自分を守る生き方から、自分そのまま・楽な生き方へ
自分の思いや行動をゆっくり・じっくりそのまま、思い出し振り返ってみていくと、素直な自分の気持ちに出会える。
力の入らない、楽な自分に出会う。 自分の気持ちが見えてくる、本当に自分の思い・気持ちは? 落ち着いたこころへの道を・・・どうぞ。
サイエンズスクールの、7月1日~の内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。
「自分が好き勝手やるせいで母親が怒っている」と思って、自分の感情を抑えたり、自分の感情を出すのは良くない、と思ったりした。
その経験が自分の中で大きくなって、「自分の感情を出すと人が困ったり不快感を感じるのではないか」という不安をその後も引きずっていたように思う。
実際は、母親は慣れない環境、三人の男の子の子育て、父や親戚との関係でストレスを受けたりしていて、子供に怒りたかったわけではなかったのだと思う。
僕が元気に遊んだり、笑っている母親の姿もたくさん思い出せる。
母親はいつも僕が笑って楽しくしているのを嬉しそうに眺めてくれていたし、僕が元気に感情豊かに育つのを願っていた。
僕が自分の中で「感情を出してはいけない」と思い込んでいただけだった。
幼稚園でも、小学校でも、中学校でも、高校でも、いつも母親は僕のことを見てくれていた。
そんな母親を相手に僕は一人で「自分の素の感情を出すと嫌がられるのではないか、怒られるのではないか」と自分を隠そうとしたり、「別に普通だよ、何もないよ」と突き放したりしていた。
実際に母親から受けている愛情には眼もくれず、母親を恐れたりしていた。
それも自分でその状況を作っているということにも気づかず、「理解してくれない親」「子供を責める親」と相手のせいにしていた。
今回、母親はどんな状態で何を願っていたのかということも調べたが、母親へ向き合う以前に、いかに自分が自分の狭い観念の中で母親を見ていたのか、自分の思い込みがいかに強いのかが見えてきた。
僕が本当に求めている愛情は目の前にすぐ手の届くところにあったというのに、僕は自分で作り出した物語の中で母親を恐れて、突き放していた。
自分の外にある世界、環境、人を変えたり、自分自身を変えればいつか愛情のある場所へ辿り着けるのではないかと必死になっていたが、そもそも目の前にある愛情に気づかない自分の状態だった。
母の内観を通して、幸せや愛情を求めるにしても、何かを変えようとしたり、やろうとするものではなく、ただ知ること、実際にあるものに素直に目を見開けばいいだけなのだと思った。
現状の自分から出てくるいろいろな不安や反応はあるにしても、そこで自分を抑えたり、守ったりせず、そんな自分も出しながら、進んでいければと思う。
そんな思いで、あらためて日常に戻っていきたい。(20才代男性)
最初はひたすらに記憶を掘り起こすような感じでした。
内観の三つの見方「お世話になったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」に沿うというよりは、ただ思いつく限りのことを意識上に引っ張り上げる作業をしていました。その中で自分が如何に自分にとって都合のいいモノの見方をしているかを気付かされることになりました。
思い出しながら恥ずかしさとも申し訳なさともつかぬ感情に涙がこぼれることもありました。
二回目の母のことを調べていく中で、一回目の時と見方が違っていることに気付きました。
一回目の時は自分中心の視点で記憶を手繰っていましたが、二回目の時は「その時の母はどんな気持ちだったのだろう」と母の視点で想像するようになっていました。
二回目の父のことを調べ終え、ある友人のことを調べ、最後にこの一週間の自分のことを調べました。
その中で内観の二つ目の視点「して返したこと」もまた相手の視点に立たなければわからないのでは、と思いました。
自分がして返したと思っていてもただの自己満足に陥っているかもしれない、と思ったからです。
そして今回の内観は終了となりました。研修所を出たらとりあえず、家族に電話をかけようと思っています。(45才代男性)
7年ぶりぐらいの内観だったと思う。
昨年、身辺に大きな変化があって自分の気持ちを整理したくて臨んだ。
一つは姑の事。
昨年の10月に87歳の生涯を閉じた。
私が嫁いでから約29年間生活を共にした。嫁いでからの姑との暮らしをつぶさに観察してみると、お世話になったことがたくさんあった。
たくさんあったのにそのことが見えないめくらな自分であった。
改めて姑の墓前に感謝の気持ちを捧げたいと思った。
二つ目は父の事。
昨年、救急搬送され一命をとりとめた。
持病の糖尿病からくる心筋梗塞で認知症も発覚した。
家族の生活が一変した。動転する母を支えながら、介護支援が受けられるよう世話をした。
私自身も父の変化に戸惑いながらも、これを機に内観してみようと思った。
私が生まれてから今まで家族のために一心不乱に働いてきた人生だったと思う。
一生懸命なあまり、私たち3人を管理するような教育だったけれど、それもこれも愛情のなせる事だったと思う。
大きな愛で育ててもらったことに感謝で一杯です。
これからは残された時間を自分のためだけに使ってほしい。それが娘からの恩返しです。そのために娘として全力でサポートします。(50才代女性)
嘘・ごまかしでは自分の思考の傾向・癖が見えて面白かった。
中学のころ日本にいたが学校最後の日に友達が何か話したいということを別の人から自分が下校途中で聞いた。その時「また学校戻って話しするの?めんどくさい」と言って流してそのまま無視して帰った。
めんどくさいは言い訳で本当はその時言ってきた人に対してそう重い価値を置いていないよと見せたい自分がいて、自分が必死に何か人との関係を求めるのはかっこ悪いと思う考えがあり、言ってきた人もそうだろうと思い込み「めんどくさい」と発した。
本当の気持ちを振り返ると話ししたかった。
何か言いたかったのかな。後悔している
自分が受けたもので調べたとき改めて一つ一つ自分が受けているということは本当に世界と繋がっている実感が湧いた。行為にしろ物にしろ。
悟ってしまうのではと思ったぐらいに。
その瞬間繋がっている実感なくなった。
実際を事実を知るということで内観は改めて重要だなと思った。
事実・実際どれほど受けているかを知れば知るほど恐らく自分の意識に上ってくる人に対しての恐怖心・悪感情が小さくなる。
「自分」という意識も薄れる。
自分のおよび一つの本心に焦点が当たってくるというメカニズムに実感が湧いた。(20才代男性)
力の入らない、楽な自分に出会う。 自分の気持ちが見えてくる、本当に自分の思い・気持ちは? 落ち着いたこころへの道を・・・どうぞ。
サイエンズスクールの、7月1日~の内観コースに参加した人の感想の一部を紹介します。
「自分が好き勝手やるせいで母親が怒っている」と思って、自分の感情を抑えたり、自分の感情を出すのは良くない、と思ったりした。
その経験が自分の中で大きくなって、「自分の感情を出すと人が困ったり不快感を感じるのではないか」という不安をその後も引きずっていたように思う。
実際は、母親は慣れない環境、三人の男の子の子育て、父や親戚との関係でストレスを受けたりしていて、子供に怒りたかったわけではなかったのだと思う。
僕が元気に遊んだり、笑っている母親の姿もたくさん思い出せる。
母親はいつも僕が笑って楽しくしているのを嬉しそうに眺めてくれていたし、僕が元気に感情豊かに育つのを願っていた。
僕が自分の中で「感情を出してはいけない」と思い込んでいただけだった。
幼稚園でも、小学校でも、中学校でも、高校でも、いつも母親は僕のことを見てくれていた。
そんな母親を相手に僕は一人で「自分の素の感情を出すと嫌がられるのではないか、怒られるのではないか」と自分を隠そうとしたり、「別に普通だよ、何もないよ」と突き放したりしていた。
実際に母親から受けている愛情には眼もくれず、母親を恐れたりしていた。
それも自分でその状況を作っているということにも気づかず、「理解してくれない親」「子供を責める親」と相手のせいにしていた。
今回、母親はどんな状態で何を願っていたのかということも調べたが、母親へ向き合う以前に、いかに自分が自分の狭い観念の中で母親を見ていたのか、自分の思い込みがいかに強いのかが見えてきた。
僕が本当に求めている愛情は目の前にすぐ手の届くところにあったというのに、僕は自分で作り出した物語の中で母親を恐れて、突き放していた。
自分の外にある世界、環境、人を変えたり、自分自身を変えればいつか愛情のある場所へ辿り着けるのではないかと必死になっていたが、そもそも目の前にある愛情に気づかない自分の状態だった。
母の内観を通して、幸せや愛情を求めるにしても、何かを変えようとしたり、やろうとするものではなく、ただ知ること、実際にあるものに素直に目を見開けばいいだけなのだと思った。
現状の自分から出てくるいろいろな不安や反応はあるにしても、そこで自分を抑えたり、守ったりせず、そんな自分も出しながら、進んでいければと思う。
そんな思いで、あらためて日常に戻っていきたい。(20才代男性)
最初はひたすらに記憶を掘り起こすような感じでした。
内観の三つの見方「お世話になったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」に沿うというよりは、ただ思いつく限りのことを意識上に引っ張り上げる作業をしていました。その中で自分が如何に自分にとって都合のいいモノの見方をしているかを気付かされることになりました。
思い出しながら恥ずかしさとも申し訳なさともつかぬ感情に涙がこぼれることもありました。
二回目の母のことを調べていく中で、一回目の時と見方が違っていることに気付きました。
一回目の時は自分中心の視点で記憶を手繰っていましたが、二回目の時は「その時の母はどんな気持ちだったのだろう」と母の視点で想像するようになっていました。
二回目の父のことを調べ終え、ある友人のことを調べ、最後にこの一週間の自分のことを調べました。
その中で内観の二つ目の視点「して返したこと」もまた相手の視点に立たなければわからないのでは、と思いました。
自分がして返したと思っていてもただの自己満足に陥っているかもしれない、と思ったからです。
そして今回の内観は終了となりました。研修所を出たらとりあえず、家族に電話をかけようと思っています。(45才代男性)
7年ぶりぐらいの内観だったと思う。
昨年、身辺に大きな変化があって自分の気持ちを整理したくて臨んだ。
一つは姑の事。
昨年の10月に87歳の生涯を閉じた。
私が嫁いでから約29年間生活を共にした。嫁いでからの姑との暮らしをつぶさに観察してみると、お世話になったことがたくさんあった。
たくさんあったのにそのことが見えないめくらな自分であった。
改めて姑の墓前に感謝の気持ちを捧げたいと思った。
二つ目は父の事。
昨年、救急搬送され一命をとりとめた。
持病の糖尿病からくる心筋梗塞で認知症も発覚した。
家族の生活が一変した。動転する母を支えながら、介護支援が受けられるよう世話をした。
私自身も父の変化に戸惑いながらも、これを機に内観してみようと思った。
私が生まれてから今まで家族のために一心不乱に働いてきた人生だったと思う。
一生懸命なあまり、私たち3人を管理するような教育だったけれど、それもこれも愛情のなせる事だったと思う。
大きな愛で育ててもらったことに感謝で一杯です。
これからは残された時間を自分のためだけに使ってほしい。それが娘からの恩返しです。そのために娘として全力でサポートします。(50才代女性)
嘘・ごまかしでは自分の思考の傾向・癖が見えて面白かった。
中学のころ日本にいたが学校最後の日に友達が何か話したいということを別の人から自分が下校途中で聞いた。その時「また学校戻って話しするの?めんどくさい」と言って流してそのまま無視して帰った。
めんどくさいは言い訳で本当はその時言ってきた人に対してそう重い価値を置いていないよと見せたい自分がいて、自分が必死に何か人との関係を求めるのはかっこ悪いと思う考えがあり、言ってきた人もそうだろうと思い込み「めんどくさい」と発した。
本当の気持ちを振り返ると話ししたかった。
何か言いたかったのかな。後悔している
自分が受けたもので調べたとき改めて一つ一つ自分が受けているということは本当に世界と繋がっている実感が湧いた。行為にしろ物にしろ。
悟ってしまうのではと思ったぐらいに。
その瞬間繋がっている実感なくなった。
実際を事実を知るということで内観は改めて重要だなと思った。
事実・実際どれほど受けているかを知れば知るほど恐らく自分の意識に上ってくる人に対しての恐怖心・悪感情が小さくなる。
「自分」という意識も薄れる。
自分のおよび一つの本心に焦点が当たってくるというメカニズムに実感が湧いた。(20才代男性)
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