人と社会 どうなっているのだろう?

「みんなが幸せに生きられる社会。」だれでもが願っていることでしょうが、
そもそも「社会」とは、どういうものでしょうか?
3月「社会を知るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。

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「人と人」を「個人と個人」という観方で観るのが強かったのかも。
それで、行き詰っていたところに、今回、「社会」という視点で見てきて、目から鱗だった。
自分の中の「社会」というもののイメージが、がらりと変わった。
今までは、社会は大きく上にあり、力があり、個人は下で社会に従わねばならない。
そんな感じだったのが、社会は人人人、人がいる。
一人一人に自由意志があり、社会は、そのベースとなって、人が人らしく生きるのを支えていく。
そこから、人(誰か)の中のやりたい気持ちが寄って、社会的な仕組みや機関ができていく。
これらは人(私)の一部であるし、人(私)も社会の一部。
対になることは、ありえない。(50代女性)

社会と人は、別なものと、捉えていたが、人は、大きな社会の中に抱かれて。。。
社会と人と、別けようもなく、一つだった。
初めて自分が溶けていった、離れようのないもの、そのゼロベースで、大きな転換点だった。 社会と人 →「一つ」(70代女性)

「権利・義務、責任、所有」
- 私たちの意識を支配している今の社会の根幹について、これでもかこれでもか、と見てきた。
上下で、力で、一人一人を分断し囲おうとするこれらが、いかに私たちの内面の奥深くまで浸透しているかを実感した。
なぜ私はこう考えるんだろう?こう思うんだろう?こう感じるのだろう?と、自分の考えや思いや感じを剥いでその奥を探っていくと、その奥底、足元にある流れが見えてきた。
その目を周りに向けると、その流れは周りの人たちの足元にも流れていて、それは世界中の人とつながるひとつの流れになっている。
もともと人と人はこの流れでつながっている。(60代女性)

自分や社会を縛っているもの、人間の作り出した考え(責任、権利、義務、所有、悪平等など)とはどういうものなのかとゆっくり考えられた。
それがあると架空の世界を実際のようにし、人の姿が見えてこない。
自分はなにで動いているのだろうか? まわりの人はなにで動いているのだろうか?  なにを願っているのか、もっと知っていきたくなる。
なにか私の中で動き出している。(60代女性)

“子どもが子どもらしく”だけではなく、子どもも・大人も“人が人らしく”成長していくための社会。
権利や義務、責任、所有から開放されて、自分も、人も、社会も縛る事のない、自発的な自由意志で調和され、保ち合う社会。すでに実現していたんだなあ。 
日常から「本心はどうかな?」「どういう状態だったかな?」と観察していきたいし、そういう風に成長し合える間柄(社会)にしたいなぁ、と思う。(20代女性)
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ほんとうは、どうなんだろう?

自らの知性で、私の心を訪ねてみよう。
3/18~6日間、アズワンセミナー開催しました。
参加した人の感想の一部を紹介します。

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素朴だけど、生きていく上で向き合わざるをえないテーマのひとつひとつと、じっくり時間をかけて取り組むこと、さらには全国各地から集まった方たちの話を聞くこと。
こういう場でなければ、中々出来ない体験でした。(40代男性)

実際にセミナーの中でみんなで考察していくと、他の人の考えから違う気付きがあるし、角度を変えた問いからも新しい視点が生まれ、予想が覆されました。
新しい気付き・考え方が自分に生まれると、とてもワクワクします。その視点で次のテーマに取り組むのがまた面白く、毎日今日は何のテーマだろう?と楽しみでした。(40代女性)

これまで、仕事をしてきた中で、とても感じていた苦しさや、意味のなさ。
それは、なんなのか、ここで分かった。
それは、計画、こうすべきという枠、多くの常識の中のすり合わせに、無理して押し込めようと強いたことだった。
結果に向けた考えや行動を求めていた自分。 順序が逆だったのだ。
「ホントのホントの本心」から始まる、これらの世界。
心から楽しみである。(40代女性)

お金、戦争、エネルギー、資源の関係を突き詰めていくと,結局は心のあり方に行き着きます。
平和に生きるための理想や手法は巷に溢れていますし、個人として上手くいっている人やグループは知っていますが、世界のコミュニティで上手くいっているように、感じたことがありませんでした。
その原因は共通して人間関係だと分かりました。

やっぱりどこまでいっても、始点は自分。 終点も自分。
世界がうまくいくことを、どうしても諦められないのも私。
ゼロに立ち戻る身軽さと好奇心を意図しつつ、できない時の自分を愛しみつつ、探究を続けます。
一人じゃないって、本当に安心で嬉しいものですね。(50代女性)

いい、悪い、やる、やらない、こうすべき、こうあるべき・・・
日常はそんな私の価値観であふれています。
「目の前にあること、起きていること」と「私の中で起きていること」の区別がついていないということに気付けない。
だから相手のせいだ、いや私のせいだ、あっちだ、こっちだ、と白黒つけることが目的のようにも感じられ、気づけば自分も周りの人もいつも怒ったり、泣いたり、対立したりの繰り返しです。
本当の自分の気持ち、今ある思いや感情の背景にある何か、なんて調べる余裕がない日々でした。
コップのワークの時に感じたあの温かいつながりの感覚。
あれが私のほんとのほんとに感じたいものなんだと今は思っています。
あんな温かい感覚を誰かと分かち合いながら暮らせたら、それが私の幸せな状態なんだと思っています。
私の平和のイメージそのものなんだと思います。
それはどこか別の場所で知らない誰かと始めるものではなくて、今ある関係の中で、自分の中と外を丁寧に見つめて育んでいきたい、それが正直な思いです。
私の喜びは相手の喜びで、私とまわりの境界なんて意識がなくなって、私が心からやりたいと思ったことが誰かの幸せにつながったらいいな。
その幸せが波紋のように広がっていった先に争いや対立のない世界があるといいな。
これこそが子どもたち、先の世代への贈り物であったらいいな。(40代女性)
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私は何を望んでいるのだろう?

2月22日から一週間「人生を知るためのコース」が開催されました。
韓国からの参加もありました。
「人とはなにか?」 「人の一生とはどういうものか?」
今までの自分の人生を振り返りながら、じっくりと根本から、「人生」を問う機会です。
参加した人の感想の一部を紹介します。

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数多くの経験を通じて、私の気持ちを総合して'私はこれがしたいのか?'と見るより、「私は何を望んでいるのか?」「私が持っている心はどうなのか?」と直接見て理解すれば、現象に現れた感情はその元から現れたことなんだというのを知ることが出来そうだ。
私の本心はどうかを見つめながら、感情、気持ちの根源をたどって行くと暖かくて平穏な、ある原初的な感じがある。
何か認識や感情がねじれて苦しみが起こる。
親しく過ごしたい本心が歪曲されて人と距離を置いたり、何か不足感を感じて満たそうとしたり、本来の心に焦点を合わせないと、満されたとしても、虚しい満足感や安心感が繰り返されるのではないか? 安心する満足するためには、本質的に私は何を望んでいるか、を知っていくことだ。 (30代男性)

これまで、心を大切にするということは、良い感情を持つことだ、と理解していたため、考えで感情を良いように変えようとする努力を長くやってきた。
しかし、人間として持って生まれた安心や満足に対する本能のような欲求は考えで変えられるものではないんだ。
その声に耳を傾けて過ごしたら敢えて考えで感情を変える必要もないんだ。
心に焦点を合わせて生きていけば、人の言葉や行動や現在の気持ちの状態よりもその人の心がどうか、不安ならどうすれば安心と満足の状態に進むことができるかについて調べるようになるんだ。
私たちはみんな同じことを追求する存在なんだ。
心が何か?よく解ってないが、安心と満足を追求する深いところの私がいるということに気づくだけでも人生が転換されるような大きな変化が感じられた。(30代男性)

心が汚れているとか、暗いとかあるが、本当に心が汚れているのか?
汚れが付いているだけで、心自体は汚れたり暗くなったりするものではない。
本来の心、色々な考えで見えにくくなっているが、それはいつでも変わらなく、人なら持っているものだと思う。どんなに現れたものがひどいものでも犯罪をした人でも、本来の心の方に目を向けてくれる人と話ができたら、救われる思いがするのではないだろうか。本当の自分を見てくれると感じるのではないか。(20代男性)

今私の中で願っている「何か」を深く探ってみた。
驚いたことに、「私を見て、私とあそぼうよ。」という幼い子供のような気持ちが見えた。
一緒にいた人たちに素直に表現してみて、何か変化が感じられた。
清々しさ、軽さ、満足感。
長い間、考えで、見ないように生きてきたんだなあ。
心をさらけ出してみるとより満足できるんだなあ。
こんな風に心をありのままにさらけ出して生きていきたいものだ。
私も私の周りの人たちと心ゆくまで共に生きていきたいという気持ちが強く湧き上がってきた。(30代女性)

「成り立ちを知る。」今までも頭では、そう思っていたが、自分の育ちをふりかえったり、今ここにいる自分を見たりして、「成り立ちを知る、その育景を知る」ことが大事。
人が生きるというのは、生れて、まわり(人・社会・自然などなど)をすべて受けて、形成されてるぐらい大きいと思った。
人が、人らしく(本心で)生きられるのは、どういう社会かというのが、もっと知りたくなった。(60代女性)
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「知っている」って、何を知ってる?

情報を得たり、自分の体験から、「こういう人」(例えば、優しい人 仕事のできる人など) 「こういう物」(例えば、甘いイチゴ 汚い部屋など) 「こういう出来事」(例えば順調な人生 忙しい日々など)と、言う時、自分は、その人や物事について「知った」つもりになっていませんか?「もう知っている、もうわかった」としていませんか?
長年共に暮らしている家族、自分自身についても、例えば「母はこういう人だ」「自分は、こうだ。」と、キメている状態から、見ていないでしょうか?

「自分を知るためのコース」(1月)に参加してみての感想レポートの一部を紹介します。

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僕は時々、人間関係がキツクなる時がある。友達間ですらも。
それは何で? って考えたら、僕自身が僕自身をこーゆう人間だ、こーゆうキャラだってキメつけて不自由さを感じていた。
事実・実際など誰も知り得るハズもないのに、人間が考えただけのこと、それがあたかも事実・実際のようになり、強大なパワーを生み。
人の悩みの種となり、思い込みという名の根を張り巡らせていく。
人はキメつけたがり、共有し合いたがる、か弱き生き物。
それも、また自分。
そんな自分に興味を持ち、何で? って優しく、ゆっくり観察していけたらなぁ・・・
自分について知ることは出来なかったけど、自分について知るための考え方は何となく分った気がしている。
自分探しの旅、いや、自分観察の旅はまだまだ続いていく。(20代男性)

「正さ」という名の自縄自縛。 
皆縄皆縛・事実化・集団事実化から「実際はどうか?」に向かう時、まず一人が事実化された事実から抜け出すこと。そして、事実化の問いを共にできる人の存在が「正しい」という「人の考え」「人々の考え」を超えた人間と人間の暮らす新しい世界観を、新しく続けられるのかもしれない。
まず、一人。は自分自身。(30代男性)

自分をいかに知らないかと言う事に気付いた6日間でした。
その知らない自分も愛おしく感じられて、さらに知りたくなった。
霧の林のなかから手探りで抜け出した4日目から、面白くなって、感じたことを素直に表現していけばいいのだと言う、開き直りのようなところが出てきて、楽になった。
実際はどうなのか? と問う事さえしなかったと言うより、そう思って、自分を見ていなかった。
日常の生活に戻って、人と接する時に自分がどう感じるか観ていく楽しみができた。
(60代女性)

まさか事実・実際が捉えることのできないものだったなんて…
まさか自分の感覚があいまいな不確かなものだなんて…
まさか自分がこんなに決めつけていたなんて…
まさかこんなに知ったかぶりを日常的に繰り返していたなんて…
このコースに出る前と後では、
世界がひっくり返った!? ほどの衝撃をうけた感覚を持ちました。
それは、ぶあつ~い常識の皮を何枚もはぎ取るほどの大きな出来事…
少し気持ちが軽くなり、もっともっとみんなで幸せになれる予感。(40代女性)
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知性の発揮~アズワンセミナー

誰もが幸せを願い生きています。が、
「幸せに生きる」そのことに、人は、頭脳や時間をどのくらい使っているでしょう?
アズワンセミナーは、人と人の安心のなかで、
自分の頭、みんなの頭を寄せて、
「どうなっているのだろう?」「なぜだろう?」と
素直なお互いとなり合い、知的に話し合う体験です。
1月のアズワンセミナーに参加した人の感想の一部を紹介します。

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セミナーが始まって最初に感じたことが「つまらない」でした。
初日の探究会が終わって「あとこれから5日間も続くのかぁ」と考えたら、正直、帰りたくなりました。
ですが、みんなと共同生活をしていく中で緊張感も溶けていき、自分の意見も少しですが、話せるようになりました。
そうすると、どんどん楽しくなってきて、より深く探究することもできて、「最後までできる!!」と思えてきました。
同じテーマでやっていても、一人ひとり考え方が違っておもしろいし、その考えを聞いて、自分の考えが変わっていくのもおもしろかったです。(10代男性)

そっか、探究するのかって思い出して、気持ちが楽になった。
また、無理に話さなくてもいいんだって思って、ほっとした。
人間何かしらの制限を背負っていると思うけど、それをゼロから、何もない所から考えていけたら楽しいなって、リセットした状態で見れたらもっと自然に生きれるんじゃないの?って。
もっとしたい気持ちが溢れてくる、もっと探究したい。
嫌な感情も愛したい。所有って何だろう?Aさんは、なんで家族に反応するんだろう?喧嘩をしたくない心理はいったいなんだろう?このもやもやはいったい何だろう?
こんなことを探究するとわくわくする。(20代男性)

とても充実した日々だった様な気がしますが、何を話しあっていたか記憶があいまいな感じです。
何か得られたような、何かがはずれたような・・・
たまにはぶつかったりするのが当たり前って思っていたけど、そうでは無い事に気付きました。
本当に幸せで心からやりたい事ができ、相手との違いを受けとめ合う間柄に、心から本音で話せる安心、安全な場になれたとしたら、ぶつかり合う事もないのだと思いました。
幸せって、楽していいんだなぁ。
今まではすこし歪んでいたかもしれないなぁと思い返してみています。(40代女性)

「世界中のみんなで幸せになろう」
5泊6日間、寝起き、掃除、食事と生活をともにしながら、実際はどうだろうと「世界中のみんなで幸せになる」ためにはを知るために、準備された問と、本を使って、12名+スタッフ3名と探究をしていった。
社会を改めてゼロから見ていくための問い
アズワンの世界に導くための問い
未の関係から有の関係への移行
関係性の変化を使った問いの探究
セミナーそのものが新たなコミュニティの構築とネットワーク構築をはたしている。(40代男性)

今回12名の参加ということで、とても多いので、自分の中を深めることができるのかなって、正直、不安、嫌だなって思っていました。
そして、探究会の最初のほうは、何か言葉じりを捉えているなあとか、話が違うほうに行ってるなぁ、深まってないなぁと思ってイライラしていました。
だけど途中で休憩の後に内容は覚えてないけど、A君が自分の気持ちを言ってくれた後から、少しずつ雰囲気が変わった感じがして、自分にとっては居心地の良い感じになりました。
その後は、何で自分がイライラしてたのかなぁって考えてみると、「ここはこういう事を話し合う場だろ」とか決めつけがあったなぁと思い、また、それぞれの人が何でそういうことを言ったんだろうって、人の気持ちに向いてなかったなぁって思いました。
何かそんなことに気付く(?)、感じて、人に気持ちが向きはじめると、自分が変わったのか、周りが変わったのか分からないけど、穏やかな雰囲気になり、とてもリラックスした状態で、探究に臨めました。
そうすると12名という多さが逆に良かったなぁと思えてきました。
人数分の気持ちがあり、自分が思いもつかない色んな面からの見方を気付くことができたからです。(40代男性)

初めて出会った人達との5泊6日の中にはそれぞれ色々なことが起こったと思う。
今まで当たり前にしてきたことを崩される恐怖。
自分がなくなってしまうのではないか。
それを外すというのは苦しい、怖いという思いが強いのかな。
けれどそこに責めがない、上下がない、義務も正義も、ない・・
この無い無い尽くしの中では誰もが素直になっていくように感じた。
世界中の人が幸せに暮らせる社会の実現は可能だなという事と自分のやりたいことがまた一つハッキリ見えてきたように思う。
やりたいのは事柄じゃなく「人」のこと、気持ちを向けたいのも「人」のこと。
全ては「人」に。(30代女性)

知識・経験はあるが、それをそうだとキメつけたり、前提として考えないで、ゼロから「実際はどうだろう」と探究する。
この言葉をじっくりと体の中に入れていく6日間だった。普段、いかに自分自身の知識・経験に頼って、そこに当てはめることをしているかということを実感できた。
「丁寧に生きる」という当面の自分のテーマが見つかった。丁寧に生きたいなあとなんとなく思っていたが、今回のセミナーでそれをしっかりとしたテーマとして位置付けることができた気がする。
社会というものをよりよくしていく時に、無理せず、人間の本質に沿っていくことで自然に変化していくという考え方にとても共感した。どこか無理して世界を変えようとするのではく、自分を見つめることで無理がないプロセスで世界も変わっていく。これは丁寧に生きることにもつながっている。
お金や所有についてはもっと探究していきたいテーマであり、どこかでじっくりと話を聞く機会をもらえないのだろうか?
人がライフスタイルを大きく変えようと思った時にはこの部分が壁になりやすい。その壁をどのように捉えて、そしてその壁をなくしていくか、もっとオープンに見えるようになると、もっと軽やかに生き方を変化させていく人が増えるのではないかと思う。(50代男性)
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