探究の旅の始まり

2月の<自分を知るためのコース>から・・・

ひとりひとり、自分の人生、自分の暮らしがあるなかで、
先ず、その自分が、どんな自分か、自分の内面で何が起きているか、そこに関心を寄せてみると・・・
そのプロセスを、参加者の感想を通して紹介します。

○女性 50歳代
今回初めて自分を知るためのコースへ参加するにあたり、課題を持っていました。
これらの課題は、ここ数年来の私の関心事であり、書物を読んだり、自分の頭であれこれ考えたりして答えが見いだせないままに、次に何をやるかを決めることに焦りを感じていました。このまま行くと“えいやぁ”で次の進路を決めそうな感じもありました。
(中略)

コースで先ず学んだのは、人間は自分の感覚を通してしか物を認識できない。
自分の見えている・感じている世界すべては、事実・実際そのものではない。
そして事実・実際をそのまま正確に見るということは不可能である。
また、人間の感覚は相当不正確・不完全・曖昧であったということです。
今まで、“見ている世界が事実であることは当然であり、私にはそう見えるからそうなんだ。”との思い込みが一期に覆ってしまいました。
外の景色、部屋の景色、目の前のカップ、眺めるものすべてが何か違って見え、変な気分(感覚?)を覚えました。

物を見て認識するまでの頭の中の動きについても、感覚として捉えた情報は、既に学習している知識、概念の記憶と瞬時に照合され、そのもの自体の用途や名前を認識してしまう無意識に行っている脳の働きの凄さを実感しました。
また、学習済みの知識や映像があると、既に“知っている”と思い込んで“今目の前の実際”をなかなか見なくなってしまうといった傾向も分かり
ました。

事実・実際は、常に変化しているので、それを認識しようとするのであれば、そこにある今の事実・実際をその時々に新しく感覚で捉えることができるし、より実際に近づこうと観察できます。
一方で、過去の事実・実際を、記憶にとどめておいた情報を、それと決めつけて、それを頼りに認識してしまうと、今の実際との乖離が起きてしまいます。
この乖離が起きるということが、実際、人間のものの認識やそれを元におきる言動にさまざまな不都合を起こすのだろうと思います。

○○だから△△だ。○○はできない。△△はやめられない。
「知る」と「知っている」、信じるは 「King of 知っている」等の課題からは、自分の心の反応の癖、決めつけ、縛りの発見と、実際はどうか、どうしてそう思っているかと、調べていく過程を学ぶことが出来ました。
自分が窮屈に思ったり、生きづらさを感じたりしている事象に照らしながら、一つ一つ調べていくことで、さらに心の縛りや決めつけから開放され、どんどん心が軽くなっていくと同時に、駄目だと思っていた決めつけから開放されることで“できる”可能性が随分広がるなぁとうきうきしてきます。
そして、よちよちゆっくりですが、自分自身で“アハ”体験できることに非常に喜びを感じます

私にとって自分を知るコースで得られたことは、人生をガラッと変えるといって過言ではありません。
自分の心のからくりと、それをもとに、縛りや決めつけから自由になることで、もっと自由で平和でやさしい人生を送れるそのきっかけを得られたと思っています。
これからの新しい生き方、母との関係の見直し、より安心のある人間関係といった課題についても、確実に改善のカギを手に入れた気分です。
縛りや先入観をはずして、どうなんだろう、どうだったんだろうと冷静に問い、考えることができる。
そしてきっと答えが見つかっていくだろうという強い可能性を感じています。
「知識や実績、信念などにすがってきた人生から、その時その時の事実・実際と照らしながら縛りの無い素直な心に忠実な歩みに変わることができる。」そんな期待を抱いています。
まだまだ入門。これから途切れなく少しずつでもサイエンズに基づいた探求を続けていきたいと思います。

○女性   40歳代

(略)
私が見ているこの世界、そして私が知っている自分と彼らの話のすべてが、実は私の感覚に過ぎないということ – つまり私が組み立てた認識の領域であることを明確に知ること。
ここから新しい世界に入る旅が始まる。
そこは今までとは全く別の話が開かれる世界だ。
上下や約束や当為や責任や不安などの、すべての自分自身を縛る観念から脱した世界だ。
過ぎてしまった過去の記憶や来ていない将来の妄想に束縛されず、「実際の今」を存分に生きる世界だ。
不可能だと、今までいつもそうだったと、そんなはずはないと事前に諦めてしまう多くのことが、実際に起こることができることであれば起こる、
すべての可能性が開かれている世界だ。
自分が思ったり信じたりすると実際がそうなる風な、でたらめな話ではなく、誰でも納得できる、やさしくて科学的な、理にかなった世界だ。

その間、自分で理解できなかったいろんな場面が少しずつ整理されていく感じがする。
例えば、どんな要因のためにお金の話を聞いたら冷たいと反応するかはまた調べることだと思うが、少なくともその反応の元がどちらにあるのか、あと聞いたことと冷たいという感覚と目の前の対象の間で起こる頭の中のメカニズムはどういう風になっているかは、少しはより鮮明になった感じというか。
そしてそれによって、「知っている」の世界であった以前とは全く違う種類の新しい経験にも出会えるのではないかと、楽しみにしている。
今回の旅行では「嫌な奴」に会わないだろうか?
今までできなかったことがこれからはどれだけできるようになるだろうか?
私は、またあの人は、実際はどんな人だろうか?
人間は、そしてこの世界はどのように形成されて、また変化していくのだろうか?
観たい、知りたい、会いたい。
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