「決めつけ」というワードの必要性

1/4~1/9で「マイライフセミナー」開催されました。
seminar201401
家族のような雰囲気の中、じっくりと一つ一つのテーマについて、しらべ、考えていくことができたと思います。

参加する人は、いろんな動機で、いろんな状態の人ですが、同じ、「ひと」同士。

本質を探っていくこのセミナーの中では、自然と近しく、家族のような親しさが醸し出されていくように思います。

正に、「本質を探究しながら、その実現をはかる考え方」(「サイエンズとは」から)です。

この春高校を卒業する青年の感想のレポートから。

4日目辺りで「サイエンズとは」という文を読んだ。

『自分の中の「決めつけ」によって様々な「事」を見えなくし「選択肢」を自分で減らしている』。

正しいか間違いは分からないが、この考えにたどり着いた。「1+1は2である」と言う問いに対して自分を含めた大体の人は納得する。それ以上考えようということもない。そこで終わり。

だがこの文を「1+1は2であるか?」にすると、頭をとにかく使い考える。本当に2なのか?何故2なのか?足すと言う行為は何なのか?

小学生の頃からやってきた。分かったと思っていた単純な計算を多角的に観察していたのだ。これは自分の中のどんな事にもあてはまったような気もした。

答えを出すことが悪いことだとは思わないが良い事だともなんとなく思えなくなった。答えを出すとどうしても「キメつけ」が出てきてしまう気がするからだ。

まだこの「キメつけ」の本質的なものは見えてないような気がするし、見えるのかもわからない。

今回のマイライフセミナーで、自分のこれから学ぶべき事に「キメつけ」というワードを加える必要性を感じた。
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