覚を・・その人に対して情が湧く・・

時には心底からこみあげてくる、強く突き上げてくる、
そういう感覚を持つこともある・・こういうものを
情動(情が動く)と言うのか?
これは日常に体験する感情とも異うようだ・・

内観して何に気づいたとか、何か分かったという意識を持つことはあるにしても、
少しでも対人的な味わい(情、親しみ)を体験することの方が
実質その人の身(糧)になるというか・・最近そんな気がしてきた・・
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雑感 スタッフのつぶやき  7/5

○内観するということにはいろいろな面があるが 内観することで「自分についての捉え直し」が自然と成されていくという面がある。
言わば「過去(の自分)を捉え直し、未来の可能性を 開く」ということが、内観の本質というか核心を成すと言えるかと思う。
(「・・・」は内観とはまったく関係のないある論文から借用したことば)

○ある人が内観することで見えてきたことを話してくれた。
 面白そうだと思ってあることを引き受けた。
 やっているうちに「うまくやれるだろうか」とか、いろいろ不安に思うことがあった。
 事柄的にはいろいろ相談できるが、不安の部分は、自分の中で貯まっていったのだと思う・・
 そんな自分の姿(実態)が見えてきた・・

 事柄の進行と人の内面のギャップというか、人の内面をなおざりにして事柄だけが進んでいく・・・
 今の世の中そんなことばかりと言ったら言いすぎだろうか?・・
 結局何を優先するか、何に価値を置くかということなのだろうが・・
 先ずは自分の実態を知ることから・・
 そしてそこから何かしら(生きていく)方向性も見えてくるようだ・・

○人に対して抱く優越感と劣等感や上下感というあたりで自分を調べていた人 が「自分は人をその能力(が高い低い)で見ていた、何か自分は人に対して 冷たかった気がする」というような話をしてくれた。
 人を人として見ない、人を見るのではなくいつもその能力を見てしまう。
 情(人情、親愛の情)というのはその<人>に対して湧くのであって、<能 力>に対して湧くのではない・・・
 何か得心するものがあった・・考えてみれば、あたりまえのことだが・・

 <能力対能力>としてではなく、
 <人と人>として生きる・・
 <能力対能力の社会>ではなく
 <人と人の社会>を・・
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水無月6月サイエンズスクール開催レポート

今年の梅雨は雨が少な目。東日本で局地的な豪雨など、天候不順が特徴的。
ブラジルのサッカーワールドカップは世界の人たちの関心が集っていると同時にイラクやウクライナが内戦状態になっていることに、心を痛める。

日本の鈴鹿には今年になって、韓国青年たちがサイエンズスクールのコースに参加する目的で、滞在・交流している。
韓国社会で若者が行きづらくなっている背景がある。
それぞれ生き方の模索が続いている。
    *      *      *

6月に開催したコースの様子です。

<内観コース>       6月1日(日)~7日(土)
  1週間の集中内観コースには、韓国女性や、最近会社を辞めてこれからの生き方を考えている50代男性など、4人が参加した。短期での人も3人。
<自分を知るためコース>  6月8日(日)~14日(土)
  今年の3月韓国の高校を卒業して、鈴鹿で滞在・交流している18歳女性。
  5月にマイライフセミナーに参加して、もっと自分の中を探ってみたいという女性など、4人が参加した。
<人を聴くためのコース>  6月10日(火)~13日(金)
  韓国女性1名を含めて3人が参加した。
<人生を知るためのコース> 6月22日(日)~28日(土) 
  4人の参加でしたが、そのうち3人は、6月1日に内観コースに参加し、続けての参加だった。

    *      *     *
<参加者の感想を抜粋・紹介します>

○内観コース
男性  50歳代
「母親と姉二人に対する自分を調べていくと、
  自分はいつもいろいろと受けていることが見えて、
  その時の自分は逃げようとしていたりして、まるで
  被害をこうむるかのような捉え方をしていた。
  自分がどんなことになっていても、その時々で、
  いつもやれることで自分に足してくれようとしていた。
  ずっとそういうものがあって、自分は家族のほうで、
  餓えに苦しむことがなく、知らぬまにずっと安心して
  暮らしてきたこと。
  一人で生きてきた生きようとしてきたと思っていた
  自分が、実は、歩き出すこころの土台を作って
  もらって歩いてきたのではないか。しらべていくと、
  ずっとあたたかいものがあった」

女性  50歳代
 「母に対しての自分では5人兄弟の末っ子で忙しい母に
  あまりかまってもらえなかったのが寂しい気持ちが
  いつもでてきていたのですが母の家事をしている時の
  ことがふっと思い出されました
  近くの田んぼの畦に行ってセリを摘んだり、ヨモギを
  つんで草もちを作る姿正月用のもちを手を真っ赤に
  しながら一枚一枚きる姿などです

  そういえば私は教えてもらったことはないけど障子の
  張り替えとか白菜のつけものとかなんとなく知っていて
  やれるようになっているなと気がつきました

  小さいころにずっとそばにいて見て覚えていたのだなと
  きずくとなんだか嬉しくなりました」

○自分を知るためのコース
 
男性 60歳代
  「頭の外と頭の中。
   これぐらい当たり前のことだと、今の私は思う
   
   自分という存在を外から眺めて見ると、
   五感という感覚器官と、とっても不思議な脳を
   持った生きものが五感を通して捉えた形や映像や
   音や光や香りや距離やら習慣やら価値観やら
   その他諸々を頭の中で作りあげている姿が見えるが、
   頭の中のことであると自覚することがむつかしい。
   自覚は出来るがともするとすぐに感覚で捉えている
   ことが抜けて事実、実際をみているような気持になる
       
       ・・・を見て・・・と思う
       ・・・を聞いて・・と思う
   これが基本」

○人生を知るためのコース
男性  50歳代
  「豊かなこころになるためにはどうしていったら
   いいか。 
   が、こころにはすでにいろんなものがあるかも。
   豊かにあって、それが見えないのは、いろんな
   考えで 見えなくなっているのか。 
   ああせねば こうせねば と自分をかたくして
   いては、 発露する情も 出るにいたらずと
   なってしまうのだろうか。 
 
   ひとは どうやってそだっていくのだろう。
   生まれて、おかあさんに抱かれて、養分をもらい、
   欲しいものを得て、相手をしてもらい、安心して
   眠れる場を受ける中で、穏やかで、楽しむ心が育ち、
   見守られて大きくなる中で、身体とこころが育まれ。   
   大きくなって、自分の中にたくさんのものが入って
   いることを知り、知ることで こころが豊かになって
   いく」
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