安心を求めながら・・・

「人生を知るためのコース」が6月21日~27日でありました。

自分のこれまでの人生を自分はどう捉えているかな?
そもそも 人が生きるとはどういうことだろう?
人は、なにを糧に生きるのだろう?
自分を材料に、研究の対象にしながら、
現状の、今自分が見ているものに、とらわれず、
本来の目的、生き方を 究明したい。

参加者の方の感想の一部です。

 最近の自分は人を疑い不安になるという事が多かったと思います。
自分が不安を抱いていたことに関することが,ほぼ人を疑うという終着駅に着地していました。
その現状を掴めた時に何かすっとどうなんだろう?と切り替わる意識があるような気がして、何か面白く感じました。

安心と"自分が""自分が""自分が"と色々な事をやり、人との区切りを意識の中で作って安心するという事をしていたと思います。
自分が安心して暮らしていける場所が欲しいと思って、外の事で何とかなると思っていましたが、やっていた行動はなにかが攻めてきたら(盗られたら、脅されたら)どうしようという不安を生む結果に繋がっていたと思います。
安心の中でのびのびとやりたいのだけれど、外の物で安心しようとしているので、外の物を取られる不安という矛盾。
何か考えていて知識とかやれる事というのは、自分の中に閉じ込めておけるので、囲っておける外の物のなかで一番盗られづらい物とみる事も出来るような気がします。
なんか書いてみるとおかしな話です。

人の安心状態、やはり母親と子供みたいな人と人の関係が大きいように思います。
つらつらと、やれどもやれども豊かになっていかないというのか、心が悲鳴をあげている状態というのがあったような気がします。
願っている方向はあれどその実を探究していかないとやるという事だけでは成り立っていかないように思いました。
やればやるほど不安が増えて不安を消すためにお金が必要になって、お金が・・・というループだったり。
人と人との間でもやればやるほど楽しくなくなり仲も悪くなっていくような。
何か縛りあって律してお互いに幸せになっていくみたいな感じでしょうか。
向かってる気持ちはあるから、やり方が間違っていてもオッケーといったような感じでは終わらせたくないなにかがあるような気がします。
生きているからには本物、人としての本当を目指したい。
人が人らしく生きていく、人を探究していく。(つづく)
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