「私の人生」を生きているだろうか? 人生を知るためのコース

結果に一喜一憂する、周囲の評価を気にする、他の人の言動が気に障る等々は、自分の生き方をしていないことから来るのではないでしょうか。
趣味・興味・関心・得手不得手・感情・欲求・願望・知識・経験・発想・思考等々、自分のものだと思っていても、自分の生き方をしていない自分から出ているものかもしれない。
人生の目的を知り、本当の自分を知り、未知なる自分への好奇心に生きる、自分に最も適した他に真似のできない生き方を探究する機会です。
7月「人生を知るためのコース」に参加した人の感想の一部です。

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更に4日目に「一つの世界」「地球は一つ」というテーマで検討していくうちに、すごく、私の家は家、Aちゃんは関係ない別の人みたいに、バラバラに捉えてる自分の観え方が見えた。
バラバラ・別々関係ないものを、一生懸命受け入れようとしている自分、受け入れないのはひどい人、ダメな人としている自分、間違った捉え方から出てくる気持ちにマル、バツを自分自身でつけて、ダメだ出来ていないとして落ち込むという、とても複雑な迷路の意識に迷い込んでいたようだ。
実際の成り立ちを観てみると、水も雨になったり川になったり、海に行ったり蒸発したりして繋がっているし、自分もそれを飲んだり食べ物を食べたり、自分が生まれて今、ここにいる事だって繋がりの中で存在している、人だけ別という事はないと思う。
何か、人だけは別みたいに捉える意識があったな。
別々に観ていて、それは良くない事としていたんだな、「実際の世界」の成り立ちはどうかな、全てが一つで繋がっている、そしたら、私は「イヤなんだ。」とかいう気持ちも安心して言えるような気がする。
何だかこのからくりが観えた時、心の入り口のもつれた部分を発見したみたいで嬉しかった。(50代女性)

自分が自分の意志で生きていると思っていたけど、実際の世界を少し垣間見ると生かされているとしか言いようがない。
地球が超高速でまわりながら太陽の周りをまわっているのに私たちは何も感じないし、太陽からの距離といい、大きさといい傾きも生き物が生きれる環境が、偶然にもというか必然的にというかできてしまった。
何かの作用というかバランスというのか。
自分が生きるためにやってることもほんの少し。
ほとんどやってもらってる。
そして自分じぶんと言ってるこの自分も、生きようとするエネルギーからなにか欲求が出て来るけど、あとは受けたものでできている。
人、食べ物、自然などなど、それぞれの背景もあり、成り立ちは計り知れない。
今までは自分も人も、すべての繋がりの中で必然的に現れている現象を見てその人、そのものとしていた。
自分もその人にも心がある。確かに自分にもある。
そして人には本心がある。
私にも本心がある。
トマトみたいにどんな環境でもトマトらしく生きようとするエネルギーのような力というか欲求が人間にも元々ある。
自分の中から湧き出てくるもの。
安心したい。満たされたい。幸せになりたい。みんな幸せ。豊な人になりたい。
本心で生きる。本心が目的でそれを実現するための手段が仕事や暮らし。
いつの間にか手段が目的になってしまう。
自分ひとりで本心で生きようとしても無理がある。
みんなが本心で生きれるような社会がいいな。

本心はわからない~と自分をごまかさないで自分の内面に目を向けてみよう。
やることはそのぐらいかな。自分の中を観察・探究する。
欲求はみんな本心から出てるけど心の状態で反応が色々なのかな。
自分の要求が何かもっとハッキリしてもっとシンプルになる感じがする。
何で自分が満たされるのか?
本心から出てくる欲求や要求が満たされて、実際の世界を知れば知るほど豊になり知性や心が育ち成長していくのかな。
年をとればとるほど心が豊になっていく。そんな人生を送りたい。(40代女性)
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