見過ごしていた大切なもの

内観コースでは、静かに、自分で、「母に対する自分」「父に対する自分」「誰々に対する自分」と、物心ついたときから、年代順に思い出していきます。
初めは、そんなに思い出せないものですが、内観の3つの視点(お世話になったこと・して返したこと ・迷惑をかけたこと)で、振り返ってみると、その時の場面や風景が、浮かび上がってきて、その時の自分の気持ちや、その時はわからなかった自分の心や自分の身近な人の心も見えてくるようです。
「こんな嫌なことがあった。」「こんな自分だった。」と固く持っていたものが、「あの時、自分は、嫌な気持ちだったんだなあ。ほんとうは、どうしたかったのかなあ」「相手はどうだったんだろう?」と、解けていくようです。


9月の内観コースに参加した方のレポートです。

母からはじめて、父、それから嘘とごまかし(盗)祖母 2回目の母と父、周囲の方に対する自分を年代順に調べました。同じ年代でも、対象によって全く様相、基調が異なること、そして、順番もテーマも響きあって2回目に出てくることばや感情も違うことがすごく不思議でした。こんなに豊かで、でも、感じきれていないことや置き去りにしてきたこと、忘れていることがいっぱいあるし、これからも自分の見方や経験や人から受ける影響で、どんな風にも変わりえると感じました。固定していることはないということを、自分の過去に対する思い込みについても実感したような気がしています。
私はかなり観るのがつらいことが多かったのですが、苦しさを感じた分だけ、見過ごしていた大切なものを取り戻したというか、見つけることができた気がします。
(30代 女性)

探究の旅は決して平たんではなかった。まずは母に対して年代を区切って世話になったこと、して返したこと、迷惑をかけたことを思い出す。最初は「特にないなぁ…」と思っていたものの、何度も何度もその時代に足を運んでみると、ゆっくりとよみがえる過去の記憶。朝、スズメのさえずりと共に母の「おはよーおはよー」という調子はずれの歌が聞こえる。食卓に行くと並んでいる朝ごはん。髪の毛を整えてもらって「行ってきます」「行ってらっしゃい」。高校のころになると家を出るのはまだ薄暗い時間なのにお弁当はちゃんと出来上がってた。
当たり前と思っていたその光景。好きなことをやりたいもん。とわがままばかり言っていた私。「こういう娘になってほしい。幸せになってほしい」と母の強い願いの意味を深く考えず、疑問に思うことを質問したり納得するまで議論することもせず、ましてや自分の意見を伝えることもなく、その場をしのぐために形だけ「はい」と言ってやったりやらなかったり。
(略)
このような私を懸命に育ててくれた父母、いつも温かく見守ってくれている兄。共に生きようとしてくれた元夫、そして会社の上司や同僚たち、かわらず仲良くしてくれる友達。すべての人にこれまでの私とのかかわりにお詫びをし、感謝をし、今もかかわる人たちにはこれからも共にやらせてくださいと心の中でお願いをした。
内観という、これまでの自分を知る旅は、今の自分を知る旅でもあり、これからの自分の生き方を知るための旅だった。
自分の旅は今はじまったばかりだ。
(40代 女性)
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