身近な人と、心通じ合っていますか?

「人を聴くためのコース」
「人の話を聴く」というのではなく、「人を聴く」とは、どういうことでしょう?
こんな会話、身に覚えありませんか?
「え~!そんなの聞いてない!」「え~!言ったよ!通じない人ね!」
<通じない>というのは、言葉が通じないという意味ではないですね。
心のうちでは、心通じ合いたいという欲求がありませんか?
ホントは、自分を理解してほしいという気持ちがありませんか?
私は、身近な人、大切な人と、通じ合ってるかなあと、あらためて思いました。

8/30~開催した「人を聴くためのコース」に参加した方の感想です。

「人を聴くためのコース」に参加して
このコース、3度目の参加ですが、前回と今回の間がかなりあいているので感覚的には、初めての参加という感じでした。

奥さんとの事や職場での事など、具体的な自分の実例も軽く出せて、自分の実態も浮き彫りになり、楽しく笑いの中で検討が出来たという感じです。

「言葉というものがどういうものなのか」
「聴くというのは何を聴こうとしているのか」
「聴くが実現しないのは何故なのか」
「聴くが実現したら、人は、社会は、どうなるのか」
一つ一つがとても濃い内容で、若い人達に刺激されながら、じっくりと究明し合っていった。

孫とのやりとりの例や、母と子の例など、子供とのやりとりの例で検らべる事が多かったのも考えやすかった。
子供が相手だと、「自分が問われている」という事が素直に思えるが、相手が大人だと、すぐに見解を言ったり、丸ごと受けないうちに返したりしている。相手が大人であろうと、子供であろうと聴くというのはどこまでいっても聴く側の問題。そこがすっと腹に落ちる。

人には、計り知れない、それぞれの世界がある。
それぞれの心の世界は軽重などなく、すべて対等。
計り知れない心の世界を否定したり、認められなかったりとか出来ようがない事。
まずは、「そうなんだ」と受けとめるだけ。
「そうかー」とただ抱きしめるだけ。
「人」というものが、とても愛おしく思える。
それが今一番の実感です。
もっともっと、いろんな事をやって、検らべて感じたりしたと思うが、言葉にするとこんなところです。
(60代男性)
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