モトのこころ 心底は・・・

7月「人生を知るためのコース」

「人生って何?」とか問われたら、一瞬戸惑ってしまう人が多いのではないでしょうか?
「あなたのこれまでの人生の歩みを聞かせて」と言われたら、とつとつと、まとまらなくても、何とか表現できるかもしれませんね。
「人生とはどういうものでしょう?」と問われたら、どうでしょうか?
自分の人生を題材にして、人生そのものを掘り下げていく探究が始まります。


7月参加者の感想文の抜粋です。
ーー略
今回、その時々の事柄に対して、自分が捉えたものだという自覚が起こると、その捉えたものが、自分のものの観方に影響を受けており、メガネをかけている自覚がさらに芽生え、ようやくそれについての問いが立ち、考えられる
ようになるということを経験した。
そうすると、本来は・・・と注意が向いてくる。

まだ、十分に観察し、調べていないけど、さまざまな「観」は、わたしが、わたしに対してメガネをかけている「自分観」が元になって派生しているようにも思われ、これについては、大事なテーマでもあるので、よくよく観てみたいと思っている。

「○△観」は、自分の内面の現象、言動、行為にも大きく影響しているようだけど、それが、「=自分」ではないという感覚も面白いなと思う。
では、「自分」はどこにいるのか? 
さらに、モトの、というか、本体、というか、自分と言っている実在するものについて、意識を向けていった。

モトのこころ「本心 心底」について注意を向け、感受していくのは、自分のイノチは何を願い、自分のこころは何を求めているのかを知ろうとしていくことでもあるように思えた。
雲の中を歩くようではっきりとしたことがなかなか観えてこないのだが、そこへ向かおうとしていること自体がとても有意義で豊かな時間だった。
日々、日常的なイトナミにおいても、自分の関心が、そのイノチの願いやこころの求めからなのか、アタマの、意識の、満足のためなのかを見極めていきたいと思う。

アタマの中で、意識で(というのか)、事実だ、真実だ、として思い込むという「脳の落とし穴」に気づいていくことが、脳の本来のハタラキについて納得し、使い方を知っていくことに繋がっていくのではないかと思う。

それにしても、このような社会を動かしている観念とか通念をつくり出しているものが、自分たちの脳であることに深い関心を抱く人が増えたらどうなるだろう?
人間の「脳」というものの機能について、きっといろいろと研究されていると思うけど、なぜこんなことになってしまうのかに疑問を持ち、真相を知りたいと思う人が増えていったら・・・。
自分の「脳」は、本来、どんなハタラキをするものなのかを知りたいという人は、たくさん出てくるように思う。
案外、早々に、あちらこちらで、実験的実践が可能になり、試みが立ち上がり始めるのではないかと思えるのだった。

モトのこころ「本心 心底」は、現象でとらえられないのだけど、安心とか充足の感じを受ける。
こころは、それを具体的に現実化しようとして、何かを求めていくように思う。
そして、わたしの内にうごめく向上したい気持ちは、方向性を得て、そこへ向かっていきたいのだ。終わりなく。

人が、本来の姿で、モトのこころが開いてアタマ(脳)のハタラキを活用していくための条件についても考えた。
そのための物理的な環境と人的な環境、構造的な環境があるのだと思う。
このことについては、また考える機会も、考察したことをまとめる機会もあるだろうと
思うので、そのときに取り組みたいと思っている。
ーー略

(40代)
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