自分を観察してみよう。~ 自分を見るためのコース

自分自身に対してや、日常の物事の観方や捉え方は、それぞれの価値観・人間観・社会観などを物差しとして判断しているのだと思います。

その物差し自体は、自分に身に着いてしまって、日常では自覚することもなく、当然のようになっていることが多いと思います。

その物差し自体を観察して、客観的に調べられるようになることで、キメつけや頑固さから放たれ、素直に自分自身や物事を見ることが出来るようになるでしょう。

7月「自分を見るためのコース」に参加した人の感想レポートの一部を紹介します。



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「自分が何を見たのか?」  道

「そこから何を捉えたのか?」  家へ帰る道

「反応は?」  安心

普段、見たものと反応がごちゃごちゃに混ざっていたり、自分が特定の捉え方をしていることを忘れたりしている。そしてそのまま、それが事実だと思い込んだりする。それを繰り返しているとだんだん視野が狭くなっていったり、自分を追い込んでいったりするのかな。

あとは、「見る」ことを妨げる一つの要因として善悪という話もあった。

自分の捉え方や反応に良い悪いを考え始めると見えにくくなる感じがある。

こんな捉え方をするのは良くない、とか、こんな反応をしては良くない、みたいな。

捉え方や反応そのものに良いも悪いもない。

怒るのが悪いとか、そういう話ではない。

反応や捉え方はいろいろしていて、それをどうこうしようという前に、まずはそのものを見てみる。

そこから始めることで、自分の捉え方の癖を自覚できたりするんじゃないかな。(20代男性)



○○さんを見て、イラッとする反応が出た。

その時点では、○○さんの言動に反応したようだった。

けれども、自分の中で起きたことを見てみると、自分の捉え方があるのが見えてきた。

自分が、○○さんをどう捉えているのか、ひいては、人というものをどう捉えているか、にも通じると思った。

「こうしよう」となったら、相手はそうするものとか、そうして当然とする捉え方。

逆に言えば、自分はそうしなくてはならない、そうしないのはよくないとする捉え方。

まずは、こういう捉え方をしている自分だということ、このことをじっくり見ることができた。

こういう自分の捉え方という自覚があるということ、ここから始まると思う。

これから、自分に起きてくる反応を見てみるのが楽しみだ。(60代男性)



赤信号は止まるもの、交通ルールだから、しかし、やはり、自分の中では、赤信号は止まらなければならない。

と思っている自分がいる。

だから、赤信号を見ると、ちょっと、不愉快な気持ちになる。

そう反応している自分に対しても、何か認めたくない自分がいる。

事実を受け止めるんだとか、ささいなことに動揺しないとか、そういう考え方が自分の素直な反応を見ないように、制御している自分がいる感じもある(分析だから、そうとらえるのも自分の考えの方)。

この微かな動揺は、人に対して起こっている。

人の行為を分析してみたくなるのは、自分の反応の仕方を納得・理解したいからか・・納めたいと思うからか。

みんなが自由奔放にしていたら、何か自分の気持ちが収まらない感じがある。

「ただ、見る。」

「ありのままを見る。」

「どう反応しているか見る。」

「どのように捉えているか、見る。」

まずは、素直に自分の中に起こっていることを見てみたいなーという感じ。(50代男性)
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自分をそのまま見ると

「自分」を観察してみましょう。

私は、何を見た?そして、どう思った? 

私は、今、何を思って、なにをやろうとしている?

その都度の自分の状態(言動 感情 気持ちなど)をそのまま見てみると、自分のホントの気持ち、自分の願っていることが、見えてくるかもしれません。

6月「自分を見るためのコース」に参加した人の感想の一部を紹介します。



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「自分を知ること」を実現していくために「自分を見る」ということをやっていく、と聞いて、始まる前から楽しみでした。

「自分を見る」という事を一つ一つ丁寧に進めていくこのコース。

自分の考えている事がどのようなプロセスで正しい、とされていくのか?

自分が、実際にどこで引っ掛かったり、嫌な思いが湧いたのか、などがほんの少し明らかになったように感じます。

「掃除することになっている」「探究会は9時スタートと聞いている」

など、聞いたら当たり前になんの疑いもなくやっている事について、

自分の意志は?自分の気持ちはどうなっているのか。

なぜルールのように感じている事については、そのままに行動しようとするのか。

その中身はどうなっているのか。

行動する度に、自分の中を見ようとするようになってきました。

「自分は何をやっているのか?」「何をやろうとしているのか?」「実際には何をやっているのか?」

無意識にやっていることってたくさんあります。

むしろ無意識にやってることの方が多いくらい。(30代男性)



「見る」とはどういうことなのか。

過去や現在の自分の中で起きていることに意識を当てる。

何かを見て、聞いて、自分なりに捉えて、反応が出る。

反応が現象として現れ、意識で感じることができる。

その反応を手掛かりに自分がどのように捉えているか、何を見て、聞いているのかを探っていく。

言い聞かせようとしたり、考えを展開しようとするのではなく、今の自分の中に起きていることを見ていく。今のところはどうすればそれができるかがわからない。

そこに今興味が湧いている。(30代男性)
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自分のことであるという自覚

「自分が聞いたこと」は、「相手が言ったこと」でしょうか?

「自分は、○○と聞いた。」ということでしょうが、「あなたは、○○と、言ったじゃないか」と、相手を指摘するような経験がありませんか?

「自分が聞いたこと」を、事実だと思い込み、違う意見は、否定したくなります。今の争いごとの多くは、ここから来ていると思います。自分の感覚で聞いたこと、自分の感覚で見たことであるから、個々の捉え方の違いであるとの自覚があれば、それぞれに違いがあって当然だと思いませんか?

7月「自分を見るためのコース」参加者の感想をどうぞ!



「自分を見るとは」というテーマで、ずっと調べながら、私は随分自分に関心がなかったことに気づきました。

「自分が聞いた、見た」としていることの中身は、自分に「見えた」「聞こえた」だったのか!

知っているつもりになっていましたが、見えた、聞こえたことを、見た、聞いたどころか、ゆるぎない事実のようにとらえている自分がいました。

「聞いた」と「聞こえた」の探究で、「自分が聞きたいように聞いてる」といったことが、心に響いてきました。そうだなあ、聞きたいように聞いてるんだ、じゃあ、わたしはどのように聞きたいのか?そこに、関心を向けると、本当の自分の心がもっと見えてくるのではって、今はそう思っています。(50代女性)



見て、聞いて、反応するまでの一瞬の間に、頭の中では、今までの経験や常識、記憶、情報、価値観などにものすごいスピードで照らし合わせて反応している事が分かり驚いた。

これは帰って来てからの事だが、知るためのコースを受けた後は、「実際はどうか」と言う観点で日常の出来事を見て来たが、見るためのコースを受けた後は、私は何に照らし合わせて(捉えて)反応したのか?と言う観点から自分を見ている事に気付いた。

昨日、いつもだったら混乱したり怒ったりする出来事を、相手がどういう気持ちで言ったのかを理解した(聞いた)ら、ただ「あなたはそう捉えたのね」と思っただけで、感情が乱れる事がなく驚いた。

私の中で何が起こったのだろうか?

相手が話している内容が、私の事を言っているのではなく、相手が捉えた事を話していると認識したからだろうか?

なぜか楽チンな自分がいた。

自分を見て行くと、今まで無自覚だった自分の気持ちに気付いたり、私って~だと思ってこうしているんだ、と気付くとちょっと楽しいと思っている自分もいる。

何を捉えて反応したのか分からない事の方が多いけど、実際自分の反応が違ってきている事を感じているので、「何かが」変わったのだろう。

まだまだ探究を続けて行きたい。(40代女性)
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「見る」とは、

今回は、「自分を見るためのコース」に参加した方の感想を紹介します。

「自分を見るためのコース」は、「自分を知るためのコース」を受講した人が対象の、3泊4日の集中コースです。

そのものを知るためには、<見る><そのまま見る>ということが、ポイントになります。

自分についても、物事や人に対する自分の観方・捉え方を客観的に見られるようになることで、知らないうちに、自分の中でキメているものに気づき、そのものへの関心、知性が働き始めることでしょう。



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「自分を見る」と「自分のことを思う、考える」

これが全く別の行為?であることに、とても新鮮な感覚を感じつつ始まった、久しぶりのベーシックコース「自分を見るためのコース」だった。

それぞれの人が出すたびに、その都度「それは考えて言ってんの?それとも、見て、言ってんの?」というスタッフからの問いかけもあって、自分の中で「自分を見る」が成されているかを押さえつつ、それを言葉にして、出したりしながらシンプルにやっていけたように思った。

反応を後から見てみると、捉え方にすでに事実化が潜んでいて、結果、反応もそれに伴った反応になっている。これはこれで調べる材料にはなっていくとは思うけど、後手後手感?が否めない。

日々、常に「見る時、聞く時」自分は何をしてるのか、自分の中に何が起こっているのかをしかと見た時、〝自覚”が自然と生まれてくるのではないかなと思った。(40代女性)



今の私はどのように物事を捉えて、世界を見ているのだろうか。毎日、見て、聞いて、起こる反応に糸口がある。実際の世界と私の中での認識の世界との区別、そして自分の中の世界で起こっていることについて客観的に見ていくこと。

まずはここから始まる。その次に、このすべてのことを通して、「結局、何をしようとしているのか」という人生の目的、すなわち、人間らしく生きるための方向性について、より明らかに見出したい。今の私って、この2つの作業、「どこが出発点なのかを見つけて、その前に立つこと」と、そこから一歩一歩前へ進むため、「足を踏み出す明確な方向を知ること」をやろうとしているところだと思う。

霞んでいた視界が一層、鮮明になってきた感じがする。希望的だ。(30代女性)



今までの普段の自分は何かに反応したあとの頭でいろいろ考えていることに振り回されてることが多いんじゃなかったのかなと思う。そこで自分で自分を納得させたり、押さえ込んだりして終わらせようとしたり、嫌なことはまた起きないように気をつけるようにしたり対処的に処理してた気がする。

そういういろんな考えが出てきた一番元の反応を見つめていくことで、今までとは違うことになっていくんじゃないかと思った。(20代男性)
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自分の状態は、どうなっているのだろう?

私たちは、自分なりに、五感で捉えたことに反応して、暮らしています。捉えたことは、その時々のものだけでなく、過去に捉えたもの(知識や体験など)も大きく関係しているでしょう。

自分が、自分なりに捉えているわけですが、自分が捉えたことを事実、実際であるかのように思い込み、そこからいろんな感情が生じて、怒りや争いになっていることが多いと思います。



5月の「自分を見るためのコース」に参加した人のレポートの一部を紹介します。



自分を見てみると、自分が見たり聞いたりしたことが実際のことのようになって暮らしているのがはっきりした。

ときどき修正しようとしているけれど、ほんとうにここのところをはっきり自覚することが、人と人のあいだの壁をなくし、親しい間柄になるための大事な要素と思えた。

ここのところがお互いにはっきりしたら、何を言われてもその人が捉えたことを言っているのであり、自分が捉えたことを言っているということで、同じと思われることを見ていても反応は異うわけだから、どうしてそう思うのかもっと聴いてみたくなる様に思う。

対立や争いのない社会はこの基本的な、子供にもすぐに理解できることを、実際に顕していくことかなぁ~と思う。(50代 女性)



自分が普段、何を見て反応しているか?

目に飛び込んだ物、手で触れた物・口で味わった物など一瞬にして、自分で、実際として、捉えてしまう。

事柄に追われて立ち止まって考える余裕がないと思っていたが、「事柄に追われる」は自分の中に実際あるのだろうか?自分の中で何かに反応して、そう思っているだけの気がする。

自分の外にある物に対して事実化している以上、自分の中にある経験・記憶・知識などに合わないと、不安になったり、相手を責めたりする、元になるような気がする。

「自分の中の反応だ」という自覚が必要ではないかなぁと思った。(50代 男性)



どんなにはっきりこうだとしてみたところで、自分独自の捉え方で反応しているだけ。<洗ってないお風呂>と、捉えた私の歴史が見える。(ちょっと大げさかな?)こんなこと考えていたら自分がいとおしいっていうか、かわいいなと思えた。自分独自と思えたら、なんか自分に興味が湧くっていうか。周りの人にもその人の一言に人生があるのかなと。

自分も人に対して重くなるのは、自分の中で起こっている自覚がない状態(実際になっている)からきているのかも?

探究会をとおして、明るく霧が晴れていくように心も軽くなってくる。自分の反応の事例を出し合って、笑いとばして、検べていくって楽しいな!こんなこと日常でやりたいなぁ。 (60代 女性)
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