出発点

2月のマイライフセミナーは6日~11日まで開催された。
会社を辞めて、これからの生き方をかんがえている人、
これからNPOを立ち上げて活動を始めようという人、
老年期を前に人生の完成期を考えている人などが参加
した。
さあ、はじまる
(はじめて顔を合わせて、サイエンズスクール研修所へ向かう)

自分とはどういうものか、自分のなかで何が起きているか、
など観察しながら、人間とはどういうものか、人間でつくる
社会はどのように現われてくるかなどを各自観察、出し合い
ながらの5泊6日。
*詳しくは、感想の抜粋をご覧ください。

6日目、コミュニティ見学。
目には見えないが目指しているものに着眼。

コミュニテイの暮らし ストア見学
ストア
 「安心して委ねられる社会で自分らしく暮らす」

コミュニテイの会社の紹介
おふくろさん弁当

マイライフセミナーやってみて。
「これからを描く上で、自分がどんなものか、
人間を知る、このベースが大事だとつくづくおもった」
「今後、どんな活動していくのにも、よりホンモノにしていく
出発点が見えていた感じ。それは、人間として生きるという
ことになる」
などの感想。
さあ、週発

さあ、それぞれ出発です。
また、人間を知り、人間として生きる旅をつづけたいです。


<2月マイライフセミナーやってみて感想ー抜粋ー>

女性 50代
"マイライフセミナー“という名前から想像していた印象は、
私の一生について意味や解釈を考えるというようなものを
漠然とイメージしていました。
ところが、このセミナーでは、私が51年間生きてきた中で
一度も認識したことのない物の見方や捉え方、自分の認識に
向けた思いの巡らせ方を体験しました。

“一度も認識したことのない“ということがまず、とても
不思議で、すごいことだと思います。
物事に対して”実際“と”認識“に分けて考える。
認識していることについて、”ほんとうにそうなんだろうか?“
とまた考える。
そう認識していることの意味や、そう認識してしまうのはなぜか?
その認識が自分の行動や考え方にどう反映しているのか?
その認識をこう変えるとどうなるか?とひとつずつ丁寧に思いを
巡らせるプロセスをやる度に、鱗がボロボロおちて来る。
曖昧なまま考えずに放置しておいたことが、ずしずし腑に落ちて
くる。そんな体験の連続でした。
 また、人間が認識していることの不正確さ、感情や前後の文脈に
よる変化や危うさを、知識として学ぶのではなく、時間をかけて
繰り返し丁寧に実体験できたことは何より貴重な時間でした。
このことについては、疑う余地もなくしっかり心に刻まれた思い
です。
今は、1つの物事に注目しては、実際と認識に一つ一つ分けて考えて
みるこのプロセスをゆっくり行ってようやくできている感じはあり
ますが、これから身の回りの事象一個一個に対してもっと時間を
かけて、もっと深くやってみたいという気持ちがとても強くあります。


男性 40代

一番大きな気持ちの変化は、会話が以前よりも楽しめるようになったことでしょうか。楽しみ方が少し変わったのかもしれません。自分の認識した話を聞くのではなく、話し手の話を直接聞こうとしていると、内容もよく入って来るし、話し手の気持ちまで理解し易くなるようです。同じ姿勢で自分の考えを観てみると、これもまた、理解が深まる効果があると感じました。
セミナー2日目の午前中、どうもイライラしている自分に気付きました。今までであれば、他人や環境などの外的要因や、身体や心の調子にその原因を探していたでしょうが、この日は、自分の考え(心の動き?)を観ていました。その結果、「講義に出されたテーマの正解に早く到達したい」という欲求を持っていることに気付きました。正しくなければいけない、早くやらなければいけない、と常に思っているのでした。
これに気付いた後の講義は、イライラすることもなく楽しめました。
受講前に抱えていた問題にも、上記2つの「思い」は強く影響していると感じます。解決の糸口が見えたのでは?と思っています。
このセミナーで、得られた気付きがどれだけ今後の生活で生かせるかは、正直分かりませんが、受講以前と今では明らかに自分の心持ちが違うことを実感しています。明らかに安心し軽くなり、生活を楽しみたいと思っています。
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「社会を知るための~」

昨年12月6日から12日「社会を知るためのコース」開催。
テレビや新聞などメデイアの世界では、恐怖や憎悪の連鎖による
現われの情報が飛び交っています。
「ああ、そういうことがあるんだあ」と受け取っていると、
そういう社会のイメージが自分の中に滲み込んでいきます。
「そういうこと」と受け取っている自分の中で、何が起きているか、
そういう自分と社会のかかわりは、どうなっているのでしょう?
「争いのない、幸せな世界」を希求しながら
それを阻むような自分になっていないか、そういう阻むような流れを助長していないか、                                 知的に情的に、社会というものの検討・究明が自分のなかに始まりました。

今回参加者の感想から抜粋して、これからの研究資料になればと思います。


<社会を知るためのコース 2014/12/6~12/12  抜粋>

50代 女性

誰もが本来の自分(ありのまま)でいられる
自由自在な世界、人と地球と調和した暮らしを
願ってくるなかで、最近、段々人との関わりが
重くなっていって、自分が本当に何をしたいのか、
自分の本心を見ていこうとすればするほど見え
なくなっているジレンマが何故起こっているか、
コースで紐解けていくことで心が軽くなって
いったように思う。

自分の内面を見ていこうとしても、どこまでも
「~ねばならない、~すべき」という社会でつくられた
強制通念によって、自分で自分を縛っていることに
気がつかないまま・自覚できないまま自分の本心を
見ようとしていて、見ようとすればするほど本心から
遠ざかって窮屈・不自由になっていることを理解する
ことができたのが、自分にとっては大きな気づきだった。

比較、判断、裁くなど社会通念の中で、「~ねばならない」
の強制は、最も強固な最上位の通念となっていて、
それによって、知らず知らずのうちに社会から見えない
縛りや抑圧を受けている環境の中では、自分の枠(世界)
だけで自分の内面を見て本心を知ろうとして解決して
いこうとすることに限界があることを痛感した。

対立のない、平和のために、意思を尊重して・・・など、
いくら社会をより良くしていきたい、という思いがあっても
「~ねばならない」の強制になると、より悪くしてしまう全く
逆のことをしている構造になっていることが理解でき、
人類の始まりから発生する不安⇒人に対する不信⇒
強制⇒縛ることで、人と人、人と社会が分離していく構造、
人が観念によって奴隷化していく構造が見えてきた。

優劣・善悪もなく、強制(責任、義務や役割)もなく、
自分や人がどのような状態であれ、内面に目を向けて、
自分や人の全てをありのままに見ていくことで、
絶対安心の空気感が生まれ、本心(思い)のままで
いられる自由自在な世界になっていくことが理解でき、
本心のままでいられる世界は、何も無駄のない簡単で
シンプルな世界で、それが実現すると、きっと喜びに
溢れた世界になっていくのでは、とも思う。

本心のままで生きている人同士によってつくりだされる
空気感・気風によって、心が開放されて本心のままで
いられる社会環境ができてきて、人も社会も自由で
開放された安心な社会が育まれていくことを理解して
知って、日常生活の中で実践していくことが、思いの
まま・ありのままの自由自在な世界を実現していく
ための一歩につながると思った。
マイライフセミナーから各コース、このコースに参加して、
自分、社会を通して自分を知っていくことで、自分(内側)と
人・社会(外側)の両方があるがままの自由な姿、
自分・人と社会がつながって一体となった、
本来の人と社会の姿が見えてきたとともに、
自分の人間観、社会観が閉じた観方から開放された
(無限の可能性がある)観方に変わってきたように思う。

日常人と関わるから、自分が縛られているものを
一つひとつ開放しながら、思い(本心)のまま・ありのままで
生きていくことを実践していきたいし、社会がそうなっていく
のにできることをしていきたいと思った。

本来の人と社会によって、人は成長(成熟)していくことで、
もっと知的に知性が発揮されて、より創造的で豊かな世界
になっていくのではないか。
社会は何のためにあるのか?
人はなぜ生きていくのか?
人になぜ不安が発生するのか?
についても探求してみたいと思った。


50代 男性
(略)
自由な社会を考えるとき、だれもが自由に生きられる社会を思う。
とすると、自由な社会を望んでいることはどの人も自分の意志で動ける、すなわち、やってもやらなくてもいいもの、しなければいけないが、ない社会。
病院も、他も。自分の内面を見て、動ける。
まわりもその人の内面を重点における。
規範のほうが上にあるものでない社会。
自分の中にないものを上におけば、たとえ平和運動でも環境活動でも、常にそれに合わせながら、やっていればよし、しないひとはだめ、の分断や強いてやる(やらないことを認めない)の状態で人に接するので、互いにいやになったり、けんかになったりするのではないか。


これまで、いろんな場で、掲げたものがいいかどうかと見てきたが、「掲げたものをみて生きる」ことが、自分の不自由と人との争いの種を延々とまいてきたのではないか。
一生けんめい「平和でなければならない」を見て、この社会の争いのひとつを自分が構成してきた。 
内面よりも、そとに置いたものを見ながら暮らして、苦しみや、責めのもとになる、自分と敵という分断をいたるところでやってきたのでないか。

内面に重点をおく社会。自分の中のものでやる社会。
まわりもそれをスイっとできる社会。
自由な社会。まずは自由な空間。
やらなくてもよい空間。
やりたいが内面にあって動く空間。
小さな場で少人数でもそういう空間。
小さな寄り合い。小さな活動。小さな作業、会社。
寄り集まって小さな街。
飛び地でもそう願い、検討しあえる人々。
そのなかの自分の状態。
それはこうしないとだめ、という自分流世界基準をいつも見つめなおせる状態へ。
ベースにいつも人間の本来を見つめると人たちにかこまれて、
社会に愛される暮らし。たのしみだなあ。
さっそく、このバカあたまで、自分をしらべながら、本心でつながれるか、
本心を見ながら本心に出会いにいく旅に出発だなあ。
寝ながらいけるようにそのまま。


60代 女性
(略)
ネバならない構造の展開と展望
どんなに心惹かれたお互いでも、やりたいなあと心から思ったことでも、無意識のうちに、~するべきだとか
~した方がよいなど外部規範に向けて、その規範に合うか合わないか、出来ているか出来ていないか、やっている人いない人、いい人、悪い人と分断して責め合う考え方の枠組みであり、その構造で作られた社会に私たちは生きて、誉められたら嬉しくて、その社会の謂となってほかの人たちを責めたり、あしざまにして平気。
成績や評価が上がると、学級委員や職場の管理者となって、基準よりドジなその人が悪い、責められて当然だろうと攻め立てます。

また逆に、出来ないといっていじけたり、恥じたり、人目を気にして小さくなって生きる。
見返したくて、必要以上にがんばったり、強がったり、見栄を張って生きるなど、「本心おさらば状態」で次の世代を熱心に同じ方向に育てています。
(略)
しかし、その人が一人でそうなっているわけではない。
たとえ戦争になったときでも、健康に育っている人の場合は、人を平気では殺せないために、そのための特別の訓練が必要と聞いています。
それぐらい追い詰めないと人は人を殺せない。
戦争でもない社会で、一人その人が突然人を殺したくなるんではない。
ちょうど津波の波が、突然立ち上がって襲ってくることがないように。

しかし私たちは、実に簡単に、人が独りでよいことをしていたり、悪いことをしたりすると信じてしまう。
そうした人や社会の観方も、するべきだとする考え方の枠組みで、人を比較して優劣をつけ、良ければ褒賞し、ダメとなったら徹底的に裁きながら、普通の暮らしの中でも徹底的に良い悪いと互いを分断し、ばらばらにしていく観方が育つ中で、同時に身についていることがうかびあがってきました。
(略)
みんなから出る具体的な事例や、家庭でのやり取り、企画を進めていくときのことなど、みんなの中で一緒に検討できたことは嬉しかった。
最近、夫と喧嘩も少なくなってきたと、喜んでいましたが、むしろ社会としては悪くなっていた。
お互いの本心を見ないまま、バランスを表面的にとって、衝突を避けていることが検討で気づけました。
若い人たちとの企画では、やってくれると評価し、その評価でその人を見て、外側でその人と付き合う質を生み出しそうになっていました。

本心で生きること、内面に重点を置く社会
何が自分の中から、お互いの中から出てくるのか。
爆発していくようなエネルギーを感じます。
まっすぐに生きることが出来そう。
アズワンで昨年から心センターや内観、スクール、オフィスのプチミーティングと、十分な愛情を受けて、自分のことが自分のことだけでなくなり、社会のこととして大事にされていく実感、稀有な体験をしていると改めて思いました。
見返りを求めない一方的な愛情を身をもって学べていること。
そこで、ありのままで受け止められている中で、自分の中で、上位に位置づけて自分の本心を裁いてきた「ネバならない○×」
規範が自然に力を失って、ありのままの気持ちをまっすぐに感じ取れる、シンプルな状態になってきていることに気づきました。
内面に重点を置く社会では、強固に見えた「ネバならない外部規範」が、私や人や社会の中で、そこを問題視して取り去ろうと力を入れないでも、むしろ自然に力を失っていくのではないかーーーそんな予想をしています。

今の時点では、たえず本心かな、と聴いていく、それぐらいで私はゆっくり生きていこう。
何もしなくてもよい自分と人、社会である、その位置から、静かに湧き上がるのを待つ。
柔軟に臨んでも微塵もゆれない
体制は、一人では出来ません。本当に手を組んでいきたいと思う人と一緒に、具体的にそんな社会にしていける実力も培って生きたいと思います。
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