自分について、どれくらい知っているだろうか?

「自分って、どんな人だろう?」と、自分の行動や思考、感情など、自己観察し、科学的に調べてみませんか?
誰かと比べたり、周りの人から言われて、自分って、こういう性格だとか、~が苦手だとか、得意だとか、いろいろ自分について、思うことはあると思いますが、そもそも、「自分ってなに?」、「もともとの自分って、どんな人だろう?、なにを望んでいるのだろう?」と、「自分」に「人」に関心が湧いてくるようです。
1月「自分を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。
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「何に関心があるか。」 すべて自分の願望が出てきて驚いた。
この中には、人からどう見られているかに関心があるということもあった。
だけど、全て自分の感覚であるという自覚できた時、他人の目をそんなに気にしなくなった。今まで生きてきて、他人の目に捕らわれるような感覚をずっと持って苦しんでいたが、これは本当に嬉しいなと思う。
自分に一番関心がある。 そのままでいいんだなー。
今までは、エゴイストとか、他人を思いやれない人間?とか、、まるで悪いことかのように捉えていた。
だけど、自分は自分のままでいてもいいんだなと、感じてとても楽になった。
嬉しいな。
「頭の中の近況、何に関心があるか?」が大分変った気がする。
今までは、自分の軸を持ちたいとか、認められたいとかが大きく占めていた。
でも、自分の軸なんて持たない方がいいな。
人から認められる必要なんてなかったんだなと思い、今はとにかく自分のことが知りたい、楽しく生きたいという思いが大きい。
自分を好きになりたいとか思ってたけど、なんかもう好きだよなーと思った。
今まで自分に対して愚痴を言ってきて、嫌だなと感じていた人、その人のことをふと考えると、何故かすごく愛おしいなぁ!という思いが出てきて、びっくり! 仲良くなりたいな。 気をつかわない関係になれたらな。 
私が一番大切にしたいのものは自分。 今、そう思っている。 自分をもっと大切にしてあげたい。
私が自分を大切に生きることで、周りも楽に生きられたらいいな。
わがままだと思われるのが嫌だと思っていた自分にとって、わがままでいいじゃーんと思えたのはとても嬉しいことだった。
自覚で見えてきたものが沢山ありすぎる。
もし何か感情が沸いてきたら、本当にじっくりと味わったり観察したりして見てみたい。
欲求とかも同じく。(20代女性)

自信を持つことがイイコトだとされる社会で生まれ育ち、「自信なしにどうやって生きていけるの?」と思ってる自分を発見した。
“できない”という自信、自信がないことに自信がある等の聞きなれない表現を耳にして目からウロコが落ちた。
自信のある・なしで一喜一憂し、踊らされていたことに初めて気づいた。
自信がなくても生きられる社会?!・・・私にとって全く新しい概念だけど、自信持つことに力入れて緊張と競争に満ちた社会より、ずっと肩の力抜いて生きられそうだし、そこには安心がありそう。(50代女性)

「自信のある考え方と自信のない考え方」というテーマがあった。
「自信のある」ということは何なのかと調べていくと、実際でないものを大事に、それがなくなれば自分も無くなるような感覚を伴うもので、意識してそれを離すことが出来ないとなっているもので何故そうなるかは種々の原因がありそうで、複雑怪奇にも見え、それを維持するのに相当なエネルギーを要するもので、、、、と。そしてそれが及ぼすものは自分に強いるもので、それだけに止まらず人にそうさせようとする。
「自信のない」というのはシンプルで簡単で無駄なエネルギーを要しない。
人にたいしては親しさや愛情のみが溢れる。
自信のない考え方、実際に即した考え方。
「何時に行きます」「了解」その時間が過ぎた。どうしたのかな?30分過ぎて来た。「よう来たね」とそのつどそのつどその人を思う。(60代男性)

私は、自分と異なる感覚のことを言われると、特に家族に対して、「おいおい大丈夫か?」と自分が正常であるかのように思ったし、それを相手に堂々と表現していた。
ひどいことをしていたのだ。
感覚と考えと思い込みが全部一緒になって錯覚している自分。
だから人とのズレに対して感情的なっていたのだな。
「約束」はどこにある。
人と待ち合わせを約束した瞬間に、約束がかなっているイメージが浮かび、人と待ち合わせして来なかった時に、自分のイメージを事実化して、それを基に感情が生じる。
この感覚には、本当に驚いた。
事実を捉えていない日常、自分の中に生じていることにだけ反応している日常だったのだ。
今まで生じていた、人との関係の中での感情は、事実とは無関係だったのだ。
愕然とした。
「事実化のメカニズム」を知るかどうかは、人が生きる上で大きなカギになると思う。
探究したことで自分のことを耕した感覚があり、いつしか日常の中で無意識の内に、作用していくものと思っている。
探究の最後に「自分を知るためには」という問いがあったが、この問いに対する自分の
考えを、暮らしの中で検証したい気持ちが高まっている。(40代女性)
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