認識のメカニズムを知り、自分を知り、誤認~の開放を!


人間は、誰しも生まれてから人として、成長していきます。
肉体の成長は見えやすく、部分的な強化も図られるくらい研究も進んでいます。
では、人の精神面の成長は、どこまで研究が進んでいるのでしょうか?
こころの成長に焦点を当てた研究やその実際は・・?

人の心の本質の解明や理解が進んだ分だけ、その人の精神面に現れてくるでしょう。理解を進める機会によって、こころの育ちに変化が現れてきます。
こころの本質を、自分自身を、「知る」ことの進み具合によって、それは、社会の成長として現れ、繋がっていきます。
サイエンズスクール開催の「自分を知るためのコース」(4月28日~)に参加した人の感想を紹介します。
20190501_114356-300.jpg◆普段の自分の感覚や考え! 実態をよく見ると!

「理想について考える前に、人間の考えについて知ることが大切」という話の意味や重要性がつかめたように思う。

事実・実際を五感を通じて把握するが、それは記憶をベースにした自分独自のもの。
事実・実際そのものとは異なり、かつその一部に過ぎない。

カレーを食べ終わりお鍋を洗おうとすると、おいしい食べものから、落とすのが難しい汚れに変わってしまう。
寒い時には寒さから身を守ってくれてありがたく感じるが、暖かくなるとその存在自体が暑苦しく感じられ、邪魔ものに見えてしまう。

「○○さんは相手を責める発言をしている」…断定に聞こえ、きつい感じ。
→「○○さんは相手を責めるように聞こえる」…謙虚で、自分もホッとする感じ。(男性40代)
.
.
.
◆感覚器官の受け取りは? 認識の構造は?

まずは、感覚について探求しました。
感覚が自分の前に広がる世界を知る調査ツールであることを思い知らされました。
感覚が、自分の世界を作り上げる道具のようなものなのだろうか。
感覚は、実際あるだろう世界を味わう最高の道具であるとも思えました。
この素材をいかに調理して味わうか。

これまでは、こんなものだろうと思っていた世界が、広がりまた味わい深く感じられました。
そして、この感覚を用いて感じ得た世界が自分の認識や概念を作っていくようです。
この認識が自分の世界を構築していくのでしょう。
この世界は、人間の考え・認識が作り出しているのです。
感覚の旅は続いていきます。

自分が安心できる状況を作るために、感覚を用いて固定概念を作り出していきます。
ただ、これは自分を守るものでもありますが、自分をその世界に閉じ込め苦しめる元にもなっているようです。
そうやって観念を事実のように扱い、世界を批判し、生きづらい世の中を自分で作り上げていくのです。

理解してもらいたいという気持ちをそのまま表現し、目の前の人に正面から向き合う、すなわち直面することが私にとっては素直な行動なのだろうと思います。
私の本来の願いは、お互いが向き合って素直な気持ちを出し合える関係を作っていくことなのかなと今は感じています。(男性30代)img26_s-PIC_4183.jpg◆研究の面白さ! 知ることの面白さ! 人の面白さ!

面白かったな。
このコース初参加の人が半分で、初めて出会うテーマから思考し、自分を見て出して、また思考し、自分を見て・・・を連続していく中で、その人が変わっていく。

その人の味がこぼれるような瞬間に出会い、また私も生身の自分でテーマと向き合い、
一緒に探究していくのが何とも言えない感じ。
嬉しいというのか、力がみなぎるような、誰にでも通ずる、サイエンズメソッド、すげーとも思った。

見るとは? 聞くとは?
自分の脳の中で起こってるであろうというのをじっくり観察しながら、また日常の自分がどうなっているのか見ながら、思わぬところで直面するテーマもあり、また差し迫るような感覚、次の社会に向けて阻む心の状態も見つけた感じです。

実際の方に目を向けてみると、それぞれの個性や見えてる世界があり、特徴があるようで、それが発揮すると、また、どんな社会が現れてくるのか楽しみになりました。
自信のない人
健康な状態、どこまでも知ろうとする働き、柔軟、誰とでもどんな意見でも話し合える状態

「柔軟で自由活発な知性と温和な心」育てていきたいな。
また一から、スタートしたい(女性30代)img15642_s-DSCF4288.jpg
◆自分自身の根本を知って、咀嚼していく価値を!

自分や世間、他人について知らないことなんて山ほどあります。
そもそも自分がどういう人間なのか、自分が一番よく分かっていません。
別に自分のすべてを解明しようと思っていませんし、それ以外にすべき努力もたくさんあります。

ただサイエンズの方針としてある、問題の根本から知ろうとするのはとても興味深いです。
表面的な方法論を語る人は多いけれど、一番根っこの部分がしっかりしていないのに、色々言っても仕方ないのです。

サイエンズは持続可能な社会をつくるのに必要な考え方だと思ってます。
なので、それを知って自分の人生に取り入れることは大きな価値があります。
今回のセミナーの振り返りは普段の生活の中で時間をかけて行われていくことになります。
それが、今後の人生にどう影響してくるのかわかりませんが、とても、いい影響だと思います。(男性20代)
.
.
img15670_s-20190416_070651.jpg
◆五感でキャッチ、「正常な認識」のメカニズムの理解を!

私の五感でキャッチして脳に届くまでは、像も色も音も匂いも味も、感触も、まだ、ない。
いやあるのだが、その実際は、これから脳で認識することになるものとは全く異質な、いわゆる物理的な物質や現象だろうが、私たち人間にはその世界に直接触れる能力がない。
ところが脳に届くや否や、私の記憶の蓄積からくる私独特の認識の仕方で、立体的で多彩な像や質感となり、意味を備えた言語となって認識される。

感覚と事実実際の違い、自分の感覚を正しいとしたり、事実化したりする事例を探究しながら、自分の感覚を信じて、ほとんど事実に関心を持っていない自分の実情に気づいた。

見ること、聞くこととは、どうなっているか、その実際を検討してみると、五感そのものも相対的であり、独自の経験によって形成される主観的なものであることに気づかされた。
見えるものも聞こえるものも、私が関心を寄せた中の認識できるものしか認識できないという限界が、まず大きく立ちはだかっている。

記憶を事実化してしまうのは、記憶のもとになっている認識それ自体が事実化しながら認識されているからかな
事実化ということを知らないために起きてくるわけだけど。

そこからくる私の関心の持ち方や認識の仕方が、事実の世界からの情報のインプットの傾向とその質を決定し、捉え方で強化されて、アウトプットとして思いや感情、気持ちが表れとして出てくるという風にとらえて、腑に落ちた。

―――相手の発言という事実を人間は直接認識できない。

私の脳の中で言葉を自分の言葉で認識してそう私が聞いている。
ここでわたしに特徴的だった反応は、責める気持ちというアウトプットが出たこと。

その考えに反する人や考え方に接したときに、隔てを作ったり、拒絶したり相手を責める気持ちが出るのは、相手の言葉をとらえるときに、事実化された認識や考え方が作用するのではないか。

みんなの前で涙を出したり、それでも変わらず探究を続け、笑ったり、一緒に考えたりのペースで暮らした後半の数日間で急激に力が抜けていくのを感じた。(女性60代)

以下のページから「知るためのコース」の案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jibunwoshiru.html
20190422_150526-300.jpg
- | comments (0) |16:47

Comments

Comment Form

icons:

Trackbacks