人生とは・・・

人は、生まれ、そして、生きる。
今を生きている。
ちょっと立ち止まり、落ち着く時間を持って、人の中で自分の人生を振り返ってみると、何が見えてくるのだろう?
4月の「人生を知るためのコース」に参加した人の、感想の中から一部分ですが紹介します。

普段、自分が考えているのは「意識上の自分」。
「実際の自分」はどんなだろう?
いろいろ思い、考える自分、感情や欲求・気持ちと連続射撃のようにどんどん出てくる、その自分をなんとかしたくて、おとなしくしたくて苦労していたのだが、それは「意識上の自分」であって、もっと内面に「実際の自分」がいるのか?
父と母の間で芽生えた命が、その生命力が消えずに今に至っている。
コースを通して、内面(心)・人について・心について・人の成長・人間性・人間らしさと検討してきて、私の中にある 心をおもう。  感じる。  まちがいなくある。
普段は、いろんな欲求や考えに忙しくて、見えなくなっていたり、捉え方で心にまで関心がいかなかったりだが、心がある。
不安をとり除いてみたら、安心、自分は安心していると思った。
無いものをみて、不安や怒り、疑いをふくらます方向から、有るものでやる生き方を強くしたい。
その回路を太くしたい。
(60代 女性)

○○○さんは、心のことを「デリケート」な部分と呼んでいたが、周囲社会からの影響で、どのようにでもなってしまう点では、そうだなと思う。
親をはじめとする周りの人間達から・また自然界からも、無数のものを吸収して、心は成長していくのだろう。
身体が常に正常健康であろうとするように、人間の心も絶えず正常健康な方向に向かっているのではないか。
死刑囚、永山則夫の例も出ていたが、劣悪な環境の中で気持ちが荒み、殺人を犯していまった場合でも、元の心迄そうなってしまったのでは無く、人間的な働きかけの機会などがあれば、正常健康になろうとして、人間味のある心に回復していく。
そういう意味では、人間の元の心は、とてもしなやかなのかもしれない。
人間らしいということは、何より、その人間の心が豊かに成長していくことだと思う。
心が満足している状態というのは、周囲環境から愛情がいっぱいに注がれ続けて、そうなるのだろう。
特に生まれたばかりの、赤ん坊は、受けるばかりだと思うが、心身の成長につれて、受けるばかりではなく、すること・与えることによっても満足を得るようになっていく、それが、豊かな人間関係、人間社会にも繋がっていくのだと思う。
(略)
「人間の心」でも、そこから現れた思い、考え、意志、感情、欲求、気持ちや行為言動の方に、知らず知らず重きを置いてしまうのだが、そういう「意識上の自分」を「自分」だとしていることが、ほとんどだと思った。
日頃は目を向けない「実際の自分」の方に焦点をあててみると・・・・
実際に、自分が今ここに生きているということは、生きるための条件が何十年にもわたって、一瞬一秒も途切れることなく、あり続けたからだと見えてくる。
それだけでも奇跡みたいなことなのに、生まれ時には「生命力」というものまで、タダで宿してもらっている。
(略)
自分自身が、元の心を成長させながら、もっと自由に豊かに生きていきたいとも思う。
悩みとか、不安とか、ほとんどなくて、とてもシンプルな心の状態だった高校時代のことを思い出したりもした。
心を成長させていくには、どうしても周囲環境が大きい。
心に重点を置いて、お互いに育ち合っていける社会が無くては始まらない。
自分の命が終わっても、次の世代・次の世代へとつながっていくことが出来たらと思う。
(50代 男性)
                        
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観察 そして 自分に問う

 「自分を知るためのコース」では、「どんな自分だろう?」 というのもありますが、そもそも「自分」とは、なんだろう?どうなっているのだろう?と、観察することから始まり、観察すると、「なぜ、そうなったのだろう?」と、もっと探ってみたくなります。

4/3~9の「自分を知るためのコース」に参加された方の感想を少し紹介します。

小さい頃、おばあちゃんに「なんで?」を連発していた。
「なんで?」と聞いて答えが返ってくると「それは、なんで?」と次へ次へと続く・・・。たまらずおばあちゃんが言った言葉が「ごんぼ掘り!」。もちろん私は「ごんぼ掘り、って何?」と聞く。「ごんぼ掘り」とは、掘っても掘ってもなかなか先に届かないごんぼ(ごぼう)を掘る人のことで、「それは、なんで?」と際限なく聞くのは「ごんぼ掘り」みたいだ、ということだった。
あまり「なんで? なんで?」と聞くのは、大人を困らせることらしい、ということがわかり、だんだんと「なんで?」と外に発することは少なくなった。しかし、自分の内に「なんでやろ?」という自問は大人になっても続けてきた。
これまでも、これからも、続いているこの「ごんぼ掘り」が、今の私のベースになり、今私はここにいるのだろう。 さあ、さらに掘り続けてみましょうか・・・。
(60代女性)
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探究心を培う サイエンズセミナー

3/19~24で、サイエンズセミナー開催しました。
ここで、出会った人たちで、寝食をともにしながら、「どういうことだろう?」「なぜだろう?」「ほんとうはどうなんだろう?」と、自分の頭を使っての、探究する5泊6日間。
参加された方の感想の一部を紹介します。

日常に埋もれていた感覚を呼び覚まされることとなった。
怒り・自分とはなにか・自由とは・所有とは…
もうすでに解っている、と思っていた。
錆付き、薄れ、頭だけの事柄になってしまっていたことに気付かされた。
(60代男性)

コースの前半、「私は見た。」「彼はそう言った。」など、解釈とか判断などが、あまりないと思っていましたが、そのものに対して思いをくっ付け、事実にいくつも観念をくっつけている、という事に気づき、ゼロポイントから見るのは不可能で、いつも古い先入観が着いているのに気づきました。(略)
一連のテーマはどれも興味深いものがありました。
歩きやすい道筋を、一歩一歩、軽く楽しく造り出していくようで、最後に具体的にこの結果を見ると、この過程を生きている人達を見て、インスピレーションが湧いてきて…自分には何が出来るのだろうと考え始めました。
テーマに対してもそうですか、参加者達との交流・合宿生活も、軽く感じました。決めつけない、決定しないというのは、何か具体的でなく、一見不安定なようですが、人は常に変わって行くという事を実際とする方が安定していると思いました。
(40代女性)

何度か、何について考えたら良いか、わからなかった時がありましたが、そういう時もゆったりと他の人の話を聞くことができ、とても楽しかったです。時折、「これは説明しすぎだな~」とか、「それについてはもう考えたことがあるな~」とか思う場面があり、これではインサイトはこないな~とか思う時も、最後にはいつも新しい気づきがありました。特に力むこともなく、探究が行われました。
テーマ一つ一つに対して出てくる気持ちをはっきり観察することができ、その気持ちは自分の中から出てくるということを洞察することができました。テーマと「格闘」したのではなく、ただ「探究」したのでした。
例えば、私の「嫌いなもの」は、ただの「もの」であり、「私のカバン」は、ただの「カバン」である等、実際を「そのまま」見ることでき、それは開放的でした。
自分の「嫌いな気持ち」、「私のものと思う気持ち」等、感知して行くということが、強く印象に残りました。自分の中にあるものをもっと自覚して行く、もっと自分をケアしていく、より自分自身を尊重する、…やさしく…。。
他人事で無い、やさしいシンプルな社会。蓄積と契約(これは私の物、保証された物)に安心を求めるのではなく、安心を人との関係の親密さに構築して行く(本当の安心)。
サイエンズについては、「真の人間とは」を探究し、真の人間として生きていく。
これからは本当に大事なものを大事にしていきたいです。
(20代女性)
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分かったりすることはできない自分を知ることから始まる。

幼い子どもを見ていると、見る・触れる・聞く・舐めるなど、身の回りの物、人に飽きずに向かっていきますね。「これはなんだろう?」と、知ろうという、知性が働いているように見えます。
知性は、人の意欲や認識する能力のベースとなっているのではないでしょうか?
人には、心があって、この知性もあわせ持っていると思います。
人間らしく生きるには、この知性がポイントになるように思うのです。


自分を知るためのコース(2015/12月)感想レポート

コースを通してひたすら意識するようになったのが、「自分の頭の中の概念や想像、記憶、感覚、想い」と「事実・実際」の違い。
すべては自分の頭の中に事実・実際があると思い込んでいることからおかしなことになってしまったんだなぁと思う。

”目の前にある美しい花”も”困っている人”も、自分がそう思っているものとは次元の異なる実際がある…。
まずは五感で感じてINPUTした時点でただ在る存在が美しい花になったり、困った人になったり、様々な解釈を頭の中でし捉え、それに判断を加え、ときにはOUTPUTとして、悩んだり、怒ったり、しなければいけないことをキメたり、よく頭を使ってきたなぁ…。

これまで、頭のなかに事実と思い込んでいる知識や経験を詰め込んで、行き着いたのが、世界を知っている、その人を知っている、自分を知っているという思い込み。
また、分かっている、分かるはずだという思い込み。
おそらく次元の異なる事実・実際を頭で知ったり、分かったりできるはずもないであろうことにも気づかなかった。

そしてもう一つ。数学的思考法のAだからB。
なんとも分かりやすいことだが、実際の世界ではどうやらそんな単純になっていないようだ。
BのためにはAだけでなく、世界の実際のあらゆるものが関係してBとなっている。
例えば、自分が電気を点けている。自分が稼いでいる。自分が生きている…。
自分で何でもできる、していると思っていたが、自分ができる・していることは世界のほんの一部なのに。ある意味傲慢な考えであったと思う…。

自分で自分を縛っていることも目からウロコ。
朝何時に起きるか、仕事に何時に行くか、何をするか、しなければいけないか…。
やりたいことがあって決めたことでもいつの間にか、自分の心よりも頭で決めたことを守るために実際を合わせていく。
こんなことを当たり前のように自分に、人に強いていたなぁと。

最後に、自分を知るためのコースを終わってみての総括として…。
思うに、(実際の)世界を(自分の頭で)知ったり分かったりすることはできないが、知ろうとしたり近づいたりすることはできるということ。
思うに、(実際の)人の心を(自分の頭で)知ったり分かったりすることはできないが、知ろうとしたり近づいたりすることはできるということ。
思うに、(実際の)自分を(自分の頭で)知ったり分かったりすることはできないが、知ろうとしたり近づいたりすることはできるということ。

そしてそれらに対して、分からないからこそ知りたいという関心がでてきたということだと思う。
これまでへんてこなことしてきたな…。
そしてこれから面白いことになりそう…。
はたして実際はどうだろう…。これから、試みはじめてみよう。
(30代 男性)
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「知る」~人として生きる営み~

朝起きて、お母さんだったら、家族の朝ごはんやお弁当をつくり、子どもを学校に送り出す。それから、仕事に行ってと、日々の暮らしの営みが、人生でしょうか?
どんな生き方がしたい?どんなライフスタイルを望んでいる?のかと、自分でもいろいろ情報を得て、探したりしますが、「自分は、本当は、なんのために生まれてきたのだろう?」「本当は、なにがしたくて生きているのだろう?」と、ホントウに、知りたいことは、もっと、なにか、あるように思うのです。
「人生を知るためのコース」(2015年11月)に参加した感想レポートを紹介します。




おもしろかった~

人、生きるって、どうなっているか、

探るさぐる~
ずっとやりたかった!ひとりではできんかった。
ゆっくり座って、じっくり1週間も!
こうやって、今も、生きてる、この実際が、何かを。

探ったったで~!
やった~!

生きてる実態(実際)、体の実態(実際)、心の実態(実際)。
みんなで、あーかな?こーかな?

生きてる実際ってものすごい。
地球、宇宙規模から体の原子レベルのことまで、
つながってく、つながってく・・・
生きてる実態。

見えない。あるのはわかってたけど・・・。
地球から人、人のなか、体のなかみ、心のなかみ。
みんなの体験や感じたことを出しながら、ふむふむ・・・

わたしは、心のなかみがおもしろかった。
あれ?心って、そもそも安心してるやん、幼かった自分、安心してすべて委せきっていた自分。
それがいろいろ経験から予想したり、やらにゃならんって、安心が見えなくなったりする。
安心は、そもそも、心に備わってるやんって、実感した。

うわぁ、力抜けるわぁ、 ほわぁ~
こんなん、なんも要らへんやん。

こやって書きながらまた嬉しくなる。

心の作用、満足、満たす満々な状態、満々にしたい作用。
自分ひとりでは満々にはならない。
自分は他から全て、もらってる。
そうやなぁ~。ほんまそれあるなぁ~。

心がある。体がある。人が生きるとか・・・
そやけど?なにか?みたいに正体不明やったし、

実際は?とか思っても、はて?みたいに焦点をどこにやったらいいかわからなかったけど、
あてるところを見つけた感じがする。

私のあたまに新たな風がはいって、知るってすごいと実感した。

今、ほんま、そやなぁと思うことも、生活の中で、また、心の作用を実感したり、
また、そやなぁって、実際を見ながら噛みしめたりしたいなぁ。

検討会中
何度もじわじわ涙が、出そうになった。
自分の心の作用、元気でいよういようと、してたんやなぁ。
子どもたちも、けなげやわ。
わたしって、暖かいんや。
みんな暖かいんや、うれしいよぉ~

自分は今も意識のほうでいろいろあるけど、
実際のほう、あるから安心して、
ゆっくりぼちぼち生きますから、
実際の心、実際のほう焦点あてながら・・・

あ!意識の中のいろんな話、あふれるほど、あるけど、そうゆうのより
実際のこと探っていくほうが、幸せへの近道かもしれないなぁと、今、思った。

ぼちぼち、生きまっせ~、やりまっせ~。

あ~ちょっと自分の頭ン中、整えれた感。
レポート嫌いやったけど、
書きだすとおもしろいなぁ
(30代女性)
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