雑感 スタッフのつぶやき  8/21 

<分かっているようで・・・>

「人の話を聞くとき、自分なりに理解して聞いている。」
「どういうこと?」

「自分なりに聞くこと自体、自分の中の反応であるわけだが、自分の反応とは思っていない。
むしろ、自分は相手の言葉(意味・気持)をそのまま受け取っているつもりでいる。
相手の話を聞いていて、ああ、面白いと言うときも、えっ、何?と言うときも、コトバにはしなくとも、自分の中にいろいろ出てきている。<捉え方>の面白さや<表現の仕方>の面白さを感じて反応しているように思う。そして自分の中で思い考えが展開いく・・」

「自分の反応に反応しているってことになるのかなあ?
相手には関心がいっていない?」

「あらためて、人の話しを聞く、というのは、どういうことしてるんだろうね?」

「そこを焦点にして、自分の中を観察してみようかな。」
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人生・社会に向き合う端緒にーー8月マイライフセミナーから

8月12日からはじまったマイライフセミナーは、
最終日の17日、"やさしい社会の試み”が実際にいろいろなところで、いろいろな人を通して現れているアズワンコミュニティの一端を見学した。
はたけ公園では、谷藤俊幸青年が案内してくれた。
真っ黒に日焼けして、笑うと歯の白さが目だった。
お弁当屋さんでは、岸浪龍くんが案内してくれた。
「7年前、うどん屋さんがはじまりだった。そこにいる美代子さんはうどん屋のおばさんだった」美代子さんは、今回スタッフでマイライフセミナーに参加している。
ACS(アズワンコミュニティステーション)では、坂井和貴さんが、コミュニティのしくみについて、コミュニティオフィスのことなど説明。

そのあと、大人と10代の人たちに分かれて、この社会を味わっている人たちと交流会。
「うまくいかないことの日々だよね」と笑い声が絶えなかった。

今回マイライフセミナー出発にあたっての感想、つぶやき。
「なんかこれこれのことが分かったとか達成感とか充実感がないのよね。」
「これから、一生かけて向き合っていきたいテーマをじっくり検討していける、そんなスタートラインに立てた感じがする。」
「たしかに、一つひとつのテーマはこれまでも考えていきたいと思ってきた。それが、時間切れだった。また、来たいな。」
「若い人たちの話すのを聞いていて、その感性に刺激された。」
「話していると、つい”なんでそう思うの?”なんて聞いていたりして。これからが楽しみ・・・」
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7月サイエンズスクール開催レポート

サイエンズスクールはここ数ヶ月、内観コースへ参加する人が目に見え増えている。
1週間の集中内観のあと、2日とか3日とかの短期内観に入る人も多い。
内観コースが、その人の暮らしの中で、欠かせない機会になっているようだ。
1ヶ月遅れですが、6月~7月のコースの様子です。

<内観コース>     6月29日~7月5日
 1週間の集中内観には3人の人が参加しました。
 そのうち、韓国からの参加が2人ありました。
 短期の内観というので、3人が研修所を利用しました。
 短期の場合でも、スタッフの面談機会があります。

<自分を知るためのコース>  7月6日~12日
 男性1名、女性2名の参加がありました。

<自分を見るためのコース>  7月14日~17日
 男性1名、女性4名でした。

<人生を知るためのコース>  7月21日~27日
 男性2名、女性3名でした。



○参加者の感想 抜粋して紹介します。

<内観コース>
男性 50代
幼少年ごろをしらべる時、お父さんからしてもらったこともあったし、それにありがたいと思いながらも、なんか心に残る物足りなさ、残念などがありました。
でも、お父さんは私が家に帰るといつも息子として受け入れてくれたということに気づいた時、涙と一緒にすごくありがたい気持ちが湧いてきました。
”お父さんは50年も息子として考えて、見てくれて、世話してくれたんだ”と ”捨てることも出来たのに、ずーっと息子として受け入れてくれた”と気づきました。
なぜかそのあとは子どもの頃の不満感がなくなりました。
そんな不満の気持ちでいたときもお父さんは愛情もって見ていたと思うと、その大きい愛情の光のなかで育って居るのを感じて、自分の不満とかは小さくなって、無くなる感じがしました。有ることの大事さを知らなかった・・・

<内観コース>
70代 女性
母が嫌いでもなく、何か問題があった訳でもないが、当時、母に対して、寂しいような、物足りないものを感じる事があった。何があったのかな、でもないような、そんな思いで、私と母の事を見ようと思った。
母が感情的になって叱ったり、お説教したりしたことは思い出せず、ちょっとしたおもしろい諺みたいなものは言っていた。
自分ではまずかったかなと思った事でも叱らないので、その事に物足りなかったり、寂しくなるようだった。
母は、男物の洋服を仕立てる仕事をしていて、三つ揃いの背広、オーバー、コート、モーニング等を手掛けていた。
小学校4、5年の頃から、学校から帰ったらすぐ仕事場に行って飽かずにながめていた。無口な母も洋服作りに関してはいろいろ話してくれたし、質問にも答えてくれた。生地の見本もいっぱいあったし、専用のおもしろい道具もあった。今でも注文受けて生地を選び、採寸し、型紙をおこし・・・縫い上げるところまで一通りしゃべれるのではないかと思う程、浮かんでくる。指先で糸をよるパチンパチンという音、一針、一針、針が仕事台に触れる時のプチプチという音。アイロン(木炭を入れるアイロン)が熱くなると、水につけた時のジャーという音と共に上がる湯気、当て布をしてアイロンをかけた時のこげたような臭いまでも蘇ってくるような気がする。
母の一面である洋服の仕立てが私の中にしっかりあった。
今でも、母の仕事について、いくらでも話ができそう。
「母を味わう」・・・もっともっと味わいたい。


○人生を知るためのコース
女性 30代
<やさしい人々の中で生きている自分を観ること>
雨が降る。9時間ぐっすり寝て、起きたら、窓の外は,雨が降っている。瞬間“カサないのに・・・”と思ったら、“今は雨が降れる背景や条件がそろって
こそ雨が降っているんだろう”と思いが移動した。
人生ということに対しても、こういう人生が良いとか、こんな人生を生きて来たとか、こういう人生を生きて行こう、とか、すっかり意識で考えてたことが見えてきた。
まるで雨が降る現象にたいして実際そのものを観るよりは、欲求や価値判断・感情などが、先出て来るように、人生に対してもそういう方式ではなかった
のか。
人生を知るとは、“人間としての一生の実際”そして
“人間という生き物としての本性を観れるようになって、
生きている間に自分を豊かに、それで自分と周りを生かして行くことではないか。
もう、そうなっている存在としての私とその人。
そうなるしかない状況と背景下でそうなっている私とその人。
否定も肯定も必要でない、ただそうなっている現象を観るとそれだけだ。
ほんの一部だけを見ている視線から離れて全体としての実際を認識すると、自然に豊かになる。
実際の自分がどれほど多い面で(すべてとも言えるんだろう)
人とほかの生命からのもらったもので生きているか、
ちゃんと観ることによってすでに満たされている内面を自覚する。自然に満たされてあふれる分、周りに伝わる。
心が豊かだというのは、より分かりやすく言うと
“やさしい心”とも言えるんじゃないか。
実は世の中にはやさしい人々がもうあふれている。
そのおかげで私が今生きている。心の面でも、実際の面でも。
雨がやんだ。
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雑感 スタッフのつぶやき  8/4 

内観ーー対人的な味わい・情・親しみ

本来的な情とは、人と人が接することで自然的に湧いてくるもの。

人に対する親しみというものかもしれない・・
好きとか嫌いとかいうものではない・・
親愛の情という言葉もある・・

内観体験で味わうのは、そういう<人>に対して
自分の中に自然に湧いてくる情とか親しみというものだろう。

内観では主に人に対する自分を調べる。
(どのテーマで調べる場合でも、主題となるのは、
人との関係の中での自分、つまり人に対する自分ということになる・・)

調べる中で、相手の人に対して自分が抱いていたイメージ(印象)が変る、
その人に対する見え方が変わる、
そういう時にフッとその人に対して親しみを覚える・・
近しくなる・・心が通じるみたいな感覚を・・その人に対して情が湧く・・

時には心底からこみあげてくる、強く突き上げてくる、
そういう感覚を持つこともある・・こういうものを
情動(情が動く)と言うのか?
これは日常に体験する感情とも異うようだ・・

内観して何に気づいたとか、何か分かったという意識を持つことはあるにしても、
少しでも対人的な味わい(情、親しみ)を体験することの方が
実質その人の身(糧)になるというか・・最近そんな気がしてきた・・
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