「人が生きている」とは、?
「人生を知るためのコース」では、
人間とはどういうものか、
人が生きるとは、どういうことか、
一週間かけて、じっくりと探究していきます。
「その人の実際」「そのものの実際」に目を向けていくと、
どんな世界が見えてくるのでしょうか?
6月「人生を知るためのコース」参加者の感想文を紹介します。
* * * * * * * * * * * * *
長い旅をしてきた。
遠い宇宙のはじまりから、色々な舟に乗りかえて。
そうして、今、オレという舟で、オレという心で旅をしている。
どこへ向かってきたのか。 どこへ向かうのか。
長い旅をしている。
一人じゃない。(20代 男性)
* * *
自分を見るとか、本心に焦点を当てていくということは一人でやろうとしても(今の実力では)無理だな(全く無理ではないとしても非常に近いところに限界がある)というのははっきり見えた感じがする。現状は善悪の観念が強く、自分ではそれが自分の考えだと気づいてないことも多い。また自分の考えに伴う反応、義務感・責任感・上下感・優越感・劣等感等も大きいのでそれに気をとられてしまいがちになる。少人数でも気持ちのある人で寄って、現状の問題をどうするかよりも、まず、本当はどうあってほしいのか、本心はどうなのか、に焦点を当てていきたいと思う。誰もが本心で生きられる社会の実現には、自分の本心に焦点を当てるところからかもしれないなと思う。(30代 男性)
* * *
この感覚、見ることを取り戻し、今後は失うことのないように、今回、再留学もしたのであるが、見失うことなく、深めていきたいと決意を改にした。
人類が、地球が、世界が、一体となって大きな意志をもって、大きく飛躍しているような動きの中で、二元的な見方も心を重視しない見方も必然であり、間違いもないものであろうが、しかしさりながら、人類が開放され、本心で生き生きと楽しく生きていける日が、一日も早く来ることを願って止まない。
その為に、自分自身も思いっきり、それに向かって生きてみたい。(50代 男性)
* * *
その人の実際は?という時、行為は最後の目に見えて現れてくるその人のほんの一部で、目に見えないその人の思いや考えや感情などの意識上のこともあるけれど、そのもととなるその人の内面の大きさが、ああそれがその人本体と言ってもいいくらいなんだなと思った。
内面を重視したいと思ったらそうなるんじゃなくて、内面がどれだけその人の中の占める割合が大きいかを知ったら、そっちに目が向いていくように思う。
私にとって結構大きかったのは、善悪とか良し悪しを検討していて、実際の世界に良し悪しってあるんだろうか?良し悪しってなに?と探っていくと、自分の中に良し悪しの観念が強かったのに気がついたことかな。
以前から自分でもいい悪いですぐ見えてしまうなとは思っていたけど、自分が動く時や人のこともそう見えてしまうたびに、なんでだろうなあと思っていた。
実際の世界にはないものだなあ。
いろんなテーマでみんなで検討してきたことがつながっているんだろうけど、なんだか随分楽になったな。(50代 女性)
* * *
今は、あの人はどんな気持ちなのかな、その本心はどんな感じになっているのかなというような感覚が、好奇心と純粋な不思議感、ちょっとした愛しさのようなものが入り混じって存在しています。あたたかい感じも覚えます。
コースを通して自分の実際、成り立ちや背景への理解が深まるにつれ、人への関心や親近感、幸せを願う情のような感情が少しずつにじみ出てきている気がしています。この感覚はいったい何なのか?ちょっとした幸福感にも感じられます。何かを達成したり欲しいものが手に入ったりしたときの一時的な強く突き上げるような喜びとは異なり、弱いが優しく漂うようにそっと包み込む喜びのような感じです。
自分のたくさんのものを受け取っている実際を知っていくことで、こころが満たされた感・豊かな感覚が深まり、人へ与えたいという心の動きが生まれたのか、自分の人とひとつのものである実際を知っていくことで、人への興味や人を活かしたいともいえる心の動きが生まれたのか。もしかしたら、人間はもともとこういった心の動きは持っていて、ただ遮断されていただけなのかもしれないなと思いました。
これから日常に帰り元の生活に戻りますが、私に表出し始めた人の実際・本心を知りたい・活かしたいというエネルギーを、人とのかかわりの中でどう表現し、また育て、共有していくことになるのか、非常に楽しみな思いです。
そしてたくさんの人と人が本心を知り合い、本心で生き、豊かな人と人が満たし合い、活かし合う幸せで喜びあふれる社会が実現していく、そんな夢…いや現実を、今日は見始めました。(30代 男性)
人間とはどういうものか、
人が生きるとは、どういうことか、
一週間かけて、じっくりと探究していきます。
「その人の実際」「そのものの実際」に目を向けていくと、
どんな世界が見えてくるのでしょうか?
6月「人生を知るためのコース」参加者の感想文を紹介します。
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長い旅をしてきた。
遠い宇宙のはじまりから、色々な舟に乗りかえて。
そうして、今、オレという舟で、オレという心で旅をしている。
どこへ向かってきたのか。 どこへ向かうのか。
長い旅をしている。
一人じゃない。(20代 男性)
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自分を見るとか、本心に焦点を当てていくということは一人でやろうとしても(今の実力では)無理だな(全く無理ではないとしても非常に近いところに限界がある)というのははっきり見えた感じがする。現状は善悪の観念が強く、自分ではそれが自分の考えだと気づいてないことも多い。また自分の考えに伴う反応、義務感・責任感・上下感・優越感・劣等感等も大きいのでそれに気をとられてしまいがちになる。少人数でも気持ちのある人で寄って、現状の問題をどうするかよりも、まず、本当はどうあってほしいのか、本心はどうなのか、に焦点を当てていきたいと思う。誰もが本心で生きられる社会の実現には、自分の本心に焦点を当てるところからかもしれないなと思う。(30代 男性)
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この感覚、見ることを取り戻し、今後は失うことのないように、今回、再留学もしたのであるが、見失うことなく、深めていきたいと決意を改にした。
人類が、地球が、世界が、一体となって大きな意志をもって、大きく飛躍しているような動きの中で、二元的な見方も心を重視しない見方も必然であり、間違いもないものであろうが、しかしさりながら、人類が開放され、本心で生き生きと楽しく生きていける日が、一日も早く来ることを願って止まない。
その為に、自分自身も思いっきり、それに向かって生きてみたい。(50代 男性)
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その人の実際は?という時、行為は最後の目に見えて現れてくるその人のほんの一部で、目に見えないその人の思いや考えや感情などの意識上のこともあるけれど、そのもととなるその人の内面の大きさが、ああそれがその人本体と言ってもいいくらいなんだなと思った。
内面を重視したいと思ったらそうなるんじゃなくて、内面がどれだけその人の中の占める割合が大きいかを知ったら、そっちに目が向いていくように思う。
私にとって結構大きかったのは、善悪とか良し悪しを検討していて、実際の世界に良し悪しってあるんだろうか?良し悪しってなに?と探っていくと、自分の中に良し悪しの観念が強かったのに気がついたことかな。
以前から自分でもいい悪いですぐ見えてしまうなとは思っていたけど、自分が動く時や人のこともそう見えてしまうたびに、なんでだろうなあと思っていた。
実際の世界にはないものだなあ。
いろんなテーマでみんなで検討してきたことがつながっているんだろうけど、なんだか随分楽になったな。(50代 女性)
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今は、あの人はどんな気持ちなのかな、その本心はどんな感じになっているのかなというような感覚が、好奇心と純粋な不思議感、ちょっとした愛しさのようなものが入り混じって存在しています。あたたかい感じも覚えます。
コースを通して自分の実際、成り立ちや背景への理解が深まるにつれ、人への関心や親近感、幸せを願う情のような感情が少しずつにじみ出てきている気がしています。この感覚はいったい何なのか?ちょっとした幸福感にも感じられます。何かを達成したり欲しいものが手に入ったりしたときの一時的な強く突き上げるような喜びとは異なり、弱いが優しく漂うようにそっと包み込む喜びのような感じです。
自分のたくさんのものを受け取っている実際を知っていくことで、こころが満たされた感・豊かな感覚が深まり、人へ与えたいという心の動きが生まれたのか、自分の人とひとつのものである実際を知っていくことで、人への興味や人を活かしたいともいえる心の動きが生まれたのか。もしかしたら、人間はもともとこういった心の動きは持っていて、ただ遮断されていただけなのかもしれないなと思いました。
これから日常に帰り元の生活に戻りますが、私に表出し始めた人の実際・本心を知りたい・活かしたいというエネルギーを、人とのかかわりの中でどう表現し、また育て、共有していくことになるのか、非常に楽しみな思いです。
そしてたくさんの人と人が本心を知り合い、本心で生き、豊かな人と人が満たし合い、活かし合う幸せで喜びあふれる社会が実現していく、そんな夢…いや現実を、今日は見始めました。(30代 男性)
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