<< すべての人が求める、幸福な人生を探る! | main | 内を観る、そのままの自分を見ていくと、本音・本心が観えてくる >>

阻害しているものを知って、自ら快適に生きていく!

快適に生きる・・・人の中でこそやれることだと思いますが・・・日常の暮らしを本当に快適に暮らしている人はどれだけいるでしょうか?
誰にとっても、望む生活が営まれることが本来の姿だと思います。

やりなさい(攻める)、やめなさい(守る)が無く、いつでもどこでも話し合いがあり理解し合うお互いで、一人ひとりの希望が反映される暮らしを・・・!

「快適に生きる」は、「自分自身の実際」を理解することから始まります。
サイエンズスクールで開催されている「自分を知るためのコース」は、そんな自分自身の中にダイブしていきます。1月20日から開催された参加者の感想を紹介します。



◆「自分の中身がどうなっているだろうか?」
自分の中で終始この問いから始まったように思っている。

相手や事柄に反応しているのではなく、自分がそれをどう見て、どう聞いて、捉えたのか?
何を思い、なにを考えたのか。
常に“自分”が視点だと思う。
自分だけでは今の自分が当たり前になりすぎて自分の状態に気づきにくかったりする。

反応しやすい人の近くにいるというのは実はとても有難いことだった。
「人間の考え」というのがどこからなのか、まだハッキリしていない感じだ。
「“人間の考え”を知っていく」というのも大きいと思う。

自分が今どうたったのか?という視点で話す場面が増えてきていたと思う。
自分の中でグルグル(負の連鎖)の中に飲み込まれても、そういう角度から話すと抜け出せていたように思う。

「自分の中でどうなっていたのか?どうしたいのか?」
そんな自覚し合うお互いから、これからの暮らしも始めてみたいと思っている。(30代女性)
.
.

◆みんなの中で探究してみると、あれ?・・? わらけてくるわ!

自分の中で当たり前になっている事は、そうしている事にもなかなか気付けそうにないし、同じ思考回路で1人でグルグルする感じ。

探究会だったら自分が思ったことを言葉にして出す中で新しくまた何か思いが出てきたり、誰かが言った一言で、「あれ?今のどういうこと?」とまた違う頭を使いだす感じがある。
そうやって少しずつ自分の状態に気付いていくのかな。

日常生活の中でわりと大きな反応が出たなあという例を調べた時に、瞬間的に出たものは「は?」という言葉やイラっとする気持ちなのだけど、そういう反応が出るまでに自分の中で色々起きているんだなあと思った。

自分でも笑えるほど被害妄想的なのでここには書かないけど、その時は本気でそう思っているし、自分の中でそれが起こっていることには気付かないんだよね。
相手の気持ちも分かっているので(分かったつもり)、相手には全く関心が向かないし(20代女性)
dc4ce7bc6d69ba934c645f1dbfa5cda4_l.jpg
◆見て・聞いて、そうだとなる頭のカラクリは?

「自分の考えが正しい」となっている中身には、見たもの聞いたものを「事実を見た」「実際を聞いた」と事実化していることに大きな原因があると思った。
人間の仕組みを調べ、光を見ている、音を聞いていると「思って」いても、それを意識しているときはそう思っていても。
日常の中ではそうなっていないことだらけだ。

そのベースになっている自分の中身を見ていくと、「知っているのが良い」「知っている方が偉い」、「知らないのはダメだ」「知らないのは劣っている」という観方が根強くあることに気が付いた。
だから「知らない、分からない」人になりたくない。
そうなるのは不安だ。

「知っている、分かっている」人と見られていたい。
そうすると良く見られる、人より優れている、安心だとなっていて、「本当はどうなんだろう?」「分からない、知らない」と調べる方向へ行こうとすることを阻害しているなあと思った。(40代男性)
.
.

◆知ったような感覚が、思考を止めてしまう?

日常こう思ったという中身はどうなっているのだろう。
見たもの聞いたものをそうだとして事実化した世界に原因を探そうとする状態。
自覚のないというのは心の状態のことと思う。
始めは知らないことも経験や知識が増えることで知ったような感覚になる。
感覚に実感があり現実味をおびる。

知っているという状態はそれ以上がない、止まる感じに思う。
本当なら知識や経験が増えることで世界が広がるのだと思うが、知識や経験から自信を付けたりあることが良いとか余計なものをくっつけて自分の考えは正しいとなる状態。
違ったことを言うと正したり、言わなかったとしても何かある状態。

相手は何を言ってるのかな、なにを表現してるのかな、どうしてそう思ったのかな
事実、実際は人間の考えで捉えきれるものではないと思う、人にも物にも自然にも過去にも今にも、死んでもある。
自分が思っても思わなくてもあるものかなと思う。

それをまるで過去にあったように感じているだけで、今ある。
みんなが言ってるからとか、同じとか過去や社会から受けたからとか、どうでもいいことだったな。
今自分に何があるのかを見ていくということで、自覚が深まっていく。

本当に知りたいことは何なんだろう。
常に実際が見えてる状態はどんなかな。
やらなければいけないことなんて何もない。

なくてよいスタート。

本当の欲求、心からの日々、暮らしはどんなかな。
私は何に生きるのかな。
見極まる。
見て、極まっていく。 
そうなったらどうなるのかな。
欲求と能力が合わさったらどうなるんだろう。
知らないということは面白いなと思った。(30代女性)

rhea-bird-327583__340.jpg

以下のページから自分を知るためのコースの案内が読めます。
http://www.scienz-school.org/hp/jibunwoshiru.html
自分を知るためのコース | - |

Trackbacks