サイエンズスクールこの一年を振り返る

今年もたくさんの人に、人としての成長の場、人間・社会について学ぶ場として、全国各地、また世界各地から、サイエンズスクールを活用してもらいました。サイエンズスクールにとっても一回り大きく成長することのできた一年となりました。

「サイエンズセミナー」(来年1月からは「アズワンセミナー」に名称変更)9回開催
今年は2月、3月(2回)、5月、6月、7月、8月、9月、11月の9回、「サイエンズセミナー」を開催し、合計52名の参加者がありました。昨年は、48名でしたので、少し増えました。
来年からは、名称が「アズワンセミナー」に変わります。
より多くの人に、本当の自分を知り、本当の生き方を実現していく出発点としてのアズワンセミナーを活用してもらい、ともに協力していけたらと思っています。
サイエンズスクールとしても、セミナーがより内容の充実したものとなるよう、研究・開発を進めていきます。
7月セミナー3
(7月サイエンズセミナーより)

サイエンズスクール鈴鹿第2研修所オープン(2月)
三重県鈴鹿市、鈴鹿ハイツの第一研修所の2軒隣にある民家をお借りし、サイエンズスクール鈴鹿第2研修所として使わせてもらえることになりました。これにより、一度に2~3コースを同時に開催することが可能になりました。
閑静な住宅街の一角にあって、またさらに落ち着いた雰囲気の建物で、集中して自分に向き合うことができそうです。
外観4
(サイエンズスクール鈴鹿第2研修所外観)

「サイエンズを知るためのコース」 始まる(5月)
新しいコースが始まりました。
何のために「サイエンズ」をやるのか。目的を知らないままに、いろんなコースに何度参加しても、あまり意味がありません。
目的をハッキリ知るためのコースです。

サイエンズ留学生が、増えてきました
サイエンズについて、もっと知りたい。もっと理解を深めたい。集中的に学びたい。
そんな人たちが、各地から「サイエンズ留学生」として、アズワン鈴鹿コミュニティでの暮らしを体験しながら、サイエンズスクールを利用しながら、またサイエンズ研究所主催のゼミに参加したりしながら、精力的に学んでいます。
自分の状態に合わせて、サイエンズスクールのコースに参加し、またコースの内容を日常の暮らしの中で実践していく。
サイエンズが暮らしや産業に直接根付いているアズワン鈴鹿コミュニティならではの、効果的な学びを体感しています。
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(サイエンズ留学生たち)

来年3月「アズワンセミナー in 沖縄」開催決定
「ぜひ沖縄で、セミナーをやりたい!」という強い要望があり、開催が決まりました。
日本では、三重県鈴鹿以外の場所で、初めてのコース開催となります。
まだまだ参加者募集中ですので、参加を考えておられる方は、ご連絡ください。
沖縄を皮切りに、日本全国各地でのアズワンセミナー開催が実現していきそうです。

世界各地に、サイエンズスクールを
今年は、韓国の「サイエンズスクールKOREA」では、「サイエンズセミナー」を2回、「自分を知るためのコース」を2回開催しました。韓国でも、社会や人間関係について見直し、サイエンズを学んでいきたいという人たちが増えています。
また、地球の裏側ブラジルでも、サイエンズスクールをやりたいという人たちが、何人か動き始めています。

これを機に、サイエンズスクール鈴鹿も、名称を「サイエンズスクールJAPAN」に変更し、
これまで以上に、”争いのない幸せな世界の実現”を目的とするアズワンネットワーク活動の一環としてのサイエンズスクールを世界中の人の意欲あるたちに使ってもらえるものとして、環境の整備を進めていきたいと考えています。

(文:サイエンズスクールJAPAN事務局 福田博也)
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わたしらしく生きられるために ~ アズワンセミナー ~

「こんな自分になりたい」とか「こんな社会になったらいいなあ」とか、
希望や理想がありませんか?
でもどこかで、「いくら願っても、今の世の中、実現できるわけないよなあ」と、
諦めていませんか?
わたしらしく生きるために、まず、「自分」ってなに?「人間」ってなに?
「人」と「社会」はどうなっている? ゼロから、探究してみましょう。
私の、本当の願いは・・・。
11月に開催した「サイエンズセミナー」に参加した方の感想を紹介します。

尚、セミナーの名称、次回から「アズワンセミナー」となります!
アズワン(as one)とは、「一つの世界」を意味しています。
ジョン・レノンの名曲 ”イマジン”の中で、”The World will be as one”
(だって元々僕らは「一つの世界」に生きてるんだから)と歌われている”アズワン”です。

知性を使い探究すると、何か知らないうちに姿勢が変わるような感覚があって、心も変わってくるような。
前よりはラクに、疲れずに、自分や周囲とかかわれば、活動がより持続可能で楽しいものになるだろう。
ヨガをしながら呼吸を観察するように、自分や人や社会を観察し、それらがより本来のあり方をとりもどしていくプロセスと共にあれたらと思う。(50代女性)

腹が立つについて、イラっとする中身は、その対象にはなく、自分のこうしたいという思いに気付く。
話すべき所が、こうしたいと思って相手にぶつけたものの正体に気付き、これじゃ、いつまでもイラっとするという事を発見し、驚く。
相手にこうしたいと言っていた事が実は違った。本当に腹が立ったとき、向けている場所が違う事。自分の中の思いに気付く。
ものすごく相手を思っているじゃん。そっちを伝える方が良い。
「自分とは、」という問い、とても良かった。
自分は自分で良いんだ。と思う。
そして相手の怒りにも本当は、その人の大切な思いがあるのだろう。
そして思い込みや嫌な思い出、消化出来ない気持ちがあるのだろうと思うと自分も胸が痛くなる。その人の為に何かしてあげたいと思う。
それが僕の正直な気持ちなのだろう。
人が持っている気持ち、当たり前、なのだと思う。
自分、劣等感、優越感、悪意、ものすごく強いネガテェブな感情、その正体が分からず、自分が怖くてしかた無かった。でもそれ、恐怖心からきてた、これも向ける対象を間違えてた。
自分の中にあったのだ。本当は無いのだ。
安心、安全、大丈夫なのだと自分に言ってあげた。もういいよって。(20代男性)

「その問題はその人に起こったことだから、私には関係ない」と思うのと、「その問題を解決できるのはその人だけだし、その人がどうやっていきたいかは、その人次第だから、見守ろう。(もしできることがあるならやるけど)」と思うのは、行動自体、「特に何もしていない」けれど全然違うものだなと思いました。
見守られている安心感、何でも言い合えるような関係性、改めて大事だと思いました。
僕も地域でコミュニティ作りやイベント事業などをしたり、しようとしている中で、大事なのは、「何をするか」「内容がどうか」以前に、やろうとしているもの同士で「本当に親しい関係性」を築けているかなのだと深く思いました。(30代男性)
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心の声を聴こう ~内観コース~

自分を見つめる時間を持ちたいと思っていませんか?
自分の<気持ち><心>を忘れていませんか?
静かな、ゆったりとした空間に身を置いてみると・・・
自分のこれまでの人生、どのように見えるでしょう。
自分の成り立ちが見えてくると、視点が広がり、心が軽くなるようです。
今回は、10月「内観コース」に参加した人の感想の一部を、紹介します。

前回に比べて過去をより詳細に思い出せていた。
幼い自分がそこに立って、歩き、視点を様々な人や場所に移していくことで、「ああ、そういえばこの人がいた、この場所はこうなっていた。」と思い出していき、それにまつわるエピソードが繋がっていく。それだけでも楽しかった。
さらにその頃の自分の感覚、無邪気に何か面白いものを探して、赴くままに思いっきり遊ぶ。ただただ人と笑いあって楽しく過ごしたいという感覚が思い出され、懐かしくて嬉しくて、涙が出てきた。今の自分には忘れ去られ、無くなってしまったのかと思っていたものが、こうして思い出せる。忘れていただけでまだ失ってはいないと思えた。
過去の記憶は現在の認識、言葉の成り立ちに大きく関係していると思う。過去に思い出される情景は、そのまま現在の周囲の環境の認識に繋がっている。なので過去の記憶を詳細に思い出していくということは、現在自分が捉えている世界を知っていくということと同じような感じがする。
ただ観るだけでいい。
これはこうだから良い、悪い。あの時はもっとこうしておけば良かった。あの人は嫌いだ。
人や事柄に対して、自分の中で既に意味づけされているものがある。また、思い出した記憶にすぐに意味をつけたがる自分がいる。「ああ、そういえばあの人はこんな事をした。だからあの人はこういう人なんだ。」思考を巡らして色んな解釈をしたがる自分がいる。
でもそれは、あんまりしなくてもよいのではないだろうか。
それは自分の中の自然な部分というか、自動的に出てくる部分がやってくれる。
(20代男性)

父と母がけっして楽ではない、仕事を続けながら(幾つか転職もくり返し)私と妹に、食事をさせ、おそろいの洋服を着せ、欲しいものを与えて、新しい家に住まわせ、大学までいかせてくれたこと。
それは、今まで親として“あたりまえ”と思っていた私でしたが、内観を続けていくうちに、そらがどれだけ大変なことだったかに、気づかされ、涙がとまりませんでした。
父の人生、母の人生にこれほど思いをはせたことは、今までまったくなかったと思います。
自分の人生をふり返ったとき、幼少期や小中高時代のトラウマとなるような場面(自分の記憶)が、いくつかありました。
人生につまづいた時には、その記憶を思い出し、「あの時、私は父や母から傷つけられた!」と人生がうまくいかないことを、親のせいのように思っていたこともあります。
今回の内観で、ずっとひきずっていた幼少期のトラウマが、ことごとく反転していきました。
自分劇場でトラウマだと捉えていたことが、対等に観ていく中で、その時の母の状況、父の気持ち。記憶に表れた細やかな場面など、違う視点で、観えるようになり、「あ~、わたしの勝手な思いこみにすぎなかったんだ」
「あの言葉は、本心ではなかったかもしれない」
「父も大変な状況だったよな・・・。今私がその立場だったら同じこと言っただろうなぁ」とか。
こんな風にそのときの場面を思い返して観ていくことで、トラウマだと思っていたものは、トラウマでは無くなり、逆に両親に聴いてみたいこと、そのころの両親と話してみたいことに変わっていきました。
とても貴重な体験でした。(50代女性)
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「人生を科学する」

「人生」というと、それぞれの生き方の話しにもなりますが、そのまえに、そもそも「人とは何か?」「人の一生とはどういうものか?」と、人の内面的成長に焦点を当ててみると・・・
人として誕生し、親や周りの人達の何を吸収して、育つのでしょう?
人としての成長とは、どういうことでしょう?
9/25~「人生を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。

とても強く残っているのは、「生きる」にしろ「自分」にしろ「心」にしろ、自分がどういう捉え方をしているか、が、とても大きいという事。
自分の捉え方、見方を実際だと思い込み、それによる心の状態で自分自身や、人、人生をとても狭く、貧しいものにしている自分に気づいた。
実際の人間、その人間性による知性の働きなど忘れては、すべて物事は分かる、捉えられるというベースの考えがとても強く自分の中にあるな、と思った。
日々、常に何かをしている、その元には何があるんだろう、何か欲求を満たそうとしているのかな。
その欲求も、でたらめにあるのではなく、何か方向のようなものがあるのだろうか。
その先にあるものが、自分の人生の目的なんだろうか。
まだまだ、サッパリわからない「目的を知るが目的」のような感じだが、実際はどうだろう?
自分の本心は、目的はどうだろう? と、知性を働かせて生きたいと思う。(20代男性)

人とはどういうものか?心と知性がある。心は人の本体ではないか。生まれた時は、心になる芽が備わっていて、生まれてきた環境、母、父、家族などの愛情を受けて、受けて、芽が開き、心として成長していくのかなというイメージ。心には形はなくて、目に見えないもの。心って見えないし、わからないけど、自分を見ても、あるような感じがする。気持ちとか、欲求、などの見えるもの感じれるものの元のもの。心の状態はどうなっているのだろうか?見えるようになりたい。
人の豊かさとは?心が豊かというと、お母さんのような心ではないかなと思う。子供に無条件に与えるだけで、与えることで自分自身が豊かになる。赤ちゃんや小さい子供は与えられて、守られて育っていく。お乳を飲みたい赤ちゃんの欲求と、赤ちゃんが飲みたい時に乳がはり、飲んでもらって嬉しい母子の関係がある。子供がもっと食べたいと要求すると、自分の分がなくなっても、食べさせたいと思う親心があるなあと思う。
人の成長とは?
人の特徴は、知性と心
素直な欲求が満たされて、心が安心満足
真理、事実実際とはどういうものかを知りたくなり、知っていく。
自分の成り立ちを知って、自分や自分の周りのものの存在する背景を知っていくことで、捉え方が理に沿ったものになり、心も豊かに成長していくのではないか。(60代女性)

この7日間、5人の仲間とともに、自分を見、人について、人生について、知性を働かせ、考えてきた。その間、心の中に生命エネルギーがゆったり流れ、満ち満ちてくるように感じた。ともに探り求めながら、一人一人の中で何かが動き流れ、その流れが互いの間を行き来しているようで、何だか、ひとつの大きな生命の流れを感じるようだった。

★ 地球-生命-人類-私 … すべては“ひとつ”
雨・川・海・蒸気と形や場所、あらわれは変化するが、水は水(H2O)で元は同じひとつのもの。原子レベルで見れば、水も空気も大地も植物も動物も物も人も、あらゆるものは原子の集まりで、その集まり方が違うだけですべてのおおもとは原子。
生命体は、H・N・C・Oの4元素が集まりまた散っていくあらわれ。生命を生み出す生命エネルギーの大きな流れの中で、この4元素は集合離散し、生命は誕生-死を繰り返している。
人はみな、同じ元素を持つ地球上に生きる人間同士、元はひとつ、であり、またその一人一人は固有の個性を持った異なる存在でもある。

★ 人って、何だろう?
人は、人の中で生まれ・育ち・生きることで“人”となることができ、一人では“人”になれない。周囲の人々や環境から何かを得(糧)、また何かを与える(影響)、このやり取りのなかで変化し成長していく。(60代女性)
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自分らしく生きているだろうか?

「サイエンズセミナー」は、自分を知り、人と社会を学ぶセミナーです。
「こんな人になりたいな~」「こんな社会になったらいいなあ~」など、誰の心のうちにも希望や理想があるでしょう。
でも、いつからか、「自分には無理」とか、「世の中はこんなものだ」と、諦めてしまっていませんか?いや、ほんとうに忘れてしまったのでしょうか?
自分らしく生きるための人生が、そして、誰でもが自分らしく生きられる社会が、良いと思いませんか?

9月に開催したサイエンズセミナー参加の方の感想の中の一部を紹介します。
次回は、11/19~24で、開催。参加申し込み受付中です。

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周りの環境、住んでいる社会、人の気風、自然等、自分をとりまく要素もとっても大切。
密接に結びついている。
親しい間柄というのがベースにあれば、より、調べやすいし、楽だし、早いし、楽しい。

何が、ホントの自分かわからないけど、ホントの本当を探しながら、そのプロセスで、自分を知っていくって楽しい。
とまらないでいるのがワクワクするなぁ・・・と感じている。(50代女性)

色んな理由や、説明、解釈など、自分自分の振るまいや、感情、行動、気持ちはあるが、その向こう側、それがやってきている所に何があるのか?
起こっているのか?
その源泉に近づくことが、自分の生きやすさに近づいていくことでもあるのかな?
ただ、それは自分一人では難しい気がする。
生まれてからここまで、多くの人々の心や意識の関りによって、自分の心がそのようになってきたように、そこへ戻っていくことも、また、多くの人々の心や意識の関わり合いによって可能になる気がする。(30代男性)

「ひとがその人らしく生きること」
このテーマをまずは自分がそう生きることが初めのステップ。
そしてそれには、共通の願いをもつ人たちのコミュニティという環境が必要だと感じました。
いつの日か、この日本が「その人らしく生きる人」ばかりで溢れ、そのことが当たり前になり、心に鎧を被ることがむしろはずかしく感じる。
そんな社会が近く実現するように思います。(40代女性)
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