いつも愛情の中にいた

毎月一回「内観コース」を開催しています。
自分のことは自分で知っているとしていることが多いでしょう。
しかし、静かに調べてみると、自分が思っている「自分」が、実際の「自分」とはずいぶん異っていることが見えてきたりします。

内観コースは、「自分を知るため」の一つ方法として、続けられてきています。
7月の参加者の感想、抜粋して紹介します。

初めての内観。
どんなことが出てくるかな。
じっくりみてみたい気持ちと、振り返ると苦しい気持ちになることも多いんじゃないかという思いがあった。
1週間の間に父、母、ともに2回ずつ、母については3回目の途中(中学3年)までを観てみることができた。
1回目はやっぱり思い出そうとすると苦しくなる場面や時期があったけど、だんだん、してもらったこと、心配や迷惑かけたことばかりが出てきて、自分が苦しかったような気持ちに焦点があたらなくなっていくようだった。

★母に対する自分。
私は小さい頃からすごく甘えん坊で母にべったりだったから、少し振り返れば、母には甘えていたなぁとも思うけど、私のイメージでは、小さい頃から母はいつも忙しい。姉が病気をしてからはお姉ちゃんのことばっかり。
父とよく喧嘩をしていつもかわいそうな目にあっていた。
私はいつも寂しくで悲しかった。
ざっくりとこんな感じになっていたと思う。
内観を進めていくと、寂しく感じている自分、悲しくなっている自分の場面もあるにはあるけれど、母が側にいて甘えさせてくれていた場面、あたたかい感覚をたくさんたくさん思い出した。
もう忘れてしまっていたこと、やってもらって当然になっていたこと。
私になにかあったときも何でもない日常の中でも、私はいつもいつも愛情の中にいた。
そんな感覚になっていった。
私は保育園、幼稚園、小学校、、とあまり学校になじまないタイプだった。
中学生になると本格的に行かなくなり、それから10代の間はだいぶ苦しい時期だった。
カウンセリングに行ったり、家から全く出られなくなったり。
その間もいつも母が側にいてくれた。
私が動き出そうとする時はそれに付き合ってくれて、じっとしているときは、見守ってくれていた。
あのとき母は一体どんな気持ちだったのだろう?
そんな場面がいっぱい思い出された。
(略)
★父に対する自分。
父についてを思い出すのには抵抗感があった。
怖かった父のイメージが強くあったし、今も父とはなるべくなら会いたくないなぁという自分がいるので、してもらったことや愛情をもらっていたことを思い出してしまうと、今の自分の感情にとって都合が悪いような感覚があった。
内観を進めていくと、父にも甘やかされ過ぎるくらい甘やかされていたこと、父は父の愛情表現で、いつも愛情をかけてくれていたことが感じられた。
父については、父はひどいことをしたひと。というのが強くなっているから、してもらっていることが全く見えなくなっていて、なかったことになっている
記憶がたくさん出てきた。
父に怒られている時の記憶も、そのときの自分のショックや嫌な気持ちはあるけど、その前後の記憶が無い。
あのとき父はどんな状況でどんな思いだったのかな。
そんな気持ちにもなった。

私が、あのときはこうされてこんな気持ちだった。
こうしてくれなくてこんな気持ちだった。、と強くしてきた記憶がある。
でもそれ以外のことがたくさんたくさんあった。
私が「そうだった」と大事に持ち続けていたものも、その時の私の見え方、感じ方、その後に変化させたストーリーもあるかもしれない。
父に対しても母に対しても家族の記憶も世界が広がったかんじがする。
私が生きてきた時間、家族やそれ以外のいろんな人の中で生きてきた時間は、どこか一部の印象を切り取ってこれはこうだったなんて言えないことだった。

いつもいつも私は愛情の中にいたという感覚。
これはわたしにとってすごく大きなことだった。
思い出していく中で、家族やこれまで関わってくれたたくさんの人がでてきた。
私はいつもその愛情の中にいて、そうでない時はなかったんだ。
(略)
内観終わって数日。じわじわと内観よかったなぁという感じになっています。
(20代)
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